第7話 上条グループ本社
一臣さんと一緒に、上条グループとの会議に行くことになった。かなり緊張だ。緒方商事副社長夫人としても、上条グループの社長の娘としてもしっかりとしないとならないし、うわ、今までにない緊張感。
等々力さんが運転するリムジンに乗り、上条グループ本社に到着した。正面玄関に車が止まり、先に樋口さんが降りてドアを開けてくれて、一臣さんと車を降りるとビルの中から何人かの人がざわつきながらこっちを見ていた。
「誰?リムジンから降りてきたわよ」
「運転手つき?」
そんな声がする中、一臣さんは颯爽と歩いている。私は初めて来た上条グループのビルに、緊張しながら一臣さんのあとを追った。
受付嬢が気がついたのか、いきなり立ち上がり、
「緒方商事の一臣様ですね。お待ちしていました。今、担当者をお呼びしますので、こちらにお掛けになってお待ち下さい」
と、私たちをロビーのソファに通してくれた。
緒方商事のビルは、歴史もあって重々しい雰囲気がする。ロビーも重厚感があり、ソファも黒くて全体的に黒のイメージだ。だが、上条グループは明るい。色合いも明るいし、ガラスで仕切られているから開放感もあるし、天井も吹き抜けていて広々としたイメージがある。ソファもテーブルも明るいグレイと白だし、観葉植物も置いてあるし、透明感も感じられる。
「緒方商事の副社長じゃない?」
「え?上条社長の娘と政略結婚した?」
ひそひそっと声を潜めて、エレベーターホールに向かう途中なのか、立ち止まって話をしている女性社員が2人。ひそひそと話しているけど、静かだから聞こえている。
「あの女性は秘書?」
「いろんな女性関係の噂があったよね」
ひそひそ…。
あ、一臣さん、眉間にしわ…。怒り出す?まさかね。
「ゴホン!」
わ。びっくりした。一臣さんじゃなくて、樋口さんが咳払いをした。樋口さんは座らず、ずっと一臣さんの後ろに立ったままだが、樋口さんの咳払いで、その女性たちは慌ててその場を離れた。
「上条グループで俺の噂は変わっていないのか」
「え?」
「奥さんのことを溺愛しているとか、子煩悩だとか、緒方商事だとそういう噂に変わっただろう」
「噂というか、事実ですけどね」
「樋口、うるさいぞ」
「申し訳ないです。あ…いらっしゃいました。社長が…」
「え?社長?」
うわわ。本当だ。にこにこ顔でお父様が来ちゃったよ。なんで?!
思わず私も一臣さんも立ち上がり、一臣さんは姿勢を思い切り正した。
「やあ、一臣君、弥生もよく来たね!」
「なんでお父様が?」
「一臣君から弥生を連れてくると報告を受けたから、ちょうど時間が空いていたから待っていたんだよ。弥生は来るのが初めてだろう。どうだ、会議の前に社長室に寄っていかないか」
「でも、時間が…」
「大丈夫だ。弥生。時間ならある」
私にそう言うと一臣さんは、
「実は挨拶に伺おうと思って、早めに出てきたんです」
とお父様に話しかけた。
「そうか、それは良かった。コーヒーでも出そう」
お父様は受付の電話を使い、どうやら秘書にコーヒーを4つ、これから娘を連れて行くと伝えた。
「さ、行こうか」
お父様がこっちを向いた時、その後ろにいた受付嬢が、
「社長のお嬢様なんですね。何も存じ上げていなくて、大変失礼しました」
と、立ち上がって私に頭を下げた。
「い、いえ、大丈夫です。こちらこそ、何も挨拶しなくてすみませんでした」
私も深々と頭を下げると、
「弥生、早く来い」
と、さっさとお父様と一緒に一臣さんはエレベーターホールに向かっていた。
「はい」
慌てて私も一臣さんのほうに向かった。あれ?樋口さんは?と後ろを振り向くと、ちゃんと私のあとをついて来てくれていた。
社長室は中に入ると秘書らしき男性と、2人の女性が座っていた。なんだかやけに広い。ガラス張りのブースにも分かれていて、観葉植物もあり、ここもまた明るく開放的な部屋だ。
「やあ、みんな紹介しよう。娘の弥生だ」
「初めまして」
お辞儀をすると、みんなも丁寧に席から立って挨拶をしてくれた。
「こっちだよ」
お父様が先頭を歩き、その先にあるガラス張りのドアを開けた。その奥には、大きな窓ガラスがある広々とした個室。ここがお父様のお部屋なんだ。
緒方商事とは違って閉鎖されていないし、明るいし、物がそんなに置いていないシンプルな部屋だ。
お父様用のデスクの前に、テーブルとソファが4つ。そこに私たちは座った。樋口さんは立っていたが、お父様にすすめられ、ソファに腰掛けた。
「失礼します」
ちょうどいいタイミングで、さっきはいなかった若い女性がコーヒーを持って入ってきた。
「娘の弥生と、旦那さんの一臣君だよ」
またお父様は軽く私たちを紹介した。
「初めまして。私秘書の横須賀です」
「あ、初めまして」
コーヒーをテーブルに置くと横須賀さんは部屋から出た。
「若くて綺麗な秘書さんですね、お父様」
「ああ、昨年入社したばかりだ」
「お父様って、秘書が何人なんですか」
「僕についているわけじゃなくて、秘書課の人間だけどね、ほら、そこの4人と横須賀さんで5人いるんだよ」
「え、社長に秘書はいらっしゃらない?!」
一臣さんがすんごく驚いている。
「うん、いないんだよ。一臣君は樋口さんのような優秀な秘書がいて羨ましいねえ」
「…」
一臣さんは無言で樋口さんを見た。樋口さんは軽くお父様に頭を下げた。
「秘書課の人間は僕や副社長、専務たちのスケジュールを管理しているんだ。ここの右側のブースあったよね、そこが副社長の部屋だよ」
そうか~~。同じフロアなだけでなく、部屋も同じで、中が分かれているんだ。それもガラスで仕切られているだけで、中は丸見え…。一臣さんの部屋みたいに閉鎖的で、中で何をしているかすらわからないってわけじゃないのね。
のんびりとコーヒーを飲みながら、お父様は今どのくらいプロジェクトが進み、どんな状況なのかを一臣さんから聞いていた。かなり関心があるらしい。如月お兄様は話さないのかなあ。
「そうか。じゃ、如月の報告と相違ないわけだね」
あれ?聞いているんじゃない。
「はい。上条グループと常に連絡携取っていますから、変わらないですね」
「それは良かった。如月とは一臣君、仲がいいらしいし、最初はどうなるか、このプロジェクトも危ぶまれたが、仲良くなって何よりだ」
「…ああ、最初…。如月さんのほうが僕に対して、あまりいい印象を持っていなかったみたいですから」
「はははは。弥生のことで、いろいろとあったからねえ。どこから、そんなに意気投合したんだい?」
「如月お兄様も一臣さんも、仕事が大好きなんです。仕事の話で盛り上がって意気投合していました。あ、赤坂さんも含めて」
「へえ、そうなのか。仕事好きってところで分かり合えたってことか」
私の言葉にお父様は、嬉しそうに頷いた。
「如月さんは仕事に対して情熱があるし、赤坂さんは普段軽そうな雰囲気があるが、仕事となるとガラリと変わりますね。熱心だし誠実だし、何より行動が早いし機転が利く。柔軟さもあるから、仕事がやりやすいですよ」
「へ~~、随分と評価が高いんだな」
「如月さんが右腕として認めているのがわかります」
「…一臣君にはいないのかな?右腕」
「信頼できるのはここにいる樋口と…。う~~ん?仕事のサポートといったら弥生か?」
一臣さんはくるっと私のほうを見て聞いてきた。
「え?私?!」
「そうですね。赤坂氏みたいなサポート役はいないですね…。そうか、これからは必要か」
え?私じゃ不足?
「おや、今頃そこに気がついたって言うことは、弥生が補佐的役割りをしっかりとしていたのかな?」
そう言ってお父様は笑った。
「ああ、そうですね。弥生さんは本当に優秀です」
一臣さんの言葉に思わず、くるくると私は首を横に振った。
「弥生さんはバイタリティもある。何事にも真剣に取り組んで、たまに行き過ぎる時もありますが、何よりも従業員や社員に好かれていますよ」
「そうか。頑張っているんだな、弥生」
「はい。お父様」
お父様様はしばらく私を優しい目で見つめてから、
「ところで、今日は壱弥君は連れてこなかったのかい?時間があるから、会議の間面倒を見たのに」
と、驚く発言をした。
「社長にそんな真似はさせられないです」
一臣さんが恐縮そうにそう言うと、
「水臭いね、一臣君。孫を面倒みたいというじーじの気持ちだよ。しばらく壱弥君にも会っていないし、成長を見たかったんだよ」
「ごめんなさい、上条家にここ最近遊びに行っていないですね」
「そうだぞ、弥生。おばあさんも会いたがっていたぞ。可愛いひ孫に」
「はい。今度行きます!」
私の言葉ににっこりとお父様は微笑んだ。
あれ?もしや、時間を空けて待っていたのは、私たちじゃなくて壱弥?多分そうだろうなあ。
社長室から会議室までは、秘書の横須賀さんが案内してくれた。エレベーターの中で、
「緒方様のお噂はかねがね聞いておりましたが、本当に噂どおりの方なんですね」
と、一臣さんを見て頬を赤く染めた。
「噂?女癖が悪いとかそういう噂ですか?」
「え?!いいえ」
横須賀さんは大きく首を横に振り、
「とても紳士で、素敵な方だという噂です」
と、一臣さんをしっかりと見つめながら声を大にした。
「紳士……、へえ」
あ、一臣さん、肩まゆ上げた。
一臣さんは横須賀さんが熱く見つめているからか、すっと私の腰に手を回してきて、
「じゃあ、妻思いで子煩悩という噂も聞いていますよね?」
と、そんなことをしれっと言った。
うわ。何を言うんだと、私のほうが赤面していた。対照的に横須賀さんの顔は暗くなり、
「はい、その噂も聞いておりますわ」
と一臣さんから視線を私に移した。ちょっと、目の奥で睨んでいる気もする。
「そうですか、なら良かった」
一臣さんはまた肩まゆを上げ、意味ありげに微笑んだ。
会議室に着くと、すでに緒方商事のメンバーは揃っているようだ。
「待たせたな」
一臣さんはそう言いながら、中に入った。
「いいえ、まだ上条グループのリーダーが来ていないので、始まっていなかったんですよ」
すかさず広尾さんが一臣さんのそばに来た。
それも、近寄りすぎじゃないっていうくらい近距離に来て、
「あら、一臣様、糸くずが」
と言いつつ、スーツの胸元を触っている。それ、本当に糸くずあったの?と、思わず私は凝視してしまうと、
「あら」
と、私に気がついたようだ。
「今日は弥生様もいらしたんですか?え?なんで?」
ムッ。まだ一臣さんに引っ付いているし、私のことを見下した感丸出しの口調で言ってきたし、さすがに私だって頭に来る。
「広尾さん、必要以上に一臣様に近づかないようお願いします」
すっと私の後ろから樋口さんが現れ、広尾さんにそう注意をした。
「え?わたくし、別に…」
微笑みつつ、広尾さんは一臣さんを見て、
「ねえ?一臣様?」
と、一臣さんの胸にそっと手を添えた。それ!それが必要以上に近づいているってことだけど?
「離れろ、広尾。上条グループのみんなも見ている。変な噂が立っても困る」
そう小声で一臣さんは言うと、広尾さんから一歩離れて、私の腕を引っ張った。そして、
「今日は妻の弥生も参加します。秋には妻もアメリカに行き、レセプションやパーティにも参加する予定ですので、プロジェクトの内容などは知っておいたほうがいいですから。宜しいですか?一緒に参加しても」
と、上条グループのメンバーに向かって、言葉とは裏腹に堂々とそう申し出た。
「もちろんです。弥生様、社長のお嬢様ですよね。お初にお目にかかります」
そう最初に話しかけてきたのは、30代後半かな?優しい雰囲気の女性。そのあと、みんなが私に挨拶に来てくれた。
広尾さんは樋口さんに呼ばれ、まだ説教をされているのか、暗い顔をしている。樋口さんはいつものロボットのような鉄化面。あ、なんだか、どんどん広尾さんが青ざめていくけど、怖いことでも言われたのかな。




