第8話 日本へ
新婚旅行も残すところをあと1日。明日には日本に帰る。私は一臣さんの荷物も、スーツケースにしまっていた。
「早かったですね」
そう言いながら、一臣さんの服を畳んでいると、
「1ヶ月は休暇が欲しいよな」
と一臣さんがぼそっと呟いた。
「日本に帰ったら、また仕事尽くしだ」
「また忙しくなるんですね」
寂しいな。
その時、コテージのチャイムが鳴った。
「モアナか?」
一臣さんがドアを開けに行くと、
「こんばんは。少しお邪魔してもいいかしら」
と、なんとおばあ様が現れた。
「ばあさん、どうしたんだ?」
「明日帰るんでしょう?その前にお話がしたくて」
おばあ様はやたらとでかい黒人のボディガードを二人も引き連れていた。
「あなたたちは、外で待っていてくださいね」
「はい」
日本語なんだ。黒人さんも日本語を話せるんだなあ。なんて、感心している場合じゃない。いったいなんでわざわざ?
「帰り支度をしていて散らかってるぞ、ばあさん」
「いいですよ」
おばあ様はスタスタとリビングに入ってきて、
「失礼しますね」
とソファに腰掛けた。
「えっと、お茶でいいですか?」
一臣さんにそっと聞くと、
「何もいりません。すぐに帰ります」
とおばあ様は私に言った。
「それより、一臣も弥生さんもここに座って」
「はい」
おばあ様の前のソファに腰掛けると、
「主人が失礼なことをして申し訳なかったわね」
と、私にいきなり謝ってきた。
「え?」
「ホームパーティのことか?あれは、どんな意図があったんだ」
「多分、弥生さんだけが一臣の子供を生めるんだって、そう愛人の皆さんに伝えたかったんじゃないかしらねえ。あの人も、総一郎も愛人が妊娠したって、いろいろと揉めたことがあったから」
「え?それ、初耳だ」
一臣さんがびっくりした。私も、驚いた。
「っていうことは、俺に龍二以外にも兄弟がいるってことか?」
「主人にはいるわ。総一郎が生まれる前だったから、跡継ぎにしろといろいろと大変だった。総一郎の場合は、DNA鑑定の結果、総一郎の子じゃないってわかったから良かったけど」
「へえ。そんなことまでするんですか」
「そうですよ。他の男の子供なのに、緒方財閥の跡継ぎにしたくて、総一郎の子を身ごもったと嘘を言う女も、実際に何人もいましたからね」
「それで?俺の付き合ってた女たちが、親父の愛人みたいに言ってこないよう釘をさしたってことか?」
「多分そうだと思いますよ」
「わざわざ、そのために、なんだって弥生までみんなと会わなきゃならないんだ。じいさんが女たちに注意したらいいだけじゃないのか」
「弥生さんにも、一臣には愛人がいるんだってことを教えたかったんじゃないんですか?」
「そんなことなんで必要なんだ?」
「緒方家の嫁になるんだったら、そういう覚悟も必要だって、わからせたかったんじゃないんですか?実際に愛人たちに会わせて」
「わけわからん。なんだよ、それ」
一臣さんは、眉間にしわを寄せ、呆れ果てた。
「弥生さん」
「はい」
「わたくし、あなたにも覚悟するように言いましたよね?」
「え?あ、はい」
何?また何か、覚悟しろってわざわざ忠告に来たの?
「でも、そんな必要なかったし、一臣が付き合っていた女性たちに会わせる必要もなかったんですね」
「……」
え?
「そのとおりだ。俺は弥生以外の女と全員手を切った。今後も誰とも付き合うつもりもないし、女遊びをする気も無いんだからな」
「弥生さんのことを、愛しているって主人に言ったんですってね?」
「誰に聞いたのか?じいさんに?」
「石橋さんが教えてくれたんですよ」
「へえ…」
おばあ様はしばらく黙って私を見ると、
「弥生さんが羨ましいわ」
とそう言って、悲しげに笑った。
「……。ばあさんは、じいさんに付き合ってハワイに住んで、寂しくないのか?どうせ、じいさん、今でも女遊びしているんだろ?」
「日本にいた頃よりも落ち着きました。何しろ、もう年ですからね」
「じゃあ、一緒にいる時間も増えたってことか?」
「ええ、そうね。この年になってようやく」
「ふうん、ようやくね…」
「弥生さん、本当に失礼なことを言ったり、不安にさせたりして悪かったわ。許してね。これに懲りず、また遊びに来て」
「はい」
「じいさんには、会うつもりはないけど。まあ、ばあさんもたまには日本に帰ってきたら?」
「そうですね…」
一臣さんの言葉にニコリと微笑むとおばあ様は立ち上がり、静かにコテージを出て行った。私と一臣さんは、コテージの外からおばあ様を見送った。
「わざわざ、謝るために来てくれたんですね」
「そうだなあ。そんなこと、今までなかったのにな」
一臣さんは私の腰の手を回し、またコテージの中に入った。
「弥生」
「はい?」
「俺は、じいさんの前で言ったこと、本当に思っているからな」
「え?」
「孫も愛すって、そう言ったろ?」
「はい」
「みんなで、ハワイに遊びに来ような?」
「はい!」
ムギュ。一臣さんに抱きついた。
「明日にはもう日本だな」
「ですね」
「じゃあ、ハワイ最後の夜も、めいいっぱい愛し合わないとな?」
「…連日していた気がします」
「かもな?まあ、いいじゃないか。新婚旅行なんだから」
そう言って一臣さんにお姫様抱っこをされ、ベッドに連れて行かれた。
そして、ハワイ最後の夜も、あつ~~い夜となった。
翌日、またオアフ島に戻り、お土産を飛行場でアマンダさんに付き合ってもらって買った。その間、一臣さんはファーストクラス専用のロビーで寛いでいた。
「アマンダさん、ボブさん、いろいろとありがとうございました」
二人はハグとほっぺにキスをしてくれて、
「また、ハワイに来たとき、会いましょう」
と、私をカウンターまで見送ってくれた。
そこから、日本から来ていたらしいボディガードに付き添われ、ロビーに行った。一臣さんの隣にも図体のでかい男の人が一人座っていた。
一臣さんに言わせると、忍者部隊の人も来ているらしい。どこで見守っていてくれているのかわからないが、どこに行く時も一臣さんは守られているってわけだ。
「弥生、ずいぶんと時間がかかったな」
「はい。秘書課のみんな、お屋敷のみんな、あと実家にもお土産買って来ました」
「そうか」
「一臣さんは?」
「俺は別に。あ、樋口と等々力にも買ったのか?」
「もちろんですっ」
「じゃあ、俺が買う分はないな」
「あれ?お酒飲んでいたんですか?」
「ああ、ここには上等な酒が用意されているからな」
けっこう、ハワイでもお酒飲んでいたよなあ。
「さ、そろそろ搭乗の時間になるぞ」
「はいっ」
飛行機に乗り込んだ。ファーストクラスは何回乗っても慣れないかも知れない。
「ふあ~~。俺は寝るぞ」
そう言って、一臣さんは離陸と共に寝てしまった。
私は、眠れなかった。ぼんやりと隣にいる一臣さんを見ていた。
「一臣さん、私も、一臣さんも子供も孫もひ孫も、思い切り愛しちゃいます」
そう呟くと、一臣さんが目を開けた。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」
「ふ…」
一臣さんはにこりと微笑んで、また目を閉じた。
今度ハワイに来るときには、子供も一緒かもしれないね。そんなことを思いながら、私はしばらく一臣さんの寝顔を見つめていた。
日本に無事到着!飛行機を降りると、冬真っ只中だった。
「寒い!」
薄着でいたから、慌てて二人ともコートを羽織った。
飛行場まで等々力さんが迎えに来てくれていて、樋口さんの姿も見えた。
「おかえりなさいませ」
「ただいまです!!!」
久々の日本、久々の樋口さんと等々力さん。なんだか、懐かしい気もする。
「お二人とも焼けましたねえ。ハワイはいかがでしたか?」
車を運転しながら等々力さんが聞いてきた。
「楽しかったです!!!」
「そうですか。弥生様、本当に嬉しそうですね」
「あ、それは、等々力さんや樋口さんに会えたから」
そう言うと、等々力さんも樋口さんもバックミラーで私を見て、
「そう言って下さると嬉しいですねえ」
と、感慨にふけっているようだった。
「等々力は里に帰ったのか?」
「はい。久しぶりに帰りました」
「そうか。良かったな」
「はい。他の皆さんも、ご実家に帰られている方が多かったですよ」
「なかなか帰れないんだから、みんなゆっくりしてきたんだろうな」
「そりゃあもう、1週間はみんな、ゆっくりしたんじゃないんですか?」
「樋口は?俺がいない間、少しはゆっくりできたのか?」
「お正月の三が日は。ですが、そのあとは社長に呼ばれ、仕事をしていました」
「親父、こき使ったんじゃないのか?」
「大丈夫ですよ。それより、会長はお元気でしたか?」
「あのくそじじいのことなんか、しゃべりたくもない」
うわあ。一臣さんってば、樋口さんの前だと平気でそういうこと言っちゃうんだから。
「社長から聞きました。喧嘩したんですか?」
「喧嘩って言うより、弥生を傷つけるようなことをするから、ぶちかましてやった」
「ぶちかます…ですか」
樋口さんが、くすっと笑った。
「何がおかしい?」
「いいえ。会長にぶちかませるのなんて、一臣様くらいだろうなと思いまして」
「親父もけっこうぶちかますぞ。特に最近は、じいさんに説教までしている」
「え?そうなんですか」
樋口さんは特に驚いていないが、等々力さんが驚いている。
「日本は?何もなかったか」
「はい。特には」
「そうだ。細川女子は明日から俺の部屋の受付をしてもらう。樋口の仕事、細川女史に徐々に引き継いでいってくれ」
「はい」
「じゃあ、秘書課は?」
私がそう聞くと、一臣さんは、
「江古田が引継ぎをしていただろ?まだ、十分とは言えないが、大塚もフォローできるし、お前も手伝いに行ってくれ」
と、私の太ももを撫でながらそう答えた。
「矢部さんは?」
「矢部はお前の秘書になるから、樋口の仕事を細川女史が引き継げたら、矢部も15階に呼ぶ予定だ」
「え?あの、樋口さん、どこかに移動になるんですか?」
「ならないぞ。今まで以上に忙しくなるから、事務仕事くらいは細川女史にやってもらわないとな」
そうか。樋口さんの仕事を軽減するのか。でも、そうだよね。お一人で一臣さんの仕事の管理していたんだもんね。
「私も、一臣さんの仕事、いっぱい手伝います」
「言っただろ。まずは子作り。何よりも最優先だ」
一臣さんが仕事中は、子作りに専念も何もできないじゃない。む~~~~。
「でもまあ、このハネムーンで案外できたんじゃないか?」
そうにやけながら、一臣さんは私に囁いた。
「ハネムーンベイビーだったら、なんて名前にするか。ハワイとか、マウイとか」
「なんで、そういう名前になっちゃうんですか。もう~~~」
「樋口、子供の名前、何がいいと思う?俺の名前は親父がつけたんだよな?」
「はい。一臣様と龍二様、お二人とも社長がつけたと聞いておりますよ」
「そうか。じゃあ、俺の子は俺がつけていいんだよな。よし、弥生、今から考えるぞ」
「もう?」
「もう?じゃない。決めるって言ったら決める。一人目は、やっぱり一がつく名前だな」
気が早いなあ。一臣さんって言い出したらきかないっていうか、即行動というか。
「弥生も考えろ」
「はい」
数字の一か。ハワイとかマウイとかじゃなくて良かった。もっと、まともな名前考えないと。
「う~~~~~~ん。思いつかない。もう、一と書いてはじめとか、あ、壱万円とかの壱っていう漢字にして、いちって読ませる。それでいいな」
「は?」
私と同じタイミングで等々力さんも「は?」と口にしていた。でも、樋口さんは無言。
考える時間、みじかっ!なんだってこんなに、面倒くさがりなの?
「せめて、いちやとかにしませんか、一臣様」
おお!さすが樋口さん。
「緒方いちやか。で、漢字は?」
「それは、お好きに」
「弥生、考えておけ」
え~~~~~、丸投げ?
結局、自分で考えるって言って喜んでものの数分で、丸投げした。
私は携帯を取り出し、やをどんな漢字にするか、真剣に考え、お屋敷に着くころには気持ちが悪くなってしまった。
「おかえりなさいませ」
車が到着すると、亜美ちゃん、トモちゃんが飛んできた。
国分寺さんがドアを開け、私が降りると、
「弥生様、新婚旅行はいかがでしたか?」
と、元気よく聞いてきた。
「楽しかったです」
そこまで言うと、うっと吐きそうになり、
「ごめんなさい。気持ち悪いから先に部屋に行きます」
と、口を押さえ、お屋敷に飛び込んだ。
「大丈夫ですか?弥生様」
亜美ちゃんが心配そうに聞いてきた。その後ろで、
「まさか、つわり?」
と、トモちゃんが頬を高揚させ、嬉しそうに私に聞いた。
「車酔いだ。早とちりするな」
トモちゃんの後ろから、一臣さんが大股で歩きながらやってきてそう言うと、
「車酔い…。なんだ~」
とトモちゃんはがっかりした様子。でも、亜美ちゃんは心配してくれた。
「弥生様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。俺が部屋まで連れて行く」
一臣さんが私の腰を抱えながら2階まで連れて行ってくれた。
部屋に入り、すぐにトイレに行き吐いた。まだ、気持ちの悪さが残りながらも、私はトイレから出て、
「ごめんなさい。少し横になります」
と、ベッドに横たわった。
「ああ、休んでおけ。まったく、あんなに真剣にスマホを見るからだ」
「だって…」
一臣さんが考えろって言うから。
「二人目は、やっぱり、数字の2をつけるか。龍二みたいに」
「……」
もう。まだ言ってる。私の隣にどかっと座って、陽気な声を出して。
「次って言う字もいいかもなあ。何がいいと思う?弥生」
「二人目まで考えるんですか?」
「そりゃ、二人は生んでもらうからな」
「女の子だったら?」
「跡取りは男だ。男を産め」
そんなうまくいくのかなあ。
「3人目あたりは女でもいい。名前は…。女の子か~~~。可愛い名前がいいなあ」
勝手なことを言ってるなあ。
「一臣さん」
「なんだ?」
「少し、寝たいです」
「あ、そうだったな。悪い」
やっとベッドから一臣さんは降りた。私は、まだ胸の辺りがむかむかして、布団に顔まで潜り込み、そのまま寝てしまった。




