第4話 一臣さんの思い
翌日から、心を鬼にしてぎゃんぎゃん泣く壱弥を保育士さんに預け、私は15階のオフィスに直行した。一臣さんは、一緒にはついてこなかった。
モニターで様子を見るのもやめた。泣いている壱弥を見ると、また迎えに行ってしまいそうだ。
「帰りに今日の様子を聞くといいですよ」
「そうだな」
樋口さんの言葉に一臣さんもうなずいた。
昨日から開始した新たなプロジェクト。それはまさに、働く女性たちを支援するための部署を発足するプロジェクトだった。
いかに女性が社会で活躍するか。管理職として、または専門分野においても。
パワハラやセクハラ。それに対しての対処。今までにもそういった部署はあったが、話しづらかったり、対処の仕方が事務的過ぎたり、課題は山積みのまま放置されていたらしく、ここでしっかりと見直すこととなったのだ。
女性の管理職が増えればまた、いろんな問題も出てくるだろうし、柔軟にかつ、スピーディに対処するためにも、新しいプロジェクトチームは必要となる。
…が。そんな大変なプロジェクト、私がリーダーになってもいいのだろうか。なにしろ、自分でも自覚している。私はほかの女性とは、常識がかけ離れている。多分、「大変」と思う部分も違っているし、パワハラとか、いじめとか、そういうのに対して傷ついたり落ち込んだりしないしなあ。
セクハラはそう言えば、1回お尻を触られたっけ。あれは嫌だった。でも、その後の一臣さんのセクハラ発言のほうが大変だったような…。いや、フィアンセだったんだから、あれはセクハラじゃないか。あんなことを単なる上司にされられていたら、大問題だ。う~~~ん。そう思えば、セクハラにあっている社員の気持ちもわかるかしら。
「私に勤まるでしょうか」
昼休憩、一臣さんのオフィスでお昼を食べている時、一臣さんに聞いてみた。
「あほだな。なんだってやってみないとわからないだろ。特に新しいことに取り組むんだ」
「ですね…」
「今までにもパワハラなどに対する対処をしていた部署はあった。だが、どんな対処をしていたのか、問題点は何か、そういうことをまず見てみることだな」
「あ、そうですよね。はい、まずそこからやってみます」
「実際、どういった悩みがあったかとか聞いてみるのもいいだろうし、女性社員の悩み相談室とかでも作るのはどうだ?まあ、その辺はプロジェクト内で決めていったらいい」
「はあ…」
「なんだ?弥生は随分弱気だな」
「はい。もしかすると苦手な分野かも」
「そうか?」
「はい。一般女性の方々と、考え方や感じ方が違うと思うんです」
「だから、いいんだろ?客観的に見ることができる。だが、もし自分がその立場だったらと、そうやって考えることもできる。いいか、今回このプロジェクトを弥生に任せることにしたのは、直に女性社員と話したり悩みを聞いたりできるからだ。15階にいて、書類だけを見て、数字とだけ向き合っても何の発展も望めない。いろんなプロジェクトに参加し、声を聞き、実際に社員たちと接してみないことには、緒方商事自体をつかめないだろ?」
「そうか。そうですよね。なんか、一臣さん、すごいです」
「…何がどうすごいかわからんが。こういう考えにいたったのは、工場見学をしたからだ。このオフィスででんと構えていたってなんにもわからないことだらけだった」
「あ、そうか。そうですね」
「親父は上のやつらや、取引先の社長だったり、重役たちとばかり接していた。まあ、そのやり方もいいと思う。じじいは、ずっと社長室にいて、数字ばかりを見ていたらしい。ああしろ、こうしろと指示を出しすべてを下の連中に任せていたと聞く」
「っていうことは、それだけ有能な社員が多かった…とか?」
「じじいに忠実な連中が多かったんだろ。仕事ができないとなるとばっさり切り捨ててたらしいからな。一度でもしくじると、すぐに左遷だったと聞くぞ。まあ、会社なんてそんなもんだ…と俺は教わってきた。昔はそんな考えでも、なんとかなっていたんだろ」
「そうなんですね」
そういう考え方で緒方財閥は大きくなってきたのか。一臣さんも、バッサリ切り捨てる…、初めはそんな冷たい人だと思っていたし、そう社員からも言われていたけど、だけど、違うよね。
「だが、そういう考えではもう人は動かないだろ?」
「え?」
「上条グループを見るとわかる。まだ若い会社だが、一気にでかくなったのは、人を育てる会社だからだと思う」
「人を育てる?」
「上条グループの人間には、今まで何人も会って来たが、自分の確固たる信念みたいな、こういう思いがあってこういう仕事をしているみたいな、そんな情熱を秘めているんだ。失敗も恐れずにチャレンジするとか、可能性があればそれに掛けて見るとか…。如月もそうだろ?熱いだろ?」
「あれはもともとの性格のような気がします」
「そうか?あんなやつだから、部下も伸び伸びと仕事をしている。トミーもそうだろ?そして信頼関係もしっかりとしている。若い連中の意見も聞き、どんどん発言させているし、社内全体が躍動感があるんだよな。何度もあの会社に行って、そう感じた。上条グループとのプロジェクトは、本当に楽しいし、やりがいがある」
「そうなんですね!私、関わっていないから全然わからなかった」
「ああ、そうか。今度、ミーティングに一緒に行くか。弥生は上条グループの会社には、顔を出したことがないよな」
「1回もないです」
「そうか。悪かったな。今度連れて行く。面白いぞ。きっといい刺激になる」
「はい!」
「ん?生き生きしてきたな。弥生はそうでないとな?」
「え?あ、はい。そうですよね。始める前からくよくするなんて意味ないですね」
「おふくろは、緒方財閥内も外も、パーティとかに顔を出し、そこで情報を集めたり、繋がりを持っていった。親父と一緒で、重役クラスの人間とは会っていたが、社員と繋がることはほとんどなかった。社員にとっては社長も社長夫人も雲の上の人間だ」
「はい」
「だから、社員がどんな問題を抱えているとか、そんなのまったく無頓着だ。会社の経営状態がどうなってるかも、知ろうともしていなかったしな。まあ、おふくろはおふくろで、必死だったんだろ。誰からも馬鹿にされないよう、気丈に振舞っていたんだと思うぞ。何しろ、屋敷でだって従業員と仲良くなることもしなかったしな」
「そうですよね」
「弥生は違うだろ。弥生は分け隔てなく、従業員とだって社員とだって、工場で働く人間とだって、誰とでも仲良くなれるし、理解してあげられる力を持っている。差別も区別もしないところが、弥生の良さだ」
うわ。そんなふうに思ってくれているのは嬉しいかも。
「その良さを最大限活かせ。弥生は社員の悩みでも気持ちでもなんでもわかって、社員一人ひとりが仕事に対してやる気を見せ、どんな社員でも活躍できる場を作ってみせろ。どこか、緒方商事は活気というか、いや、やる気もあるだろうし、活気もあるんだが、楽しそうではないんだよな。窮屈そうだし、やらされている感があるんだ」
「やらされている?」
「自分から、こういうことをして、こんな会社に変えていきたいんです!ぐらいの意気込みを感じられない。伸び伸びともしていない。しなやかさもない。枠から外れないところで、ただ必死に動いている。上司から認められようと、失敗しないように、左遷されられないように、なんとかこの会社にしがみついていけるように、みたいな悲壮感すら感じる社員もいるからな」
「でも」
「でも?」
ギロリと一臣さんが私を睨んだ。あ、反論はまずかったかな。
「なんだ?言いたいことがあれば言ってみろ」
「か、一臣さん、前に機械金属プロジェクトで、けっこうみんなを脅すようなことを言ったよなあって。このプロジェクトメンバーを総入れ替えもできるんだぞ…みたいに脅しましたよね」
「ああ、それでみんなも目が覚めただろ。俺の顔色窺って、この程度のことを言えば納得してもらえるかな?この程度のことをすれば、怒られないかな?そんな態度だった。あれは、俺からの喝だ。激励の言葉だ」
「そうですか。確かに、その後皆さん変わりましたけど。なんか必死になって、目の色も変わっていたような。伸び伸びとしなやかに…ではなかったと思います」
「………。そうか。そうだな。俺の圧で動かしたところもあるな。そこは、弥生の出番ってわけだ。お前は人を褒めるのもあげるのもうまいしな」
「私、本当に感じたことしか言えないです。お世辞とか苦手だし」
「ああ、弥生はいつも人のいいところを見ることができる。そういう才能を持っているんだよ。俺も見習わないとな」
うわ。また褒められた。
「なあ、奥さん」
「え?」
奥さん?
「少しばかりは、怖さも必要だと思うんだ。活気がなければ喝を入れる。立ち止まったり、方向を見失っていれば背中を叩く」
「はい」
「そういう役割は俺がしてもいい。そして、弥生は弥生で、社員たちを伸ばしていってほしい」
「…。はい。私の役割重要ですね」
「重く考えるな。弥生らしくしていたら、それだけで大丈夫だ。そして、そんな俺と弥生なら、これからの緒方財閥をどんどん発展させていけると思わないか?」
「ふ、二人で?」
「ああ。もちろん、多くの補佐は必要だ。俺らだけでは動かせない」
「はい」
「だけど、案外、いい社長と社長夫人になれると思わないか?次期社長の奥さん」
「…ぷ、プレッシャーが」
「はははは!」
なんで笑うの?
「俺は弥生となら、絶対にいい会社を作れるという自信があるけどな。弥生がいてくれたらな?」
「かいかぶりかもしれない…ですよ?」
「弱気だな?」
「そ、そうですよね!はい!応えられるよう頑張ります」
ガッツポーズを作ると、
「弥生のままでいればいいんだ。な?」
と一臣さんは私に優しくキスをした。
「壱には、そんな弥生の姿も、俺の姿も見せたいと思う。壱は壱で、自分なりの総帥になるだろうが、自分らしさを見つけていくのにも、俺らの姿をしっかりと見せるのはいいと思うんだ」
「はい、そうですよね」
「ああ。今はまだ赤ちゃんだからな。そのうち、本当に会社のいろんなところに、子どもの頃から連れて行きたいと思っているんだ」
「はい。楽しみです」
あれ?っていうことは、私しっかりとしないと…。
「弥生は、弥生のまんまを壱に見せたらいい。気取ったり、よく見せようとしないでもいいぞ。な?」
うわ。私の考えがわかった?
「はい。在るがままの私ですよね?」
「そうだ。そのほうが安心するだろ、壱も」
「こんなんでも、社長夫人やっていけるんだという安心感?」
「違う。本当の自分を隠し、偽の姿で接してきたら、安心はできないだろ?どこかで子どもはわかるんだよ。本当の姿を見せてくれないということを。そうしたら、子どものほうから壁を作る。人を信用できなくなる」
「あ、そうか。ですよね。それ、なんとなくわかります」
「だから、弥生は弥生のままでいいんだよ。どこにいても、誰といても」
「一臣さんも?」
「ああ、そうだな。子どもの前では、俺らしくいるさ」
「はい」
これから、どうなるかな。わからないけれど、でも、きっと今までの私と同じ私でいればいいんだよね。私らしく…。
一臣さんの胸に思わず抱きついた。一臣さんがいれば、私も何があっても大丈夫だ。へこたれなんかしない。そこだけは自信が持てる。
そう思うと、これから起きてくることすべてが、わくわくしてくるくらいだった。




