第10話 緒方財閥の誇りを持て!
寮に戻ると、一臣さんはなぜか大きな声で笑い出した。
「か、一臣さん?」
私はびっくりしたが、壱弥は一緒に笑っている。
「ど、どうしたんですか?」
「あ~~~~、腹が苦しい」
そこまで笑うなんて。
「傑作だ。おふくろのやつ、すっかり弥生に感化されてて」
「笑うところですか、そこ」
「お前って存在はすげえなって思ってさ。本当に弥生と結婚して良かったよ」
「本当に?」
「何度も言わせるな。って、何度も言っているのは俺か。ははははは」
「……」
そんなに喜んでいただけるとは。
「新しい風か。まさにそうだよな」
今度は何度も頷いている。
「おふくろは、ずっと肩身の狭い思いをしてきた。もともとは多分、従業員を大事にし、仲良くやっていたんだと思う。コック長の新しい店も出したり、いまだに行っているくらいだからな」
「串揚げ屋さんですね!すっごく美味しかったし、私が美味しいと言うと、お義母様がとっても喜んでいました」
「ああ、弥生と二人で行ったんだよな。俺は行ったことないけどな」
「今度連れて行ってくれますよ」
「そうだな。おふくろも変わったからな」
「そうか。結婚するまでは、従業員の人とも仲良かったのに、結婚して緒方家のしきたりに従うために厳しくなったんですね」
「みたいだな。じじいとばばあ、特にじじいがうるさかったからな」
「じじいって…。ハワイに居るおじい様ですか」
「そうだ。おふくろもいじめられていたみたいだぞ。って言ってもじじいもあまり屋敷にはいなかったし、やっぱり口うるさかったのはばばあかな?」
「……」
さっきから、じじいとかばばあとか、口悪いのは怒られなかったのかなあ。でも、一臣さん、外ではきちんとしているからいいのかな。
「壱、眠そうだな。昼寝するか?」
そう言うと一臣さんは、壱をゆらゆらと揺らしながら、自分も大あくびをした。
「俺も壱と昼寝するかな」
リビングには壱のマットが敷いてあり、そこに壱弥を寝かせると、一臣さんは隣に寝転んだ。
「タオルケット持ってきますね」
「ああ」
私がタオルケットを持ってくる頃には、すでに一臣さんはすやすや寝ていた。
そうなんだよね。私でなくても最近は、壱弥が隣で寝ていたとしても一臣さんは眠れるようになった。
壱弥のぬくもりが隣にあると安心できるんだろうな。
ああ、一臣さんも壱弥も寝顔が可愛い。しばらくその寝顔に満足して、それから私は英語の勉強に励むことにした。ダンスは合格した。マナーはまだまだだが、一番の難関は英語。はあ。日本人って何年も英語の勉強をしているくせに、全然役に立たないよね。文法にだけは詳しいんだけどなあ。話すとなると、また別問題。
一臣さんはすごく上手だ。何より発音が完璧だ。聞いていても、本場アメリカ人が話しているのかと思うほどに。そこまではなれないと思うけれど、ちゃんと会話ができるようになりたい。
すうすう。という二人の寝息が聞こえてくる。思わずまた二人の寝顔を見に行ってしまった。
ああ、こういうのを幸せっていうんだろうな!あったかいリビングで、昼下がりの陽だまりの中寝ている愛しい旦那様と息子の寝顔を見ている私。あ~~~、一臣さんって、寝ている時も麗しいの。そんな一臣さんを独り占めできるっていうのも、この上ない幸せ!!!
はあ。幸せの溜め息をつき、知らぬ間に私まで一臣さんの横で眠っていた。
「あ~~~う~~~~~」
「いて、いててて」
隣から壱弥と一臣さんの声が聞こえ、目が覚めた。
「髪を引っ張るな。それから、重い」
一臣さんの上に乗っかり、髪を引っ張っている壱弥の姿が見えた。
あれ?朝?
「違った!きゃあ、寝ちゃった」
「ああ、弥生も一緒に昼寝したのか。あ~~~、よく寝た。もう3時だ」
「そ、そんなに寝ちゃいましたか」
「う~~~ん。まだ眠いな」
「あ~~~~う!」
ぺちぺちと今度は一臣さんの顔を叩いている。
「わかった。起きるから、顔を叩くな。遊びたいんだろ?」
「た~~~~!」
「元気いっぱいだな、こいつは。顔洗ったら、1階の遊び場に行ってくる」
「はい。私もあとで行きます」
「おやつでも国分寺に持たせるか」
「わ~~い」
ハッ!わ~~い、じゃないよ、私。おやつも私が作るべきじゃないの?
「私が何か作ります」
「おやつをか?」
「はい」
「いい、いい。そのくらい、コックにさせてやれ。仕事なくて暇しているんだろうから。それに、緒方家の奥様っていうのもちゃんと身を持って体験しておかないと、今後困るのはお前だ」
「え?」
「本来なら、屋敷で全部を従業員にさせて、のんびりゆったり過ごしているのが緒方家の奥様だ。おふくろを見ろ。パーティに出ているか、芝居やクラシックのコンサートに行くか、自分で楽器の演奏の練習をするか、あとは絵画展だの食事会だの何かに呼ばれて出て行くか、屋敷にいることも稀だが、屋敷にいる時くらいはのんびりとしているぞ」
確かにいつも忙しそうだけど、お屋敷ではお茶をのんびりとしたり、音楽を聴いたりとゆったりしているかも。あれ?でも、
「ショッピングに行く時間とかあるんでしょうか?」
ふと疑問に思っちゃった。
「おふくろは行ったりしない。向こうから来る」
「は?」
「外商っていうやつだ。わざわざ店まで見に行ったりしない。本当に気に入った店には行っているみたいだが、ビップルームって言うのがあるんだよ」
「洋服屋にですか?」
「そうだ。行くとビップルームに案内される。そこで店員にちやほやされる。一回連れて行ってもらったらどうだ?高級菓子だの出してくれるかもしれないぞ」
「いえいえいえ。恐れ多いです。一臣さんも行くんですか?」
「俺は自分で見て回るのが好きなんだ。気分転換にもなるしな。ビップルームでやたらと持ち上げられ、へこへこされられるのも好きじゃないし、その時間が勿体無い」
そうなんだ。そういえば、お世辞とか言われるの好きじゃないんだっけ。
「また、一緒に服でも買いに行くか?」
「洋服なら、壱君のを買いに行きたいです」
「もう十分あるだろ」
「だって、見ているだけでも楽しいんですもん」
「確かにな。おもちゃとかも面白いし…」
「一緒に遊園地に行けるのは、いつ頃からでしょうか?」
「歩けるようになったらいいんじゃないのか」
「わあ!楽しみ」
「そうしたら、貸しきろう」
「は?」
今なんと?
「1日貸しきるぞ」
「いえいえ。そんな贅沢すぎます!」
「なんだよ。ハリウッドのスターが子どものために貸しきったというのを何かで見たことあるぞ。それをやる!」
ええ?何を息巻いているの?鼻の穴まで膨らませて。
「いえいえいえ。いったいいくらかかっちゃうと思っているんですか!それこそ勿体無いです」
「じゃあ、あれだ。緒方財閥で貸しきる。それなら文句ないだろ。そうだ。いい考えだな。年に1回緒方財閥の社員でも、屋敷の従業員でも使える日を作る」
「緒方財閥関係の会社、すごく多いから、やっぱり混んじゃいそうですね」
「そうか。じゃあ、そうだな。抽選とか、何か頑張ったやつにあげるとか」
「いいですね!そういうの」
「うん。そうだな」
わくわくしちゃうなあ、そういうのって。
「遊園地に何か提供しよう。たとえば、ユニフォームを安く作ってやるとか、新しいアトラクションを作ってやって、そこに緒方財閥関係の商品を置かせるとか」
「わあ、いいですね」
「すでに食品部門は何かを提供できているが、他でも検討してもいいな。マーケティング部に提案して、緒方財閥デイをぜひにとも作ってもらうぞ。そうすりゃ、壱ともゆっくり遊べる」
それが何より一番の目的なのね…。
「それとスポーツ選手のユニフォームを手がけて、試合で着もらうようにするんだが、試合も招待してもらうよう、カランのチームに言っておこう」
「なんのスポーツですか?」
「テニスとか?」
「わあ!ウィンブルドン!行きたいです」
「よし。それも壱を連れて行こうな」
「……贅沢しちゃいますね。いいんでしょうか?」
「弥生は自覚しろ。緒方財閥の御曹司の奥様なんだぞ」
「は、はい。でも、恐れ多い気がしてならないです」
「わかった。託児所ができてこの寮を出たら、思う存分に今度は緒方財閥の御曹司の生活ぶりを見せてやる。弥生も存分に味わえ」
「そんな…」
「弥生は貧乏性が体に染み付き過ぎだ。マナーやダンス、英語や茶道華道を習ったところで、貧乏性は抜けないぞ。たくさんセレブな体験をして身につけろ。内側からにじみ出てくるくらいにな」
「無理です」
「無理じゃない!」
うわ。怒られた。
「壱にも身につけさせるんだから、母親である弥生も少しは頑張れよな」
「はい」
貧乏な暮らしならいくらでもできる自信はあるのに。
「おふくろみたいに、古いしきたりにがんじがらめになる必要はないが、緒方財閥の人間である誇りは持て。わかったな?」
「はい」
うわ~~~。そんなことを一臣さんに言われるとは思ってもみなかった。
そうだ。そういう誇りっていうのは考えたことがなかった。上条家ではあった。上条家の人間である誇り。だから、どんなに貧しくても辛くても頑張れた。なんにでも一生懸命になれた。
だけど、古い歴史があって、一族がいて、緒方家は上条家とは全然違うんだ。もう、私は緒方家の人間なんだから、自覚しないとならないよね。
うわ。いきなりのプレッシャーがまた…。
ううん!緒方財閥に嫁に来たんだもの。ここは頑張りどころ!
寮に住んで、一般庶民の暮らしをしてみたいという我儘を聞いてもらったんだから、今度は私が一臣さんに合わせる番。どこに出ても恥ずかしくないような、緒方財閥御曹司の奥様にならなくっちゃ。
って、そう考えただけでも、ものすごいプレッシャーが。
ああ、私なんかが出来るのだろうか。




