第7話 ホームパーティ
幸せな日って言うのは、なぜかあっという間に過ぎるよね。もう明後日には帰らないとならない。
ああ、ずっとハワイにいたいなあ。だって、丸々1日中一臣さんといられるんだよ、こんな幸せなことないよ。
「弥生、今夜はじじいの屋敷で夕飯だ」
「え?そうなんですか」
「ああ、行きたくないけど、俺と弥生のためにホームパーティを開くんだとさ」
そうか。また、会わないとならないんだなあ。
「何を着ていったらいいですか」
「ワンピースとか、その程度でいいぞ。俺も正装するつもりはないし」
「はい」
一臣さんとお洒落なお店で食事をするかもしれないと、唯一持ってきたワンピースを着ていこうかな。
「会いたくないなあ。できれば、顔も合わせず帰りたかった」
一臣さんがぶつくさ言ってる。
「そんなに苦手なんですか?」
「ああ。弥生も嫌な思いをしたんだろ?また、じじいにいじめられないよう、俺も守るけど、なんか変なこと言われても聞き流せよ、な?」
「はい」
着替えをして、7時前にはお屋敷に行った。お屋敷は応接間の窓も開放し、プールのある庭もパーティ会場になっていた。すでに何人もそこには人がいて、グラス片手に談笑していた。
「一臣!やっと来たか」
プールサイドからそうおじい様が声をかけてきた。その隣には若い綺麗な外人さんが数人。
一臣さんは特に返事もせず、私の背中に腕を回したままゆっくりとおじい様に近づいた。
「一臣!」
そこに、どこからともなくエイミーさんが駆け寄り、一臣さんに抱きついた。
「エイミー?ロスに帰ったんじゃなかったのか?」
「まさか。パーティに呼ばれていたから、帰ったりしないわ」
「呼ばれてた?」
「一臣、久しぶり」
「一臣、会いたかったわ」
エイミーさんの後ろから、次々と綺麗な女性が現れた。
金髪の女性もいれば、黒髪の日本人もいる。ざっと数えて10人はいる。
「おい、じいさん、なんでこいつらがいるんだ?」
わあ。おじい様にも一臣さん、口が悪い。
「お前の女を呼んだんだ。みんなにお前の奥さんを紹介しないとならないからな」
「はあ?」
一臣さんが呆れた声を出した。私は言葉すら出てこなかった。この人たちみんな、一臣さんが付き合っていた女性ってこと?その人たちをわざわざ呼んで、私を紹介するって、どういう意味?
「こんばんは、弥生さん?上条グループのご令嬢の弥生さんでしょ?」
「この方がご令嬢?くす」
「なるほどね。一臣が嫌がるのも無理ないわ」
「一臣、なんでもっと早くにハワイにいるって教えてくれなかったの?すぐに遊びに来てあげたのに」
グラマラスな黒髪の女性が、一臣さんの胸を指でなぞりながらそう言った。
「よせよ、俺はもう結婚したんだ」
「だから?結婚したって、私たちと付き合いをやめないって、そう言っていたじゃない」
わあ!私がすぐ横にいるのに、一臣さんの首に両手を巻きつけてきた!
やめてよ!
「よせって言ってるだろ!」
一臣さんはそう言って、その人の手をどけようとした。でも、
「ふん」
と、その女性は私を睨みつけ、一臣さんに抱きついた。
ムカ。
「おいおい。遊ぶのはいいが、一臣、絶対に他の女性に子供を生ませるなよ。それだけは注意しろ」
おじい様が笑いながらそう言った。
「まあ、会長。でも、一臣が弥生さんをどうしても抱く気がなかったらどうするんです?」
「そうよ。一臣って、もともと淡白だし」
くすくすと笑いながら、一臣さんの周りにどんどんみんなが集まって、私は一臣さんに近づくこともできなくなった。
「ひどい」
私がわなわなと震えていると、後ろから声を震わせ、
「弥生様がかわいそうです」
という声が聞こえてきた。
振り返るとモアナさんだ。トレイにグラスを何個か乗せているが、その手も震えて、今にもグラスが落ちそうになっている。
「なんだ?そこのメイド、何か言ったか?」
おじい様がそう聞き返した。
「モアナ、失礼ですよ」
モアナさんの横に石橋さんが来て、モアナさんに「謝りなさい」と小声で注意している。
「謝りません。だって、あんまりです。弥生様がかわいそうです」
「なんだと?」
おじい様が、モアナさんのほうに向かって歩きながら低い声を出した。
モアナさん、泣きそう。
「新婚旅行でいらしたのに、一臣様ととっても仲よくしていらしたのに、それなのに!」
声を震わせそこまで言うと、ますますおじい様は怒りをあらわにして近づいた。
「この私にたてつくのか?メイドの分際で?確か、モアナには兄弟がたくさんいたな。両親がなくなって、兄弟を養うためにここで働いているんだよな?!」
え?そうだったの?
「だが、主人にたてつくっていうなら、お前はもうクビだ!今すぐにここを出て行け!」
うそ!
「待ってください!モアナさんは私のために言ってくれたんです!それなのにクビだなんてひどすぎます。横暴です!」
私は真っ青になっているモアナさんの前に立ち、両手を広げてそうおじい様に言った。
「なんだと?嫁の分際で何を言っているんだ?!」
「だって、おじい様、横暴すぎるから!」
「弥生!もういい!」
ズカズカと一臣さんは周りにいた女性をひっぺがしながら、私のそばまでやってくると、
「モアナ、今すぐにここを出て行っていいぞ」
と、信じられないことを言い出した。
「え?」
なんでそんなこと言うの?一臣さんまでがどうして?
「ふ。はははは。そうか。一臣、さすがだ。だがな、一臣、もう少し嫁の教育をしっかりしないとダメだぞ。上条家はとんでもない教育をしているようだからな」
「うるせえ、じじい」
「?!」
一臣さんの一声で、おじい様はびっくりして黙り込んだ。その場にいた女性たちも一気に静まり返った。
「モアナは弥生つきのメイドにさせる。モアナ、日本でも働けるな?今よりいい給料も出すし、ちゃんとモアナの兄弟を養えるよう、配慮もする。だから、俺らと一緒に日本に来い」
「え?わ、私が、弥生様のメイド?」
「ああ。弥生を守るためにじじいにたてついたんだ。見上げた度胸だ。気に入った」
「一臣さん!」
嬉しくてつい、私は一臣さんに思い切り抱きついてしまった。一臣さんも私を抱きしめ、
「じじい、安心しろよ。ちゃんと跡継ぎは弥生が生むし、他の女には子供作るようなこともしないから」
と、おじい様に向かってそう言った。
「……。もちろんだ。お前の子を生むのは弥生さんだ。それ以外の女性が生んでも、跡継ぎとして認めないからな。それだけは、ここにいるお前の愛人たちにもわからせないと」
「だから!じじい、よく耳をかっぽじって聞けよ。お前らもだ。俺は弥生以外を抱く気なんかない。今後一生、俺は弥生だけだ。他の女に手を出す気なんか、これっぽっちもない」
「なんだと?」
おじい様が目を見開いて驚いている。他の女性たちも、
「何を言っているの?一臣」
とポカンとしている。
「じじいには、絶対に理解できないよな?人を愛するって感情、持ち合わせていないもんな?」
「愛するって言ったのか?一臣」
「ああ、そうだよっ!自分の奥さんを愛しているって、世間一般では常識だろ?こっちの世界が異常なんだ」
「奥さんを愛している?何を言い出したの、一臣」
女性たちがみんな、ざわめきだした。
「俺は弥生を愛している。生まれてくる子供のことも、弥生と一緒にめいいっぱい愛す。子供が生む孫もだ。じいさんやばあさんみたいに、孫に愛情をまったくかけず、道具にしか見ないような、そんな血も通っていない冷たい人間になるつもりはない」
うわ。今の言葉は言いすぎ…。と一瞬私は青ざめた。でも、
「はははは。何を言い出すかと思えば!愛だと?いったいどうしたんだ、一臣。そんな幻想を抱いて、何が起きたんだ。この世に愛なんか必要ない。そんなものあっても、なんの得にもならないぞ」
と、おじい様が笑い飛ばし、私は愕然としてしまった。
この人って、いったいどんな生き方をしてきたの?愛なんか必要ない?なんの得にもならない?じゃあ、何のために生きているの?
「俺はさあ、じじい。弥生と出会って、心底良かったって今しみじみと感じているよ。弥生と出会わなかったら、俺は一生あんたみたいに、愛なんか必要ないって言って、不幸な人生を送っていただろうからさ」
「不幸だと?」
「ああ、俺からみたら、可哀そうで仕方が無い。哀れみしかないな」
「なんだと?」
「親父やおふくろは違う。ちゃんと俺のことも弥生のことも愛してくれている。俺も親父もおふくろも愛しているし、龍二のことも大事でしょうがない」
「龍二をだと?お前ら、あんなに仲悪かったのに」
「弥生が来て変わったんだよ。俺の人生も、あの冷たかった屋敷も、今じゃ明るくって、あったかい場所に変わったんだ」
「……。総一郎のことを愛しているだと?」
「なかなか、お茶目な親父だと思っているよ」
「お、お茶目?」
「あんたにはわかんないさ。あと何年生きるのか知らないけど、このまま死ぬまで人を愛するってことを知らずに一生を終えるなんて、可哀そう過ぎて涙が出そうだ」
「…ば、馬鹿にしているのか」
「いいや、哀れんでるんだよ。可哀そうにってな!」
「一臣っ!」
「まあ、いいさ。一生わかんなくても。俺はこの若さで、幸せつかめてまじでラッキーだったよ。じゃあな。もうあんたの葬式まで会わないかもしれないけど、せいぜい余生を無駄に過ごすんだな」
それは言いすぎ…。
「なんだと?」
おじい様は怒り出した。でも、そんなの関係ないって顔をして、一臣さんは私の手を引っ張り、屋敷を出た。モアナさんも後ろから、ついてきていた。
「モアナ、兄弟はハワイに残ったほうがいいのか?」
「はい」
「お前だけ、日本に来ても大丈夫なのか?」
「はい」
モアナさん、嬉し泣きしている。
「まあ、あんなとんでもないじじいに仕えるより、弥生のほうが断然いいだろ?もちろん、盆と正月くらい、里帰りしていいからな」
「ぼん?」
「わかんなくていい」
一臣さんはそう言うと、モアナさんもコテージに呼んだ。
「夕飯、食いっぱぐれた。どこかおいしい店知ってるか?」
コテージのリビングのソファに座り、入り口付近でもじもじしているモアナさんに一臣さんがそう聞いた。
「はい。ご案内します」
「じゃあ、アマンダも呼ぶか。ボブにもついてきてもらえば、ボディガードになってくれるしな」
そう言って一臣さんは、携帯でアマンダさんを呼んだ。
「あと、樋口と国分寺さんにモアナのことを頼むか。いや、親父にも言っておくかな」
お義父様にも一臣さんは電話をかけた。時差とか、考えないのかなあ。日本って今何時なんだろう。
「一臣か?」
携帯から、お義父様の声がした。
「親父?悪い。じじいと派手にやっちまった」
「……。やっぱりな。だから言ったろ。会うんじゃないぞって」
え?お義父様から、そんなこと言われていたの?
「あんのエロじじい。ホームパーティに昔の俺の女を呼んだんだ。弥生を紹介するとか言って。分けわかんない。何考えてんだ?」
「さあな。俺にも父さんの考えていることは読めない。で、喧嘩したのか?」
「ああ。弥生のために、メイドのモアナがじじいにたてついたんだ。クビになったから、日本に呼んだ。屋敷で働いてもらう。いいよな?」
「へ~~~~~~」
「なんだよ」
「弥生ちゃんのために、たてついたってことは、弥生ちゃんのことをそのメイドははえらく気に入ったってことだろう?たった数日で弥生ちゃんはすごいよなあ~~~~」
「そりゃそうだ。弥生のことを知ったら、誰だってそうなる」
「父さんと母さんには気に入られなかったのかい?」
「じじいには無理だ。ばあさんは知らないけどな」
「まあ、いいさ。モアナちゃんだっけ?連れてきなさい。あと、父さんにも俺から十分叱っておく。弥生さんを怒らせたり、傷つけたら、上条グループが黙っていない。そうしたら、緒方財閥は破滅だってな?そう脅かしておくから」
「わかった、頼んだぞ」
そんな会話を終え、一臣さんは電話を切った。
「あ、あの」
「なんだ?弥生」
私は一臣さんの隣に座って、おずおずと聞いてみた。
「おじい様より、お義父様のほうが強いんですか?」
「もちろんだ。会長なんて言ってるが、現役引退してハワイでのほのんと暮らしているもうろくじじいだ。弱いに決まってるだろ」
「もうろくはしていないと思います。まだまだお若いし、女性はべらかしていたし」
「でも、権限なんかまったくないからな。すべてを総一郎に一任すると言ったんだから、今は親父のほうが上なんだよ」
「そうなんですね」
「モアナ、いったん家に帰っていいぞ。またすぐに日本に行く手続きとか必要になるから、アマンダから連絡を入れさせる」
「お夕飯のお店は?」
「ああ、そうか。アマンダにどこかホテルでも連れて行ってもらうから大丈夫だ。ありがとう」
「はい。では、これで失礼します」
モアナさんはぺこりとお辞儀をして出て行った。
モアナさんが出て行くと、一臣さんは私のことをひざの上に乗せた。
「弥生、悪かったな。嫌な思いをさせて」
「いいえ。でも、一臣さん、言い過ぎたんじゃ」
「いいんだよ。あのくらいでちょうどいい。いや、あれでも足りないくらいだ。俺も龍二も、じじいにはいっつも嫌な思いをさせられてきたんだ」
そんなに?
「わかったろ?愛情なんかまったくない。孫なんか、可愛くもなんともないんだよ、あのじじいは」
確かに。愛なんかなんの得があるって言ったのには、びっくりした。一臣さんが言うように、かわいそうな人なのかもしれない。
おじい様もまた、両親から愛情をもらえずに育ってきたんだろうか。
「俺は、幸せものだ。今日もつくづくそう感じたぞ、弥生」
一臣さんが私を後ろから抱きしめながらそう言った。そう言ってくれたのが、本当に嬉しかった。