第6話 一臣さんからのご褒美
寮に戻る頃、壱弥はぱっちりと目を開けた。そんな壱弥をリビングのマットに座らせると、一臣さんはさっさと冷蔵庫を開けに行った。中から炭酸水を取り出している。本当に炭酸水好きだよね。
「壱君、起きたのね。何して遊ぼうか?」
「ヘイ、ヤヨイ」
へい、弥生?
「はい?」
一臣さんのほうを見ると、にんまりしながら人差し指を上げた。
「え?なんですか?一臣さん」
「HAHAHA!」
笑いながら、今度は手でVサインを作り、
「twice」
と言った。
2回目ってこと?あ!嘘。
「壱君に話しかけるのまで、カウントされるんですか!?」
「Oh!three times!」
一臣さんはわざとらしく、両手を天に仰ぎながらそう言った。顔の表情まで外人のようにおおげさだ。
「ずるい」
と口にしてから、はっと私は口を両手で押さえたが、もう遅い。一臣さんはにんまりと笑い、4本の指を上げた。
うぎゃ~~~。もうあと1回じゃない!
一臣さんはにやにやしながら、私の横を通り過ぎ、リビングのマットでおもちゃで遊んでいる壱弥をひょいと抱っこして、ベラベラと流暢に英語で話しかけた。壱弥はキョトンとしている。
それから、英語の絵本を一臣さんは手に取ると、胡坐をかいてその上に壱弥を座らせ、英語で絵本を読み出した。壱弥はなぜか、大喜び。英語わかってるの?わかっていないよね。
その姿を私はただただ、呆然と見ていた。絵本を読み終えると、今度は英語のDVDを一臣さんは壱弥と見始めた。時々英語で一臣さんは、解説までしている。
うわ~~~。あんなに英語が上手だなんて知らなかった。ハワイに行った時だって、日本語しかしゃべっていなかったじゃない。周りの外人の女性たちだって、メイドさんだって、みんな日本語を話していたし。
それより、あと1回だよ。1回日本語使っちゃったら、一臣さんのお仕置きが…。違った。罰ゲームってわけでもないんだし、ただ、一臣さんの言うことを聞くだけで。
ううん!それが怖いんだってば!何を言い出してくるかわかったもんじゃないし。
ダイニングの椅子に腰掛け、くら~~くなっていると、すぐ横に一臣さんが壱弥を抱っこしたままやってきていた。そしてまた、ベラベラと英語で話しかけてくる。
「?」
キョトンとしてそれを聞いていたが、一臣さんがあんまり流暢だから、何を言っているのか理解できない。
「あ…。プリーズ、モア、スローリー」
そう言うと、一臣さんは片眉を上げ、呆れたっていう顔をした。う…。呆れられた。
「タイム」
たいむ?
「何暗くなってるんだよ。ちゃんと会話をしないと英語の練習にならないだろ?」
「アイム ソーリー」
「今はタイムだ。日本語使ってもいいぞ」
「え?そうなんですか?タイムって言えば、日本語使えるんですね?」
「俺が許せばな?それより、今みたいに短い文章でも、なんだったら単語を並べるだけでもいいから、英語を使え」
「…で、でも、いつ日本語が出ちゃうかと思うと、話しづらい」
「それじゃ、練習にならないだろ?」
「だって、あと1回になっちゃったし」
「は~~~~~。わかった。俺の言うことを聞くっていうんじゃなくて、ちゃんと頑張って英語を使ったら、褒美をやる」
「褒美?」
「弥生の言うことを俺が聞いてやる。それでどうだ?」
「え?なんでも?」
「ああ。なんでもだ」
「………」
なんにも浮かばない。でも、そっちのほうが嬉しい。
「はい!頑張ります」
「よし。じゃ、このあとから、英語で話せ。わかったか?」
「ラジャー!」
「ぷっ」
また一臣さんはハハハと笑った。
そのあとは、なんとかわかる英語で一臣さんに話しかけた。単語がわからない時は、ジェスチャーを使ってみたり、
「一臣さん、こういう時はどう言えばいいですか」
と、素直に聞いてみたりした。一臣さんは優しく教えてくれた。
だんだんと楽しくなり、壱弥にも英語で話しかけてみたりした。
「うん、これからも英語デイってのを作ろう。壱にも英語の勉強になっていいんじゃないか」
後ろで一臣さんが満足そうにそう言った。
「イエス!グッドアイデア!」
と私が言うと、また一臣さんは笑った。
なんだか、一臣さんがめちゃくちゃご機嫌だ。すっごく楽しそうだから、私も楽しい。壱弥もケラケラ笑っている。ああ、今日もいい日だなあ。
夕飯はお屋敷に食べに行った。寮を出たら日本語でOK。お義母様はパーティに出席とかでいなかった。
「これ、美味しいですよ、一臣さん」
「ああ、本当だ、うまいな」
一臣さんと壱弥と3人、親子水入らずって感じで、夕飯を食べた。
「夕飯のあとは、ピアノ聞くか?」
「一臣さんの?」
「ああ」
「はい!あ、それがご褒美ですか?」
「いいや。褒美は夜寝る時だ」
え?
えっと?もしや、またエッチなこと考えてる?
一臣さんと壱弥と大広間に行き、一臣さんのピアノを聞いた。壱弥もうっとりとした顔をして私の膝の上で聞いていた。
「壱も弾いてみるか?」
1曲終えると、一臣さんが壱弥を抱っこして、壱弥の手を持って鍵盤を押した。ポーンという音に壱弥はきゃきゃっと喜んだ。
その後も、目を輝かせて壱弥は喜びながら、一臣さんと鍵盤を押した。ああ、こうやってまだ赤ちゃんの頃からピアノの音に触れるのか。英語にしてもそうだけど、こんな赤ちゃんの頃から楽しく触れていたら、すぐに上達しそう。
水泳もそうだよね。これってまさに、英才教育?一臣さんもそうだった?
夜、壱弥を寝かしつけてから、ベッドに二人で寝転がり、そのことを聞いてみた。
「俺は、楽しく教えてもらった覚えはないな。今、弥生のことを教えている連中いるだろ?」
「先生のことですか?英語やダンスの」
「ああ、あんな感じの連中だった」
連中って、先生方を…。あ、ということは。
「スパルタ教育?」
「そうだ。ぜんっぜん楽しくなかったぞ。水泳にしろ、テニスにしろ、一流のコーチ陣だったが、ああしろ、こうしろと上から目線で、堅苦しく言うばっかりでな。俺が別にオリンピックを目指しているわけでもないっていうのにな」
なるほど。楽しく教えてもらっていたわけじゃないのか。
「壱には、楽しんで覚えて欲しいですね」
「そうだな。そっちのほうが絶対に成果は出る。それは俺で立証済みだ」
「え?」
「水泳も、テニスも始めは嫌嫌やっていた。ある程度は上達しても、途中から伸び悩んでいたけど、別に選手を目指してもいないわけだし、どうでもいいだろって思っていた。そんな時、同じ年のやつとテニスで遊んだり、龍二とも水泳で競争したりしたんだ。その時、初めて楽しいと思った」
「……」
「で、そのあとから、練習も楽しくなった。今度は絶対にあいつに負けないとか、そういうやる気も出てきたし。だから、たまに同級生とテニスをしたり、水泳をしたりしていた。それからだな、俺の中の才能がめきめきと発揮されたのは」
自分でそんなこと言っちゃうんだ…。でも、友達…。そうか。友達と一緒に楽しんでいたんだ。
「友達とだと楽しかったんですね」
「う~~ん、友達と呼べるかどうかわかんないけどな」
「友達ですよ!一臣さん、大学ではいつも友達と楽しそうに笑っていました。そういえば、テニスも楽しそうでした」
「そんな俺を影からお前は見ていたのか」
「はい!」
「そんな、目を輝かせて頷くな。ストーカーだった頃だろ?」
「す、ストーカーじゃないです。ただ、素敵なフィアンセを見て喜んでいただけです」
「なるほど。影でうっとりと見ていたんだな」
「あの頃は、自分に自信もなかったし、影でこっそりと見ることしかできなかったんです」
「……。自信?」
「だって、あんな見てくれでしたし。いつか、一臣さんにふさわしい女性になってから、隣に並ぶんだと思っていました」
「ほ~、今は、ふさわしい女性になったんだな?」
「う…。それは、まだかもしませんが」
そう言って一臣さんのことを見ると、一臣さんはすっごく優しい目で私を見ていた。
「褒美、してやる」
ドキ。やっぱり、エッチなこと?
「ほら、うつ伏せになれ」
え?うつ伏せ?
ゴロンと背中を向けると、一臣さんは私の上にまたがり、なんと背中や腰を揉みだした。
「え?」
「ダンスでこっただろ?」
うそ。マッサージ?気持ちいい。背中、腰だけじゃなく、足まで揉んでくれる。
「あ~~、そこ。痛い」
「ん?強くしすぎたか?」
「いいえ。違います。いた気持ちいい」
「エッチしている時にも言えよ。気持ちいいって」
「言いません。もう、すぐにエロ親父になる」
「弥生、他には?俺にしてほしいことはあるか?胸も揉むか?」
「いいです」
「本当にいいのか。優しくしてやるけどな、思いっきり」
「う…」
そんなことをなんだって、優しい声で言うかな。
「マッサージしてくれるなんて、思ってもみなくて、ありがとうございました」
「礼はいい。弥生はいつも頑張ってる。これはその褒美だ。それからな、俺にふさわしくないなんて思わなくていい。俺にとっては最高なんだから。わかってるだろ?」
「……はい」
嬉しいけど、恥ずかしさもある。だけど、一臣さんが私を認めてくれているんだから、素直にその思いは受け取りたい。
「…。で?」
にっこりと笑って私を一臣さんは見た。
「えっと?」
「壱ならぐっすりと寝ている。まだ、11時前だ。どうする?」
あ~~~。やっぱり、そういうことを一臣さんは望んでいる。
「弥生がしたいことを、してやる。何がお望みだ?」
ああ、そういう意地悪な言い方までしてくる。そんなの言えるわけないじゃない。恥ずかしい。
黙っていると、一臣さんは耳元に口をつけ、
「どうしてほしい?」
と囁いた。
うきゃ~~~。久々、ドッキリした。
「あ、あの、あの」
「うん」
「えっと」
「ん?」
わあ。優しい声だし、優しい目をしてる。
そんな一臣さんの胸元に顔をくっつけた。目を合わせて言うのはさすがに恥ずかしい。
「優しく、愛されたいなあって、なんて思ったりして」
恥ずかしさのあまり、最後は誤魔化してしまった。
「優しく?激しくじゃなくていいのか?」
「優しくです」
「思い切り愛されなくていいのか?」
うわ~~~~。そんなこと言えないよ。
「じゃ、じゃあ、それもお願いしたい…です」
きゃ~~~~~~~。言っちゃったよ、私。
「優しく、思い切り、愛されるのを望んでいるんだな?」
なんだって、確認してくるの?恥ずかしいよ~~。顔、あげられない。小さく一臣さんの胸の中で頷くと、
「ったく、可愛いやつだな」
と一臣さんは私の髪を優しく撫でた。
そうして……。
優しくて甘い時間は過ぎていった。




