第4話 いざ、勝負
格技場はしんと静まった。
呼吸を整え、心も無にする。目の前の辰巳さんをただ見る。
相変わらずの怖い顔。でも、そんなのも気にならないくらい、心を無にする。
すると、自然と見えてくる。辰巳さんがどう動くか…。動きもゆっくりに見えるし、そのあとの動きまでがわかってくる。
勝負なんだけど、心が静まり返っているから、負かそうとか、そんな気負いもない。
ただ、辰巳さんの動きに合わせ、いや、動く前に封じる。
ドサッ。辰巳さんが床に倒れる。でも、すぐに起き上がった。だけど、動く前に倒す。向かってきた瞬間に避けて、突く。急所を掴み、動きも封じる。
「いっ」
辰巳さんの顔が歪んだ。そのあとは声も出さず、堪えている。さすがだ。これはかなり痛いはず。でも、耐えてる。
試合が終わって、周りにいる人みんながしばらく黙り込んでいた。
「弥生様、いったい今、合気道何段なんですか」
辰巳さんがタオルで顔を拭きながら聞いてきた。私は特に汗もかいていなかったが、なんとなく顔を拭き、
「段は…3段なんですけど」
と答えた。
「3段?3段ですか?私は4段ですよ」
「辰巳さん、4段なんですね、素晴らしいですね」
「いや、簡単に負かされました。本当に3段ですか?」
「はい。でも師匠に、弥生は師範に匹敵する。段審査ではいろんな規制があるから、すぐに師範になれないがって言われていました」
「やっぱり!」
「師範を目指すならこのまま稽古を続けて、段審査を受けなさいと言われたんですけど、私、特に合気道の指導者になる気もないから、段審査は3段取った段階で受けていないんです」
「いや、もったいない!絶対に受けるべきだ。せめて4段、指導者になれるまで受けてください。そうすれば、我が部隊や忍者部隊の指導者になっていただく。ぜひとも願いたい!」
「い、いえ、そんな恐れ多い」
「恐れ多いなんて思っていませんよね。自分の実力、認めていらっしゃるでしょう」
「…」
図星。
「合気道をする時のたたずまい、目、呼吸、いつもの弥生様とはまったく違っていました。とても静かで、動じないのに、ですがすごい力を感じました。弥生様は『道』に対しての心得がしっかりとありますね」
「…心得ですか」
「そうです。武道だけでなく、茶道、華道にも通じる。禅の道とも通じるものです」
「えっと…。それって、無になるってことですか」
「はい。邪念を落とし、無になっていましたよね」
「はい」
「素晴らしい。やはり、指導者になっていただきたい。一臣様の許可が必要だというなら、わたくしからお伺いを立てます」
「いえ、一臣さんより、師匠に聞かないと」
「許してもらえないんですか?」
「……。一応。ただ、師範になることを望んでいたから、多分、OKになるとは思うんですが」
「師匠といえども、我が部隊のことは内密にしていただきたい」
「もちろんです!師範になるために段を取りますと、それを認めてもらうわけですから」
「認めないわけがないでしょう。弥生様には、天性のお力が備わっている。前に、神とまで言われた合気道の師範の演技を見たことがありますが、それに近いくらいの見事な動きでした。私なんて、足元にも及ばない」
「それは言い過ぎです!」
「でも、実際そうでしたよね?」
「……」
頷いてもいいのかな、ここで。
「御見それしました。これからは、先生と呼ばせていただきたいくらいです」
「そ、そんな!今までどおりにして下さい」
そう言っても辰巳さんは、ぺこりとお辞儀をして、そのあと私を見る目は今までとは違っていた。お義父様や一臣さんを見る時とも違う、なんていうか、そう、まるで尊敬のまなざしみたいな、そんな感じの…。
「ご指導とまでは言いませんが、うちの部隊のものと手合わせしていただきたい」
「あ、はい」
それから、私は図体のでっかい侍部隊の面々と何人も手合わせをして、さすがに汗もかき、
「弥生様、そろそろ休憩されますか?プールサイドにでも行って、冷たいものでもいかがですか?ご用意しますよ」
と、いつの間にか現れた国分寺さんが言ってくれた。
合気道の練習は終わり、みんなで一礼をした。それから私は国分寺さんとプールに向かった。
「一臣さんはプールにいるんですか?」
「いらっしゃいますよ。しばらく泳いで、そのあと壱弥様とプールで遊んでいらっしゃいましたが、今はプールサイドで休んでいますよ。壱弥様もプールサイドでお昼寝されています」
「そうなんですね。じゃあ、私も一臣さんと一緒に、ちょっとバカンス気分を味わいます」
「は?」
「プールサイドでのんびりって、バカンスみたい」
「ああ、なるほど」
国分寺さんはくすっと笑い、
「弥生様は泳がないんですか?」
と、聞いてきた。私は首を横に振った。
十分、合気道で汗をかいたし気も晴れた。気分をよくしてプールの扉を開いてみると、50メートルのプールと、ちょっとした子供用の可愛いプールと、プールサイドには観葉植物とパラソルもあり、そこに長椅子が何個か並び、一臣さんが寝そべって本を読んでいる姿が見えた。
その横にベビーベッドらしきものがあり、どうやらそこで壱弥が寝ているらしい。
「一臣さん」
静かに近寄ると、
「ああ、弥生。終わったのか」
と一臣さんがこっちを向いた。
「バカンス味わいに来ました。すごいですね。ここ、天井が吹き抜けてて、観葉植物にその先にはカウンターもあったりして、南国のホテル並ですね」
「南国のホテルなんか知らないだろう」
「新婚旅行で行ったハワイもこんなでした」
「ああ、そうだな。そこを意識して造らせたからな」
やっぱり~~~。
「わざわざハワイに行かなくても、行った気になるだろう?」
「はい!」
私はすでに道着を脱ぎ、Tシャツとキュロットだった。一臣さんの隣の長椅子に腰掛けると、
「お待たせしました」
と亜美ちゃんが私に見た目トロピカルなジュースを持ってきてくれた。
「わあ、これ、なんですか?」
「私の旦那が作ったジュースです。グワバジュースって言ってました。こういうの得意なんです」
「すご~~い」
「俺のはパインジュースだ。これだけでも、南国気分になれるな」
一臣さんは至極ご満悦らしい。
「これからは、くそ暑い日はここで休もう。あ、従業員のみんなも使えよな。平日は俺もいないし、使わなかったらかえって無駄になる」
「え?いいんですか?この長椅子で寝たりしても?」
「いいぞ。旦那と一緒にバカンスを味わえ」
「わあ~~~~~~!」
亜美ちゃんは、スキップする勢いでプールから去っていった。
「で、合気道はどうだった?」
「楽しかったです!」
「そうか。良かったな」
「はい」
「こっちは、大変だったぞ。壱弥ははしゃいじゃって、はしゃいじゃって。樋口も、付き合ってくれた他の若いコックたちも、ヘトヘトになって、もう寮に戻った。壱弥はモアナが来て、寝かしつけてくれたけどな」
「樋口さんもここでのんびりしたらいいのに」
「自分の部屋でのんびりしたほうが、落ち着くっていうからな。今頃、寮の休憩室でビール片手にテレビでも見ているんじゃないのか」
「そっか」
私と一臣さんは、そのあとものんびりと壱弥が起きるまでバカンス気分を味わった。なんと、ハワイアンの曲までプールサイドに流れていた。
ところで、後日本格的に辰巳さんから申し出があり、お義父様から私の父に話を持ちかけ、父から師匠に弥生が師範になるために、段審査を受けていいか聞いてくれた。即、師匠からOKの返事が来て、早速私は師匠のもと、合気道の指導を受けることになった。
毎週土曜日の午後。それは私も好きなことだから、特に辛さも何もなかったんだけど…。
「弥生さん、秋にアメリカのビルが建ち、カランも出店するでしょう?一臣も龍二も、レセプションやパーティに出席するから、弥生さんもそのおつもりでね」
と、とある土曜日の夕飯をお屋敷で食べていた時に、お義母様が突然私に切り出してきた。
「え?はい」
夕飯を食べ終わり、それまで黙って食べていた一臣さんが話し出した。
「どのくらい、俺らは滞在したらいいんだ?」
「2週間から、一月かしら」
「一月?そんなにあけられないぞ。他に仕事もある」
「そうですね、なんとかスケジュールを調整させましょう。樋口さんや青山さん、アメリカの秘書にも伝えなさい」
「おふくろは?」
「わたくしは1ヶ月はいますよ」
「おやじはどうせ、そんなに長くいないだろ。パーティだっておふくろに任せるんじゃないのか」
「主要人物のパーティには一緒に行かせます。もちろん、あなたもね。もう副社長という立場なんですから」
「面倒だな」
「それも仕事ですよ」
「はいはい」
大変なんだなあと他人事に思いつつ、気になることがあり、私は顔を暗くしていた。一臣さん、一月もアメリカに行っていないよね。そんなに長く会えないなんて絶対に寂しい。
「あの、2週間くらいで帰ってくるんですか?」
「俺か?ああ、もしかすると、行ったり来たりするかもな」
「そうですか」
会えたり、会えなかったりするのか。でも、仕事なんだもん。わがまま言えない。
「壱君はさすがにアメリカには連れて行けないですよ」
お義母様の話している内容も、なんとなく落ち込みながら聞いていた。
「なんでだ?ベビーシッターがいれば大丈夫だろう」
「行ったり来たりしていたら、疲れるでしょう」
「2週間くらい滞在して帰ってきたらいい。そこまで、弥生はアメリカにいる必要はないだろう。あとは、俺がどうしても行かなきゃ行けない時だけ行くさ」
え?ちゃんと聞いていなかったけど、壱弥もアメリカに行くの?
「あ、あの、壱君もアメリカに連れて行くんですか?」
「そうだ。そんなに長い期間離れるのは、弥生も嫌だろう?」
「え?私は?」
「弥生さんもアメリカに行くんですよ。アメリカではパーティに夫婦同伴が当たり前のことですからね」
え~~~~~~~~~~っ?!
「私もパーティに?!」
「そんなに驚くことでしたか?弥生さん」
「え、だって、そ、そういうのに出席したことがなくて。あの、私英語話せないです」
「……学校で習いませんでしたか?」
うわ。今、お義母様が呆れた。
「得意でした。成績もトップで…。でも、会話は苦手です」
「それは得意とはいえません。まったく、これだから今の日本の教育は…。中学高校と英語を勉強しても、まったく役に立たない」
「すみません」
うわ~~~。なんか、顔をあげることもできない。
「特訓ですね」
「は?」
今、なんて?思わず顔をあげて、お義母様の顔を凝視した。
「英会話の特訓です。それから、フランス料理のマナー、パーティでのマナー、ダンス、すべて秋までに完璧になってもらいますからね、弥生さん」
フランス料理?ダンス?!
「社交界デビューにもなるんですから、気を引き締めて頑張って下さいね」
「社交界?って?」
「そういう場に呼ばれるってことか?」
一臣さんも顔をうんざりさせて、そう聞くと、
「ええ、副社長になったんですから当然です。それも結婚したんですから、皆さんにお披露目しないとね」
と、お義母様は当然といった顔した。
「はあ~~。仕方ない。だけど、スパルタはやめろよ。弥生、無理しない程度に頑張れ」
「は…、はい」
「何を悠長なことを。一流の指導者をお呼びしますから、弥生さん、しっかりと学びなさい。そして、完璧にしなさいよ。わかりましたね?」
うひゃ~~~~~~~~~~~~~!お義母様の目が怖いんですけど!
「は、は、はい」
私は、合気道では指導者になったけれど、他の事ではがっつり指導される側になってしまったようだ。
ああ、これからどうなるのやら。




