第3話 敷地内の格技場
5月の終わり、夏日と言われるくらい暑い日が続いていた。
「暑いな。庭園で遊ぶのも暑いし、そうだ。壱、プールはいるか」
と、突然土曜の昼下がり一臣さんは提案した。
壱弥は寮のリビングでいつものごとく、ハイハイしたり、ゴロ寝したりしている一臣さんの上に乗っかったりして遊んでいる。
「こうやって怠けているから、なんだか腹が出てきたような気がするし」
「え?」
そうかな。前と変わらず麗しい筋肉していると、昨夜も思ったんだけどなあ。
「寮に来てから、ジムに行く回数も減ったしな」
「ジムのプールって、赤ちゃんも入れるんですか?」
「うちのプールだ」
「ああ、ビニールプール!あれ、買ったんですか?」
「ビニール?何を言っている。裏の空き地に建てただろう。全天候型プールとテニスコート。ちょっとしたマシンも用意したし、格技場もあるぞ」
「え?!いつの間に?」
「言わなかったか?半月前には完成して、早速樋口らが格技場を使って、体を鍛えている」
「ひどいです。そんな楽しそうなこと教えてくれないなんて」
「……。わかった。弥生は格技場で思い切り、樋口や等々力と戯れて来い」
「はい!」
嬉しい~~~~~!
「ん?その間、一臣さんは?」
「壱弥とプールで泳ぐ」
「壱君も?!まだ、泳げないです」
「人間、腹の中にいた時は泳いでいたんだ」
いや、羊水の中にいたけど、泳いでいたわけでは…。
「赤ちゃんの頃は、勝手に泳ぐんだぞ。教えなくても。俺もそうだった」
「え?うそ」
「半年のときから、ジムのプールで泳いでいた」
「すごいですね」
びっくりだ~~~。
「泳げるんだよ。早ければ早いほうがいい。壱ももっと早くから、プールに連れて行けばよかったな。でも待てよ。俺一人じゃ、壱の面倒をずっと見ることになるな。樋口は格技場ではなく、プールに来させよう」
「そんな~。ずるいです。私の相手は?」
「いくらでもいる。侍部隊も、忍者部隊も屋敷の回りで警護しているから、わんさかいるぞ」
「だけど、お仕事中ですよね」
「ふん。お前の相手も十分仕事になるだろ。それとも、俺と一緒に来て泳ぐか?」
「いいえ。泳げませんから」
「ああ、弥生はかなづちだったな」
膝の上に乗っかって遊んでいる壱弥を一臣さんはどかすと立ち上がり、おもむろに着ているTシャツを脱いだ。
「え?ここからまさか水着で?」
「いや、スポーツウエアに着替えていく。マシンも使うつもりだし」
タンスからスポーツウエアのTシャツや短パンを出し、
「水着がないな」
と言いながら、一臣さんはパンツ1枚で電話をかけだした。そんな姿を見ていると、
「俺の裸がそんなに見たいなら、プールに来るか?見放題だぞ」
と、とんでもないことを言ってきた。
「いいです。プールじゃなくてもいつでも見れるし」
「いつでも?」
「今だって」
「ああ、ま、それもそうだな。夜だって俺の裸、いくらでも独り占めできるもんな」
また、そういうエロ発言を!
「ああ、国分寺、今からうちのプールに入りに行くから水着を用意してくれ。ああ、俺の部屋にあるのでいい。それと壱弥も連れて行くから、樋口にプールまで来るように伝えてくれ。あと、弥生は格技場で遊びたいそうだ」
国分寺さんに電話したのか。
「それでしたら、今ちょうど侍部隊の方々が訓練の最中です」
「へえ、そうか。わかった、そこに合流させる。で、今はなんの訓練だ?」
「合気道をしているはずです」
携帯から国分寺さんの声が漏れてきた。
「合気道?」
私はとっさにそう聞いていた。一臣さんは電話を切り、
「ああ、お前得意だろ?よかったな」
と私の頭をぽんぽんとした。
「う~~~ん。あんまり嬉しくないかな」
「なんでだ?」
「どうせなら、カンフーとか、中国拳法がやりたかった」
「それはまた別の機会に樋口に習え」
「はい。あれ?それにしても、国分寺さんって、なんでそんなことまで知っているんですか?」
「屋敷内だけじゃなく、敷地内全体で何が行われているか、そりゃ、親父の執事だ。そのくらい把握しているさ。親父から聞かれることもあるだろうし」
「すごい。知らなかった。そんなことまで国分寺さんのお仕事なんだ」
「知っていなかったら、実際変なやつが敷地内をうろついていてもわからんだろ。忍者部隊の演習じゃない日に、森林の中に誰かがいたら、すぐに裏の組織に知らせないとならないわけだしな」
「もしかして、屋敷内だけじゃなくって、敷地内全部を管理しているんですか?」
「ああ。まあ、実際に敷地内を見張ってるのは、侍部隊のやつらだ」
「それで、格技場を作ったから、そこで訓練しているんですね」
「そうだ。忍者部隊は女性もいるし、多分行けば女用の道着もあるんじゃないか」
「うわ!はい!すぐに行っていいですか?壱弥のことは全部任せちゃっていいですか?」
「ああ。喜多見さんか誰かもよこすからいい。行ってこい」
「は~~~い!行ってきます。あ、どこでしたっけ?」
一臣さんに行き方を教えてもらい、私はタオル1枚と水筒に水を入れ、いそいそと寮を出た。
合気道か~~~。久しぶりだな。師匠相手じゃないと、本気出せないからつまらないんだけど、まあ、いいや。体がなまっているのは私もだ。軽い運動のつもりでしてこようっと。
一臣さんに教えてもらったとおりに、寮を出てからてくてくと歩いていると、
「弥生様、こちらですよ」
と樋口さんが現れた。
「あれ?樋口さんはプールのほうに来させるって一臣さんが…」
「はい。格技場も近くにありますのでご案内します」
もしかして、一臣さんが電話で知らせたのかな?
「なんか、すみません。お休みの日なのに」
「大丈夫ですよ。暇をしていましたから、壱弥おぼっちゃまと一緒に泳げるなんて、楽しい休日になります」
「でも、あの子、何をしでかすかわからないし…」
「心得ております」
え、そうなの?あ、一臣さんと龍二さんで大変な思いをしたからわかっているとか。
「まあ、私だけでなく、忍者部隊も来ると思いますし」
「警護にですか?」
「そうですね。壱弥様と一臣様をお守りしている面々が来ると思います。いざとなれば、みんなで力を合わせますよ」
「すみません。いつも壱弥が迷惑を」
「いいえ。みんな、壱弥おぼっちゃまの世話ができるのは嬉しいですから。弥生様は格技場で発散してきて下さい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「本当に気にしないでいいですから。一臣様もそうでしたが、お守りしている間に情のような、そういうものが生まれるんです。特に可愛いさかりにお守りしていると、こう父性本能といいますか。子どもを見守っている親みたいな…」
「そうなんですか」
「国分寺さんも喜多見さんもそうですよ。いまだに子どものように彼らが可愛いんです。だから、いつからか仕事としてより、ただ可愛いからお守りする…みたいな、そんな感じになるんですよね。だから、つい休日だろうがなんだろうが、世話したくなる」
「皆さん、素晴らしいです。そんな方たちに守られて、壱弥も幸せですね」
「一臣様はただ、一番友達と遊びたい盛りに大人ばっかりと相手になっていたから、変に大人びてしまいましたが。壱弥おぼっぢゃまは、同じ年齢のご友人ができるといいですね」
「はい」
「着きました」
「う~~~わ~~~」
建物、やたらとでかい。ただプールがあって、ちょっとしたジムと格技場がくっついているのかと思ったら、とんでもないんですけど。
「こんなでっかいの作っちゃってたんですか」
「はい。1階がロッカールームやシャワールーム、それとトレーニングルームと格技場。2階がテニスコートとプール。全天候型になっているので、晴れの日には屋根が開くようになっています」
「勿体無い」
「は?」
「だって、使うのなんて一臣さんくらいなのに」
「私たち従業員も使えますし、曜日によっては忍者部隊、侍部隊のトレーニングとして使わせてもらえるようになっているんですよ」
「そっか。だったらいいです。皆さんが使えるよう、一臣さんちゃんと取り計らってくれたんですね」
「無駄にあるスペースを有効に使えて良かったと申しておりましたよ」
そんな話をしながら、私は格技場の入り口まで行った。中からは、迫力ある声が聞こえてきていた。
「辰巳さんはいらっしゃいますか」
先に樋口さんが中に入り、入り口付近にいる人に聞いた。辰巳さんがいるのか。あの人苦手だから、嫌だなあ。
「弥生様ですか。国分寺さんから連絡を受けています。これ、女性用の道着です。そちらに女性用のロッカールームがあるから使って下さい」
格技場から若い、でも図体のでかい人が出てきて私に道着を渡してくれた。
「はい、ありがとうございます。じゃあ、樋口さんはプールのほうに行って下さい」
「はい。辰巳氏と話してからプールに行きます」
ぺこりと樋口さんは私にお辞儀をした。私もお辞儀をしてロッカールームに行った。
辰巳さんと仕事の話でもあったのかな。もしや、私、訓練している最中に来て迷惑だったかな。
大人しく隅でちょこっと合気道をさせてもらおう。ちょっと体を動かせたらそれでいいし。
着替えをして、格技場に行くまではそんな軽い気持ちでいた。でも、考えが甘かった。格技場に入るといきなり、
「やめ~~っ!」
という辰巳さんのぶっとい号令が飛び、いっせいにみんな動きを止め、辰巳さんのほうを向いた。格技場の奥にいた辰巳さんは、ずかずかと入り口にいる私のまん前までやってきて、
「今日は弥生様が訓練に参加する。弥生様に礼!」
とみんなにまたでっかい声でそう言った。
え?
みんなが今度は私を見て、そしていっせいに体を45度の角度に曲げ、礼をしてきた。
「あ、あの、私参加するっていうか、えっと、見学って感じで」
「弥生様は幼い頃より、武道を習われていたとか」
「はい」
辰巳さんの言葉に頷いた。
「前々より、我ら侍部隊の訓練には興味をもたれていたと窺っております」
誰から~~~?!
「今日は、お手並み拝見させていただきます」
「お手並み?!」
「確か、Aコーポレーションの騒ぎでは、大の男を何人もやっつけたとか」
辰巳さん、顔、怖い。表情ないのに何かを企んでいるような目をしている。
お義父様や一臣さんには、忠義すら感じる辰巳さんは、絶対に私のことは見下している。
「わかりました。どなたか、相手になっていただけますか」
こっちも覚悟を決めた。おじい様、これは戦いではなく、お稽古の一環として参加するんですからね。許してくださいますよね。
「それでは、まず、わたくしから」
そう申し出たのは、なんと辰巳さんだった。それも、口元がちょっとにんまりとしている。
「……」
私の力を試そうとしているの?わかんないけど、そういうことなら、手加減はしません。本気を出します。おじい様、それもお許しくださいね!!!!
「よろしくお願いします」
私は顔を引き締め、辰巳さんにそう言って礼をした。




