第13話 癒しの場所だから
「あの、なんで山之内さんが…」
「弥生様にぜひお会いしたくて。あ!遅くなりましたけど出産祝いも持ってまいりました」
「え?!」
ちょっと待って。寮にいること絶対に秘密なんだよね。なんで一臣さん、連れてきちゃったの?
「だ~~~~!」
しばらく私は呆けていたが、後ろから壱弥の声が聞こえて、はっと我に返った。
「まあ!壱弥様?可愛らしいこと」
山之内さんはリビングのほうまで覗き込んだ。口ではそう言っているが、目は笑っていない。多分本心じゃない。
「もう十分だろ?山之内」
「ここまで来たんですもの。このまま帰るなんて申し訳ないですわ。お邪魔させていただきます」
「はあ?それはこっちが言うせりふだ」
「あら、なかなか弥生様がそう言って下さらないから。ふふふ」
ええ?この部屋に上がらせろってこと?っていうか、遠回りに嫌味を言われたような…。
「あ、ど、どうぞ。狭いし散らかっていますけど」
私も本心じゃない言葉を口から搾り出しだ。
「しょうがないな。だが山之内、さっきも言ったがこのことを口外したらわかっているな」
「そんなこと口が裂けてもしませんから、ご安心くださいませ」
ああ、なんだか一臣さんもすっかり山之内さんのペースに巻き込まれている。
何がどうして、ここまで山之内さんが来ちゃったのか知らないけど、きっとうまく乗せられたか、強引にやってきたのか…。
待てよ。まさかと思うけど、山之内さんに弱みでも握られていたりしないよね?
「客が来る設定もなかったから、スリッパもないぞ」
「大丈夫ですわ」
「そのうえ、リビングと言っても、小さな和室だ。壱弥のプレイマットが敷いてあるし、おもちゃもたくさん置いてあるから、座る場所もない。食卓のテーブルでいいな?」
「どうぞお構いなく」
にっこりと微笑んだ瞳が、なんだか怖い。何かを企んでいるかのようで。
一臣さんは先に中に入り、そのあとに山之内さんが入ってきた。
「わたくしはこれで…。またお帰りになるときに参ります」
そう言って深くお辞儀をすると、国分寺さんは階段を降りて行った。
「弥生、何か用意してくれ。さっき、お茶を出されていたな。コーヒーでいいか?」
一臣さんはダイニングに仁王立ちになったまま、山之内さんに聞いた。
「はい。あ、でも、どうぞお構いなく」
う~~ん。そこまでお構いなくって言うなら、何にも出すのをやめようかな。という意地悪心まで出てくる。
だって、なんだってこんなところまで来たのか、本当にわけがわからないし。
「こんなことでしたら、洋菓子もお持ちしたらよかったですわね」
「別にいい。もうすぐ昼飯を食うしな」
「お食事の用意もされていたようで。こんな時間にいきなり来て、申し訳ありませんわ」
「自覚しているなら、来なければよかっただろ。あ!そばと天ぷらだったのか、弥生」
さっき、とっさにテーブルの上に用意した昼食を、慌ててキッチンに移動した。それを一臣さんが発見して、そう大きな声で私に言った。
「はい。あんまりお蕎麦の気分じゃなかったですか?」
「いや。うまそうだ。でも、天ぷらが冷める…。くそ」
あ、思い切り地が出てる。いいのかな。山之内さんもいるのに。
そう思いつつ、コーヒーの用意をしていると、また壱弥がリビングからでっかい声を出した。
「壱も昼飯だろ?早く食わせろって言っているんじゃないのか?山之内、悪いが壱に離乳食だけあげるぞ」
「どうぞ、お構いなく」
と、山之内さんは言ったが、なぜか目が丸くなって驚いてるようだ。
一臣さんはキッチンにある壱弥の離乳食をテーブルに運び、
「ほら、壱、飯だぞ」
と壱弥を抱っこしてベビーチェアに座らせエプロンをつけ、自分もその横に座ると壱に離乳食を食べさせた。
「うまいか?」
「もぐもぐ」
「そうか。うまいか」
美味しそうに食べる壱弥を優しい目で一臣さんは見る。そしてまた、
「あ~~ん」
と言って食べさせる。その一連の動作や、一臣さんの表情を見て、山之内さんは驚きの表情を隠せないでいる。
「どうそ」
コーヒーを山之内さんに持って行った。
「あ、いただきます」
我に返ったように山之内さんは私を見た。
「ミルクとお砂糖は?」
「ブラックでいいですわ」
「はい」
一応用意したお砂糖とミルクを私は下げた。
山之内さんは一口コーヒーを飲んで、
「子煩悩でいらっしゃいますのね。一臣様のそのような姿、驚きですわ」
「ん?こんなことまで俺がするとは思わなかったか」
「ええ。弥生様か、召使にでもさせているかと思いました」
「召使!?なんだそりゃ。執事やメイドのことか」
「ベビーシッターですとか」
「ああ。仕事がある日にはベビーシッターにやってもらっている。だが、休みの日はこうやって弥生と3人で過ごすから、俺が壱弥に食べさせる担当だ」
「まあ、そうですの。微笑ましいですわ」
と言う山之内さん、やっぱり本心じゃないよね。
コーヒーをまた山之内さんは一口飲んで、それからすすすっと目線をいろんなところに向けた。そして、リビングと寝室の間に干してある洗濯物に目が留まった。しまった。
「あ、あの、すみません。今日雨だから、部屋に洗濯物干してて、お見苦しいですよね」
私の下着も一臣さんのパンツも、壱弥の肌着やらガーゼやら、いろいろと干してある。
「お風呂場にも乾燥機ついているし、そっちに持って行きます」
慌てて、洗濯物を移動させようとすると、
「お構いなく」
と、また山之内さんは微笑んだ。
「別にいいだろ、弥生。どうせ、山之内は俺らがどう暮らしているのか見るために来たんだろうし。いつも通りの生活を見せたらいいだけだ」
「へ!?」
どう暮らしているかを見るために来た?なんのために、そんなこと!?
「まあ、嫌ですわ。わたくし、別に偵察に来たわけではありませんのよ。おほほほ」
偵察?どういうこと?
「俺の下着も干してあるだろ。ここで3人で暮らしている」
「……」
山之内さん、微笑んでいるけど疑いの目だ。
「そこから見えるだろ。あっちの部屋が寝室だ。俺と弥生のベッドと、その横に壱弥のベッドもある」
「……」
山之内さんは覗き込むように寝室を見た。
「で?山之内、あとは何が知りたい?」
え?何か知ろうとして来たわけ?
「う~~~!」
手が止まった一臣さんに、壱弥がご飯を食べさせろって催促をした。
「ああ、悪いな。それにしても、お前本当によく食うな。弥生似だな」
「か、一臣さん、そんなこと山之内さんの前で言わなくっても」
と、そこまで言ったところで、私のおなかがぐ~~っと鳴った。やばい。
「ほらな!今のは弥生の腹が鳴ったんだろ?ははは」
一臣さんは楽しそうに笑った。その笑顔を見て、山之内さんがまた目を丸くしている。
「さ、これでおしまいだ。壱は向こうで遊んでいるか?なんか、面白いDVDでも見るか?」
「あ~~~~」
一臣さんは壱弥の口の周りを拭いてあげ、エプロンも外すと抱っこをしてリビングに連れて行った。
山之内さんは、ずっと一臣さんの様子を見ている。リビングにあぐらをかき、壱弥を膝の上に乗せ、一緒にDVDを見ている一臣さんのことも、ずうっと食い入るように黙って見てから、ふっと視線を私のほうに向け、
「一臣様は、いつもあんなふうに過ごされているんですか?」
と静かに聞いてきた。
「はい。休日はほとんど予定をいれず、あ、たまにジムに運動をしに行くこともあるけど、だいたい家に居ます。お天気がよければ、屋敷の周りを一緒に散歩したりもするし、今日みたいな雨の日はここで、のんびりとDVDを見たり、壱君と遊んだり」
「…お屋敷の弥生様のお部屋を改装しているから、ここで暮らしているんですのね?」
あ、そういうことにしているのか。私が寮で3人で暮らしたい!ってわがまま言ったからなんだけど、それは山之内さんにはばらしていないんだな。
「はい」
私はこくりと頷いた。
「弥生は、こういう生活に憧れていたんだ。自分で食事の用意もして、家事もして子どもの面倒も見て、親子3人だけで暮らす。まあ、仕事もあるからな、弥生一人で家事をこなすのは大変だから、俺も手伝っている」
「え?!」
一臣さんの言葉に、今まで以上に山之内さんは驚いてしまった。
「一臣様が家事を手伝っていらっしゃるんですか?」
「たいしたことはしていない。せいぜい、洗濯物を干すか、洗い物をするか…。飯は弥生が作ったほうがうまいから、いつも弥生にしてもらっているし。あとは、掃除と…。考えて見ると、たいしたことしていないな」
「そんなことないです!昨日はお風呂も洗ってもらっちゃったし、一臣さん、いろいろと手伝ってくれています!今日だって洗濯物干してくれて助かりました!」
思わず力説すると、一臣さんの眉が上がった。
「ふん。こうやって、弥生はいっつも俺が何かすると、すっごく喜んだり感謝するんだ。できた嫁だろ?普通は、文句ばっかり言いそうだけどな。それにいつも弥生は、一生懸命だし…」
うわわ。いきなり私のこと褒めだした。
「そうですの。お休みの日はこうやって、親子水入らずで…。それが一臣様の癒しになっているんですか?」
「そうだ。見てみろよ。壱のこの笑顔」
DVDを見て、壱はきゃっきゃと喜んでいた。そんな壱を一臣さんは、立ち上がって山之内さんのほうに見せた。
「ほら、壱。高い高いだぞ」
「きゃきゃきゃきゃっ!」
ああ、壱弥、めちゃくちゃ嬉しそう。よだれ垂らして喜んでる。
「ああ、壱のよだれがついた。だから、こういうラフな格好をしているんだ」
「そうですのね。ふふ。そんな一臣様の姿、オフィスでは想像もできないですわ」
あ、今の笑いは、本心みたい。
「いつか、親子3人でわたくしの実家の旅館に遊びに来てくださいまし。母にも言っておきますわ」
「そうだな。近いうちにでも行くか?弥生。今度の秋ごろ、紅葉の季節がいいな。壱弥ももう歩き出しているかもしれないし」
「はい。いいですね!」
「休みをもう取っておこう。さっそく紅葉が一番綺麗な時期に予約を入れてくれ、山之内」
「はい。かしこまりました」
山之内さんは静かにそう言って、
「ご馳走様でした。コーヒー美味しかったですわ」
と立ち上がった。
「そりゃそうだろ。豆も上等だし、弥生の淹れるコーヒーはうまいんだ」
うわ。いつも、自分で淹れているくせに。
「ふふ。本当に仲のいいご夫婦なんですのね。一臣様が幸せそうで何よりですわ」
「ここが俺の癒しの場だってことがわかったか?」
「ええ。そりゃもう、羨ましいくらいですわ」
「山之内も結婚したくなったとか?いいぞ。結婚も、子どもがいるのも」
「ふふ…。いい相手さえ見つかれば、わたくしも結婚しますわ」
「あ、国分寺を呼ぶから待て」
一臣さんはテーブルの上にある携帯で、国分寺さんに電話をした。5分もしないうちに国分寺さんが来て、山之内さんは帰って行った。
「で、結局、なんの用があったんですか?」
「おふくろと歌舞伎を観にいくらしい。その前に寄ってみたようだぞ」
「お義母様と?」
「暇だったんだろ」
「……」
一臣さんは、それで済ませてしまい、特にそれ以上は教えてくれなかった。でも、なんとなく察した。わざわざ寮で暮らしていることまでばらしたのは、何かを疑われたかしたんだろうな。
「弥生、飯だ、飯。俺も腹ペコだ」
「はい!天ぷら冷めたから、おつゆだけはあっためなおしますね」
「ああ」
そして、私たちはまったりとした休日の続きを楽しんだ。




