第12話 その頃のお屋敷
一臣さんは、雨が降る中お屋敷に出向いた。応接間に入ると、
「あ、一臣様、お邪魔しております」
と山之内さんが立ち上がり丁寧にお辞儀をした。
「…なんだ?なんの用事だ」
一臣さんは面倒くさそうにそう聞きながら、ソファにどかっと座った。
「一臣様はお茶でよろしいですか?それともコーヒーをお持ちしましょうか」
国分寺さんがそう聞くと、
「何もいらない」
とぶっきらぼうに一臣さんは答えた。
「これから何か予定がありますか?」
そう言いながら山之内さんもソファに座ると、
「特にない」
と、また一臣さんはぶっきらぼうに答えた。
「まあ、よかった。まずは母から送ってきた一臣様がお好きな和菓子をお持ちしましたの。弥生様と一緒に召し上がってください」
「ああ、悪いな」
「それで、今日は弥生様は?それに壱弥様はどちらに?」
「……部屋にいる」
「一臣様、どちらか行っていらしたんですか?雨にぬれているようですが…」
「なんでだ?どうでもいいだろ?」
「すみません。忙しくしていたところだったら、申し訳ないと思いまして。一臣様、うちの旅館に来る時にもそこまでラフな格好はしませんのに、お屋敷では違うんですね。なんだか新鮮です」
「子どもがいるんだ。こういう格好のほうが楽なんだよ」
「お会いしとうございますわ、壱弥様に」
「は?なんでだ?」
「一臣様のご子息ですもの。さぞかし可愛らしくて、利発なおぼっちゃまなんでしょうね」
「利発?まだ半年だぞ。やっと今日ずりばいができた。でも、すでにやんちゃだ。半年の子をつかまえて利発はないだろう」
「ずりばい…」
「そうだ」
「子煩悩でいらっしゃるんですね。ちゃんと壱弥様の成長を見届けているなんて」
「ふん。何が言いたい?どうせ、心のうちは間逆のことでも思っているんだろう?だいたい、俺の子どもに会いたいなんて本心じゃないだろ」
「本心ですわ。お子様ができてどんな暮らしをしているかも知りたかったし」
「そのために来たのか?」
「社長夫人に誘っていただいたんです。実は今夜、一緒に歌舞伎を見に行く約束もしておりますの。その前にお屋敷に遊びに行っていいか聞いたら、ぜひっておっしゃっていただいたんですのよ」
「おふくろが?」
「ええ。前々から母ともよく、歌舞伎や舞台を観にいっていました。今回はわたくしが、誘っていただいたんですのよ。社長夫人はいらっしゃらないんですか?」
「奥様は、3時過ぎに戻られます」
国分寺さんが、すかさずそう一臣さんの代わりに答えた。
「あら、今日お伺いすることお伝えしたのに」
「申し訳ありません。別件で急用が入りまして。急いで3時に戻り仕度をして、一緒に歌舞伎座に行かれるかと」
「そう…」
「おふくろが目的じゃないだろ?」
「あら。さすが一臣様、勘が鋭いですのね。本当は一臣様と一緒にお昼でもと思ったんです。いかがですか?どこか近くのレストランにでも」
「あいにくだが、屋敷で食うことにしているんだ」
「わたくしもご一緒させてもらえますか?」
「では、わたくしからコック長に伝えてきます」
「いい。国分寺。俺は家族3人水入らずで食べたいからな」
「まあ、そんな冷たいことをおっしゃらず。ぜひ、弥生様と一緒させていただきたいですわ」
「だから、なんなんだ?はっきりと目的を言え」
「…。国分寺さんとおっしゃったかしら。席を外してくださいます?」
こんな感じで、山之内さんは一臣さんと二人きりになった。
「ああ、まだかな。天ぷら冷めちゃうよ」
その頃私は、壱弥の離乳食も作り終えていた。
「山之内さん、いったい何のようなのかな」
壱弥に言ったってわかるわけない。おもちゃを振り回したり、ばくっと口に加えてよだれを垂らし、
「あ~~~う~~~」
と満足そうにしているだけだ。
その頃、一臣さんと二人きりになって山之内さんは徐々に本性を見せだした。
「一臣様」
まず手始めに場所を移動して、一臣さんのすぐ隣に腰掛けた。
「なんだ?」
「お休みの日は、お子様のお相手ばかりじゃ気が休まりませんでしょう?」
「いや、そんなことはない」
「こんなふうに日曜日にお屋敷にいらっしゃるなんて、一臣様らしくないですわ」
「は?どういう意味だ」
「だって、前からおっしゃっていたじゃないですか。結婚しても屋敷になんて帰らず、子どもさえ作ったら、外で女と遊ぶと。京都に来た時にはここにもよるって」
「いつの話だ。俺が大学生の頃だろ」
「ほんの3年前のお話ですわ。人間そうそう変わったりしません」
「そうかな。変われるもんだけどな」
「強がり言わないでもよろしいですわ。結婚して女性全員と手を切ったらしいですけど、そうしたら一臣様は癒される時がまったくないんじゃありませんの?」
「勘違いをするな。他の女といても癒されたことなんかない」
「わたくしは違います。よろしいんですよ、弱い部分だって見せていただいて」
「冗談じゃない。山之内ほど心のうちがわからない女はいないだろ。癒されるわけがない」
「京の女を誤解されていますわ」
「俺は、現に今めっちゃ疲れている。まったく癒されていないぞ、誤解じゃないだろ」
「では、とても静かで、二人でゆっくりとできるところに行きましょう。そうすれば、一臣様ももっと癒される…」
「だから!何だって俺がわざわざ、そんなことをしないとならない。屋敷で十分癒される!」
ずっと我慢していた一臣さんはぶち切れた。
「俺は弥生と壱がいたら、十分なんだ。家族水入らずの時間に割って入ってきたのはお前のほうだ。癒しの時間を割いているのはお前なんだぞ。わかんないのか」
「ええ、わかりませんわ。じゃあ、弥生様をお連れして。いいえ、お二人の癒しの空間を見せて。さもないと信じられませんわ。そんな戯言言われても」
「戯言!?だいたい、なんだってお前に見せないとならないんだ。弥生も忙しいんだ。ここに呼ぶことはできない」
「なぜですの?お二人の部屋は2階ですか?」
山之内さんはあろうことか、応接間から勝手に出ると、廊下を歩き階段まで上ろうとした。
「待て!誰が勝手をしていいと許した」
後ろから慌てて一臣さんは、山之内さんの腕を掴み引き止めた。なにしろ、2階にあがったところで、私も壱弥もいない。
「なんで慌てるんですか?じゃあ、ここに呼んでください」
「意味がわからない。そんなことをしてどうする」
国分寺さんや喜多見さん、日野さんや亜美ちゃんも何事かとその場にやってきた。
「あの、一臣お坊ちゃま、いかがされましたか」
「あなた。弥生様と壱弥様にもお土産があるの。呼んでくださらない?」
「え、でも、この雨の中、はっ」
口をすべらせたのは、亜美ちゃんだった。ぎろっと一臣さんは睨んだが、もう遅い。
「雨の中?まさか、お二人は別のところにいるのかしら。たとえば、離れとか。まさか、お屋敷に住まわせてもらえないとか?」
「ち、違います。決してそのようなことは」
慌てた亜美ちゃんを見て、ますます山之内さんは怪しんだ。
「そうだ。弥生の部屋を子ども部屋に改装中だから、違うところにいる。だから、雨の中わざわざ呼ばなくてもいいだろう」
「おほほほ。そうですの。やっぱり、噂は真実ですのね」
「噂?」
「子煩悩だとか、夫婦仲がいいとか、そう騙されている人もいました。だけど、真実は仮面夫婦。お屋敷内にいないなら都合がよろしいですわ。弥生様のことなんか気にせず、一臣様のお部屋に連れて行ってくださいまし」
「は!?」
一臣さんと同様、そこにいた全員が呆れて言葉を失った。
「くそ~~~~~!わかんないやつだな!頭悪いのか?仕事はできても他はなんにもわかんないのかよ」
一臣さんは大声でそう言ってから、ため息をつき、
「わかった。壱をこの肌寒い雨の中連れてくるのはやっかいだからな。俺らだけのスィートホームに連れて行ってやる」
と開き直ったようだった。
「か、一臣様、それは奥様との約束を破ることに」
国分寺さんが慌てふためいたが、
「そうだ。これは内緒ごとだ。まさか、俺らが屋敷ではなく、外に建てた寮に住んでいるなんてことが、公にばれてみろ、大変なことになる。だから、山之内、口外することは許さない。もしそんなことをしたら、即クビ。お前の実家の旅館も潰すぞ。いいか?」
「…寮?」
「今から連れて行く。それで納得いくだろ。ああ、やばい。こんな時間だ。弥生が昼飯を用意して待っている。すっかり遅くなった」
そう言うと一臣さんはまた傘をさし、お屋敷を出た。その後ろから、国分寺さんも大きめの傘をさし、山之内さんを寮まで案内した。
「なんだよ、山之内は傘はないのか」
「出るときには降っておりませんでしたの」
「まったく。雨の中歩くのは面倒だろ?俺はなな、今日1日弥生と壱と、部屋でまったりゆっくりする予定だったんだ。一歩も外に出ず」
「そうだったんですか。では夕食はいかがいたしますか」
後ろから国分寺さんが話しかけると、前を向いたまま一臣さんは、
「弥生が用意する。食材もあるから心配ない」
と、簡単に答えた。
「弥生様がお料理をなさるんですか?」
「ああ。うまいぞ」
山之内さんの質問にも簡単に答え、強くなっている雨の中、一臣さんはジーンズを濡らしながら寮に戻ってきた。
「弥生!帰ったぞ」
「一臣さんだ!壱君、パパが帰ってきたよ!」
「だ~~~~!」
壱弥も大喜び。私も大喜びでドアを開けた。すると、雨に髪も少し塗れ、毛先がくるくるしている一臣さんが、なんだかすっごく面倒くさそうな顔をして立っていた。
そして、そのあとにカンカンと階段を上るヒールの音がして、
「ここにまさか、住んでいらっしゃいますの?あ、時々こうやって一臣様が訪問されるのですね?」
と言いながら、山之内さんがドアから私を覗き込んだ。
「え?なんでここに?」
すんごい驚いて私は、この状況をなかなか飲み込めなかった。
ただ、これってやばいんじゃ?とだけ、頭に浮かんだ。




