第10話 驚きの連続
次の機械金属の会議は、もっと驚くことが起こった。
「再始動した工場を、来週月曜に弥生とみに行ってくる。川崎にある工場だ」
そう一臣さんが来週からの予定を発表している時だった。
「それ、わたくしに行かせていただけませんか?」
やんわりとしたイントネーションで、山之内さんが手を挙げた。
「ん?一人で行くのか?工場視察はペアで行くようにしているが」
「ですから、一臣様とわたくしとで」
にこりと山之内さんは微笑んだ。
「なぜお前と?俺はいつも弥生と行っている」
「わたくし、再始動した工場をしっかりとこの目で見るのも大事なことだと感じているんです」
「そうか。じゃあ、ちょうどいい。綱島が千葉の工場を見に明日行くから、一緒に行け」
「わたくしは一臣様とご一緒させていただきたいんです」
「俺と行く意味があるのか?」
「わたくしが同行したほうが、改善点ですとか様子を詳しく見れますし、すぐにでもマーケティング部に持ち帰ることもできますし」
「俺が頼りないと感じているのか?」
「いいえ、滅相もございません」
「じゃあ、弥生が役に立たないとでも言いたいのか?」
「そういうことを申しているのではないんです」
一瞬黙ってから、山之内さんは口を開いた。本心は私が役立たずって思っているんだろうな。
「お言葉を返すようですが、マーケティング部の方が視察に行かれる必要はないでしょう。営業の皆さんに行ってもらったほうがいいですよ」
「まあ、杉田さん、弥生様は営業ではないですよ?」
ほほほと笑みを浮かべたが、山之内さんの目は笑っていない。
「副社長と同行するのは副社長夫人のほうがいいと、思いますけどね」
杉田さんも負けずとそう言い返した。
ど、どうしたんだ。杉田さんの言葉にみんな固唾を呑んで見守っている。一臣さんですら腕を組んだまま動きもしない。
「なぜ?ご夫婦揃って仲のいいところを、わざわざ工場の皆さんにアピールですか?それこそ必要あります?」
うわ。山之内さん、今のは一臣さんが怒るよ。
「アピールする必要はありませんよ。現に仲がいいわけですしね」
そう口を挟んだのは子安さんだ。
「じゃあ、何のために?」
「そりゃ、弥生様が優秀だからでしょう」
え?戸部さん?今、優秀って言った?
「え??」
その言葉に山之内さんは驚き、私のほうを目を見開いて見た。怖い目で。
そして、耳を疑うような、そんなそぶりすら見せた。でも、他のメンバーたちは、コクンと一瞬頷いた。
「弥生様は、裏表のない、すごく真っ直ぐな方です。どなたとでも信頼関係を作ることができ、工場の皆さんも安心されますよ。それに、工場で働く人、その工場の未来、そう言ったことまで見据えて判断できるし、心から働く人たちのことを思える方ですからね」
そう言ったのは杉田さんだった。
うわ~~~。じ~~んと来た。泣きそう。すんごく嬉しくって、泣きそうだ。
「なるほどな」
片眉を上げて一臣さんが声を発した。ハッとした表情で杉田さんは一臣さんを見ると、そのあとバツの悪そうな顔をした。
「そういうことだ。山之内、弥生が行くのには意味がある。いや、弥生でないと駄目なんだ。今までも弥生が同行して、先行き不安だったり、すでに落ち込んでやる気を失せていた人が元気になったり明るくなったり、俺や緒方商事、いや、緒方財閥に対しての意識まで変わっている。それまで信頼をまったく失っていただろうが、それを取り戻せた」
一臣さん…!
「俺だけじゃそこまでできない。逆に俺はこのとおり、態度もでかいしな、反感もたれておしまいだ。だが、弥生は違う。偏屈だったり、心を閉ざしていた人の心の中にするりと入り込む。閉ざした心をいとも簡単に開けてしまう。暗かった表情が明るくなったり、優しくなったり、実際俺はそういうのを見てきた。そして、俺も弥生といることで、すごくいい影響を受けているし、俺の考え方も変わった」
「……」
山之内さんは黙り込んだまま。でも、周りのみんな深く頷いたり、にこやかな目で私を見たりしている。そして、
「そうなんですね。いや、驚きです」
と杉田さんは、驚いたように一臣さんに言ったが、表情はとても柔らかかった。
「何が驚きなんだ?」
「弥生様のことを、本当に理解し評価し、認めている一臣様に驚いていました」
「それは、どういうことだ?」
「そういうことを理解しあっている、お互いが認め合っているご夫婦で…。理想ですね。素晴らしい。感動しましたよ」
「………。そうか。はじめは弥生なんてこのプロジェクトに必要ないと、杉田さんも思っていたんじゃないのか?こっちこそ驚きだ」
そう言ってから一臣さんは鼻でふふんと笑い、
「たいてい、弥生の良さをわかると、それまでと態度も180度変わるけどな」
と付け足した。
「そ、そのとおりですね。メンバーの皆さんが弥生様のことを認めていらっしゃるのも今なら頷けますよ」
はははと、杉田さんが笑った。戸部さんも子安さんも優しい表情だ。メンバーのみんなは少しだけ、3人を驚きの表情で見ていたが、綱島さんはよかったねという表情で私を見た。
でも、たった一人、山之内さんはさっきから笑っていない。そして、無言のまま怖い目で私を見ると、
「わかりました。わたくしもお役に立ちたかっただけでございますわ」
と、一臣さんに微笑ながら答えた。
「山之内、もう少し心からそういうことは言えよな。目が怖いんだよ。本当に役に立ちたいと思っていたら、それはそのまんま、こっちに伝わってくるはずだ。でも、山之内からは感じ取れないんだよ」
「え?」
「……。まあ、山之内は仕事が出来る。それは評価している」
一臣さんはそれだけ言うと、
「他のメンバーの予定を言うぞ」
と、話を進めた。
会議が終わり、杉田さんたちにお礼を言うかどうか迷い、会議室の前でおたおたとしていると、
「お疲れ様です」
と3人から声をかけられた。
「お疲れ様です!」
私は慌ててぺこりとお辞儀をした。
3人はにこやかに私に頭を下げ、そのまま廊下を歩き出した。
「あ!あの!」
後姿に声をかけると、3人は振り返り、
「先ほどは、ありがとうございます」
とお礼を言うと、
「……今まで、申し訳なかったです」
と逆に杉田さんに謝られた。
「託児所プロジェクトもがんばって下さい」
「え?はい」
わあ。励まされた。嬉しい。
「ありがとうございます!」
またぺこりとお辞儀をすると、3人は微笑ながら私にお辞儀をして、そのままエレベーターホールへと向かっていった。
「弥生様」
私の後ろにいた矢部さんは、目を潤ませていた。他のメンバーもにこやかに「よかったですね」と口々に言い、廊下を歩いていった。
「弥生様、一臣様と社長室に報告に行きましょう」
「え?」
樋口さんの言葉にびっくりして振り返ると、一臣さんは腕を組み、
「ふん。親父はその後あの3人がどうなったか、気にしているようだ。3人がどう変化したか親父に話してやれ」
とどや顔をした。
15階に一臣さんと樋口さんと行き、そのまま社長室に向かった。この前から樋口さんは、社長に例の3人組はどうしたと何度も聞かれていたらしい。トイレに設置した盗聴器では、3人は特に何も話さないから、その後どうなったのかわからなかったらしい。
そうか。会議が終わると樋口さんだけ呼ばれていたのは、報告をしていたのか。
「親父!なんだかんだと言いつつ、そんなに心配だったのかよ」
社長室に入るといきなり一臣さんはそうお義父様に言った。
「そりゃ、弥生ちゃんが傷ついていないか心配していたさ。ちょっときついことを言ったかなあと、反省もしたし」
え?きついこと?
「ああ、弥生の態度がどうのこうの言っていたもんな。でもな、親父、弥生は弥生のままでいれば、みんなに受け入れられ、愛されるんだ」
愛される!!??
「親父もそうだろうけど、あのおふくろですら弥生が可愛くてしょうがないんだぞ?心閉ざしてた龍二だってそうだっただろ」
「それは身内だからねえ」
「例の3人、特に一番弥生を見下していた杉田も、今じゃ、弥生のことを褒めまくっている。なあ?樋口」
「はい。今日の会議でのことを、ぜひとも報告させていただきます。あ、弥生様ご自身で報告されますか?」
「いえいえいえ!私は、まだ信じられないって言うか、何が起きたんだかって言うか、心の整理も出来ていないんで無理です」
そう首を横にぶんぶん振ると、樋口さんが事細かにお義父様に報告をした。
あの冷静な樋口さんが、口元を緩ませたまに興奮した口調になり、それに自分で気がつくとすぐに声のトーンを落とした。でも、そんな樋口さんを一臣さんは嬉しそうに見ていた。
それにお義父様も報告を聞き終えると、
「そうか、弥生ちゃん、よかったねえ!」
とすっごく喜んでくれた。
「はい」
報告を喜んでくれるお義父様や、樋口さん、一臣さんにも感激して泣きそうになっていると、
「泣くのか?弥生、まったくしょうがないやつだなあ」
と、一臣さんが私の頭を撫でた。
「ははは。やっぱり、一臣は溺愛しているなあ」
「うっせえ、親父もそうだろ?」
「そりゃ、弥生ちゃんは可愛いからねえ!」
にこにこしているお義父様に、
「さ、もういいだろ。壱が待っているから戻るぞ」
と一臣さんは冷たくつきはなした。
「そうだ。壱君も一緒に来るかと楽しみにしていたんだよ」
「また今度な」
あっさりと一臣さんは私の腰を抱き、社長室をあとにした。
「よかったな、弥生。でも、山之内は諦めろ。あいつは多分、弥生の良さをわかろうとはしない」
廊下を歩きながら一臣さんはそう言った。
「え、あ、はい」
「まあ、みんながみんな、弥生に対して心を許すわけじゃない」
「一臣さんは山之内さんを評価されているんですね」
「仕事はな?速いし、有言実行するしな。あいつは仕事を任せられる。ただ、あいつには欠けているものがある」
「え?」
「信頼関係を結ぶという、人とのかかわりだ。まあ、俺も昔は疑ってかかるし、そもそも仕事に信頼関係なんかいるのかって、そう思っていたくらいだ。だけど、弥生と会って、一番大事なものだって痛感した」
一臣さん。
「ただ、いろんなやつらがいるからな。Aコーポレーションのやつらみたいに悪いやつらも。だから人を簡単に信じたりはしないが、だが、社員のこと、家族のこと、本気で大事に思うってこと、そういうことが副社長、いや、社長としても大事なんだとそう思ったんだ」
「……」
「そういうのを忘れないようにしていかないとな。ああ、でも、弥生がいつもそばにいたら、いつでもそういう思いに気づかせてくれるな」
ギュウ。樋口さんがすぐ前を歩いているのに、私はかまわず嬉しくて一臣さんの腕にしがみついた。
ドアを開け、私と一臣さんを先に樋口さんは通した。その時に私は気づいてしまった。樋口さんの目元に光った涙を。
樋口さん、一臣さんの言葉に感動していたんだ!それで、泣いていたんだ!うわ!
部屋に一臣さんと入ってから、ぼろぼろと涙が出てしまった。
「弥生?どうした?」
一臣さんも、壱弥を見ていたモアナさんも、びっくりしている。
「嬉し泣きです」
そう言うと、一臣さんは一瞬呆れたような顔をして、そのあと微笑んだ。
「モアナ、大丈夫だ。今、嬉しいことがあって弥生は感動で泣いているんだ。こいつ、嬉しくてもビービー泣くからな。昼、食べに行っていいぞ」
「はい」
モアナさんは壱弥をベビーチェアに乗せ、部屋を出て行った。それから一臣さんは私を優しく抱きよせ、そっと私の髪にキスをした。私はしばらく、一臣さんの胸で泣いていた。




