第6話 手を抜いてもいい
翌朝も、バタバタと慌しい朝。一臣さんはいつもより早くに起きて、壱弥の面倒をずっと見ていてくれた。壱弥の服やオムツ換え、会社に持っていく準備までしてくれて、そのあと新聞を読み出した。
でも、私がお弁当作りだけでバタバタしているからか、新聞をたたみ、
「洗濯物、干すぞ」
とベランダに出て干し始めてしまった。うわ!緒方財閥の御曹司に申し訳ない。
「いいです!私がします」
「お前は弁当作りだろ?弁当も毎日作らなくてもいいんだぞ、大変だろ?」
「で、でも、作りたい」
「わかったから、洗濯物を干すくらいできる」
そう言って、洗濯物を広げて干しだした一臣さん。本当にできるのかな、と不安と申し訳なさを残しつつキッチンに行き、お弁当つくりを再開した。
「あ~~~~う~~~」
プレイマットからベランダのほうを見て、壱弥がおしゃべりをしている。一臣さんが気になるのかな。
「できた」
二人分のお弁当を完成させ、ベランダに行くと、
「弥生は行く準備をしろ」
と言われ、着替えをしに行った。
化粧もなんとかさっさと済ませ、髪をとかしていると、一臣さんがネクタイを締めながら鏡を見に洗面所にやってきた。
「洗濯物、ありがとうございます」
「いや」
あれ?言葉数少ない。まさか、怒ってる?
「念のため、見ておけ。変な干し方しているかもしれない」
「え?あ、はい」
ベランダに直行した。あ…。なぜか、綺麗に干してあるところと、くしゃくしゃのまま干しているものとある。
これは、途中で面倒くさくなったんだな。くしゃくしゃのシャツやタオルを広げ直して、ぱんぱんと手で叩き干し直した。
「悪いな。最初に気合を入れすぎた」
リビングに来た一臣さんが、私にそう謝った。でも、腕組をしたままで、態度は相変わらず大きい。
「いいえ、ありがとうございます」
洗濯物を干すなんてこと自体しない一臣さんが干してくれたんだもん。態度がでかかろうが、途中で面倒になろうが、ありがたいってもんだよ。
なんとか準備を済ませ、壱弥と一臣さんと一緒に部屋を出た。すると、すでに階段の下で喜多見さんと国分寺さんが待機していた。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
喜多見さんは一臣さんから壱弥を、そして国分寺さんは私が持っていた一臣さんの鞄や私の鞄を持ってくれた。
「お弁当はお忘れではないですか?弥生様」
「はい。持っています」
「壱弥おぼっちゃまのお荷物は、これで全部ですか?」
喜多見さんと国分寺さんが、なぜか心配そうに聞いてきた。
「足りなくても、オフィスにも置いてあるから大丈夫だ、国分寺」
「あ、さようでございますね」
国分寺さんはにこりと一臣さんに微笑んだ。
「なんだ?弥生がいつも抜けてるから、心配なのか?」
「い、いいえ。そういうことではなく」
いつも落ち着いている国分寺さんが、少し慌てた。でも、
「少しはわたくしたちも、お役に立ちたいんですよ」
と、喜多見さんがそう国分寺さんのフォローをした。
「ふん。仕事がなくて困っているのか。それとも、そんなに俺たちの世話がしたいのか?」
「それは確かに。ずっとお世話をしていたので、落ち着かないと申しますか」
「ははは!」
国分寺さんの言葉に一臣さんはなぜか豪快に笑い、車に乗り込んだ。
私も車に乗り、壱弥は一臣さんがベビーシートに乗せた。
「おはようございます」
いつものように等々力さんが、明るく挨拶をする。その横で、クールに樋口さんも挨拶をしてすぐに今日のスケジュールを淡々と説明する。
でも、
「あ~~~~う!」
と、壱弥が声を出した途端、
「壱弥おぼっちゃま、おはようございます。今日も元気でしゅね~~」
と、樋口さんの声が高くなった。
「う~~!」
壱弥がそれに返事した。等々力さんと樋口さんが、メロメロになっているのが後ろから見てもわかる。
車は発進し、あっという間に壱弥は寝てしまった。一臣さんは仕切りを閉め、私の太ももを撫でながら、私の頬にキスをした。
「お前、口紅塗ったのか」
「はい」
「なんだよ。キスしていないのに。まあ、いいか」
そう言うと、今度は唇にキスをしてきた。うわあ。それも、かなり濃厚な…。
「オフィスで口紅つけろよな?」
「う、はい」
腰砕けた。でも、かなり嬉しい。今日も朝から、落ち込んでいたし。あ、そういうのわかったのかな。
洗濯物を干すのを手伝わせたの、ちょっとショックだったし。もっと、早起きしないと駄目だな。
明日からは、5時に起きよう。きっと、他のお母さんも、そのくらいに起きて頑張っているんだよね。
その日は、午後から託児所新設チームのミーティングだった。
「今日は全員揃いましたね」
「この前は休んじゃってすみませんでした」
「いいんですよ~。所沢さん、お子さんが熱出しちゃったんですから」
「もう、大丈夫なんですか?」
「はい。まだ鼻水は垂らしていますけど」
そう言って、所沢さんは笑ったけど、顔は疲れた顔をしている。看病とか、大変だったんだろうなあ。
「あの、無理しないで下さいね」
なんとか、労いの言葉をと思いそう言うと、
「大丈夫です。主人が今日は早く帰れるって言うから、子どもを園から引き取りに行くのを頼んじゃいました。ついでに、ご飯も作るって」
と所沢さんは、あっさりとそう答えた。
「へえ。良かったね。じゃ、今日は楽できるね」
リーダーさんの言葉に、
「はい!まあ、カレーやシチューしか作れないから、期待はしていませんけど~」
とまた、朗らかに笑った。
「あはは。うちもよ。カレー、シチュー、ハヤシライス、そのぐらいしか作らないわよ」
「うちは、料理全然作れないから、お弁当とか、お寿司とか買ってくるわ」
「それもいいわよね。でも、どっかで外食もいいわよね、たまには」
「旦那の支払いでね?うち、土日のどっちかは必ず、家族で外食にしているの」
「息抜きは欲しいもんね~?」
「え、そうなんですか?皆さん、外食もされるんですね?」
私がそう聞くと、
「弥生様は、一臣様としないんですか?外でお食事…」
と逆に聞かれてしまった。
「あ、はい。最近は全然」
と答えつつ、屋敷で食べるのも外食みたいなものかしら?と考えていると、
「コックさんとか、いらっしゃるんですよね?美味しい料理を毎日お屋敷で食べているんですもの。外で食べなくてもいいですよねえ?」
と、リーダーさんににこやかに言われてしまった。
「え、あ、はい」
今は自炊しているんですとは言えず(お義母様から、寮で暮らしていることは口外するなと言われているので)、曖昧に頷いた。
「いいですよね~~。私も誰かが家事をしてくれたら、どんなにいいか」
「私、皆さんのこと、本当に尊敬します!」
いきなり私がそう言うと、みんなして目を丸くして私を見た。
「仕事も家事もしっかりとこなしていて」
「え?家事はそんなにしっかりとしていないですよ?」
「でも、お弁当つくりとか、毎日されていますよね?お料理も、掃除も」
「毎日じゃないですよ。お弁当も冷凍のおかず、つっこんでいるだけだし」
「掃除も、休みの日にしかできないし」
「料理も、お惣菜とか買っちゃったり」
「そうそう。毎日毎日作っていられないから。いかに楽できるか、いかに手を抜けるか、そんなことばっかり考えて過ごしているんです」
「え?そ、そうなんですか?」
「そうしないと、絶対に仕事を続けていられないですよ。家族の助けも必要ですし」
「うちは息子に洗濯物を取り込む、お風呂の掃除、お米を炊くっていう仕事をさせています」
「うちは娘に、自分の弁当くらい作れって作らせてる」
「へえ。お子さんもちゃんとお手伝いして、偉いですね」
「え~~。そのくらいはしてもらわないと」
そうか。そうなのか。そんなものなのか。
「皆さん、お一人で頑張っているんじゃなくて、家族の協力あって、お仕事ができているんですね」
「そりゃ、そうですよ。私だけが仕事に家事にって頑張っていたら、いつか倒れちゃいますもの。そうなって困るのは家族ですから、ちゃんと協力してもらわないと」
リーダーさんがそう言うと、みんなが頷いた。
ちょっと、肩の力が抜けた。私はその日、みんなと比べて落ち込む…ということもなく、会議を終えて、15階に戻った。
「ああ、弥生、今日は早くに終わったんだな」
「一臣さんも、早くに戻られたんですね」
「ああ。1件訪問する予定がなくなったからな」
オフィスで一臣さんは、膝の上に壱弥を乗せて遊んでいた。
「あれ?モアナさんは?」
「買い物に行った。1時間は戻らないから、弥生、いちゃつけるぞ」
一臣さんは、壱弥をベビーチェアに乗せ、今度は私を膝の上に乗せた。
「今日は、顔が落ち込んでいないな」
「わかるんですか?」
「そりゃ、お前、わかりやすいからな」
そうだったのか。
「実は、プロジェクトのメンバーさんたちに、いかに手を抜くか…というお話を聞いたんです」
「仕事のか?けしからんやつばかりだな!」
「家事です。仕事と両立させるためには、家事の手を抜く、家族に協力してもらうって、皆さんそうしているって言ってました」
「な?みんな、そんなもんだろ。弥生みたいにあれもこれも、一人でなんても抱えようとなんかしないんだよ」
一臣さんは私の後頭部に頬ずりしながらそう言った。
「そうなんですね…。でも、いろいろと話を聞いて納得しました。頑張って倒れちゃったら、誰より一番家族に迷惑をかけちゃう。だから、そうならないように家族に協力してもらっているんだって。本当にそうですよね」
「家族のために働いて、ぶったおれて家族に迷惑かけたら、本末転倒だ」
「ですよね」
「ああ、そうだ。せっかく寮で一般人と同じように暮らしているんだから、一般人を見習っていかに家事の手を抜くかっていうのも、実践したらどうだ?」
「いいんですか?」
「俺は別に、完璧に家事をこなせなんて言っていないからな。ちゃんと壱の世話と仕事は手を抜かずにやってほしいが」
「はい。それはもう、しっかりとやります」
「夕飯は、たまに屋敷で食べてもいいし、弁当も毎日作らないでもいい。弥生の手料理をたまに食べられたら、それだけで満足だ」
う、じ~~んと来ちゃう。
「一臣さんは絶対に、優しい旦那さんです」
「…そうか?弥生に甘いだけだろ?」
後ろを向いて、一臣さんにぎゅっと抱きついた。一臣さんも私を抱きしめ、そのあと背中をなぜかさすりだした。
「みんな、子どもたちにも手伝わせているって言ってました。私、壱弥には家事を教えたいです」
「そうだな。上条家式に安いアパートに一人暮らしはさせられないが、一人で暮らせるくらい、ちゃんと家事をさせよう」
「安アパートは駄目なんですか?」
「セキュリティがな。セキュリティがばっちりのマンションとかならいいぞ」
そうか。自分の身は自分で守るっていう、上条家の教訓は緒方家では通じないのか。
「そのへんは、弥生に任せる」
「わかりました」
壱弥はベビーラックで、自分の手や足をなめて遊んでいる。一人暮らしをするのなんて、まだ20年後くらい先だよね。それまでに、いろいろと家事もできるようになって、いろんな経験を家族でしたいな。
とりあえず、全部を自分で頑張らねばっていう固執した考えが消えて、随分と私は肩の力が抜けた。人に甘えられるところは甘える。手を抜いてもいいところは抜く。そうやって、子育ても仕事も家事もしていけばいい。プロジェクトチームのみんなの気持ちが、少し理解できたような気がする。




