第5話 落ち込む私
寮での生活を始めて1週間が過ぎた。土日になんとか部屋を掃除して、天気がよかったからシーツとか大物も洗濯できた。
一臣さんは、私が家事をしている間、壱弥を連れて屋敷内の散歩に出ていた。そして、2時間も帰ってこなかった。
「弥生、腹が減った」
日曜の昼、12時を過ぎた頃戻ってきて壱弥をプレイマットに寝転がせ、その横にどかっと座ると一臣さんが疲れた顔でそう言ってきた。
「はい、今から急いで支度します」
「そうか。今からか。じゃあ、やっぱり頼めばよかったかな」
「え?」
「屋敷で昼飯を食べないか、簡単なものだったらすぐに用意しますとコック長に言われたんだ」
え~~~~!私の作る料理より、コック長の料理が食べたかったの?
「今から作るんなら、コック長に頼むか」
「…い、いいえ。急いで作ります」
慌てて、材料を切り、支度をした。でも、慌てたから、
「あつ!」
と熱湯が手にかかってしまった。
「大丈夫か?すぐに冷やせ」
一臣さんが私の手を取り、水道の水を出して冷やしてくれた。
「慌てるな。無理しないでもいい。そのまま水で冷やしておけ」
そう言って一臣さんは、何やら携帯で誰かに連絡をし、
「ああ、弥生が火傷した。昼飯もコック長に食べに行くからと伝えてくれ」
と言っているのが聞こえた。
「私、作れます」
「いいから。今切っていた野菜は夜にでも使えばいい。火傷の手当ては喜多見さんがしてくれる。壱弥を連れて屋敷に行くぞ」
「…はい」
情けない。壱弥をまた抱っこして、一臣さんは私と寮の部屋を出た。
「散歩していたら、いろんなやつに捕まったんだ」
「え?」
「庭では根津さんとか。国分寺さんにも捕まって屋敷の中に連れて行かれ、ダイニングで喜多見さんやコック長、立川、日野、モアナ…。まあ、みんなして壱を抱っこしたかったってだけなんだが」
「そうだったんですか」
それで2時間も帰ってこなかったんだ。
「みんな、寮で俺らが暮らすようになって、壱に会えないのが寂しかったらしいぞ」
そうか。そうだよね。私、自分のことでいっぱいいっぱいで、みんながそんな思いをしているって気づけなかった。
お屋敷のダイニングに行くと、
「弥生様、なんだか、お久しぶりです」
と日野さんとトモちゃんが満面の笑顔で飛んできた。
喜多見さんや国分寺さんもやってきて、
「壱弥ぼっちゃまはお預かりしますよ」
とベビーチェアに乗せてくれた。そして、喜多見さんは私の火傷を手早く手当てしてくれた。
「弥生様、簡単に作れるものしかないんですが、和食にしましたよ」
コック長もそう言いながら、私たちのテーブルに来た。
「すみません、無理言ってしまって」
「いいえ!主人は最近、お二人のお料理を作れなくって寂しがっていたんですから、週末くらい食べに来てください」
コック長ではなく、喜多見さんがそう言うと、
「そういう喜多見さんこそ、お二人の面倒が見れなくて、最近まったくやる気を失せていたじゃないですか」
「そういう国分寺さんも、ぼ~~っとしてばかりいて」
そんなことを二人は言い合った。
「そうだよなあ。従業員たちの仕事をなくしちまったんだよな。申し訳ないな」
「いえいえ。そんなことはないんですが…。ちゃんと埃がたまったりしないよう、一臣お坊ちゃまの部屋の掃除はしていますし」
「わたくしも、奥様のお世話もあるので、仕事はあるんですが…」
国分寺さんはそう言うと、私のグラスに水を注ぎ、
「弥生様の笑顔や、壱弥お坊ちゃまを見れないと、どうも癒されないというか」
と呟き、壱弥の顔を覗きにいった。
「あ~~~!」
壱弥嬉しそう。壱弥もみんなに会いたかったのかなあ。
「週末は食べに来るか?弥生」
「え?」
「他のお母さんたちだって、週末は家族でファミレスとか行って、楽しているだろ」
「…そうなんですか?」
「そうですよ。みんな、毎日毎日、そこまで徹底して家事をしているわけじゃないですよ」
「わたくしたちなんて、自分で料理しませんし」
そう日野さんが言った。
「え?じゃあ、どうしているんですか?」
「常にまかないですから」
「あ、そうなんだ」
「ここの従業員は、お子さんが生まれたって、子供用のまかないも作るし、家族団らんっていうよりも、寮のみんなでゆっくりしていることも多いし、けっこう楽させていただいていますし、寂しい思いもないですね」
「従業員全員が家族みたいなものですからね」
喜多見さんがにこやかにそう言うと、国分寺さんもにっこりと頷き、
「弥生様もときには楽をして下さい。5日働いて、週末はお疲れでしょう」
「……ありがとうございます」
美味しいコック長のご飯を食べた。一臣さんは満足気だったし、壱弥も代わる代わるに来るメイドさんやコックさんにあやされて、ずっとご機嫌だった。
午後、3人で寮の部屋に戻った。
「うまかったな」
「はい。さすがコック長です」
「ん?なんか落ちてるな。どうした?」
「い、いいえ」
にこりと笑顔を作り、
「あ!そうだ。壱君のマット、そろそろ取り込もう」
とベランダに干していた壱弥のマットを取り込んだ。
それをベビーベッドに敷いて、そのあと隣にあるベッドにドスンと座り込み、
「はあ」
とため息をついた。
全然駄目だなあ。プロジェクトのみんなは、もっともっと頑張っているのに。
たとえば、休みの日だって朝早くから家事を済ませ、子どもを動物園に連れて行ったりとか、幼稚園の行事に参加したりとか。どうして、フル5日間働いて、そのあとの休みの日まで動き回れるんだろう。
子どもが小学生と中学生のお母さんなんて、休みの日には両方の習い事や塾の送迎までしているって聞いたし、中には休みの日はほとんど、学校の役員の仕事で家を空けているって人もいた。
でも、夕飯はちゃんと作っているし、子どもが運動部の人なんて、お弁当以外にも大きなおにぎりを持たせ、夜は夜で、すごい量のご飯を食べるから用意が大変なのって言っていた。
私なんて、壱弥はまだ離乳食も食べていないし、自分と一臣さんの分だけを作るのでも、火傷をしてしまう始末…。今まで、すべてをメイドさんたちに任せてきたから、鈍っているんだろうか。
一人暮らしをしていた時は、仕事に家のことにと、いろいろとしていた。大学生のときなんてバイトを掛け持ち、勉強もして、睡眠時間が数時間でも元気だった。なのに…。
「弥生?どうした?体の具合でも悪いのか?」
壱弥を抱っこした一臣さんが、寝室にやってきた。
「あ、いいえ!大丈夫です」
「じゃあ、悪いが壱を頼む。俺は仕事で残したことがあって、今、それを終わらせるから」
「はい」
一臣さんはテーブルに座ってパソコンを開いた。私は邪魔しないよう、和室に移動して、壱弥をプレイマットに寝かせた。
3人での生活をわくわく楽しみにしていたのにな。まだ、1週間しか経っていないのに、うまくいかないことばっかりで、落ち込んでばかりいる。
ああ!こんなの、私らしくない。
プレイマットにあるおもちゃで、壱弥は楽しそうに遊んでいる。最近、起きている時間が長くなった。
「あ~~~う!」
それにおしゃべりもよくするし、足をばたつかせ、よく動く。
「一臣さんにコーヒーでも入れようか」
そう言って、コーヒーを入れにキッチンに行った。その時、トントンとドアをノックする音がして、
「弥生様」
と亜美ちゃんの声が聞こえた。
「はい?」
ドアを開けると、
「おやつ、もって来ました。コック長が焼いたスコーン」
と、バスケットを手に顔を出した。
「スコーン?わあ、嬉しい。今、一臣さん仕事をしていて、ちょうどコーヒーを入れようと思ったんです。あ、じゃあ、紅茶のほうが合うかな」
「お仕事されているんですか?じゃあ、弥生様、寂しいんじゃ」
「壱君がいるから全然」
「あ、そうか」
あ~~う~~と、おもちゃで遊んでいる壱弥の声が部屋に響き、亜美ちゃんがその声を聞いて、
「確かに、寂しくないですね」
と笑った。
そして、失礼しますとお屋敷に戻っていった。
紅茶を淹れて、
「一臣さん、お仕事お疲れ様です。一休みして、スコーンをどうですか?亜美ちゃんが持ってきてくれたんです」
と洋間のドアをノックしながら聞いた。
「ああ、聞こえてた。今、そっちに行く」
一臣さんの声がして、しばらくするとダイニングに来た。
「あ~~!ぱ~~~!」
一臣さんが洋室から現れた途端、壱弥が騒ぎ出した。
「はいはい。壱もこっちに混ざりたいんだな」
一臣さんは壱弥を抱っこして、ベビーチェアに座らせた。壱弥にはベビー用のお茶を用意し、一臣さんと私は紅茶を飲んだ。スコーンを食べると、
「うまいな」
と一臣さんは口元を緩ませた。
「はい、美味しいです」
「壱弥がこういうおやつを食えるのは、何歳からなんだ?」
「2歳とか?もっと早くからでも、食べれるかなあ」
「早く、このテーブルについて、一緒に飯も食えたらいいな」
「はい!」
「ん?元気になったか?」
「え?」
「最近、お前、変だからさ。落ち込みやすいだろ?」
「ご、ごめんなさい」
「いや。何か悩んでいるなら言え。一人で抱えていると、お前、火傷したりするしな」
「心配かけてごめんなさい」
「……。なあ?今日も感じたろ?屋敷のみんな、俺やお前、壱に会えなくて寂しいんだ。世話だって、喜多見さんも国分寺さんもしたいんだよ」
「はい」
「今迄みたいに全部をしてもらわないにしても、たまには甘えていいんじゃないのか?」
「そうですよね。でも…」
「でも?」
「でも、やっぱり頑張りたいんです」
「意地っ張りだな、弥生は」
一臣さんはふうっとため息をつくと、
「まあ、気が済むまでしてもいいが、怪我はするな。壱のことも、ちゃんと見ろよな?」
と念を押すようにそう言った。
「え?」
「何かを思いつめて、壱を放って置いたりするなよな?」
「し、しません。そんなことは」
「……。そろそろ、壱は寝返りも打ったりハイハイしたりと、動き出すぞ。危なくなるんだから、ちゃんと見ていないとな。そうだ。早くにいろいろと安全グッズを取り付けるか」
一臣さんの提案で、テーブルの角にはガードを、玄関からキッチンに向かう途中にも柵を、戸棚も簡単に開かないよう、ロックをした。
「まだ、1週間だ。これから、何ヶ月かここで生活するんだろ?」
「はい」
「ちょっとは手を抜くことを覚えろよな?」
「……はい」
手を抜く。それって、今まであんまりしていなかったからなあ。
いつでも、全力投球してやってきた。それで、なんとか出来てきた。まあ、化粧とかはずれていたみたいだけど、家事や仕事、いろいろとこなしてきた。だからこそ、出来ない自分が嫌になる。
一臣さんにだって、たっくさん迷惑かけてる。申し訳ない。
ああ、やばいなあ。最近、落ち込んでばかりいるかもしれない。




