第4話 一臣さんの溺愛ぶり
オフィスに着くと、細川女史がちょっと私を見てびっくりしていた。
「おはようございます、弥生様」
「お、おはようございます」
私はそそくさと一臣さんのあとに続いて、一臣さんの部屋に姿を隠した。
きっと髪がぼさぼさでびっくりしたんだ。
すぐに鏡を見に行き、髪をなんとかお湯でぬらしてドライヤーをかけた。ここには、ドライヤーもあるから助かる。
その時、トントンとドアをノックして、日野さんが入ってきた。今日のベビーシッターは日野さんだ。
「おはようございます。一臣様、壱弥様。あれ?弥生様は」
「髪を直している」
「髪?」
「おはようございます!日野さん。朝、寝癖が直らなかったんです」
そう言いながら慌てて、隣の部屋に移動した。一臣さんはソファに座り、膝の上に壱弥を乗せて遊んでいた。
「今日は日野がベビーシッターか」
「はい。遅くなり申し訳ありませんでした」
「ああ、別に大丈夫だ」
「日野さんは電車で来られているんですか?」
「タクシーだろ?」
「いいえ。電車で」
「え?!まじか?タクシーでいいんだぞ」
「そんな、もったいない!」
「じゃあ、一緒の車で来ましょうよ」
私がそう提案すると、一臣さんは眉間にしわを寄せたが、でも、反対しなかった。
「い、いえ、そんな滅相もない」
その眉間のしわを見たのか、日野さんは恐れおののいたが、
「まあ、いい。明日からは一緒に乗れ」
と不機嫌そうに一臣さんは日野さんに言った。
「も、申し訳ありません」
ああ、日野さん、そんなに恐縮しないで。どうせ、一臣さんはエッチなことができなくなるのを残念がっているだけだから。
「俺は10時から役員会議だ。弥生は託児所プロジェクトでの集まりだろ」
「はい。午前中いっぱいかかります」
「わかった。昼はここで弥生の弁当食うからな」
「はい!」
「まあ、弥生様の愛妻弁当なんですね」
日野さんが声を弾ませた。
「そうだ。日野は外で食ってきてくれ。なるべくゆっくりな」
「かしこまりました」
ああ、なんだってそういうことを、一臣さんは平気で言っちゃうかな。
託児所プロジェクトの会議に行くと、一人欠席をしていた。お子さんが熱があって休まれているらしい。
「大変ですよね、お子さんの発熱」
「どうしたって、そんな日は休まないとならないし。所沢さんのお子さん、まだ5歳だし、ご実家も遠いらしくておばあちゃんを呼ぶこともできないし、大変なんですよね」
「旦那さんのお母さんは、一切子育てに協力してくれないんですって。わりと近くに住んでいるのに」
「そういうお姑さんもいるわよねえ」
そうなんだ。大変なんだなあ。
「ここら辺で、すぐに診察してくれる小児科ありますか。託児所で熱があるとかわかったときに、家まで連れ帰ってから病院に行くのも大変ですよね」
そう私が聞くと、すでにリサーチ済みだったらしい。ただ、小児科は二駅先の大学病院に行かないとないらしく、
「とりあえず、このビルにある救護室で診てもらうか、隣のビルにある内科に連れて行くかですよね」
とリーダーが答えた。
「それにしても」
私は皆さん本当にえらいですよねと、感心していると、
「え?何がですか?」
と驚かれた。
「家事と育児と仕事としているんですから、本当にえらいなあって思います」
「まあ、確かに。でも、結婚や子どもを生むこと、仕事をすることを選んだのは自分だから、ちゃんとしないと」
「私も夫の給料だけじゃやっていけないっていうのもあるけど、仕事好きなんですよ。家に引きこもっているタイプじゃないし、だから、自分のためでもあるんです」
「素晴らしいです。そう言い切れるところが」
「弥生様もですよね?正直申し上げて、仕事をしないでも大丈夫じゃないですか。でも、続けているのはお仕事が好きなんですよね」
「そうですね。家事全般も好きなんですけど、ずっと家にいるのは無理かもしれないし、一臣さんの補佐、したいんですよね」
「弥生様って、本当に一臣様が大好きなんですね。でも、あんなに素敵な人が旦那さんだったら、私もそうかな」
「え~~。大変でしょう。時期社長ですよ。それに、あのルックス、モテるでしょうし」
「ちょっと怖そうですし」
今日はいつもより、雑談が多いかな。たま~に、私と一臣さんのことに触れてくるけど、ここまで話したことはないなあ。
「怖くないです。優しいって言うか、どっしりとしているって言うか」
「そういえば、弥生様のことは本当に大事になさっているみたいですもんね」
「羨ましいですよ~~。あんなに素敵な方に大事にされてて!」
「う…、そ、そうですか」
きゃ~~。顔が火照る!
このプロジェクトの人たちは、託児所プロジェクトを立ち上げると知り、立候補してきた人がほとんど。とても仕事のできるしっかりとした自立をしている女性ばかりだけど、内面は優しい。それに、女性特有の考え方がなく、みんなさっぱりとしていて、男らしい面もいっぱい持ち合わせている。だから、すごくやりやすい。
ただ、みんな優秀で、頑張り屋さんで、きっと苦労もしているだろうにそんなことを見せない人たちで、頭が下がる思いでいっぱいになる。私なんかまだまだ未熟で、本当に皆さんの発言を聞いていると、自分の不甲斐なさに落ち込むばかりだ。
男社会で働いていく女性たちって、大変だ。でも、しっかりとしていて、男の人より男らしかったりする。だけど、優しかったり、柔軟だったり、そういう部分も兼ね備えている。
カランのメンバーの女性も素晴らしいけど、ここの人たちはまた違った優秀さがある。母親としての強さかなあ。子どもを守りながら、仕事をしているっていう覚悟かなあ。
お昼、一臣さんのオフィスに戻ると、すでに一臣さんが壱弥をあやしていた。
「もう日野さん、お昼に出たんですか?」
「ああ。弥生、弁当用意してくれ」
「はい」
お弁当を出し、お茶を入れていると、
「あ、その前におっぱいだな。壱がぐずりだした」
と一臣さんが私をソファに呼んだ。
「一臣さんはお弁当食べていいですよ」
「いい。待ってる」
そう言って一臣さんは、何やら仕事の資料を読み出した。
でも、数秒で読むのをやめ、
「元気ないな。お前は託児所のプロジェクトに行くとへこんで帰ってくるな」
と言われてしまった。
「う、なんでわかるんですか?」
「そりゃ、口数は少ないし、壱弥にいつもあれこれ話しかけるのに、まったくなんにも話さないし」
「あ、ごめんね、壱君。黙っておっぱいあげていたら、不安だよね」
「大丈夫だろ。無心におっぱい飲んでいるし」
「……」
「なんだよ。また落ち込むことがあったのか」
「いいえ。未熟な女だって思い知っただけです」
「は?」
「勝手にそう思っちゃってるだけです。すみません。みんなとつい、いつも比較しちゃって」
「お前らしくないな」
「ですよね。でも、私ってもしかすると、けっこう僻みやすいのかも」
「くだらない」
え?
「みんなと比べること自体、馬鹿げている。だってそうだろうが。あいつらが、弥生の代わりができるか?副社長夫人としてやっていけると思うか?この俺の妻としてやっていけると思うのか?絶対に無理だ」
「そ、そうでしょうか」
「無理に決まっている。お前でないと務まらない。お前は未熟だの、駄目だだの思わなくてもいい。十分すごい女だ」
「すごい、女?」
キョトンとして一臣さんを見ると、一臣さんはにやっと笑った。
「俺に惚れられる女だぞ。俺が妻として認めた女だ。あの親父もおふくろも、認めた女だ。もっと自信を持って堂々としていろよ」
「………」
「泣くな。まったく。最近、お前、涙腺おかしいな」
「一臣さんが優しいからです。いっつも、優しくって、嬉しいことを言ってくれるから」
「そりゃ、溺愛しているからなあ」
うわ。また、そんなこと言ってくれるし。
「大丈夫だ。お前も頑張ってるよ。子育ても仕事も頑張っているし、これからは家事も頑張るんだろ?」
「はい」
頭を撫でられ、私は鼻をすすりながら頷いた。
「壱、オムツ換えてやる。お茶を入れなおしてくれ。な?」
「はい」
一臣さんは壱弥に声をかけながら、オムツを替えた。
それから、壱弥はご機嫌にベビーラックのおもちゃで遊びだし、私たちは私の作ったお弁当を食べだした。
「最近思う」
「え?」
「よく俺らは壱弥のオムツを換えた臭い部屋で、飯を食えるよな」
「確かに。でも、あんまり気にならないですよね」
「う~~ん。親って言うのはすごくないか?つくづく、自分でもすごいと思うぞ」
「そうですね!一臣さん、子煩悩ですし!」
「ふん。まあ、みんな親ってそうなんだろ。じゃなきゃ、子育てなんてできない」
「そうですよね。そうやって、育ててもらったんですよね」
「まあな。それ考えると、自分の子でもないのに、日野もモアナもちゃんと壱の臭いオムツ交換もしてくれて、ありがたいよな」
「はい。まったくそのとおりです!」
「う~~ん。ベビーシッターには、それなりに給与を別に出すか」
そんなふうに考えてくれるのも嬉しい。
最近の一臣さん、なんだか考え方が前と変わった気がする。壱弥が生まれてからだよね。
「弁当うまいぞ。弥生、頑張っていたもんな」
キュキュン!何それ。なんだってそう、私が喜ぶようなことばっかり言うのかなあ。
「なんだ?なんでそこで、涙目になるんだよ」
「う、嬉しいからです」
「まったく、ほんと、お前は可愛いよな」
そう言うと、私の頭にずりずりと頬ずりをする。
「なんか」
「ん?」
「幸せです」
「そうか。俺もだけどな」
頑張ろう。だって、一臣さんがいてくれる。やっぱり、私、なんでも頑張れちゃうよ。
そう思いつつ、一人で気合をひそかに入れていると、
「なんだ、そのガッツポーズは」
と一臣さんにばれてしまい、笑われた。
「が、頑張るんですっ」
鼻を膨らませると、さらに笑われた。弥生が元気になってよかったとも言われた。そして、
「へんてこりんのパワー出たか?」
と懐かしいことも言われた。
「はい!」
そうかそうかと、今度は頭を撫でられた。私って、本当に一臣さんに溺愛されているかも…。と最近つくづく思う。




