第3話 あわてんぼうで危なっかしい
新生活二日目。月曜日、お仕事です。
一臣さんより早くにアラームで起きた。一臣さんを起こさないよう、そっとベッドから抜け出し、壱弥も寝ていることを確認して、キッチンへ。
「朝ごはんとお弁当!」
さっそく卵焼きを作る。それから、昨日作ったきんぴら、ほうれん草の胡麻和え、あとインゲンを豚の薄切りで巻いて、あとはこれを…。
「ふえ、ふえ~~ん」
やばい。壱弥が起きた!一旦、お弁当作りは中止。
慌てて、壱弥をベビーベッドから抱っこして和室に移動。おっぱいをあげる。
「ん?なんか、ぐつぐつ言ってない?」
キッチンのほうを向くと、ああ!味噌汁に火をかけっぱなし!
「壱君、ちょっと待って」
壱弥をおっぱいから離して、慌てて火を止めに行った。
「ふえ!ふえ!ふえ~~~ん」
「待って、すぐに行くから」
途中でやめさせたから、壱弥が泣き出しちゃった。
「どうした?壱」
あ!一臣さんが起きてきちゃった。
「ごめんなさい。お腹すかしてるの」
壱弥をすぐに膝の上に乗せて、おっぱいをあげた。
「あ~~~~。今、何時だ?なんだ、まだ6時」
大きな欠伸と伸びを一臣さんはすると、
「弁当作っていたのか?」
とキッチンを覗いた。
「はい。まだ途中なんです。朝ごはんも作ります」
「俺の朝ごはんはいらないぞ。コーヒーは自分で入れる」
「え?あ、そうだった」
朝ごはん、いつも食べていないじゃない!
ガチャガチャとコーヒーカップを出し、一臣さんはコーヒーメーカーでコーヒーを入れた。
「すみません。一臣さんにさせちゃって」
「ん?別にいいぞ。弥生のほうが朝は忙しいだろ。弁当も無理しなくていい。今までだって、どっかで食うか、弁当買っていたんだから」
「いいえ!私の夢だったんです!絶対に作ります」
「……ま、まあ、頑張れ」
一臣さん、ちょっと引いてた。
それから一臣さんは、新聞受けの新聞を取りに行った。
「あれ?新聞…」
「ああ。これからは寮の新聞受けに入れておくよう国分寺に頼んでた」
そうなんだ。こんな朝早くから、国分寺さん、届けてくれたんだ。
ダイニングの椅子に座ると、一臣さんは新聞を広げた。オムツも換えてご機嫌になった壱弥を、ベビーラックに座らせると、
「壱、おはよう」
と一臣さんが壱弥の頬をつっついた。
「た~~!」
「ご機嫌だな」
そんなまどろむ二人をちらっと見てから、私はまた急いでお弁当作りに励んだ。自分の朝ごはんも作り終え、ダイニングテーブルにつくと、
「弥生、髪、ぼさぼさだぞ」
と言われてしまった。
「まだ、顔も洗っていないんです。でも、一臣さんもですよね」
「ふわ~~~~。そうだな」
また大欠伸だ。申し訳ない。いつもより1時間も早くに起こしちゃった。
「ん~~~。髭そってくるか」
コーヒーを飲み終え、新聞を畳んでテーブルに置くと、一臣さんは洗面所に行った。そして、
「ああ、狭くって使いづらい」
とか言いながら、髭をそっている。
う。そうだよね。お屋敷のパウダールーム広いもん。でも、お屋敷の部屋だと髭をそっている姿見えないけど、ここだと丸見え。それもそれで、嬉しいかも。あんなふうに、髭をそるんだ。
洗面所のドア全開で髭をそると、一臣さんは歯も磨いたり、顔も洗ったり、髪をとかし出した。その様子をぼ~~っと見ていると、
「見惚れていないで早く食え」
と言われてしまった。
「はい!」
朝ごはんを終えてから、食器を洗いふと思い出した。
「ああ、洗濯物~~!」
慌てて洗濯機に洗濯物を放り込み、洗濯機を動かす。そのあと、一臣さんが洗面所から移動したので、私が顔を洗ったり、歯を磨く番。
「壱は着替えないでいいのか?」
「ああ~~~、そうだった!」
「いい、いい。お前は自分のことをしろ。俺が着替えさせるから」
「ごめんなさい」
慌てて、顔を洗い歯を磨き、和室に行くと、一臣さんは足をジタバタしている壱弥に手を焼きながら着替えさせていた。
「最近、オムツ換えも苦労するけど、着替えも大変だよな。ったく」
壱弥の着替えが済むと、一臣さんは自分の服をクローゼットから取りだした。私も化粧をしたり、着替えをした。
「あれ?まだ、こんな時間か。もっとゆっくりできたな」
一臣さんはそう言うと、またダイニングにつき、新聞を広げた。その間、私は洗濯物をベランダに干しだした。
洗濯物を干し終えてから、壱弥の着替えだのを鞄に入れ、
「よ、用意できました」
と一臣さんに告げた。
「……ん?髪、ぼさぼさだぞ」
「あ!忘れてた!」
抱っこした壱弥を一臣さんの腕に渡し、慌てて洗面所へ。ああ!寝癖が直んないよ~~~!
「いい、オフィスで直せ。もう出る」
「すみません」
慌てて玄関で下駄箱を空け、
「ああ!靴がない!」
と、すっかり一臣さんと私の仕事用の靴がないことに気がついた。
「国分寺、靴を部屋から用意して車に乗せておいてくれないか。俺のと弥生のも。ああ、弥生はそうだな。今日の服からして黒のパンプスだな」
一臣さんは冷静に、慌ててスリッパのまま玄関を出ようとしていた私の腕をつかみ、そう電話で国分寺さんに指示をした。
「お前、今、靴を取りに行こうかとしたのか。スリッパで」
「はい」
「昨日、履いていた靴あるだろ。運動靴」
「スニーカーです」
「今はそれを履け。俺も、この靴で行くから。車の中で履き替えればいい」
「う、はい」
「まったく」
あ、ため息ついた。呆れたんだ!
情けない。初日からこれ?こんなで大丈夫なの?私。
壱弥の着替えを入れた鞄と、自分の鞄を持って寮を出た。一応カギもかけた。一臣さんは壱弥を片手で抱っこして、
「悪い、俺の鞄持ってくれるか」
と私に手渡した。
階段は危ないもんね。ちゃんと両手で壱弥を抱っこして階段を降り、そのまま寮からぐるりとお屋敷を回ろうとすると、
「お車こちらです」
と国分寺さんが私たちを呼ぶ声がした。
車は駐車場近くに停まっていた。そうか。わざわざお屋敷の前まで行くより、こっちのほうが寮から近いもんね。
「お鞄お持ちします」
国分寺さんが私の持っていた鞄を持ってくれた。それらを渡すと、
「あれ?弥生、弁当はどうした?」
と一臣さんが私が持っていた鞄を見て聞いてきた。
「え?」
「それ、壱の着替えが入っているだけだろ」
「そうだ!まだ、キッチンにある~~!取ってきます!」
「走ると危ないぞ」
という一臣さんの声を後ろに、私は慌てて引き返した。
ああ、せっかく作ったお弁当が!もう!何やってるんだろう。
お弁当を持って息を切らしながら、車に乗り込んだ。
「おはようございます、弥生様」
樋口さんと等々力さんが、優しく挨拶をしてくれたが、私はまだ息が上がっている。
「お、おはようございましゅ」
「大丈夫ですか?発進しても」
「はい」
「その前に靴を履き替えろ」
「そうだった!」
一臣さんはすでに履き替えてる。そして、涼しい顔をして私を見ている。
慌てて靴を履き替えた。
「お前、口紅も塗っていないだろ」
「そういえば!」
「まあ、いい」
一臣さんは出してくれと等々力さんに言うと、車の中の仕切りをあげた。そして、
「まあ、そのほうが都合いいけどな」
と私にキスをしてきた。
それからなぜか優しく髪を撫でると、
「頑張り過ぎなくてもいいんだぞ。無理はするな。な?」
と優しい声をかけてくれた。
うわ。いきなり優しくて涙でそう。
「う、はい。でも…」
「ん?」
「他のお母さんたちは、しているんですよね、毎日。そのうえ、車じゃなくって、電車で子ども抱っこしたりおんぶしたりして、保育園に預けてから会社に行く。そういうこと考えたら、私、まだまだだなって」
「お前、いつも車で靴を履き替えろ」
「は?」
何を突然。
「いや、オフィスででもいい。今日みたいに突然走り出すときは、パンプスは危ないだろ」
「あ、そうですよね」
「うん。お前、けっこうあわてんぼうだから、危なっかしいからな」
「そんなこと言われたの、初めてです」
「え?あわてんぼうか?」
「危なっかしいのほうです。私、こう見えて、しっかりしているので」
「ははははは」
なんで大笑い?そんなにそそっかしく見える?危なっかしい?
「俺から見たら危なっかしくて、可愛いぞ?」
そう言うと、一臣さんは私にまたキスをした。
呆れているわけじゃないのね。ほっとしつつ、なんだかとっても照れくさかった。そして、どんな時にも慌てず、堂々としている一臣さんはすごいなあと、感心した。




