第13話 幸せになりますように
沈黙のこの間が持たない。工場長はなんだかにやにやしているし、一臣さんは難しい顔をしたままだ。
「悪いが弥生が妻になることは、私が幼少の頃から決めていたので、いくらどこに出しても恥ずかしくないお嬢様でも無理ですね」
へ?
「え?そんなに幼い頃から、結婚が決まっていたんですか」
「はい。8歳の頃から、決めていましたよ。自分で」
「…え?ご自身で?」
きゃ~~!何言ってるの?
「か、一臣さん、そんな話ばらさないでも」
顔の火照りを手で仰ぎながらそう言うと、一臣さんはしれっとした顔で、
「そうだな」
と手元にある書類に目をやった。もう、恥ずかしいことをべらべら話そうとするんだから。
「工場内を見学してもいいか?」
書類を見終えてから一臣さんは席を立った。
「はい。ぜひ、ご覧になってください」
工場長自らが、案内をするようだ。
「弥生はここにいていいぞ」
「あ、はい」
毎度のことだ。私が見てもちんぷんかんぷんだしなあ。
一人で工場長室にいると、トントンとドアをノックして春美さんが入ってきた。
「よろしければ、紅茶とクッキーなんですけど食べませんか?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
わあい。嬉しい。と喜んでクッキーをつまむと、春美さんは私の前に座り、
「少しお話してもよろしいですか?」
と首をかしげて聞いてきた。
「はい、もちろんです」
「弥生様って上条グループのお嬢様ですよね」
「はい」
「ご結婚されて、跡取りのご子息もお生まれになって」
「はい」
「今は一臣様のお仕事を手伝ってらっしゃるんですか?」
「はい」
「羨ましいです。私は一人娘で、工場を継ぐこともできず、事務仕事くらいしかできないから父の役にも立てなくて」
「そんなことないですよ。事務仕事だって、お役に立っています」
「全然です!売り上げに貢献だってできないし。せめて工場長のあとを継げるような優秀な人と結婚でもできればよかったんだけど」
「……」
「誰か、いませんか?投資してくれるようなお金持ちだったら、もう誰でもいい」
「は?」
「女を武器にしてもいいんです。この工場を潰すくらいなら」
「だめですよ、そんなことしたら」
びっくりした。自分の体張ってそこまでするなんて。
「でも、弥生様だってそうでしょう?政略結婚でしょう?会社のためですよね。一臣様のいい噂は聞いたことがありません。女癖悪くて、ずっと自分の婚約者を嫌がって、他の女性と遊んでいたって」
うわ。町外れの工場にもそんな噂が…。
「そんな人と結婚して、私、前は正直お可哀そうにって想っていたんです。でも、工場がいざ閉鎖になるかもってなったら、私も政略結婚でもなんでもして、この工場を立て直したいってそう思って」
「そんなのお父様だって反対しますよ」
「父がですか?そうかもしれないですけど、母と離婚して男手一つで私を育ててくれて、この工場も必死に守って、そんな父に恩返しがしたいし」
「…離婚されていたんですね」
「父は、仕事一筋で、母が嫌になって出ていっちゃったんです。父は、工場で働く人たちのことをいつも考えてて、家族はないがしろにしていたから」
「…そうなんですね」
「母が出て行ってからは、私のことは大事にするようになりましたけど」
そうか。仕事ばかりで家族をかえりみない…。そういう親子関係もあるんだな。
「父はいつも明るく振舞っていますけど、みんなのためにまだ何か手はあるんじゃないかって必死なんです。そんな父を見ていると、私も何かしなくちゃって」
「大丈夫です。なんとか閉鎖にならないよう、一臣さんが手を尽くします。私も役に立てることがあればします。だから、女の武器を使うだの、政略結婚するだの、そんな考えは捨ててください」
「弥生様は?政略結婚でも幸せですか?」
「わ、私は、その…。一臣さんをひと目見た時から、一臣さんに恋しちゃっていたから、想い人と結婚できたって言うか、政略結婚をしたっていう気がまったくないって言うか」
「そうなんですか!あの女癖悪い方でもいいんですか?」
うわ。そこ、突っ込まれた。
「女癖悪かったんですけど、今はそんなことないですし」
「……。愛している方と結婚できたんですね」
うわ!そんなこと言われると顔がやばい。真っ赤かも。
ガチャリ。
「弥生、そろそろ行くぞ」
「うわ、はい!」
「どうした?なんで赤くなってる?」
「なんでもないです」
「一臣様と弥生様が仲いいってお話をしていたんです」
「きゃ、春美さん、ばらさないでください!」
「なんだ。そんなことか。仲がいいって話だけで赤くなっていたのか」
「う、はい」
あと、愛してるとか言われた。
「可愛らしい方ですよね、弥生様は」
「だろ?」
うきゃ~!だろって今、どや顔した。
「これからも弥生様を大事にされてくださいね」
「……ふん。これ以上大事にしたら大変だ」
「は?」
「一臣さん、それ以上は言わないで」
一臣さんの口を手でふさぐと、春美さんに笑われてしまった。
工場を出て車に乗り込み、
「春美さん、政略結婚でもいいから工場を助けるためになら、結婚するって言ってたんです」
と一臣さんに春美さんの話をした。
「ふうん」
「でも、もっと自分を大事にして欲しいですよね」
「そうだな。だが、家のために結婚するってお嬢様も世の中多いんじゃないのか」
「私、一臣さん以外の人だったら、絶対に嫌です」
「……。そうだな。俺も、弥生以外だったらまだ女遊び続けてるだろうなあ」
「え?」
「親父みたいに屋敷にも帰らないかもな」
そう言うと一臣さんは、私の腰を抱き、
「弥生でよかった」
と私にキスをした。
「私もです」
一臣さんに抱きついた。
「今の工場は閉鎖ギリギリだ。工場長は閉鎖する気なんてまったくないようだったし、なんとか閉鎖しないようにしないとな」
「はい」
3件目。東京から離れ、千葉へと車を進めた。次の工場は敷地だけは広いがすでに閉鎖され、寂れていて、寂しさを超えて怖さすら感じる静けさだった。
「広いな。工場もでかいし、このまま放っておくのはもったいない」
「そうですね」
事務所に行くと、工場長とその奥様らしき人がいた。
「これはこれは、わざわざ副社長自らおいでいただき、ありがとうございます」
工場長、嫌味っぽい言い方だ。
「閉鎖に追い込まれた工場の視察ですか」
「…閉鎖まで追い込んでしまったことは申し訳ないと思っています」
一臣さんが頭を下げた。
「頭を上げてください」
驚いてそう言ったのは奥様のほうだった。でも、工場長は、
「今さら謝られても、どうにもなんないんだよ」
と怒鳴りだした。
工場で働いていた人の中には、まだ職につけない人もいるし、工場長の息子さんは大学を中退して働き出したらしい。
「なんとか、あいつに大学だけは卒業して欲しかった」
悔しそうに工場長が言った。
「あんたにも子どもができたんだろ。だったら、親の気持ちわかるよな」
「わかります」
一臣さんは即答した。工場長はまだ次に働く場所を探していなかった。閉鎖がショックで、働く気もうせたと言っている。
「この工場は売却するか、このまま使うかはこれから検討します。工場長には今後、緒方商事の子会社で働いてもらいます」
「そんな施しはいらねえ!」
「あなた!そんなこと言っていつまで家でぼうっとしているつもり?」
「息子さんのためにも働いたほうがいいです。大学は、これからだって行けますし、お父さんが働く気をなくしたら息子さんだって、同じように前を向けなくなっちゃいます」
「あんたみたいのに何がわかるんだ。苦労知らずのお嬢さんだろ」
「そうです。わからないです。でも、子どもを思う気持ちは一緒です」
そんな話をしても、結局工場長はそっぽを向いたまま。一臣さんの提案にも耳を傾けず、
「また、詳しいことは担当者をよこして説明します」
と樋口さんが申し出て、工場をあとにした。
「はあ…」
車に乗ると一臣さんが珍しく暗いため気をついた。
「どうしましたか、一臣様」
樋口さんも気にしてる。
「俺には未来の選択肢なんかなかった。それに対して、他のやつらが自由で羨ましかったが、そんなこともないんだなと痛感した」
「と言いますと?」
「大学、留学、なんでも親父がぽんと金を出して、俺はなんにも金のことなんか考えないで過ごしてきた。仕事があること、家があること、未来があること、そういったことが当たり前にあって、未来が閉ざされてしまったり、仕事がいきなりなくなったり、そんな不安も感じたことが無かった」
「確かにそうですね」
樋口さんの声、冷静だ。私は何も一臣さんに言ってあげる言葉が見つからない。
「俺は贅沢だよな」
「そうですか。でも、本気で未来を手に入れたい。自分のしたいことをしたいと思えば、今の方の息子さんだってできるでしょう。工場長にしたって、次の職を真剣に考えればいいんです」
「そんなに甘くないだろ、この社会は」
「確かにそうかもしれないですが、工場が潰れたのも、息子さんが大学を中退したのも、すべてが親会社の責任だって恨むのもどうかと思いますよ」
「……それを言ったら、俺も緒方財閥に生まれてきたことを恨んでいたけどな。親も回りも、何もかも」
「……」
「こんな家に生まれなかったらよかったなんて、そんなことを思ったって、恨んだって、どうしようもないことなのにな」
「一臣さん、壱君にはそんなふうに思って欲しくないです」
「そうだな。弥生は周りのせいにして落ち込んだり、恨んだりしていないだろ?」
「恨む要素が無いです。私は幸せ者だって思うことはあっても、後悔することも落ち込むこともないですし」
「……。上条家の人間はみんなそうなんだろうなあ。本当なら贅沢できただろうに、家から追い出され、安月給で貧乏暮らしをして。そういうのも親を恨まず、ちゃんと受け入れているんだからえらいと思うぞ」
「……。貧乏暮らし楽しかったですよ。兄たちもそう思ってるはずです」
「その辺、やっぱりすげえと思う」
一臣さんにそう言われたけど、自分たちがえらいと思ったことはないなあ。確かに大変だったけど、いろんな経験もできたし、楽しかったのは事実。
たまに兄たちに会うと、みんな生き生きしていた。生活を工夫する方法や、どこでバイトするとおいしいご飯にありつけるかとか、どこのスーパーだったら、安く食品を調達できるかとか、そんなことも兄が教えてくれたり、年一回お正月に帰ってみんなで集まった日も、楽しかったなあ。
「だから、壱弥には弥生の、バイタリティとか、なんでもポジティブに受け入れられるところとか、似るといいよな」
「ですよね」
「弥生は弥生らしく、思ったように子育てしていいぞ」
「…はい」
「で、今日1日どうだった?壱がいなくて寂しかったか」
「あ、そういえば全然。仕事のこと考えていたら、寂しさはなかったです」
「うん。それでいいんじゃないのか。屋敷に戻ったら思い切り壱を可愛がればいい」
「はい!」
もう5時を過ぎていたので、そのままお屋敷に戻ることにした。途中、一臣さんが静かになったと思ったら、私にもたれかかり、すやすやと寝てしまった。私も目を閉じた。
今日会った人たちが、みんな幸せになれますように。そのお手伝いはしたいけど、だけど、自分の幸せって誰かにもらうものじゃないんだろうなあ。なんて、そんなことも思ったりした。
だから、みんなを幸せにするんじゃなくて、みんなが自分から幸せになるためのお手伝いがしたい。
どうか、前を向いてみんなが進んで行けますように。
一臣さんのすーすーという寝息を聞きながら、私もいつの間にか眠っていた。




