第12話 壱弥を残して
翌日、壱弥を残し、一臣さんの車に乗り込んだ。壱弥はモアナさんが抱っこしているが、私と一臣さんだけが車に乗り込んでもにこにこしている。
「じゃあね、壱君。いい子にしているんだよ」
「あ~~」
「壱君…」
うるるっとしていると、
「車出してくれ」
と一臣さんは冷静にそう言って、車は発進した。
「まったく。たった1日会えないだけでしょぼくれてどうする」
「う、そうなんですけど」
「お前は俺がいなくてもダメになるが、壱でもダメになるのか」
「…そうみたいです」
「仕事の時は、ちゃんと仕事に集中しろ。そのへん、きっちりと切り替えろよ」
うわ。言われた。そういうこと、今まで一臣さん言わなかったのに、なんでいきなり。
やばい。今、久々に頭上に岩が…。
落ち込みかけていると、一臣さんが私の頭を撫でてきた。あれ?呆れてたんじゃないの?
「弥生、もっとメイドたちを信じろ。何かあれば、すぐに連絡も入る」
「え?あ、はい」
「働いている世の中のお母さんたちだって、仕事は仕事と割り切ってるだろ」
「そうですけど。でも、母親だから子どもの成長とか見ていたいって思うだろうし、ちょっと具合が悪ければ心配もすると思うんです。だから、様子がわかりやすければ、もっと安心して仕事できるかなって」
「モニターでもつけるのか」
「はい」
「屋敷にか?」
「え?いいえ。託児所の話です」
「なんだよ。弥生、やっぱり、しっかりと仕事のこと考えているんだな」
「はい。こうやって壱弥と離れて仕事をするとなってみて、そういうこと考えたんです」
「ふん。いいんじゃないのか。屋敷にもモニターをつけて、パソコンかなんかで見れるようにしたらどうだ?今日はとりあえず、スマホに動画でも送ってもらえ」
「はい、そうします!」
ちょっと元気でた。
「ははは」
「え?」
なんで笑われたのかな。
「お前はあれだよな。自分の体験をなんでも仕事に繋げられるし、マイナスもプラスに変えちまうよな」
「そうですか?」
「ああ。俺から離れたときだけは、とことん落ちていくけどな?」
「ですね。きっと、一臣さんは私の力の源なんです」
「ああ、そうだな。まあ、俺もだけどな」
「え?」
「俺も、弥生がいなくなると元気なくなるからなあ」
うわ。その言葉は嬉しいかも。
「だから、壱から離れていても元気出せ。俺のためにもな?」
「はい」
ぎゅっと腰を一臣さんが抱いてきた。そうか。壱弥がいないから、ちょっと新婚時代に戻ったみたいだ。
しばらく運転席との仕切りもして、一臣さんと車内でいちゃついた。
車はそのまま、工場に直行した。工場と言っても、すでに閉鎖になっている工場だ。今日は工場長に出てきてもらってる。
閉鎖…。なんだか、心が痛む。その前になんとかできなかったのかなあ。
まずは1件目。都内にある小さな町工場だ。私が働いていた工場よりも小さい。工場の脇の路地に車を停め、すでに「閉鎖」と書かれて閉まっている門を樋口さんが開けた。
門は錆付いた音をさせて開いた。すでに工場は寂れている。工場のドアを開けて出てきた人は、白髪の小柄なおじいさんだった。いや、もしかしたらまだ60代かもしれない。でも、なんだか弱弱しく見える。
「工場長ですか。こちらは副社長の」
「副社長の緒方一臣だ」
樋口さんが紹介する前に、一臣さんがさっさと工場長のほうに歩み寄った。
「それと、私の妻の弥生だ」
ぺこりとお辞儀をすると、工場長も無言でお辞儀をした。
「悪いな。わざわざ工場を開けてもらって」
「いいえ。中にどうぞ。何もおかまいできませんが」
工場長の声も弱弱しく、無表情のまま私たちを中に案内した。
「ああ、まだ機材はそのまま残っているんだな」
「はい。業者に頼もうと思っているんですが…」
「工場は手放したのか」
「買い手がまだないんですよ」
「だったら、緒方機械か、緒方金属で引き受ける。この辺の機材も使えるか調べさせる」
「そうですか」
工場長、まだ背中丸めたまま。
「従業員は?ちゃんと次の仕事に就けたのか」
「……。一人を除いては」
「一人って?」
「息子です。今年41歳になります。41にもなると、再就職は難しいんですよ。正社員になんてそうそうなれない。私はいいんです。もう今年で65だ。年金貰ってうちのやつと細々暮らしていけばいい。だが、息子はそうはいかない。奥さんと子ども養っていかなきゃならない」
そうなんだ。
「今はどうしているんですか?」
一臣さんが黙っているから、つい私から質問してしまった。
「就活しながら、日雇いで働いていますよ」
「え?日雇い?」
「技術者って言っても、そうそう雇ってくれるところなんかないんですよ。嫁がなんとか働いて、どうにかやっていっていますけどね」
「何を作っていたんだ?詳しく聞かせてくれ。息子さんにも今度面接したい。技術者は必要なんでな」
「え?息子を雇ってもらえるんですか?」
「ああ。もちろんだ。緒方商事の子会社だったんだ。ちゃんと面倒見る」
「ほんとですか?」
あ、工場長の目が輝いた!
「大丈夫ですよ!他にも工場が閉鎖になっちゃったりしているんですけど、新しいプロジェクトもたくさん動き出してて、人が必要なんです」
私がそう言うと、工場長は私を見て、
「本当ですか。息子もちゃんと働けるんですね」
とまた念を押すように聞いてきた。
「はい!」
力強く頷くと、工場長の目に涙がきらっと光った。そして、嬉しそうに笑うと、
「すぐにあいつに言ってやります」
と携帯を取り出した。
鼻をすすりながら、工場長は電話をしている。
「一臣さん」
私も涙をこらえながら、一臣さんの腕に引っ付いた。
「ん?」
「よかったですね」
「そうだな。他の社員たちはちゃんと転職できているみたいだしな」
「じゃあ、この後この工場はどうなりますか?」
「ここはもう取り壊しだな」
「きっと、工場長にとっては、思い出の場所ですよね。守ってあげられないのは、辛いですね」
「ああ」
一臣さんは静かにそう言うと、樋口さんに指示を出した。樋口さんはすぐさま携帯で連絡を取り出した。
「工場長、明日にでも息子さんと面接ができればいいんだが」
「明日ですか!はい」
電話中の工場長に一臣さんがそう告げると、工場長は喜んでそれを息子さんに伝えていた。
1件目の工場をあとにした。工場長は会った時と打って変わって、元気になっていた。そして、ずっと私たちの車を見送っていた。
「工場長も元気になってよかったですね」
「自分のことより、子どものことなんだな」
「え?」
「俺もそうかもな。もちろん、緒方財閥で働いている人みんなを大事にしないとならないが、でも、壱のことも、多分自分のことよりも大事にしていくんだろうな」
「はい。私もです。私も一臣さんや壱君のことが私のことよりも大事です」
一臣さんは優しく微笑み、私を抱き寄せた。
2件目は、都内でも町外れにあった。敷地内は広く、敷地内に車を停めた。ここはどうやら、閉鎖になる寸前の工場らしい。借金を抱え、銀行などからも見放され、にっちもさっちもいかなくなり、閉鎖に追い込まれていると報告を受けていた。
「わざわざ副社長自ら来て頂き、申し訳ありません」
そう言いながら工場の事務所から飛び出してきたのは、頭がつるぴかのおじさんだ。
「いいや、もっと早くに来れなくて悪かった」
そう一臣さんが言うと、その人はますます頭を下げた。
「どうぞ、こちらへ。工場長がお待ちです」
あれ?この人が工場長じゃないのか。
「えっと、失礼ですけど、あなたは?」
「私は経理を担当しております」
なるほど。ここは、工場長自ら現れたりしないのか。
事務所の中に案内してもらい、その一番奥の部屋のドアをその人はノックして、
「工場長、副社長がいらっしゃいました」
と言い、ドアを開けた。そして、
「ささ、どうぞ中へ」
とへりくだりながら、私たちを通した。
「どうも!工場長の北野です」
部屋の奥のでかい椅子から立ち上がり、背の高い40代くらいの人がそう元気に挨拶をしてきた。
「…緒方だ。それと妻の弥生だ」
「はじめまして」
ぺこりとお辞儀をすると、
「どうぞ、お座りください」
と私たちを部屋の真ん中にあるソファに座らせた。
座ると、クッションがほとんどなくなっている硬い椅子だった。とっても座り心地が悪い。
「お茶をどうぞ」
若い人がお茶を運んできてくれた。なんだか、綺麗な人だ。事務服を着ているから、事務員さんかな。
「娘の春美です」
「お嬢様?」
「はい。春に美しいと書いて春美です。3月生まれなんです。弥生様もですよね?」
「はい」
「年も一緒なんですよ」
「え?そうなんですか?」
私より落ち着いて見える。でも、綺麗な人だ。
「弥生様は結婚もされてお子さんも生まれて幸せそうだ。うちの娘はまだ一人もんでね。いやあ、もう少し早くに副社長を会えていたら、ぜひ嫁に貰って欲しかった。はっはっは」
明るい。工場が閉鎖に追い込まれているのに?
「いやだ、お父さんたらやめてよ。身分が違いすぎるじゃない」
「今のご時勢に身分違いは古いだろう。はっはっは」
「でも、弥生様は上条グループのお嬢様ですよ?私とはまったく違うわ」
そう言うと娘さんの春美さんは、部屋を出て行った。
「本当に残念ですよ」
春美さんが出て行った後、工場長は本当に残念そうに一臣さんに話しかけた。
「うちの娘は、どこに出しても恥ずかしくない娘です。副社長にも気に入っていただけたでしょうに」
え?本気で言ってたの?
「もし、春美ともっと早くに出会っていたら、副社長夫人になれましたかね。副社長のおめがねにかなっていましたかねえ?」
何その質問。一臣さんもなんて答えるの?
「もっと早くに?」
一臣さんはそう返し、眉間にしわを寄せた。そして、しばらく黙り込んだ。
まさかと思うけど、私なんかより春美さんがよかったとか、そんなこと言い出さないよね?




