第11話 お義母様に報告
寮に住むことをお義母様に報告した。怒られるだろうと一臣さんと予想していたが、
「はあ?従業員の寮に住む?!」
と、思い切り呆れられてしまった。
「何を考えているんですか!お屋敷にお部屋がちゃんとあって、メイドたちがすべてやってくれるんですから、あなたたちは自分のしなくてはいけないことをしていればいいんです!」
うわ。怒った。一臣さんをちらっと見ると、怒られるのは当然といった顔で、
「ずっとじゃないですよ。託児所ができるまでです」
と冷静な声でそう返した。
「託児所だって必要ありません。壱弥が3歳も過ぎたら、お屋敷で面倒見て貰ったらいいんです。それなりの家庭教師もつけて」
「そういう教育方針は、俺らは持ち合わせていない。壱弥をそんな小さい頃から大人だけの世界にいれるなんてまっぴらだ。俺みたいな寂しい思いはさせたくないからな」
わ。一臣さん、冷静さがふっとんだ。それもかなり、きつい言い方だ。さすがにお義母様、顔が引きつってる。
「俺ら夫婦の育て方に、おふくろも親父も意見しないでくれ」
「な、何を言っているんですか。だいたい、他のみんなと同じように生活したいって言ってるけど、おままごとにすぎないじゃないの。どっかのアパートやマンションでも借りて、自分の働いたお金で家賃や光熱費払ってって、そういうこともしないで、ただ敷地内の寮に住むだけじゃ、なんの意味も無いんじゃないの?」
グサ。
「そ、そのとおりですよね」
お義母様の言葉に私は頷いた。
ああ、それにしても、今の言葉は突き刺さった。そうだ。一臣さんもおままごとって言っていたけど、本当にそのとおりだ。
「いや。屋敷の敷地から出ることは考えていない。マンションやアパートじゃ、セキュリティが完璧じゃないからな。俺らは、特に壱は俺の子どもの頃みたいに誰に狙われるかわかったもんじゃないから、安全な場所に住む。それは、譲れない」
「……」
そうか。そういうことも考えないといけないんだな。
「じゃ、じゃあ、一臣さん。電車で通勤なんていうのは?」
「まさか、弥生は電車で壱を連れて通勤するつもりか?!ありえない。冗談じゃない!」
そ、そうなのか。そのつもりだったんだけどな。
「満員電車にわざわざ乗る必要は無いぞ、弥生。託児所に預ける女性社員だって、時間をずらすか、マイカー通勤にするか、いろいろ対策を練ればいいだけだから」
「はい」
私が小さく頷くと、お義母様は身を乗り出した。
「運転できない人は?フレックスにできない部署は?問題は山積みですよ、一臣」
「確かにそうですが、女性の管理職も増えていますし、子供を生んで、早くから復帰したいという社員も増えています。会社側が働きやすい環境を整えるのは必要でしょう?」
「そうですけど…」
「わが社の女性陣は優秀ですよ。カラン開発プロジェクトも女性ばかりだが、みんな優秀です」
「新ブランドのですか?」
「はい」
あ、一臣さんもお義母様も、話し方が落ち着いた。さっきは、本気で喧嘩するかと思った。
「わたくしも、どんどん女性に活躍してほしいと思っていますよ」
「だったら…」
「はあ、まったく」
お義母様はため息をつくと、
「しょうがない。弥生さんは本当に変わっていますからね。まあ、せいぜい自分が満足するまで好きなようにしなさい」
と私に向かってそう言ってくれた。
「え?い、いいんですか?」
「条件があります。従業員の寮に住んでいるだなんて他の人には言わないこと。わかりましたね。そんな恥ずかしいことは世間に絶対に知られるわけにはいきませんからね」
「は、はい」
なんとかお義母様の許しを得て、私たちはダイニングから部屋に戻った。
「親父は笑って、好きにしろと言っていたけどな」
そう言うと、ベビーベッドに寝かせた壱弥を優しく一臣さんは見つめた。壱弥は手を動かして遊んでいる。
夕飯のあと、大事な話があるとお義母様にダイニングに残ってもらい報告をした。その時、まわりにいた国分寺さんや喜多見さんも初耳だったからか、目を丸くしてびっくりしていたなあ。
「やっぱり、怒られちゃいましたね。でも、許してくれるまで相当時間がかかるかと思っていたので、よかったです。すぐに許してくれて」
「おふくろは弥生に甘いからな」
「そ、そうですか?前は庭でお弁当食べていただけでも、すんごい怒られちゃいましたけど」
「ははは。そんなこともあったな!」
一臣さんが笑うと、壱弥までがきゃきゃきゃっと笑った。
「壱、お前のママはとんでもないことを考えるからなあ。お前も大変だなあ」
「え?そんなにとんでもないことでしたか?」
「俺にはな。ただ、トイレも共用、風呂なしのおんぼろアパートに住むとか言い出さなくてよかったよ」
さすがにそこまでは、一臣さんにつき合わせられないよ。
「お屋敷の敷地の外だと、やっぱり危ないですか?」
「まあな。変なやつも多いからな。壱を誘拐して身代金をふんだくってやるとか、そんな考えを持ったやつもいるだろうし、下手すりゃ殺されるだろ」
ドキン!
「そ、そうですよね。壱君にも護身術、早くから身につけさせないと」
「まあ、それも必要だが、常にボディガードが必要だな」
「一臣さんも昔、攫われそうになったんですよね?」
「ああ。忍者部隊のやつが危機一髪のところで助けてくれた。それからだったかな。俺に護身術を教えてくれてた樋口がボディガードとしてついたのは」
「…そうなんですね」
「龍二も危うかった。特に龍二は、俺よりもふらふらしていたし、侍部隊のやつらも龍二には手を焼いていた。ただし、忍者部隊は龍二の行動の先回りをしていたからなあ。あいつら、本当に優秀だよな」
「へえ…。素晴らしいですね」
「なんか、DNAに刻まれているんじゃないのか?どういう教育を受けているのかとか、どういった訓練をしているのかも、俺すら知らないけどな」
「……」
「弥生、目を輝かせるな。今、その訓練受けてみたいって思っただろ」
「え?わ、なんでわかったんですか?」
「お前の考えていることなんか、目をみてりゃわかる」
そんなに輝いちゃったかな。すっごく興味持ったのは確かだけど。
「とりあえず、おふくろの許可も下りた。急ピッチで寮を作らせて、移り住むか」
「はい!」
「嬉しそうだな」
「だって、思い描いていた生活なんですもん!」
「俺にとっちゃ、夢にも想わなかった生活だがな」
あ、一臣さん、嫌そう…。
「すみません。一臣さんまで巻き込んで」
「そう思うなら、ちゃんと俺のこともかまえよな?」
「え?」
「壱のお守りばかりで、ほっておくなよな?わかったか」
「はい」
ぎゅ~~。突然、一臣さんに抱きしめられた。なんだか、こんなこと言う一臣さんは、可愛いなあ。
託児所プロジェクトは徐々に進み始めたが、託児所を作るに当たっての課題は山積み。一つ一つクリアにするのにも時間がかかる。
その間、機械金属プロジェクトは、すごくスムーズに進んでいっていた。
「すみません、今日も遅れまして」
機械金属プロジェクトにまた遅れてしまうと、例の3人組は見下したような目で私を見た。
「託児所つくるの、大変そうですねえ。こっちはいいんですよ、無理にいらっしゃらなくても」
まただ。また、杉田さんに嫌味を言われた。
「弥生、かけもちも大変だと思うが、頭切り替えてこっちのプロジェクトの補佐も頼む」
「はい」
一臣さんの言葉に、私は姿勢を正して席に着いた。一臣さんは私のことを、信頼してくれている。それは嬉しい。
でも、時々、足を引っ張っていないかなあと不安になることも。
「で、いきなりで悪いが、明日俺と一緒に工場視察だ」
「え?」
「まだ、視察に回っていない町工場が数件ある。もう潰れているところもあるが、その後のフォローをしに行きたい」
「え?副社長自ら、もう潰れた工場を見に行くんですか?」
「ああ。何もこっちが対策をしてやれなかったせいで潰れたんだ。ほっておけないだろ。2箇所は、ギリギリのところにいる。多分、持ち直すのは無理だ。だが、どこかの工場で従業員を雇うとか、なんとか配慮してやらないとな」
「それでしたら、わたくしが行きます」
綱島さんが恐縮そうにそう申し出た。でも、一臣さんは首を横に振り、
「弥生と行きたいんだ」
と一言だけそう言った。
「責任は、社長や俺にあるだろ。緒方財閥の会社を守ってやれなかったんだからな」
その言葉に、綱島さんはただ黙って一臣さんを見た。そして、例の3人はちょっと驚いたような表情をした。
「わかりました!ついていきます」
「壱は連れて行けないぞ。哺乳瓶でもミルクを飲めるし、どうにかベビーシッターに頼めるな?」
「はい!大丈夫です」
一臣さんが私を信じて連れて行こうとしているんだ。ううん、これも副社長夫人の仕事だ。頑張らなくっちゃ。
会議が終わり、先に例の3人は会議室を出た。今日の会議中、彼らの態度がちょっと前と違って見えた。一臣さんの質問にも、前よりも丁寧に答えていたし、一臣さんに対しての考え方が違ってきたのかもしれない。
「弥生様が一緒なら、工場の皆さんはきっと明るくなりますね」
「え?」
そんなことをぼ~~っと考えてドアのほうを見ていたら、綱島さんがいきなりそう言ってきた。
「そうだな。弥生の明るさはなぜか、人にうつるからな」
人をウィルス扱いしていない?
「それに、弥生だったら、俺が考えられないようなアイデアを出すかもしれないし、会ったやつとなぜだかすぐに、仲良くなるしな。俺や樋口だけだと、向こうも警戒したり、萎縮するだけだろ」
「弥生様は、親しみやすいですからね。そこが弥生様のよさですよね」
「ああ、お嬢様らしくないからな」
一臣さんの言葉、褒め言葉じゃないよ。せっかく綱島さんは言葉を選んで言ってくれているのに。
お屋敷に戻ってから、一臣さんはモアナさんと日野さんに、明日は1日壱弥の面倒を頼むと伝えた。朝から車で、直で工場に行くので、壱弥はお屋敷に残ることになった。
「ごめんね、壱君。明日はお留守番なの。1日会えないけど、我慢してね?」
お風呂上りの壱弥の体を拭きながら、私は壱弥にそう話しかけた。一臣さんは、壱弥を私に預けた後、お風呂で自分の体を洗ったりしている最中だ。
一臣さんの前では、こんなこと言えない。本音を言うと、壱弥と丸1日一緒に居られなくなるのは寂しい。それに、心配だ。だけど、他のお母さんたちだって、働いていたら1日子どもを預けているんだもんね。
あ、そうか。これも、みんなと同じ体験をできるいいチャンスなんだな。
でも、やっぱり、寂しいし不安だ。もしかして、働きに出る前のお母さんたちもこんな気持ちかな。
「壱君~~」
壱弥のお腹にチュッとキスをした。足の裏にも手のひらにもキスをすると、
「きゃきゃきゃっ」
と壱弥は笑った。ああ、可愛い。めっちゃ可愛い。
「ぷくぷくの足、可愛いねえ、壱君。お尻もお腹も全部可愛い」
笑い顔も天使みたいだ。表情豊かになって、どんどん壱弥は可愛くなってる。
「なるべく近くにいて、成長もしっかりと見ていきたいなあ。今日はどんなことができるようになったとか、直に見たいし、写真も撮りたい。これも、お母さんならみんな思うことだよね」
そっか。託児所でそんなサービスできないかな。モニターで動画が見れるとか、写真を撮ってくれるとか。なんなら、お昼休み一緒に過ごせるとか。
今度の会議で提案してみようかな…。




