第10話 新たな決意
広報課で行ったアンケートも回収できた。託児所新設プロジェクトチームもメンバーが決まり、ミーティングも始まった。
私もそこに参加しているが、なぜかみんなと微妙に意見がずれてしまう。
「すみません。なんか、私の意見って、役立っていませんよね」
なかなか意見がまとまらず、先に進まなくなりそうみんなに謝ると、
「そんなことありません。ただ、弥生様は副社長夫人だし、お育ちもよろしいから私たちとは価値観も生活スタイルも違うんです。しょうがないですよ」
そう言ったのはチームリーダーだ。すでに子どもは高校生。40代の女性だ。
「副社長にお子様ができて、託児所を会社に新設する提案をしていただいたんですよね。そんな提案をしていただいただけでも、すごくありがたいです」
今度は30代、4歳と2歳の子を保育園に預けながら働いている女性だ。
それって、やっぱり、私が役に立っていないってことだよね。けしてお育ちがいいわけではないんだけど、でも、やっぱり私は他のお母さんたちとは違うんだ。すごく恵まれた環境にいる。
みんな、朝起きて、家族のご飯作って洗濯して、子どもを連れて家を出て保育園に預けてから会社に来るんだ。子どもが熱を出したら、迎えに行ったり、仕事終わって帰ってからも、食事のしたく、お風呂、他にもいろんなことしないとならない。
旦那さんや親の協力がある人もいるだろうけど、中にはシングルマザーもいる。このチームにはいないけど、シングルマザーも増えているって一臣さんも言っていたもん。
頭が下がる。それに比べたら、私、なにかしているっけ?
食事、掃除、洗濯。すべてを人任せだ。通勤も車で送り迎えがあって、仕事中はベビーシッターがいてくれて、家に帰ったって、メイドのみんなが世話をしてくれている。
夜は一臣さんも育児に参加してくれて、私、なんにもしていないんじゃない?
ミーティングは予定の時間に終わらず、30分過ぎても行き詰ったまま。
「今日はこのくらいにしましょう」
リーダーがそう言って、会議を終わらせた。
とぼとぼとドアを出て廊下を歩いていると、秘書である矢部さんが、
「弥生様、機械金属チームのプロジェクト、始まってますよ」
と教えてくれた。
「うわ。そうだった。急がなきゃ」
慌ててエレベーターに乗り、10階に移動した。
会議室のドアを控えめにノックをした。それからそっとドアを開けると、
「弥生様がいらっしゃいました」
と、すぐにドアの近くに座っていた樋口さんが一臣さんに声をかけた。
「ああ、弥生。託児所プロジェクトの会議、終わったのか」
「はい。遅れてすみませんでした」
みんなにもぺこりとお辞儀をして、一臣さんの横の空いている席に小走りで座りに行った。
「みんなから報告を受けていたんだ」
「あ、そうだったんですね」
「弥生様、託児所のプロジェクトっていうのは?」
緒方機械の戸部さんが聞いてきた。
「このビルに託児所を新設するためのプロジェクトチームなんです」
「ビルに託児所?いったい誰が子どもを預けるんですか?」
え?なんでムッとした顔でそんなことを聞いてくるの?
「杉田さん。もちろん、緒方商事で働く女性たちのための託児所です」
「いや~~、それなら家の近くの保育園にでも預けるでしょ。満員電車の中子ども連れてくるような人はいないですよ。ははは」
あ、嫌味な笑い方。
「そういうことも検討している。時間をずらして出社するとか、車を利用するとか」
「え?フレックスにするってことですか?無理でしょう。部署によっては遅れて出社もできるかもしれないが。それに車で出社ですか?道も混んでいるかもしれないし、結局遅刻するんじゃないんですか?」
「そうでもないぞ。俺はいつも車で来ているが、ちゃんと同じ時間に出社している」
「ああ、副社長は運転手つきの車で出社されているんですよね。あ、奥様も一緒に…。よろしいですね、通勤の苦労がないってことは」
嫌味な言い方をした。さすがに一臣さんの眉間にしわが寄った。
「さ、報告のほうを進めましょうか」
一臣さんの怒りを感じたのか、綱島さんがすぐに話をそらしてくれた。
機械金属プロジェクトのミーティングも終わり、15階に戻る前にトイレに行った。トイレから出ると、ちょうどトイレから出てきたであろう緒方機械の戸部さんと、緒方電気の杉田さんが私の前を歩いていて、
「まったく、あの人たちの道楽に付き合っていたら、緒方商事は潰れるんじゃないのか」
「本当に何を考えているんでしょうね。赤字経営をなんとかしたくて機械金属のプロジェクト動かしてるんでしょうに」
と後ろの私に気づかず話をしている。
「自分に子どもができて、託児所に預けたいだけだろ。だったら、この辺の保育園にでもいれりゃいいんだ」
「それか、奥様が面倒見たらいいだけなんじゃないですか?でかいお屋敷でメイドもたくさんいるんでしょ。屋敷でのんびり子育てすればいいのに」
「まったくだ。働かないで子育てに専念してりゃいいのに。苦労知らずのお嬢様が何を始めるって言うんだ」
ズキ。
「自分の子は運転手つきの車で、連れてきているんだろ。満員電車にも乗ったこと無いだろうし、託児所なんか作るプロジェクトチームに入っているそうだが、他のメンバーも迷惑なだけじゃないのか。このチームにだって必要ないだろ。あのお嬢様は」
「まったくそのとおりですよね」
はははと笑いながら二人はエレベーターホールに向かっていった。
「勝手なことばかり言って!一臣様に報告しましょうか」
私の隣で矢部さんが、握りこぶしを震わしている。
「い、いいです。大丈夫。それに、あの人たちの言ってることもわかるし」
「え?弥生様、苦労知らずのお嬢様じゃないし、働く女性たちのためを思って企画したものじゃないですか」
「いいえ。今日の会議でも感じたんです。私はまったくわかってなかったんだなあって」
「何をですか?」
「他の人たちは、もっと大変な思いをしながら子育てしているんですよね。私、自分が恵まれてる~~なんて、胡坐かいているだけで、あまあまでした」
「そんなことないですよ。子育てと仕事を両立されているじゃないですか」
「矢部さん。私の子育てなんて、周りのみんなに全部やってもらっているだけで、本当に何もしていないのと一緒なんです…」
「そんなこと…」
矢部さんはまだ私を慰めてくれようとしたが、私が廊下を歩き出したので話すのをやめた。
さっきの、戸部さんと杉田さんの会話、頭にくるよりズキッと突き刺さった。
きっと私も感じていたからだ。自分の無能さとかを。
「はあ」
15階の一臣さんの部屋に戻ると、モアナさんが壱弥の面倒を見ていた。それを見ながらついため息をつくと、
「疲れたのか?弥生」
とちょうど戻ってきた一臣さんに聞かれてしまった。
「いいえ。ちょっと落ち込んじゃって」
「何をだ?」
「えっと。こんなこと言って、バカにしないですか」
「ああ、なんでもいいから言ってみろ」
「私、託児所のプロジェクトで、役立たずなんです」
「ん?なんだ?まだ始まったばかりだろ。もう根をあげたのか。弥生らしくないな」
「皆さんと意見がかみ合わなかったり、みんなの思っていることと共感できないこともあって。みんなから、価値観も生活スタイルも違うんだからしょうがないって言われちゃって」
「誰だ、そんなことを言うやつは」
「そのとおりだと思ったんです!だって、私は周りに恵まれていて、子育ての苦労なんてまったく知らないでいるから」
「それはしょうがないだろう。立場が違うんだ」
「そうですけど」
しょうがないって言葉、好きじゃない。しょうがないで済ませたくない。
「あの、弥生様、壱弥お坊ちゃまが…」
あ!壱弥がぐずってた。
「ごめん、壱君」
私はすぐにモアナさんから壱弥を受け取った。
壱弥は私を見ると、安心したようだ。
「子どもに対する愛情は、弥生様、いっぱいあります。だから、大丈夫です」
モアナさんが私の目をしっかり見ると、そう励ましてくれた。
「ありがとう」
じ~~~ん。本当に私は回りのみんなに助けられ、励まされ、幸せ者だ。
その後、私はみんなの気持ちや苦労をわかってあげられない…と悩むのではなく、なんとか理解しようと努力した。プロジェクトチームのメンバー以外で、小さなお子さんを抱えながら働いている女性社員にも、時々話をさせてもらった。
広報課からのアンケートではなく、託児所新設チームからのアンケート調査も何度か試みたり、他社ですでに会社に託児所を設けている人にも、いろいろと話を聞きに行ったりもした。
「そうですよね!ほんと、そういう時に困るんです」
「私も、そんな時、会社に託児所があれば楽なのにって思っていました」
小さなお子さんがいる女性同士で、話が盛り上がることがよくあった。でも、私はその場で話に加わることができない。同じ悩みを抱えていないので、みんなの話をただ聞くばかり。
そんな日は、家に帰ってからもなんとなく気持ちが沈む。
「どうした?」
一臣さんには落ち込んでいるとすぐにばれてしまう。
「皆さんの話を聞くようにしているんですけど、話に参加できないのが寂しいって言うか」
「なんだ、そりゃ。じゃあ、立場が一緒のどっかの社長夫人にでも会ってくるか?」
今の、嫌味かな。呆れたのかな、一臣さん。
「私も、みんなと同じように、家事から子育てから仕事から、全部頑張ってみたいんです」
「今でも頑張っているだろ」
「全然です!」
ベッドに横になってそんな話をしていたが、私は起き上がり一臣さんもベッドに座らせた。
「なんだよ」
「もうすぐ、新しい寮ができますよね」
「ああ。赤ちゃんが生まれて産休取ってるメイドもいるしな。外のアパートで暮らしているが、寮に呼んでもいいと思っているし。早めにできたほうがいいだろうから、急ピッチで建てているぞ」
「まだ、部屋、あいていますよね」
「ああ。立川が入る予定のところと、さっき言ったメイドが入る部屋と、もう一組、コックの夫婦が入りたいって申し出てきたな。上が5歳、下が2歳の子がいるらしい」
「3部屋だけってことですよね?じゃあ、私も住めますね」
「は?」
一臣さんの口が開いたままになった。
「だから、私の住む部屋、まだありますよね?」
「なんだと?こっから出て行って、寮に住むってのか?」
「はい。壱弥と…」
「そんなの俺が許すわけ無いだろ!俺が夜眠れなくなるだろ!」
「じゃあ、夜だけ一臣さんも寮にくるっていうのは」
「はあ?!俺がなんでここから出て、寮に住まなきゃならないんだ!」
「だ、だって、そうしないと皆さんと同じ暮らしができないから。気持ちを分かちあえないんです」
「そこまで弥生がする必要があるのか?」
「あります!」
「……」
大声で言ったからか、一臣さんは一瞬たじろいだ。
「まったく」
はあっとため息をつくと、一臣さんはおでこに手を当て、考えこみ出した。
「……」
しばらく下を向いていたかと思うと、前髪をくしゃくしゃと掻き、
「わかったよ。しばらく弥生のおままごとに付き合ってやるよ」
と一臣さんは顔を上げて言った。
「おままごとじゃないです」
「ああ、そうだな。普通の夫婦の暮らしってやつを、俺も体験するよ」
「え?!」
「それもいいかもな。そういうの、弥生もしたかったんだろ?料理、洗濯、掃除の類、全部自分でしたかったんだろ?」
「はい!」
「わかったよ。付き合う。俺も子育てや家事、手伝ってやる。めったにない体験だ。面白そうだしな」
「え?!一臣さんは家事なんてしないでもいいですよ」
「する。どの程度できるかわからないが…」
「でも、お仕事忙しいじゃないですか!」
「弥生もだろ?まあ、土日の休みの日だけになるだろうけど、なんか手伝ってやるよ」
「……」
「なんだよ、目、潤ませた」
「嬉しくて!」
そう言って抱きつくと、逆にベッドに押し倒された。
「そんなに感謝したいなら、体で返せ」
そんなことを言って一臣さんが、私に熱いキスをしてきた。




