第8話 一臣さんの愛しかた
託児所をつくる事を、一臣さんはさっそくお義父様に相談した。
「一臣が指揮を執るのか?だったら任せるぞ」
一緒に私も壱弥を連れて社長室に行ったので、壱弥を抱っこしてにこにこ顔でお義父様はそう答えた。
「壱~~~、時々じーじの部屋に遊びにおいで。おもちゃも用意してあるんだよ」
「何言ってるんだ。忙しくてほとんどいないくせに」
「そうだな。これから僕のスケジュールも樋口に教えておこう。あ!そうか。お前たちがいなくても、壱はいつも一臣のオフィスにいるんだっけな。じゃあ、じーじが遊びに行けばいいのか」
「来るな。もし寝ていたりしたら、邪魔なだけだ」
「なんでそんなに邪険にするんだ。孫を可愛がって何が悪い」
そう言ってお義父様は、よしよしと壱弥をあやし始めた。
「とにかく、託児所の話は進めるからな。じゃ、壱、帰るぞ」
「え?もう戻るのか?」
一臣さんはお義父様の手から壱弥を奪い返して、とっとと社長室から出て行った。
「あ、そ、それじゃ失礼します」
「弥生ちゃんも託児所をつくる時、いろいろとアドバイスするといいよ。母親の目線で考えたほうがいいと思うしね」
「はい、ありがとうございます」
一臣さんの後を追いかけ部屋を出ると、青山さんが壱弥を見て引きつりながら笑っていた。
「弥生、戻るぞ」
「はい」
私にはにこりと微笑んだけど、さっきは引きつっていたよなあ、青山さん。
「青山さんと何かありましたか?」
「ん?俺か?何もないぞ。なんでだ?」
「さっき、なんだか顔が引きつっていたような」
「ああ。青山は子どもが苦手なんだ。特に赤ん坊はダメらしいぞ」
「そうなんですか。だからなのかな」
「青山は一生結婚しないだろうな。主婦業も無理だろうし、子どもは嫌いだし」
「……秘書を続けるんですか?」
「だろうな。細川女史もそうだけど、仕事に生きるんだろ」
なるほどなあ。
「だが子供育てながら、働いている女性もたくさんいるからな。そんな女性でも働きやすい環境にしてやらないとな」
「ですよね!仕事も子育ても両立できる優秀な女性ってたくさんいると思うんです。旦那さんや周りに協力してくれる人がいればいいんですけど、実家が遠かったり、ご主人も忙しかったり、なかにはシングルマザーもいるだろうし、そういう人のために託児所があると本当にいいですよね」
私が熱く語りだすと一臣さんはくすっと笑った。
「?」
「弥生はそういう女性の味方になれるな」
「あ、はい。もちろんです。私はすっごく恵まれています。でも、他の方たちは大変だと思うんです。子どもがいるから仕事をもっと頑張りたくてもできない人もいるだろうし、管理職とか目指していても難しくなるだろうし」
「まあな。管理職だと出張や移動もあるから、それこそ夫のほうが主夫するとかしないと無理だろ」
「あ、そうか。そういうご夫婦もいらっしゃいますよね」
「弥生は専業主婦にはなりたくないだろ?」
「……。いいえ。家事全般嫌いじゃないですし、家で一臣さんのためにお料理してお掃除して洗濯して…っていうのも憧れます」
うっとりとそんな場面を妄想しながら答えると、
「そうなのか?絶対に家に落ち着くなんて、お前には無理だと思ったけどな」
と目を丸くして驚かれた。
とりあえず、社長の許可も下りたので、託児所をつくるためのプロジェクトチームを結成することになった。
「女性中心がいいだろううな。今現在、託児所や保育園に預けて仕事をしている女性社員、まだ子どもはないが、今後子どもができてからも働きたいという女性社員、すでに子どもは大きくなっているが、保育園に預けながら働いていた女性社員、とまあ、そのへんを揃えていたら、いろんな意見が聞けるだろ」
「そうですね」
「弥生もチームに入るんだぞ」
「あ、はい!」
「やる気満々だな?」
「それはもう、働く女性の味方でいたいですからっ」
「そうか」
私と一臣さんは、家に帰って夕飯を食べながらそんな話をしていた。
「男性社員はいなくてもいいんですか?」
「そうだな。2人くらいいるか?子どもがいる社員と、これからっていうのがいたらいいだろ」
「男性社員の意見も聞きたいし」
「一度、アンケートでも取ってみるか」
「アンケート?」
「広報部にも頼んで、託児所をつくるに当たってのアンケートだ。今現在困っていることや不安なこと、どんな託児所なら安心できるか、他にも子育てしながら働いている女性が求めるもの…、託児所以外でもこんな制度があったらありがたいっていうようなものがあれば、そういうのも聞いてみるのいいかもしれないしな」
「会社に託児所をつくるんですか?一臣おぼっちゃま」
ちょうどお皿を片付けにきた喜多見さんが一臣さんに聞いた。
「ああ。壱もずっと俺のオフィスに置いておくわけにもいかないし、社内に託児所があれば便利だろ?安心だしな」
「素晴らしいですね。働く女性にとっても社内に託児所があれば、何かあったらすぐに駆けつけることもできるし、いいですよね」
目を輝かせてそう話かけてきたのは、食後のデザートを運んできた亜美ちゃんだ。
「何かあったらって、どんなことだ?」
「え?たとえば、子どもが熱を出したら…とか」
一臣さんの質問に亜美ちゃんが答えた。すると、その横から日野さんが、
「でも、家から会社までの通勤が大変になりますよね。電車が混んでいたら赤ちゃん連れてでは、けっこう大変かも…」
と、ティーカップに紅茶を注いでから、ポットを持ったまま呟くように言った。
「確かに…。じゃあ、いっそフレックスにするか。マイカー通勤もいいかもな。会社の近くの駐車場でも借りるか、地下の空いているスペースを貸し出すか…」
一臣さんの言葉をまったく無視して亜美ちゃんは遠くを見つめながら、
「お屋敷にも託児所があれば、安心して赤ちゃん産めるのに」
と呟いた。
「なんだ、立川。すぐにでも結婚するのか?」
「え?いいえ。違います!そういうわけではないですけど、えっと未来の話で、いえ、あの、たとえ話です」
亜美ちゃん真っ赤だ。
「大丈夫ですよ。ここは産休が1年ありますし、そのあとも赤ちゃんをみんなが見てくれながら働けるから、子育てしながら働くにはいい環境ですよ。なにしろ、同じ敷地内に自分の住む家があるから、通勤時間なんてないに等しいし、旦那は同じ職場だし…」
なるほど。喜多見さんは経験者だもんな~。
「喜多見さんの子も、国分寺さんの子も、寮でみんなに育てられたようなもんだしな。そういう俺も、おふくろがいない時には寮に行って遊んでもらっていたし」
「そうなんですか?え~~、びっくり」
亜美ちゃんがびっくりしながら、一臣さんを見た。
「屋敷内はそうそう遊ばせられないだろうけど、庭なら自由に遊ばせていいぞ。そのうち、裏の空いている敷地にプールだの、格技場だの、テニスコートだのを作る予定だから、そこでも遊ばせて構わないぞ」
「え~~~!いいんですか?」
「ああ。お屋敷で働く従業員の特典だ」
「だったら、休みの日に働いてくださっている皆様に、プールやコートを利用していただくのはどうですか?」
私がそう意見すると、
「そんな贅沢な…」
と亜美ちゃんがたじろいだ。
「いいんじゃないのか。そうそう俺や弥生、壱だって、プールやコートを使うわけじゃないし、使わないで放置しているのはもったいないしな」
「わあ!!素敵!なんかワクワクしてきた」
「なんで弥生がワクワクするんだよ」
一臣さんにつっこまれた。
「う、だって。皆さんが喜んでくれている姿を思い浮かべたら、つい」
「ははは。面白いやつだな、本当に」
一臣さんが笑うと、喜多見さんも国分寺さんも微笑んだ。でも、日野さんと亜美ちゃんは、目をキラキラと輝かせている。
「そんな贅沢…。でも、嬉しい」
口元を緩め、亜美ちゃんは遠くを見つめている。
「さて、弥生。そろそろ部屋に行かないと、壱を風呂に入れる時間がなくなるぞ」
「あ!はい。そうですね!」
デザートのフルーツを急いで食べ、紅茶を飲んでから席を立った。今日はお義母様が大阪に行っているから、のんびりと話しながら食べちゃって遅くなっちゃった。
お義母様がいると、前よりは和やかムードになったとはいえ、まだまだメイドさんたちが緊張して話してくることもないからなあ。
壱弥もダイニングにおいてあるベビーラックにいた。前ほど寝ている時間が減り、ベビーラックで自分の手を動かしたり足を動かしたりして遊んでいることも多い。
国分寺さんがガラガラを持ってきて、遊ばせていることもあるし、今日はお義母様もいないから、コック長までがやってきて、壱弥をあやしていた。
お屋敷では必ず誰かが、壱弥の面倒をみてくれるし、ベビーシッター役のモアナさんや日野さんがいるから、安心して私は仕事もできる。本当に恵まれた環境だと思う。
でも、核家族の家庭では、奥さんも旦那さんも働いていたら、大変なんだろうなあ。
部屋に戻り、一臣さんは壱弥を連れてお風呂に入った。私は壱弥のオムツや着替え、湯冷ましを用意して、壱弥を洗い終え、軽く一緒にバスタブにつかった一臣さんが、
「弥生~~、壱、出るぞ~~」
と私を呼ぶ。
「は~~~~い」
バスルームのドアをあけ、バスタオルを両手に広げて壱弥を受け取る。
「壱君、気持ちよかった?」
ほかほかと体から湯気が出ているかのようにあったまっている壱弥を見てそう聞くと、壱弥は満足そうな顔で私を見た。
「はあ、この瞬間が幸せ」
幸せを噛み締めながら、壱弥の体を拭き、ベビー服を着せた。
一臣さんと一緒にお風呂に入れなくなったのは寂しいけど、でも、旦那さんが赤ちゃんをお風呂に入れて、「おーい、弥生」と私を呼んで赤ちゃんを受けとる。そんな想像を前から思い描いていたから、それが叶ってすごく幸せだ。
バタン。一臣さんもバスルームから出てまだ濡れた髪のまま、バスローブを羽織って部屋に来た。
「壱、ちゃんと湯冷まし飲んでるか?」
「はい。飲んでます」
「俺ものどが渇いた」
そう言うと、一臣さんは冷蔵庫を開け、炭酸水を取り出した。
「あ~~~あ、弥生と一緒に風呂に入りたい」
「壱君と一緒に入るのも楽しいでしょ?」
「………まあな」
あ、本当は嬉しいくせに。だって一臣さん、壱弥を目に入れても痛くないほど可愛がってる。
ほら、今だって。炭酸水を飲んでテーブルに置くと、
「壱~~~、今日も気持ちよかったか?」
と一オクターブ高い声を出して、壱弥をあやしだしたし。
「早く話すようにならないかな。パパって呼ばせるか、お父さんのほうがいいかな」
「一臣さんは親父って呼んでますよね」
「子どもの頃はパパだ。小学生に上がってから、お父さんと呼ぶようになった。で、中学くらいから何も呼ばなくなって、高校生からは親父…」
「何も呼ばない?」
「ああ。話しかけることがなくなったからな」
「会話しなかったんですか?」
「ああ。ほとんど。親父は忙しくて俺に会うこともそうそうなかったし。話す時は、俺は返事をするだけ。それも、ああとか、うんとか…」
「思い切り反抗期ですね」
「どうだろうな。1年のうち数回しか会わないんだから、反抗もなにもないんじゃないのか」
「そうなんですね。寂しかったですよね」
「別に。親父の存在がその頃からうざくなってきていたから、会わないほうが楽だったけどな」
「え?」
「将来社長になるっていうのが、すんげえ嫌だった頃だ。社長である親父に会うのは嫌だったんだよ。父親っていうより、社長。今みたいにお茶目な親父じゃなかったし」
「え~~~~。じゃあ、いつ頃からあんな感じに?」
「弥生が来てからじゃないのか?」
「え~~~?そんな最近ですか?」
「あ、でも、俺が高校卒業したあたりから、しゃべり方が変わったかな。俺が親父!って、面と向かってそう呼んで、あれこれつっかかって言うようになってから、親父も変わったかもなあ」
「本当は前から、そうやって話したかったんじゃないんですか?きっと、一臣さんが避けていたから、お義父様も寂しかったんですよ」
「……」
あれ?反論してこないってことは、一臣さんもそう思ってた?
「親父は多分、愛し方をわかってなかったんだろ」
「え?」
「どう息子と接したらいいか、わかんなかったんじゃないかな」
「そうかもしれないですね」
「あのじじいだからな。親父、父親に可愛がってもらった記憶なんかないだろ。そりゃ、自分も息子との接し方、わかんないよな」
「一臣さんは?」
一臣さんにそう聞くと、一臣さんは壱弥をじっと見つめ、
「俺もわかんないな。ただ、無性に可愛くてしょうがない。だから、やばいかもなあ」
と呟いた。
「え?やばいって?」
「溺愛しそうでやばい。俺が弥生を溺愛しているみたいにさ」
うわ!その言葉には照れる!
でも、一臣さんは壱弥のことをにやけ顔であやしだし、私が真っ赤になって恥ずかしがっているのには気づいていなかった。




