第7話 二人の時間
会議が終わった。一臣さんはチームメンバーとまだ話があるようで、
「弥生は先に戻っていいぞ。壱がお腹すかして泣いていたら困るしな」
と優しく声をかけてくれた。
メンバーのみんなもなぜか、ほっこりとした顔つきになり、
「副社長は本当に、壱弥様を可愛がっていられるんですねえ」
と綱島さんも和やかムードでそんなことを言った。
「当たり前だ。可愛いに決まっている。綱島も子供いたよな?可愛いだろ」
「はい。可愛いですよ。そりゃあもう…」
「だろう?」
だろう?と聞いた一臣さんの顔、にやけてる。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
「お疲れ様でした」
みんなが会議室を出て行く私にお辞儀をした。でも、あの3人は無視だ。そのうえ、
「今日は特別に奥様が同席ですか?まだ生まれたばかりの赤ちゃんがいるんですから、そうそう会議には出てきませんよね?」
と一臣さんに聞いているのが聞こえてきた。
「弥生もチームのメンバーだ。いつも同席する。それが?」
あ、一臣さんのけっこう冷たいきっつい口調…。怒る寸前か、すでに怒っているか。ドアを開いたまま、私はそっと一臣さんのほうを見てみた。あ、やっぱりこめかみに青筋立ってる。
「いいえ。ただ、お子様と離れて会議に出席する意味はあるのかなあと。わざわざ、大変な思いまでしていただかなくても」
「意味はないと言いたいのか?!」
わわわ。怒った!
「杉田さん、弥生様はこのプロジェクトの発案者です。それに、弥生様のご意見はいつもすばらしいんですよ」
「…しかし、今日の会議では特に意見も述べていませんでしたが…」
せっかくの綱島さんのフォローも、杉田さんは無駄にしている。
「今日初めて会っただけで弥生の何がわかる!文句を言うならすぐにメンバーから外れてもらっても構わない。他にもなり手はたくさんいる」
ほら。一臣さんの眉間のしわが、とんでもなく深くなっちゃったよ。
「………」
あ、杉田さん、言葉を失ってる。
「でしゃばって申し訳ありませんでした。そろそろ私どもは社に戻ります」
すぐに横にいた子安さんがそう言って、3人はお辞儀をして部屋を出て行った。
私はドアのところで、矢部さんと3人をぺこりとお辞儀をして見送った。杉田さん以外は私にもお辞儀をしてくれた。
バタン。なんとなく会議室から出る気になれず、ドアを閉めて私と矢部さんもその場に残っていると、
「弥生、戻らなかったのか」
と一臣さんが気がついた。
「あ、すみません」
「さっきの、杉田っておっさんが言ったのは気にするなよ」
おっさん?
「それにしても、あの方たちは自分の立場をわかっているんでしょうか」
あれれ?綱島さんまで眉間にしわ寄せちゃっている。
「わかっていないだろ。俺が言ったこともどうせ脅しくらいにしか考えていないさ。いざとなったら、本当にチームから辞めさせてやるのに…」
そう言ったあとに、一臣さんは黙り込んで下を向き、
「くっそ~~~~。弥生のことバカにしやがって腹が立つ!意味がないだと?冗談じゃない!あいつらのほうがもっといる意味が無い!」
と突然怒りを爆発させた。
「一臣様、相当我慢されていましたか」
樋口さんが、その怒りを鎮めようとクールにそう聞いた。
「私のことだったら別にいいんです。何を言われても平気です」
慌ててそう言うと、
「俺のことも、あいつらはバカにしているのはわかってる。だが、俺のことを言うのはどうでもいい。弥生のことをバカにされるのが一番腹が立つ」
と一臣さんも同時にそう言っていた。
「…お二人、仲がよろしいんですね」
ふっとまた微笑ましいっていう顔をして、綱島さんが私たちを見た。他のメンバーも、
「本当にお互い思いあっていて、素敵なご夫婦ですね」
「うんうん」
と、その場はまた和やかムードの変わってしまった。
「綱島、いちいちそういうのはいいから!」
あ、一臣さんが照れた。今までだったら、どや顔していたかもしれないのに!
「弥生、そろそろ壱が待ってるから戻っていいぞ」
「はい!戻ります。それから、皆さん、私頑張りますので、これからもよろしくお願いします」
そうぺっこりとお辞儀をしてから私は部屋を出た。ドアの向こうからなぜか笑い声が聞こえてきて、
「弥生様はいつも明るくていいですね」
「男だけのチームに弥生様がいるだけで、花が咲いたようになりますね」
なんて言葉が聞こえてきた。
うわ。花?私が?びっくりだ。
「弥生様」
15階に向かう途中、矢部さんがちょっと言い出しにくいような、そんな素振りを見せた。
「はい?なんですか?」
「樋口さんのことなんですが」
「はい」
「前々からいつもクールで、怖い方だとは思っていましたが」
「はい」
「弥生様とお話されている時は違うんですね」
「え?」
「それに今日、あんなに熱く声を高くしてお話をする樋口さんに驚きました」
「え?」
「他社から見えた方に、一臣様のことを熱く言っていたじゃないですか」
「はい、そうですね。珍しいですよね、ああいう樋口さん」
「それだけ、樋口さんは一臣様との主従関係がしっかりとあるんですね」
「主従…?」
確かに主従なのかもしれないけど、その言い方ってちょっと違和感。
「信頼関係があって、多分、一臣さんも樋口さんを守っているし」
「え?」
「誰かが樋口さんを悪く言ったら、怒ると思うんですよね」
「あ!さっきの弥生様のことを悪く言われてお怒りになったように?」
「あ、そうです。一臣さん、樋口さんのことすごく信頼しているし大事に思っているし」
「いいですね。一臣様はきっと一度信頼を築いたら、とことんその相手の方を大事にされるんでしょうね」
「それです、それ!一臣さんってそうなんです!だから、一臣さんの側近の方々は、一臣さんのことを心から大事に思われるんですよ」
力説したら、ちょっとだけ矢部さんに引かれてしまった。でも、
「一臣様のそういう素晴らしいところを、社の皆さんにも知ってもらいたいですね」
と矢部さんは、まるで独り言のように小声でぼそっと呟いた。
はい。私もそう思います。独り言のようだったから、私は心の中でそう返事をした。
だけど、もうすでにそういうことを知っている人はいると思う。プロジェクトのメンバーもそうだし、ううん、これからどんどん増えていくと思う。
一臣さんのオフィスに戻ると、
「ふえ~~~っ」
と壱弥の泣き声が聞こえてきた。慌てて部屋に入ると、
「あ、弥生様が戻られた。グッドタイミング」
とモアナさんが壱弥を抱っこしながらそう言って笑った。
「泣いてたんですか?」
「いいえ。今、目が覚めてぐずりだしたんです」
日野さんはそう言うと、オムツ換えのスタンバイをし始めている。
「そっか~。お腹すいたかなあ。思いのほか会議が長引いちゃったからなあ」
壱弥におっぱいをあげていると、
「弥生、壱はいい子にしていたか」
と一臣さんが部屋に入ってきた。
「あ、やっぱりおっぱいの時間か」
「はい。戻ってきたらぐずってました」
「いいなあ、壱…」
一臣さんはぼそっとそう言うと、モアナさんや日野さんがいるから、それ以上は言わずに恨めしそうな目で壱弥を見ていた。
きっと、誰もいなかったらエロ発言をしていたんだろうな。そうか。壱のベビーシッターをオフィスに呼ぶと、二人きりの時間がまったくなくなるわけね。
「あ、もう昼過ぎてるじゃないか。日野、モアナ、悪かったな。弁当とか持ってきているのか」
「いいえ」
「じゃあ、6階にカフェもあるし、外に昼飯食いに行ってもいいぞ」
「一臣様と弥生様は?」
「樋口に弁当を頼んだ。午後はしばらく弥生も部屋にいられるし、2時に戻ってきたら大丈夫だゆっくりして来い」
「え?そんなに?1時間以上もあります」
「そうだ!買い物も頼まれてくれるか、日野。これからは、粉ミルクも必要になるかもしれないし、哺乳瓶と粉ミルク、壱がいつでかくなるかもわからないから、もうワンサイズでかめのオムツ。この辺には売ってないから、等々力に車出してもらって買って来てくれ。4時ごろまでに戻ればいいぞ」
「え?そんなに遅くて大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。3時から俺は人に会うが、弥生は部屋にいられるから」
「かしこまりました」
「金はあるか?1万じゃ足りないか」
「十分でございます」
日野さんは一臣さんから1万円を受け取り、モアナさんと部屋を出て行った。
「樋口」
一臣さんも樋口さんに、伝えに行ったんだろう。一緒に部屋を出て、1分もたたないうちに戻ってきた。それも、にやけ顔で。
「弥生!これでいちゃつけるぞ!」
やっぱり、それが目的。おかしいと思ったんだ。ワンサイズ大きなオムツなんて、しばらく必要ないもん。
おっぱいを飲み終えた壱弥は満足顔。
「オムツは換えてやる」
一臣さんはニコニコ顔でオムツを換えた。そして、壱弥をベビーベッドに寝かせると、
「弥生」
と、私に抱きつき、お尻を撫でてきた。
「お昼、樋口さんが買ってきてくれるんですよね?」
ぐ~~~っと私のお腹が鳴り響くと、
「ああ、2~30分で帰ってくる。それまでいちゃつけるな」
と、ソファに座って私を膝の上に乗せた。
「弥生。やばいな。二人の城が二人じゃなくなってしまったな。そこまで考えていなかった」
「そうですね…」
「なんだ。弥生も寂しかったか。いちゃつけなくて」
「……ちょっとだけ」
実は寂しかった。
「う~~~~ん。早くに託児所を作るか」
「え?」
「いや、待てよ。もう一部屋二人でいちゃつける隠し部屋を作るか?親父のオフィスみたいな」
「必要ないですよ~~」
「ある!」
「それより、私と一臣さんが部屋にいる時には、ベビーシッターいらなくないですか?その間、ベビーシッターに来てくれている人の休憩室とかを作ったらいかがですか?」
「なるほどな。で、その間、そいつは何をしているんだ?」
「……あ、暇ですよね」
「今日も思ったんだが、二人はいらないよな?」
「はい」
「む~~~~。まだ、いろいろと考えないとな。でも、今はいちゃつこうな」
私の後頭部に頬ずりをして、一臣さんは私の太ももを撫でて満足しているようだ。
お昼も済み、一臣さんとソファでいちゃついた。壱はしばらく手足を動かして遊んでいたが、すぐに寝てしまい、
「壱は本当に親思いだな」
と一臣さんは、ますますご満足になった。
「ああ、いいな。職場でも親子水入らずだ」
「はい。私もずっとお屋敷で寂しい思いをしていたから、今、幸せ満喫中です」
「そうか。そんなに寂しかったのか。でも、それは俺もだぞ、弥生」
そう言って一臣さんはぎゅっと私を後ろから抱きしめた。
「一臣さん、本当に託児所、作るんですか?」
「ああ。反対か?」
「まさか!大賛成です。だって、会社内に託児所があれば、本当に安心です。でも、ちゃんと安心して子どもをあずけられるような託児所にしましょうね」
「もちろんだ。いずれ、壱もそこにあずけることになるかもしれないしな」
「……そうなんですか?」
「ん?自分のもとから離れるのは寂しいか?」
「う、はい、ちょっと」
「だが、ここにずっといさせるのも、あまりいい環境といえないしな。だいいち、歩けるようになったらこんな狭い部屋に閉じこもっていなくなるぞ」
「ですよね」
「俺に似たら、すげえやんちゃになるしな。だからって、仕事につれて回るわけにもいかないし」
「そうですよね。お屋敷に残すわけにもいかないですしね」
「ああ」
いずれは、仕事を続けるんだったら、壱弥をあずけないとならなくなるんだよなあ。
世の仕事をしている母親もみんなそうなんだもん。私ばかりじゃないんだよね。
「休みの日には、壱を連れていろんなことをしような」
「はい!」
くるりと向きを変え、一臣さんの胸に抱きついた。ああ、一臣さんのコロン、思い切り安心する。
やっぱり、二人でいちゃつく時間、必要だな~~。




