第6話 新しいプロジェクトチームメンバー
10時ぴったりに樋口さん、矢部さんを引き連れ、私と一臣さんは10階の会議室の前で立ち止まった。
「矢部は樋口と一緒に入り口に座って、会議を見ていろ」
「はい」
矢部さんは相当緊張をしている。
「そんなに緊張しないでも、見ていたらいいだけだ。ただし寝るなよ」
「も、もちろんです。そんなもったいないこと…」
「もったいない?」
「すみません。変なことを言いまして。ただ、弥生様の秘書としての仕事ができるのが、すごく嬉しくて、どんなことも学びたいと思っているので」
「すんごい前向きなんだな。ははは。弥生にはぴったりだな」
一臣さんが笑うと、矢部さんは目を丸くしたが、
「会議の邪魔になるようなことは一切しないようにお願いします」
と、樋口さんがすっごくクールに言ったので、矢部さんはまた顔を引き締めた。
なんか、今日の樋口さん、怖い。いや、会社ではいつもこうだっけ。
バタン。一臣さんが勢いよくドアを開けた。会議室の中にはすでに他のメンバーが揃っていて、何やら話をしている最中だったようだが、こっちをみんなが注目し一気に静まり返った。
「待たせたな」
一臣さんの言葉でみんなは姿勢を正した。私も一臣さんのあとから会議室に入った。すると、
「弥生様、仕事復帰ですね」
「ご子息のご誕生おめでとうございます。もう仕事に復帰されても大丈夫なんですか」
「お体のほうは大丈夫ですか」
と、プロジェクトチームのみんなが声をかけてくれた。
「はい。今日から復帰です。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をしてから、私も一臣さんの隣に腰掛けた。
あれ?私に声をかけてきたもともといるメンバー以外の、それもその中でも特に3人が私のことを不審そうな目で見ている。
「新しく入ったメンバーを紹介するぞ、弥生」
一臣さんがそう言って、新しいメンバーを紹介してくれた。にこやかに、
「副社長夫人の弥生様ですね、よろしくお願いします」
と緒方商事のメンバーは挨拶をしてくれた。
だが、
「他社から来たメンバーも紹介する。右から緒方電気の杉田さん、緒方金属の子安さん、緒方機械の戸部さんだ」
と一臣さんが紹介しても、3人は私にぺこっと軽くお辞儀をして、さっさと手元にある資料のほうを見たり、隣にいる人に話しかけたり、一臣さんに、
「みんな揃ったところで、会議を始めませんか」
と言い出したり…。
「……」
あ、一臣さん、眉間にしわが…。やばいかも。怒ったかも…。
「では、私が今回は進行をさせていただきます。よろしいですか、副社長」
リーダーの綱島さん、さすがだ。空気を読んだのかもしれない。
「いいぞ」
一臣さんのその一言で、会議が始まった。
プロジェクトチームは7チームに分かれている。それぞれのチームの進捗状況を聞き、それに対してリーダーの綱島さんと一臣さんが意見を言ったり、質問をしたりしている。
ここにいるプロジェクトチームのメンバー以外にも、このプロジェクトにかかわっている人は何人もいて、ここにいる人たちは、そのチームの代表格というところかな。
以前のプロジェクトチームより、遥かに大きなチームになっているし、すべてのチームが具体的に進んで行っているし、確実に結果を出しているチームもある。
そして、他社からきている3人の報告は、専門用語だらけでわかりづらいというか、早口で説明をし続け、手元の資料も難しいし細かいし、これ、みんなが理解しているのかなあ。もしや、私だけがわからなかったりして…。
「何を言ってるんだか、さっぱりわからんな。綱島には理解できているのか?」
え?一臣さんもわかってなかった?
「え?ああ、はい。専門用語が多いですが、わたくしも一応工場でも働いていましたし…。しかし、わからないこともありますが」
恐縮そうに綱島さんがそう言うと、
「まあいい。みんながわかっているならな。あとで、細かく説明してもらう。俺も勉強不足で悪いな。もうちょっと勉強しないとだな」
と一臣さんの口からびっくりするような言葉が飛び出した。
その言葉に、緒方商事の面々はギョッとした。私もしばらく口がぽかんと開けてしまった。
「そうですね。申し訳ないですが、ある程度は勉強していただかないと、事細かに説明を要するとなるとそれなりの時間もかかりますし、その分会議が長引きますしね」
そう言ったのは緒方電気の杉田さんだ。多分、40代前半くらい。このチームでは一番年が上かもしれない。
緒方金属の子安さんは30代半ばかなあ?緒方機械の戸部さんもそのくらいかも。綱島さんと同じくらいだと思う。でも、なんていうのかなあ。偉そうに座っているっていうか、態度がでかいっていうか。確かに緒方商事のみんなは、リーダーの綱島さんが一番年上で、他のみんなも30代前半から20代後半で若いから、偉そうにしているのかなあ。
「あ…、で、では、会議を進めます」
綱島さんが顔を引きつらせ、話を続けた。かなりやりにくそうだ。
周りのみんなも、一臣さんの顔色を見ながら意見を言っているが、例の3人はことごとく偉そうな口を利き、たまにみんなの意見に対し、鼻で笑ったりもしている。
なんだか、すっごく感じ悪い。
会議の途中、10分の休憩をすることとなった。私もトイレに行き、そこで矢部さんに会うと、
「ヒヤヒヤしましたね、弥生様」
と矢部さんも今の会議で、一臣さんがいつ怒り出すかと気を揉んでいたようだった。
「一臣さん、珍しく怒り出さなかったですよね。眉間にしわはよっていたけど」
「そうですね」
そんな話をしながらトイレから出て、
「自販機でお水でも買っていきます」
と、廊下を歩いていると、例の3人もトイレから出てきて自販機に向かっているようだった。
私たちの前を歩きながら、
「綱島がリーダーって頼りないよな。それに、なんだっていつもあのわっかい副社長がしゃしゃり出てくるんだ?」
「それも、なんだって自分の奥さんまで引き連れてきた?副社長と仲いいアピールもたいがいにしてほしいよな」
と、そんな話を平気で大きな声でしている。
「副社長だって機械のことなんにもわかってないくせになあ。聞いたか?報告書がまったくわからないだとさ。呆れるよな。だったら、会議に出てくるなって言うんだよな?勉強不足だとさ。笑わすなよ」
え?!
「緒方商事の人間は、あの副社長に頭があがらないみたいだぜ。クビが怖いんだろ。だから、いっつもしゃしゃり出てくるんだ。でも、誰か言ってやればいいんだよ、お呼びじゃないって」
「ははは。やめろよ、戸部、それに子安も。お前らもクビが飛ぶかもしれないぞ」
「まさか。そこまで権限無いだろ。あんな親のすねかじっているボンボンに。知ってるか。高校生で車乗り回して事故ったり、さんざん女遊びもしたらしい」
「そのくせ、上条グループにはいい顔をしようとして、奥さんと仲がいいアピールをしているらしいな」
「バカらしい。政略結婚だろ?跡取りもできたらしいが、どうせまた、ろくでもないボンボンになるんだろ」
ムカムカムカムカ。どうしよう。一発ぶんなぐる?わけにもいかないし、ここはどうしたら…。
ああ、でも、腹の虫がおさまらない!!!!
「ひどい」
隣で矢部さんも、わなわな震えてる。う~~~~~、ここはどうしたら?!
「失礼ですが、何か副社長にご意見がおありですか。直接話ができるよう、一席もうけましょうか?」
「うわ」
3人の前に突然樋口さんが現れた。
「い、いいえ。お、お気遣いなく、大丈夫です」
顔を青ざめさせて、緒方機械の戸部さんが口を開いた。その隣でびっくりしすぎたのか、子安さんが目を点にして黙りこくっている。
「本当に直接お話できるものなんですかね?」
なぜか、余裕の顔で緒方電気の杉田さんが樋口さんにそう聞いた。
「もちろん、副社長はプロジェクトを成功させるために、チームの皆様のお声を直にお聞きしますとも。他社といえど皆様は、緒方財閥の一員。一臣様は緒方財閥の総帥…になられる方ですし、緒方電気、緒方機械、緒方金属もすべて緒方財閥の一部…でありますからね。緒方財閥の頂点になられる方が、皆様の声をないがしろにするわけがない」
いつもクールなのに、樋口さんはかなり声を高くしてそう言った。あんな樋口さんは珍しい。
「で?緒方電気、企画開発部第二課の課長、杉田様は副社長に何かご意見がおありなんですね?」
「いいえ。特に何もないですよ。わたくしなんかが意見するなんて滅相も無いです」
そう言うと、ぺこぺこしながら3人は自販機のブースへと足を進めた。
「樋口さん…」
こっちに向かって歩いてきた樋口さんに私は小声で声をかけた。
「聞こえていましたか?」
「はい」
「お恥ずかしいです。つい、頭にきてあのようなことを言ってしまいました」
「樋口さんも頭にきていたんですか?私もです」
「やっぱり?こぶし握って震えているのが見えました。もしや、一発殴ろうとか思っていましたか?」
うわ。なんでわかったんだ。
「よく我慢しましたね、弥生様」
「そ、そりゃ、そんなことしたら、一臣さんの迷惑になるだけですし…。上条グループにも迷惑かけるし」
「…あれだけ脅しておけば、さすがにもう大丈夫だと思いますけどね」
樋口さんは会議室に向かいながら、私や矢部さんに淡々と話し出した。
「あの3人には、逆に驚かされましたよ。一臣様のお立場をまったくご理解していないようです。自分たちとは無関係の会社、緒方商事の副社長と他人事にとらえているようですが、緒方財閥の総帥の息子です。次期総帥です。緒方電気や緒方機械、緒方金属も牛耳っている。単なる課長クラスの人間に、バカにされていいような立場の人間じゃありません」
「ですよね!」
「馬鹿なのはあの方たちです。そんな方がプロジェクトチームのメンバーでいいのか、疑問すら感じますね」
「確かに…」
「まあ、緒方商事の人間は一臣様を怖がっていますが、ほかは直接関わったこともないですし、わからないのかもしれないですが」
「でも、緒方財閥の次期総帥っていうことくらい、わかっていますよね」
「さあ?そのくらい把握していると思いたいですけどね」
そうなの?そんなもんなの?
「それに、緒方商事の副社長だけでなく、多分ああいう人間は自分の会社の社長や副社長に対しても、あんな考え方でいるんでしょうね」
「というと?」
「たいていが、息子だったり身内が次期社長や次期副社長になっていますしね。親のすねかじって生きているだの、わかままなボンボンのくせに偉そうにだの、わが社でもそういうことを言っている連中もいますからね」
「一臣さんのことですか?」
「一臣様自身は言わせておけばいいと、そうおっしゃっていましたけどね」
「何も知らないで、そんなこと…」
悔しい!すんごい悔しい。
「上条グループは、そういったことを絶対に言う社員はいないでしょうね。何しろ、親のすねかじってないですし、普通の人以上の苦労をしているわけですし」
「一臣さんだって苦労しています。重圧もあるし、いっぱいいっぱい苦しんでいます」
「……弥生様がそうやって理解してくださるだけでも、一臣様は救われていますよ」
にこやかな表情で樋口さんはそう言うと、どうぞと会議室のドアを開けてくれた。
一臣さんは特に会議室から出ることもなく、席でずっと綱島さんと話をしていたようだ。熱く口論していたのか、二人ともうっすら汗をかいている。
「どうぞ」
樋口さんが一臣さんに水のペットボトルを手渡した。ああ、自販機で水を先に買っていたんだ。そこで、あの三人の話が聞こえたんだろうな。
「先に言ってくだされば、お茶の用意をしました」
「ああ、いいんだ」
私が声をかけると一臣さんは首を軽く横に振った。
「女性陣がやめてから秘書課にお茶出しをしてもらっていたが、資料の邪魔にもなるし、各自水分は持ってくるようにしてもらった」
「え?そうなんですか?」
「秘書課も忙しいしな。実際、資料にお茶をこぼして面倒になったこともあったし、じいちゃんの寄り合いじゃないんだし、勝手に水でも持ってきたらいいだけのことだしな」
そうなんだ。なんか、そういうことを一臣さんが言い出すとは思わなかったな。
さっきも、あの失礼な発言に怒るかと思ったけど怒らなかった。勉強不足で悪いと自分から謝った。
やっぱり、一臣さん、前と変わってきているんだ。
会議後半も、一臣さんは真剣な顔で聞いていた。会議の流れを止めない程度にわからないことは綱島さんに聞き、気になることはちゃんと意見していた。
あの三人はというと、ほんのちょっとだけ態度が変わったようにも見えた。




