第4話 一臣さんの変化
「香里奈、なんだか見違えたな」
「嬉しいです、そう言ってもらえて」
まだ、その人は一臣さんに抱きついたままだし、一臣さんも抱きつかれたままにしている。
「お前、俺の結婚式には出なかっただろ」
「一臣様の結婚式だなんて悲しくって出られません」
「なんだ?そりゃ…。そういえば、アメリカに留学していたんだよな。もう帰ってきたのか」
「いいえ、あと2年あります」
え?っていうことは、大学生?それにしては大人っぽい。
「ああ、弥生、紹介する。大阪支社長の娘の香里奈だ」
一臣さんは香里奈さんの背中に腕を回して私のほうに体を向けると、そう言って私に紹介した。大阪支社長の…ってことは従兄弟になるのかな。支社長ってお義母様の弟さんだよね。
「初めまして。弥生です」
「………。香里奈です。本当は私が一臣様の奥様になって子供を生む予定だったんです」
は!?
「まだそんなことを言っているのか」
一臣さんが呆れ顔をすると、
「本気だったんですよ。お父様だって、一臣様と結婚させてやるって言っていたのに」
え!?
私が目を丸くしてびっくりしていると、また香里奈さんは一臣さんに抱きついた。
「一臣様だって、私をお嫁さんにしてくれるって言ったじゃないですか」
「覚えが無いぞ」
「ひどい!プロポーズしましたよ」
「いつ?」
抱きつかれたまま一臣さんが聞いた。
「私が5歳のとき。あんまりにも男の子みたいで、やんちゃにしていたら、「もっと大人しくして可愛くなったら嫁に貰ってもいいぞ」って」
「…香里奈が5歳ってことは、俺が11歳か。覚えてるぞ。いたずらばっかりして手に負えないって、お前の母親がぼやいていたから、もっと大人しくしていたら、嫁に貰ってくれるいい男が現れるぞ…と俺は言ったんだよな?」
「ええ?違います。一臣様が嫁にもらってくれるって!」
「言ってない、言ってない。俺は小学生のころ、自分が選んだ相手と結婚すると息巻いていて、そうだ。思い出したぞ。親戚のやつらにも、結婚相手はもう決めたと断言してた。喜多見さんとかにも、その子じゃなきゃ嫌だとしばらく駄々をこねていた気が…」
え?
それってもしや。
「そんなの知りません。聞いたことも無いです!」
香里奈さんが一臣さんの腕にしがみつき、泣きそうな顔をしているところに、
「香里奈ったら、こんなところにいたの?もう、探したわよ。あ、一臣さん。このたびはおめでとう」
と、香里奈さんに似た上品な女の人が現れた。
「お母様!お母様も覚えていますよね?一臣様が私にプロポーズしたことを」
「ええ?なんのこと?」
お母様なんだ…。びっくり。すごく綺麗で若いからお姉さんみたい。
「ほらみろ。お前の勝手な思い込みだっただろ?」
「くすくす。香里奈は一臣さんのことが大のお気に入りで、お屋敷に来るのもいっつも楽しみにしていたわよね。留学もしたくないって言い張って、一臣さんのお嫁さんになるんだって、高校卒業してもそんなこと言っていたわね」
「そうよ。アメリカに行っている間に変な女に捕まったらいやだって言っていたのに!本当にそうなっちゃった。悔しい!」
香里奈さんが本気で泣きそうになってる。
「いや。お前がアメリカ行く前から、俺は弥生と結婚するって決まってたぞ?」
「え?そうなの?なんで私じゃないの?」
「ごめんなさい。弥生さん。ほら、弥生さんが困ってるわよ、香里奈」
一臣さんに引っ付いている香里奈さんの腕を、香里奈さんのお母さんが引っ張った。
「でも、一臣さん、小学生の頃は初恋の女の子と結婚するって言っていたのにねえ。ふふ、なんだか懐かしいわね」
「え?俺、初恋の相手となんて言ってましたか?」
「言っていたわよ。誕生日パーティでも、結婚相手を決めた。すごく可愛い女の子なんだって、確かあれは、一臣さんが8歳のときだったかなあ。そんな可愛いときもあったわね。みんな微笑ましく見ていたっけね。でも、中学校にあがった頃から、一臣さんはそういうこと一切言わなくなったし、なんだか急に大人びちゃって」
「……その頃には、自分の未来は自分では決められないもの、勝手に大人から押し付けられるものって、そうわかっちゃったんで、結婚相手すら決められるんだなって、妙に冷めていたんですよね」
「……。だけど、お二人見ていると幸せそうよ。こんな可愛い男の子も生まれて」
香里奈さんのお母さんが、寝ている壱弥の顔を覗き込んだ。
「何を言ってるの、お母様。一臣様の誕生日パーティで結婚相手を勝手に決められたって、そうお母様も言っていたでしょ。緒方財閥は安泰でも、一臣様は可哀そうって」
え?可哀そう?
「でもほら、こんなに幸せそうじゃない。ね?一臣さん、弥生さん」
ちょっと、香里奈さんのお母さん、顔が引きつってる。必死のフォローみたい。
「もしかして、お二人とも緒方財閥のホームページや会報誌見ていないんですか」
「見ているわよ。お二人の幸せそうな写真やインタビューが載っていたわ」
「インタビューでも言ってたんですけどね、小学生の頃、結婚相手に自分で決めた女性と俺は結婚していますよ」
「嘘」
「嘘じゃないよ、香里奈。まさか初恋の、自分が結婚すると決めた女と結婚できるなんて、夢にも思えなかったけどな」
「本当に?あの頃、可愛い子なんだ。絶対にあの子と結婚するって言ってた子が、弥生さんなの?」
「俺、そんなことも言ってましたか?」
「言ってたわよ~~~!え~~~!驚き!でも、上条グループのお嬢様よね?」
「はい。俺の親父が俺が言ってたことを覚えてたらしく、婚約させたみたいで…」
「まあ!総一郎さんったら、なんて粋なことをするのかしらね。一臣さん、初恋の子と結婚できたのね」
「お母様!私は一臣様が初恋の人なの。私も初恋の人と結婚したかった」
「はいはい。あなたにはこれから素敵な人が現れるわよ。さ、行くわよ。お父様があなたに紹介したい人がいるって言ってたから」
そう言うと強引に、香里奈さんを連れていってしまった。
「部屋に行くか」
一臣さんは私の腰に手を回し、階段を上りだした。こんなうるさいやり取りの中でも、壱弥はすやすやと寝ていた。
「香里奈さん、可愛い方ですね」
「そうだな。アメリカ留学する前は、ガリガリで色黒で、体も薄っぺらかったし、男の子みたいだったんだ」
「え?でも、すごく可愛らしかったです。変わったんですね」
「たった2年で変わるもんなんだな」
「一臣さん、可愛がっていましたか?」
「香里菜をか?まあな。なついてきていたしな」
「……。あんなに可愛らしくなって、惜しいって思っていませんか?」
部屋に着き、ベビーベッドに壱弥を寝かせてから、私は気になって聞いてみた。
「ははは。面白いことを言うな。なんで俺がそんなことを思うんだ?初恋の相手と結婚できた幸せ者のこの俺が」
「…だって、なんだか、抱きつかれて鼻の下も伸ばしてて」
「え?」
ぐいっと一臣さんが私のあごを持ち、
「誰の鼻の下だ?」
と怖い顔をして聞いてきた。
「だから、一臣さんの」
最後まで言う前に唇をふさがれた。
「まったく。やきもちもいい加減にしろ?俺は弥生しか可愛いと思わない。何度もそう言ってるだろ。だいたい、さっきの話を聞いていたか?小学生の頃、俺はだれかれかまわず、弥生と結婚することを断言していたんだぞ?って、忘れていたけどな」
「……」
「周りは可愛い子供の戯言と思っていたんだろうな」
「……」
「なんで黙っているんだ」
「ごめんなさい。抱きつれているところを見るのは、やっぱり嫌です」
一臣さんは片眉を上げた。
「はいはい。ほら、弥生のことも抱いてやる。なんなら、このままお披露目会をばっくれて抱き合うか?」
「…今は、ハグだけでいいです」
そう言うと、一臣さんは着物を着くずさないようそっと抱きしめた。
「愛してるよ、奥さん。今後、どんな女が俺に言い寄っても大丈夫だから、安心しろ。な?」
耳元で囁かれ、チュッと耳にキスをした。私は黙ってコクンと頷いた。
それから二人でソファに座った。
「用事があれば、国分寺が呼びに来るだろ。それまでここで、のんびりしていよう」
と一臣さんは私を抱き寄せた。
「汐里さん以外にも、従兄弟がいたんですね」
「ああ。副社長には3人子供がいて、香里奈は末っ子だ。だから、甘やかされて育ってきていて、あんな失礼なことも平気で言うんだ。悪かったな、弥生」
「え?」
「奥さんのいる前で、私が結婚する予定だったとか、普通言わないだろ」
「ですよね」
私は一臣さんの胸に顔を当て、思い切り一臣さんに抱きついた。
「でも、香里奈はまだまだ子供だ。気にするな」
「2年ですごく変わったんですよね。じゃあ、あと2年も経てば立派なレディですよ?」
「立派な?ふん。お前は何年経ってもなりそうもないな」
ひどい!
「ど、どうせ私は…」
「いいんだ。弥生はそのまんまで可愛いから」
一臣さんがキスをしてきた。
「寝顔とか、いまだに赤ちゃんみたいだしな」
「赤ちゃん?」
「ああ。弥生は本当に可愛いからなあ」
やっぱり、変だ。なんだって最近可愛いと連発するんだか。
「末っ子っていうことは、香里奈さんの上にお姉さんとかいるんですか?」
「ああ。一番上は男、その下が女。長男は緒方電気にいるが、新しいITの会社を立ち上げる為に、頑張っている最中だ」
へえ。そうなんだ。まったく知らなかった。会ったこともないかも。
「結婚式には来ていたぞ。挨拶もしてきただろ」
「え?」
「覚えていないのか」
「い、いろんな人がいたから」
「まあ、確かに、いろんなやつが挨拶に来たもんなあ」
「はい」
「長女はお前と同じ年だ。今、アメリカにいる」
「留学中ですか?」
「いいや。もう結婚してアメリカにいる。外資系の銀行の社長の息子と結婚したんだ。うちと取引のある銀行だ」
「それも政略結婚?」
「ああ。親に言われてさっさと結婚してアメリカに行った」
「……」
「そんな顔をするな。今はアメリカで好き放題、贅沢三昧して暮らしている。それはそれで、幸せなんだろ。支社長は緒方財閥の外の人間だったからな。あの家族はあんまり好き放題できなかったんだよ」
「え?」
「おふくろも一族の中じゃ、肩身の狭い思いをしているって言ったろ?その実の弟だ。親父が副社長に就かせたあとも、緒方財閥の人間にはあまり歓迎されていなかった」
「いろいろと複雑なんですね」
「緒方財閥の人間は、古い習慣にとらわれている古い人間が多いんだろ。でもまあ、親父の代から変わってきているけどな。だから、仕事ができるおふくろの弟を副社長にしたわけだし」
「それって、おじい様は?会長は反対しなかったんですか?」
「したぞ。だけど、健次郎おじさんじゃ副社長の仕事を任せられないとじじいもわかっていたんだろ」
じじいって…。まあ、一臣さんがおじい様を嫌っているのはわかっているけど。
「一臣さんもですか?仕事ができる人間に任せるんですか?」
「当たり前だろ。それと信頼できるやつだ」
トントンと、国分寺さんが呼びにきた。モアナさんも一緒に来て、壱弥のお守りをしてくれるらしい。
「最後の挨拶に行くか」
一臣さんとまた客間に行き、ステージに上がって挨拶をした。一族のみんなはほどよくお酒で酔っていて、なんだかみんな上機嫌だった。
帰りも口々に、跡取りができてよかったと言っていたが、
「一臣様、もう跡取りもできたんですし、安心して遊べるんじゃないですか?」
と言い寄ってくる女性も数人。
「弥生と二人目も作んなきゃならないし、子育ても一緒にしていくつもりだし、仕事も忙しくなるし、遊んでいる暇なんてないですよ」
一臣さんは私の腰を抱きながら、そんな女性にきっぱりとそう言ってくれた。
「あ、あら、そうなんですか。まあ、残念」
おほほほと上品に笑いつつ、本気で目がガッカリしている。そんな女性の背中を見ながら、
「ふん。自分と遊んでくれるとでも思ったのか。俺も軽い男にみられたもんだな」
と一臣さんは呟いた。
「まあ、それだけ遊んでいたからだよな。自分で巻いた種だ。これから挽回していかないとな」
そう呟いた一臣さんの目の奥に、秘めた力を感じた。
壱弥も生まれたからかな。なんだか、一臣さんが一回り大きくなった気がする。
ううん。きっと一臣さんの覚悟だよね。緒方財閥を背負い、前に進んでいく覚悟。その目は、時より見せるお義父様の仕事をしている時の目と同じだ。真剣で、ちょっと怖さすら感じさせる力強い目。
ドキドキしてきた。私はそんな一臣さんの隣で、やっていけるかな。
ダメだ。弱気になっちゃ。私も一臣さんの役に立つんだ。一臣さんの覚悟を、しっかりと受け止めていくんだ。だから、私も…。
覚悟決めて、前進だよ。弥生。




