第2話 天使がやってきた。
1ヶ月検診から1週間が過ぎ、壱弥のお宮参りも無事に済んだ。緒方家からはお義父様、お義母様もお仕事が忙しい中来てくれて、上条家からは父、祖父、祖母が来てくれた。
ボディガードとして樋口さんも、それに社長執事の国分寺さん、壱弥のお守り役として喜多見さんまでが連れ添ってくれたので、大勢でのお宮参りとなった。
「お宮参りは身内だけで済ませたかったからな、こじんまりとできてよかったな」
そんなに大人数だったのに、そう一臣さんが言った。
「だが、お披露目会はそうはいかない。緒方財閥の面々が来るから覚悟しておけ」
うわ。プレッシャーだ。お披露目会は来週の土曜日。アメリカから汐里さんも来るそうだし、一臣さんの誕生日会くらい派手になるんだろうな。また、お屋敷でするそうだけど。
ホームページにはすでに跡取りが生まれたというニュースがでかでかと取り上げられ、広報誌の取材もそろそろ来る頃だと言っていた。私が会社に行くようになったら、インタビューされるだろうし写真も載るから、少しはダイエットをしておけと言われたんだけど、食欲がまったく失せないし、どうしたものか。
「やれやれ。お宮参り、疲れたな。弥生は大丈夫だったか。長時間着物を着ていたし、大変だっただろ」
お屋敷の一臣さんの部屋に入ると、一臣さんはスーツの上着を脱ぎながら聞いてきた。
「はい。胸がきつかったです」
私は帯をほどきながらそう答えた。
「お披露目会は着物をやめるか。だが、他に着るもんないしなあ。お前、ドレスとか似合いそうもないし」
わかってます。自分が1番よ~くわかっていますとも。
「着物だと、授乳に困るよなあ」
「はい」
「でもまあ、屋敷の中なわけだし、授乳の時には部屋に戻れるからなんとかなるか」
「そうですね。そうですけど」
「ん?」
お腹がすいてきたのか、壱弥がぐずりだした。ベビーベッドに居る壱弥を抱き、ソファに腰掛けおっぱいをあげた。
そんな私の座っているところにやってきて、
「どうした?何か不安でもあるのか?」
と一臣さんは優しく私の髪を撫でた。
「また、緒方財閥の皆さんが来るんですよね。緊張する」
「大丈夫だ。お前じゃなくて、みんな壱弥を見にくるんだから」
「そ、そうですけど」
「壱弥、よくおっぱい飲んでいるなあ」
じ~~~っと一臣さんが私の胸を見ている。
「ああ、俺、どれだけ弥生のおっぱい吸ってないかな」
「は?」
吸うとか言わないでよ。恥ずかしい!
ドスンと私の横に一臣さんが座った。ソファが揺れ、一瞬壱弥がおっぱいから口を離すと、
「あ、弥生のおっぱいの形が変になってる!すげえ、ショックだ」
と言われてしまった。
「え!?」
変?ショック?
「それ、元に戻るんだろうな。俺の可愛いおっぱいに戻るんだよな?」
「俺の可愛いおっぱい?!」
「そうだぞ。弥生のおっぱいは俺のだ」
いえいえいえ。誰のものでもないってば。
「弥生」
また壱弥がおっぱいに吸い付いているのに、一臣さんは私に抱きつき、
「今夜あたりどうだ?」
と耳元で聞いてきた。
「まだです」
「なんでだ?」
「だって、怖いです」
「何が?」
「出産のあと、どうなっちゃってるのか」
「1ヶ月検診で問題なしだったろ?大丈夫だって」
「う。でも…」
「なんだよ。お前は俺に抱かれたくないのかよ」
「そんなことないです。一臣さんの胸、恋しいです。だって、妊娠している時にはお腹大きくて、一臣さんとべったり抱き合うこともできなかったし、一臣さんの肌にじかに触れることもままならなかったし」
「やっぱり、禁断症状出ているだろ?」
「え?」
「俺は思いっきり出ているぞ」
「……そ、そうなんですか?」
「一臣だったら、外の女で済ますかと思ったと言われたんだがな」
「え?!!!」
外?って?
「だ、誰にそんなこと…」
真っ青になってそう聞くと、
「浩介だ」
と一臣さんはまだ私の胸を見つめたまま答えた。
「また豊洲さんに?ろくなこと言わないですよね」
「弥生以外の女に欲情しないと言っても、あいつは信じてくれないんだ」
そう一臣さんは答えてため息をついた。
「その、外の女っていうのは?」
「今まで付き合っていたような女だろ?安心しろ。ま~~ったく興味ないからな」
「……」
「だから、暗くなるな。もう俺は多分、男としておかしいんだ。そう自分でも思うことにした」
「は?」
「女に興味が無い。やたらと色っぽい女を見てもセクシーさも何も感じないし、どんな女を見ても本気でどうでもいい」
「普通は違うものなんですか?」
「そうらしいな。浩介や大学の時の連中が言うにはな」
「ご友人に最近会ったんですか?」
「たまに、出産祝いだのをくれるんだ。会社までご丁寧にやってくるやつもいてさ。跡取りできておめでとう。これで晴れて自由の身だな。また遊ぶ時は声かけろよ…とか、わざわざ言いに」
え~~~、何それ。
「昔遊んでいたやつだ。大学時代の俺と今も変わっていないとみんな思っていやがる。俺がいつまでも子供だと思ったら大間違いだっていうんだ」
「それで、みんなが一臣さんは変だって言うんですか?」
「ああ。奥さん以外の女には興味が無い。どうでもいいと言ったら、みんながおかしいと言う。そこまで会社に忠実なのかとか、仕事のし過ぎで変になったのかとか」
え~~~~~~。何それ!
「中には、それも演技だろっていうやつもいたが、たいていのやつが、俺が奥さんにぞっこんだって噂を信じていて、お前はおかしくなったと言われるんだよなあ」
「私みたいなへんてこりんにぞっこんだから、変態だって思われているんですか?」
「なんだ?そりゃ」
一臣さんが眉間にしわを寄せた。あれ?
「え?だから、変態…」
「いくらなんでも変態はないだろ、変態は。だいたい弥生は可愛いんだ。めっちゃ可愛いんだ。へんてこりんじゃないぞ」
ええ~~?!
「ど、どうしちゃったんですか?やっぱり、おかしいです。変なもの食べましたか。記憶喪失ですか。どうしたんですか、一臣さん!」
「何がだ?記憶喪失でもなんでもないぞ」
「でも、私のことへんてこりんだの、みょうちくりんだの言っていたのは一臣さんです」
「俺が?そんなこと?……ああ、言ってたな」
本当に忘れてたの?!
「こんなに可愛いのにな」
そう言うと一臣さんは私の頭に頬ずりをして、
「世界一可愛いのになあ。なんでみんなには、弥生の可愛さが伝わらないんだ」
と、信じられないようなことばかりを言う。
「熱、あります?もしかして」
「いいや。いたって健康だ」
おかしい。絶対におかしい。
壱弥は満足して機嫌が直った。その隙にさっさと一臣さんはオムツを替えてくれた。そして、
「弥生。お前まだそんな色っぽい格好でいたのか」
と、長襦袢のままでいる私のことをにやついた目で見ている。
「すぐに着替えます」
「いいんだぞ、着替えなくてそのままで」
「壱君のこと見ていて下さい。隣の部屋で着替えてきますから」
「なんだよ!着替えちゃうのか?俺の楽しみはどうなるんだよ」
「ふえっ」
「ん?」
「えぐっ。えぐっ」
「ああ、壱君が泣きだした。一臣さんが大きな声出すから」
「壱!違うぞ。お前を怒ったんじゃないからな。ほら」
一臣さんは目尻を下げ、壱弥を抱っこしてあやしだした。多分、壱弥が寝るまでああやって抱っこしてくれるんだろうな。
その間に着替えてこよう。隣の部屋に行き、私はさっさと長襦袢や肌襦袢を脱いで、下着を着ようとした。
「わお。壱のお母さん、すげえ色っぽい格好してまちゅね」
え?
びっくりして振り向くと、壱弥を抱っこした一臣さんが立っていた。
「きゃ。一臣さん、なんでこっちの部屋に来てるんですか」
慌てて脱いだ肌襦袢で胸を隠したが、
「今さら隠したって…。ねえ、壱」
と言われてしまった。
「もう!着替えるんですから向こう行っててください」
「なんだよ。見たっていいだろ、減るもんじゃなし」
「そういう言い方もしないでください!」
バタンとクローゼットの中に入りドアを閉め、急いで着替えをした。もう油断もすきもあったもんじゃない。しばらくエロ発言もスケベな行動もなかったのに、またスケベな一臣さんになっちゃったよ。
あんな一臣さんを見て育ったら、壱弥までスケベになったりしないかなあ、ああ、心配。
夕飯の時間、一臣さんが壱弥を抱っこして、3人でダイニングに移動する。壱弥が寝ている時は、部屋にモアナさんか日野さんを呼び見ていてもらうが、壱弥が起きている時には、一臣さんはべったり壱弥といるようにしている。
ダイニングにはベビーラックが置いてある。私と一臣さんがご飯を食べている間は、そこに壱弥を寝かす。すると、みんなが代わる代わるに壱弥の顔を覗きに来る。壱弥がぐずりだすと、喜多見さんか国分寺さんが、我先にとあやしにやってくる。
食事が終わると必ずコック長が顔を出し、私の「おいしかったです」という声も聞いているんだかいないんだか、まっすぐに壱弥の顔を覗いている。
今日はお義母様もお義父様も一緒に夕飯だ。壱弥が生まれる前は、お義父様が一緒にお屋敷で食事をするなんてありえなかったことだ。孫って、それだけ可愛いんだな。
「今日はお疲れ様でした」
私と一臣さんがダイニングに顔を出すと、お義母様がにこやかにそう言って、すぐに一臣さんの腕に抱かれている壱弥に声をかけた。それも、思い切り高い声で。
「壱君も疲れたでしょ~~」
すると、お義父様までが、
「壱君、じ~じでちゅよ~~~」
と一臣さんから壱弥を取り上げてしまった。
「あなた、壱君を抱っこしていたら、お食事できませんよ」
「そうだな。じゃあ、じ~じが食べ終わったら遊ぼうな」
遊ぶ?あ!しっかりとガラガラを持ってきたんだな。スラックスのポケットに入ってる!
壱弥を喜多見さんが受け取り、ベビーラックに寝かせた。
「やれやれ、おやじ、すっかりジジバカになっているな」
「お前もだろう。すっかり顔がにやけまくって気持ち悪いぞ」
「おやじに言われたくない。おやじのほうが気持ち悪い」
「ちょっと、食事の席でやめてくださいな。みっともない」
お義母様の一言で二人は黙り込んだ。面白いなあ。こういう光景って今までそうそう見なかったし。それは、メイドさんたちも一緒のようで、みんな面白がりながら3人を見ている。
でも、これが家族のごく普通のあり方だよね。微笑ましい光景だよね。
「あ~~、あ~~」
「おや、随分と壱君はご機嫌だな」
そうお義父様が言った。私たちが食事をしていると、ベビーラックから壱弥の声が聞こえ、お義父様だけでなく、みんなで壱弥に注目した。
お料理を持ってくる国分寺さんや喜多見さんも、片付けに来る亜美ちゃんやトモちゃんも必ず壱弥の顔を覗き、にこやかに笑う。それについては、お義母様も怒ったりしない。逆に優しく微笑んで見ているくらいだ。
「赤ちゃんがいるっていいわね」
ぼそっとお義母様がそう言った。
「そうだなあ。特に壱君は天使みたいに可愛いしなあ」
「おやじ、その顔で天使とか言うのはやめろ」
「その顔でって、どんな顔だっていいだろう。それだけ壱君が可愛いってことだ」
また言い合いが始まるかと思ったけど、じろっとお義母様が睨んだからか、お義父様はやんわりと言い返した。
「あ~~~~~っ、う~~~~~っ」
「本当に壱君、ご機嫌…。それにどんどんおしゃべりになってる」
ぼそっと私がそう言うと、
「笑うようになったしな。超、可愛いよな」
と一臣さんもにやけながらそう言った。
「そのうち、ベビーチェアに座って、一緒にご飯を食べるようになるんですね」
「ああ、その頃には大変かもな。多分、大食漢になるだろうし、お前に似て」
「大食漢じゃないですからっ」
「くすくす」
私と一臣さんのやりとりを見て、お義母様が笑った。
周りに居るメイドさんや、国分寺さんも優しい目で私たちを見ている。
ああ、本当に壱弥が生まれてから、お屋敷は明るくなったなあ。
私も、天使がやってきたって心からそう思うよ。きっと一臣さんだって、壱弥は天使だって思っているに違いない。
隣でにやけながらご飯を食べている一臣さんを見て、そんなことを私は思って幸せに浸っていた。




