第11話 お屋敷に帰る
「ななな、なんで、抱きついてきたんですか?」
ちょっと、ううん。かなりショック。
「さあな」
「わからないんですか?」
「なんだか、変なことを口走っていたが、俺は弥生だけでいいし、浮気をする気も女遊びをする気もまったくないと言ったぞ」
「変なことを口走ったって?」
「う~~~ん、愛人でもいいとか?跡取りできたんだから、また女遊びを復活するんですよねとか?」
うわ~~~。そういうことを言うタイプじゃないと思ったのに。
「結婚する気はまったくないから、奥様と別れろなんて言いませんだの、一臣様の癒しになりますだの…」
「……」
そんなタイプには見えないよ。バリバリ仕事をする感じで。
「よくわからんが、俺の女になって出世したいか、贅沢したいか、どっちかだろ」
「本気で一臣さんに惚れてるとかは?」
「ないだろ。もしあったとしたら、すぐに飛ばす」
「…え、本気だとそうなっちゃうんですか?」
「そんなやつが俺のそばに居るの嫌だろ?まあ、安心しろ。今後、こんなことがあったらプロジェクトをはずすからな。とはエレベーターから降りるときに脅しておいたから」
「脅したんですか?」
「ああ。じゃなきゃ、面倒だろ。俺も疲れるだけだ。何が癒しになるだ。弥生がいれば十分癒されるからお前はいらないとも言っておいた」
無視したって言うわりには、いろいろ話したわけね。
「あ、でも、何で口紅ついたってわかったんですか」
「樋口に指摘された。若干、樋口が俺を蔑むような目で見ていたから、勝手に抱きついてこられてつけられただけだと怒っておいた」
「蔑む?」
「俺が浮気でもしたのかと疑ったんだろ。んなことするわけがないのに」
そう言うと一臣さんは私のベッドにドカッと座り、べったり私にひっついてきた。
「弥生だけなのにな。それで、浩介からは男として異常があるんじゃないかとまで言われたんだぞ」
「浩介って豊洲さん?会ったんですか?」
「ああ。今日突然秘書課に出産祝いを持ってやってきたから、昼飯おごりに行った」
「元気そうでしたか?仲直りできたんですね?」
「仲直り?別に喧嘩しているわけでもないし、喧嘩するような仲でもないぞ」
「…ですけど」
「悪態ついていたしな。工場なんかに飛ばしやがってと。だが、前より男っぽくなっていたし、仕事もやりがいがあるんじゃないのか?顔つきが変わっていたから」
「そうなんだ!やっぱり、鶴見工場って面白いんですね。きっとあそこで、鍛えられたんだ!」
「だろうな」
「そういうことを見通して、鶴見工場に移動させたんですよね?」
「……。どうせ飛ばすなら、研修が面白そうなところに飛ばしたほうが、あいつも変わるかもしれないと思っただけだ」
やっぱりね。
「あれ?それで、男として異常っていうのは?」
まだ私に抱きついている一臣さんの髪を撫でながら聞いてみた。
「俺が、奥さんにしか興味もないし、奥さんしか抱く気もおきないし、他の女を見てもどうでもいいし、万が一下着1枚で迫られたとしても、指1本触れる気なんか起きる気もしないと言ったら、そう言われたんだ」
「どういう状況でそんな話を?」
「昼飯食いながら、赤ちゃんが生まれたんだから、そろそろ他の女のもとに戻るんだろう?と馬鹿な質問をあいつがしてきたから、そう返してやったんだ」
「…」
きゅわん。嬉しい。でも、豊洲さんは相変わらずだなあ。
「女遊びのし過ぎでそうなったのかとも聞かれたが、そういうわけじゃなくて、弥生が一番いいんだと言ったら、ものすごく同情した目で見られた。俺のほうがあいつに同情する。自分のフィアンセにだって、あいつは本気じゃないしな」
「そうなんですか?」
「本気で人を好きになったことがないから、平気でああいうことを言うんだろ。あの龍二ですら、今までの女一切手を切ったし、今じゃ、奥さんの尻に敷かれているからな」
「京子さんに?」
「ああ、京子さんは強いらしいぞ?」
もぞもぞと一臣さんは私の胸に顔を押し付けてきた。
「痛いです。胸、張っているから」
「吸ってやろうか?」
「ダメです!」
「ちっ。もう壱弥だけのものになっちまったのか。悔しいな」
また言ってる。子供みたいだな。赤ちゃん返りしちゃったみたいに。
はっ。そうやって、壱君のことばかり夢中になったら、一臣さんは浮気しちゃうのかな。
「一臣さん」
「ん?」
「浮気しないで下さいね」
「俺の話を聞いていたのか?!まったく」
ぶつくさ言うと一臣さんは顔を上げ、私にキスをした。
「浮気、するわけないだろ。弥生だけでじゅ~~~ぶんだ」
ほわわ~~~~。嬉しい!
授乳の時間になり新生児室に行った。そして、病室に戻ると一臣さんはすでにベッドに横になっていた。疲れているのかなあ。
「壱弥はどうだった?」
「お腹すいて大きな声で泣いていました」
「食いしん坊だな。弥生に似たんだな」
「…そ、そうかもしれないですけどっ。でも、顔は一臣さん似ですね。絶対にかっこよくなります」
「……じゃあ、苦労するな」
は?
私も一臣さんの隣に寝転がり、
「一臣さん、苦労しているんですか?」
と聞くと、
「ああ、モテてしょうがない」
としれっとした顔をして言った。
「確かに、モテますけど」
「まあ、顔だけじゃないな。一番は緒方財閥の御曹司って肩書きだろうから。壱弥も大変かもな」
「そうですよね」
「弥生みたいな奥さんもらえたらいいんだけどな?」
キュン。また嬉しいことを言ってくれた。
「じゃ、寝るか」
「はい、おやすみなさい」
今夜もまた一臣さんの腕の中で眠りについた。
そんな新婚みたいな日々を入院の間は過ごして、退院の日がやってきた。一臣さんはちょうど出張と重なり、私は等々力さんの車で喜多見さんと一緒に壱弥を連れてお屋敷に帰った。
「おかえりなさいませ~~~~」
車が到着すると、従業員が総動員で出迎えてくれた。
「弥生様、おかえりなさいませ!」
「ただいま~~」
壱弥を連れて車から降りると、
「壱弥様!かわいらしい」
と亜美ちゃんとトモちゃんが顔を覗きに来た。
「二人ともお静かに。車に乗っていたら寝ちゃったんですよ」
喜多見さんが注意すると、二人とも声を殺して「すみません」と謝った。
他のみんなも声を潜めて「おかえりなさいませ」と私を迎えてくれて、そのあと壱弥を人目見ようと背伸びをしたり、人の隙間から顔を覗かせたり。
「ほらほら、また壱弥様のお披露目は今度にして、仕事に戻ってください。立川さん、弥生様の荷物をお願い」
「はい」
亜美ちゃんと喜多見さんに付き添われ、私は壱弥と2階にあがった。
一臣さんの部屋にはベビーベッドがすでに置いてある。そこにそうっと壱弥を寝かせた。
「かわいいですね。とっても小さい」
ベビーベッドで寝ている壱弥を見ながら、亜美ちゃんが小声でそう言った。
「弥生様、今日は一臣お坊ちゃまは出張で帰りも遅いようですので、わたくしが沐浴のお手伝いをいたしますね」
「ありがとうございます」
さすが喜多見さん、頼りになる。
「立川さんや日野さんにも覚えてもらうから、その時呼びますよ。あ、モアナさんも妹さんや弟さんのオムツ換えをしていたらしいから、手伝ってもらおうかしらね」
「トモちゃんは?」
私がそう聞くと、
「小平さんにはまだ荷が重いかもしれないですから、もうちょっと壱弥様が大きくなられてから」
と喜多見さんは答えた。
「トモちゃん、子供は好きらしいけど、生まれたての赤ちゃんは抱っこするのも怖いって、びびっていたんです」
喜多見さんが部屋を出て行ったから、亜美ちゃんが教えてくれた。
「そうなんだ…」
「私は、ばっちりお世話させていただきます。もう楽しみでしょうがなかったんです。病院にも行きたかったんですけど、みんなでおしかけても弥生様が疲れるだけですと喜多見さんに言われちゃって。弥生様が入院している間、赤ちゃんのお世話の仕方を勉強していたんですよ」
「ありがとう、亜美ちゃん。私だけだと心細かったんだ。一臣さんはいろいろと世話をしてくれるとは思うんだけど、でも…」
「…でも?」
「壱君のことが可愛いとは思うんだけど、入院中はあんまり新生児室にも行かなかったし」
「え?そうなんですか?」
「まあ、帰ってくるのがいっつも7時過ぎで、病院の面会時間も過ぎているから、新生児室に行ってもカーテンが閉まってて中が見れない状態だったんだけど」
「大丈夫ですよ。一臣様もきちんと壱弥様を可愛がってくれますよ」
「そうだよね?」
私のことは思い切り大事にしてくれるし、二人で居る時は優しいしべったりなんだけど、ちょっとだけ、壱弥のことはどう思っているんだろうって気になっちゃってた。
「それに、男の人のほうがなかなか父親だって実感できないものだって、喜多見さんが前に話していましたよ?コック長もそうだったみたいです」
「え?そうなの?そんな話をしたことがあるんですか」
「はい。寮の休憩室で子育ての体験話に花が咲いたことがあって」
そうか。いいな。寮にいたら、いろんな話が聞けたり、相談にも乗ってもらえるのかな。
「それに、私も喜多見さんも、モアナさんや日野さんもいます。日野さんは前にお勤めしていたところに赤ちゃんがいて、ベビーシッターの経験もあるって言ってました」
「それは頼もしいかも」
「だから、弥生様お一人で抱えないで下さいね。私たちのことどんどん頼ってくれてかまわないですから。そのために、いるんですから」
「ありがとう、亜美ちゃん」
なんだって、ここのみんなはお優しいのかなあ。じ~~ん。泣きそう。
「これから、お屋敷は賑やかになりますね」
「うん。壱君がもっと大きくなったら、庭でお弁当食べたり、おいかけっこしたり、裏の森で虫を取ったり、いろいろと楽しみだなあ」
「そういえば、開いている敷地に格技場とか、テニスコートとか作るって一臣様がはりきってました」
「え?ほんと?」
「はい。楽しみですね」
「うん」
でも、そんなにあれこれお金かけていいのかな。
1時間すると、壱弥は目を覚まし泣き出した。お腹がすいたらしい。授乳をしてオムツを換えた。
それからは、しばらく壱弥は目を覚ましたまま、手足を動かしていた。それをムービーで撮ったり、写真に収め、早速一臣さんにも、兄たちや父にもスマホで送った。
一気にみんなから返事が来て、
>退院おめでとう。壱弥、可愛い。
とみんな壱弥に夢中になっているようだった。
でも、一臣さんからはなんにも返信が来なかった。
「興味ないのかな。まさかね」
不安になりつつ、そのあと喜多見さんが沐浴をしているところも動画に撮った。それは、父にだけ送り、一臣さんには送らなかった。
>沐浴いいなあ。弥生たちが赤ちゃんの頃を思い出したよ。
父からはすぐに返事が来た。
夕飯の時には、国分寺さんが部屋まで私の夕飯を持ってきてくれた。1階に下りるのも大変だし、私が居ないとき壱弥が泣いても困るだろうしっていうことで。助かった。まだ、歩くとふらつくし、階段の上り下りも大変だったから。
お風呂も壱弥が寝ている隙に部屋で軽くシャワーを済ませ、髪を乾かすのも部屋でした。そうして、壱弥に授乳をしてオムツを換え、ベビーベッドに寝かしたところに、
「弥生、ただいま」
と一臣さんが部屋に飛び込んできた。
「おかえりなさい」
わあ!一臣さんだ~~~。っと私は一臣さんに抱きついた。一臣さんも私を抱きしめ、チュッとキスをすると、
「壱弥は?」
と聞いてきた。
「今、授乳もオムツ換えも済んで、ベッドに寝かしたところ」
「寝ちゃったのか」
「ううん。起きてます。ほら」
「あ~~~~~~~~~、壱弥~~~~~~~~」
うわ。声が一オクターブ高い?
「弥生が送ってくれた動画を見て、早くに帰りたくって壱弥に会いたくって、高速を樋口に飛ばさせて帰ってきたんだ」
そう言って一臣さんは、ベビーベッドで寝転がっている壱弥を見ると、
「ああ、手足動かしてる。小さいな~~」
と壱弥の手をつっついた。
「あ、弥生。壱弥が俺の指を掴んだぞ。写真撮ってくれ。いや、動画。ああ、両方とも」
「はい!」
すっごい一臣さん嬉しそう。思い切りにやけてる。
私も嬉しい。一臣さんも壱弥に早くに会いたかったんだ。
「可愛いな」
「はい」
「小さいな」
「はい」
「これからは、いっつも一緒に居られるな」
「はい!」
ギュウ。一臣さんを後ろから抱きしめた。
「寂しかったか?弥生」
「はい!」
「今日からは親子3人揃って、この部屋で過ごそうな?」
「はい!!!」
一臣さんも私を抱きしめた。そして二人で壱弥を見た。
ああ、めちゃくちゃ幸せだ!




