第8話 破水、そして陣痛
翌朝、お腹が重くってあまり眠れない日が続き、なんとなく朝から一臣さんの寝顔を見ていた。
一臣さんは私のお腹が大きいから、今までみたいに私を抱きしめて寝ることができなくなった。でも、隣で寝ているだけでもぐっすり眠れるらしく、今も隣ですやすや寝息を立てている。
ああ、麗しいなあ。高い鼻、凛々しい眉。うっとり。
それにしても今日はやけに、お腹が張るなあ…。
一臣さんが起きてからは、一臣さんが一緒にダイニングに行くのを待って部屋を出る。階段も、
「気をつけろよ、弥生」
と、私の手を取ってゆっくりと一緒に降りてくれる。
私はしっかりと朝食をとり、一臣さんはいつものようのコーヒーだけだ。新聞を広げて読みつつ、私のこともチラチラと見て、
「どうだ?具合は」
と毎朝聞いてくる。
「今日はちょっとお腹が張っているから、部屋でのんびりとします」
「そうだな。喜多見さん、ちょくちょく弥生を見に行ってくれ。それか、誰かに部屋にいてもらうようにしてくれないか」
「そうですね。交代で弥生様のお部屋で待機するようにいたします」
もう、一臣さんってば。こんなだから、過保護だって言われちゃうんだよ。と心で思ったけど口には出さない。言ったら絶対に拗ねちゃうもん。
お見送りも済み、亜美ちゃんとモアナさんに寄り添ってもらいながら部屋に戻った。
「モアナちゃん、私、掃除の担当があるから、10時まで弥生様のことをお願いしますね」
そう言って亜美ちゃんは部屋を出て行った。
モアナさんはハワイの家族の話や、ハワイの歌まで歌ってくれた。でも、なんだか歌を聴いているうちに眠くなり、ベッドに横になって寝てしまった。
起きたときにはモアナさんではなく、椅子に亜美ちゃんが座っていて本を静かに読んでいた。
「あ、弥生様」
私が顔を上げると、すぐに亜美ちゃんがベッドサイドまでやってきた。
「お加減はいかがですか?」
「大丈夫。私、寝ちゃったんだ」
「はい。今11時半だから、もうすぐ昼食ですよ」
「そう」
それからは、亜美ちゃんと一緒にいろんな話をした。
そして12時、トモちゃんが「お昼の用意ができました」と私の部屋に呼びに来てくれた。
昼食をダイニングで食べ、なんとなくお腹が重いような張っているような感覚のまま、また部屋に戻った。
なんだか、おかしい。なんとなく痛みもある。
部屋にはトモちゃんがついてきてくれていた。
「トモちゃん」
それから、30分ソファに座ってトモちゃんと話をしていたが、
「なんか、下っ腹が痛いような気がするんだ」
と言うと、
「え?まさか、陣痛?」
とトモちゃんが慌てて椅子から飛び上がった。
「ううん。そこまで痛くないんだけど」
「横になってますか?」
「うん。そうします」
そして移動しようと、よいしょとソファから立ち上がったとき、パツンという音が聞こえた。
「あ!」
そして何かあったかいものが流れる感覚。
「と、トモちゃん」
「はい?」
「破水したかも」
「えええ?!」
トモちゃんは一瞬固まった。でも、
「ソファに座って待っててください。すぐに喜多見さん呼んで来ます」
と、ものすごい勢いで部屋から出て行った。
ソファにはなんだか座れなかった。立ったままどうしたらいいんだろうと、お腹の下辺りを押さえていると、
「弥生様!」
と慌てて部屋に飛び込んできたのは、伊賀野さんだった。
「先ほど、メイドが慌てたように1階に下りて行きましたが、どうかなさいましたか」
「伊賀野さん、いてくれたんですか」
「はい。屋敷内でずっとお守りしておりました」
「心強いです。あ、そうだ。破水しちゃったみたいなんです。どうしたらいいのかわからなくて」
「破水ですか?どこかお痛みは?」
「お腹に鈍い痛みが…」
お腹をさすりながらそう言ったとき、
「弥生様!大丈夫ですか?」
と喜多見さんと日野さん、その後ろから亜美ちゃんもトモちゃんもやってきた。
「破水ですか?」
「はい」
「陣痛は?」
「鈍い痛みがあるんです。生理痛みたいな」
「陣痛かもしれないですね。今もありますか?」
「はい。あ、でも、今はそんなでもないかな」
「じゃあ、いつでも病院に行けるよう、お荷物を下に運んで、トモちゃん」
「はい」
「弥生様も1階に移動しましょうね。応接間のソファで待機しましょう。タオルを何枚か用意して、亜美ちゃん」
「はい!」
喜多見さんと日野さんに付き添われ、私はゆっくりと1階に移動した。
それから、喜多見さんが陣痛の来る時間を計ってくれ、国分寺さんは病院と一臣さんに連絡を入れた。
いつでも移動できるようにと、最近はお屋敷に等々力さんが待機していてくれた。
「予定日より早いですね」
「そうなんです…。あ、またちょっと痛くなってきた」
冷静に喜多見さんは時間を計っている。安心する。みんなが居てくれるから安心だ。
でも、でもでも、一臣さんに一番そばにいてほしいよ。
思えば、昨日寝るときも予兆があった。いつもよりお腹が重いような張っているような感覚。
でも、幸せいっぱいで、そんなこと気にとめもしなかった。
「病院に連絡を入れたら、すぐに来てくださいとのことですよ」
国分寺さんがそう言いながら応接間に来た。
「車もすぐに出せるようにしてあります」
「じゃあ、行きましょう、弥生様」
「はい」
一臣さんは?国分寺さんに聞きそびれた。国分寺さんは鞄を持ち、そのまま応接間をすたすたと出て行ってしまった。
私は喜多見さんと日野さんに付き添われ、お屋敷を出ると車に乗り込んだ。亜美ちゃん、トモちゃん、モアナさんもすぐそばまで来て、
「弥生様、がんばって下さいね」
と励ましてくれた。
「うん。行ってきます」
痛みを感じながらも、みんなにそう言って車の窓を閉めた。隣には喜多見さんが、なぜか助手席には伊賀野さんが乗り込んだ。
「何かあったとき、すぐに動けるように伊賀野を連れて行けと一臣様より申し付かっております」
そう言いながら、等々力さんが車を発進させた。
「そうなんですね、ありがとうございます」
「いいえ。弥生様をお守りするのが私の役目ですので」
姿を現してお守りしてくれるのは、初めてかもしれない。いつもは、姿を見せないようにしながら守ってくれていたんだよなあ。つくづく感謝だ。
「あ、あの、一臣さんは?」
「一臣様には連絡がつかず、細川女史に連絡を入れたようですよ」
「そうなんですね」
きっと、仕事が忙しいんだ。予定日にあわせてスケジュール組んでいたから。
ギリギリっとお腹が痛み出した。陣痛だ。
「い、痛いです」
そう喜多見さんに言うと、時計を見た。
「5分間隔になってきていますね…」
「急いだほうがいいですか?」
「いいえ。等々力さん、安全運転でお願いね。初産だし、病院についてもまだまだかかりますよ」
「まだまだ?これから?」
喜多見さんの言葉に、これからずっと痛みに耐えることになるのか…と気持ちがめいってしまった。
ダメ。弥生。お腹の赤ちゃんが心配する。しっかりしないと。
5分間隔の痛みは、徐々に増していった。病院に着いたときにも、喜多見さんに支えてもらいながら病院内に入った。
「緒方様!」
受付に行こうとすると、スーツを着た男の人がすっ飛んできて、
「お待ちしておりました。どうそ、こちらに」
と、エレベーターのほうに案内された。
私の隣には喜多見さん、それからどこからともなく現れた体格のいい男性が二人。侍部隊の人だ。見たことがある。そして伊賀野さんは、知らない間に姿を消していた。確か、車を降りたところまでは見えていたんだけどなあ。
スーツの男性に案内され、産婦人科に到着。今度は婦長さんらしい人にバトンタッチをして、病室へと案内された。
そこで子宮口の開きとか見てもらうと、
「まだ、7センチですね」
と簡単に言われ、まだまだ時間がかかるようなことも淡々と説明された。
看護師さんは出て行き、病室には喜多見さんだけが残った。侍部隊の人は廊下で待機をしているらしい。
「これから、どのくらいかかるんでしょう」
陣痛がおさまっている間に喜多見さんに聞いてみた。
「半日、もしかすると1日…」
え~~~~。そんなにか…。
「あ、じゃあ、一臣さん、仕事終わってからこれるかな。会えるかな」
「もちろん、仕事が終わったらすっ飛んできますよ。くすくす。だって、あの一臣様ですから」
「あの一臣様って?」
「弥生様をめちゃくちゃ大事にされていますからねえ」
わあ。恥ずかしい。
それから、陣痛との戦いが始まった。夕方になると祖母が来てくれた。
「弥生ちゃん、大丈夫?」
ちょうど陣痛の痛みに耐えているところだったから、祖母がものすごく心配そうに聞いてきた。
「おばあさま、来てくれたんだ。ありがとう…、うっ」
思い切りしかめっ面を見られたかもしれない。
祖母は私の腰をさすりながら、
「付き添いありがとうございます」
と喜多見さんにお礼を言った。
「予定日より早まったので、一臣様も奥様もいらっしゃらなくて。一臣様はお仕事を終えたらすぐに来ると思いますが」
「そうですか。お忙しいでしょうから、無理なさらないでとお伝えください」
「はい。ありがとうございます」
そんな会話を二人がしている間も、私は痛みと戦っていた。お腹の痛みだけじゃなく、腰まで痛くなってきた。
「あ、引いた」
陣痛は、いっときすうっと引いていく。その間に、は~~~~~~っと長いため息をつき、脱力をする。でも、またすぐに痛みがやってくるんだろうなあ。
早く、一臣さん来てくれないかな。一臣さんが来てくれたら、きっと安心してほっとする。
ああ、赤ちゃん、ごめんね。弱いママで。でも、君もパパが来たほうが安心するよね?
一臣さん、早く来て。
そう願いながら、また陣痛の痛みとの戦いが始まった。




