第7話 名前付け
出産予定日に休めるようにと、一臣さんはそれまでのスケジュールをタイトにした。家に帰ってくるのもほとんど9時過ぎ。それから夕飯を食べ、お風呂だけは私と一緒に入り、体や髪を洗ってくれる。
そして土日も、会社に行く日もあれば、家に仕事を持ち帰る時もあり、ゆっくりと二人だけで過ごせる日も少なくなってきた。
「お寂しいでしょうけれど、赤ちゃんが生まれたら忙しくなりますから、今はゆったりと過ごされてはいかがですか?」
一人で昼食をダイニングでとっていると、喜多見さんがお茶を入れながらそう言った。
「はい。そうですよね」
冷たい麦茶を飲んでから、
「喜多見さん、生まれたら大変なんですよね。夜も眠れないほどに。一臣さんも夜眠れなくなっちゃいますよね」
と、心配になり聞いてみた。
「私、ちゃんと育てていけるのか、最近、ふと不安になるんです」
「大丈夫ですよ~~~。私や他のメイドもいるんですから、安心して下さいな。そうだ。弥生様のお部屋、模様替えをする話、どうなりましたか?」
「子供部屋にしようかっていう話を一臣さんとしています。ベビーベッドは一臣さんの部屋に置くけど、遊び場を私の部屋に作ろうかって。今あるベッドも処分して、そのあいたスペースを子供の遊ぶスペースにしたらどうかって」
「いいですね、そのアイデア」
実際、一臣さんとはだいぶ前からそんな話をしていたし、ちょこちょこと子供部屋に置くものも買いに行ったり、選んだりしていた。
そして、出産予定日間近の土曜、私の部屋にあったベッドを処分して、壁に飾ってあった絵も別の部屋に移動させ、子供部屋らしい可愛い絨毯に取替え、シャンデリアもソファも、可愛らしいものへと置き換えた。
「わあ!可愛らしい部屋になりましたね~~!」
様子を見に来た亜美ちゃんとトモちゃんが、目を輝かせた。
「うん、いいんじゃないか?」
一臣さんも満足している。
「全部、弥生様が考えたものですか?」
「ううん。一臣さんと考えて決めました」
「え、一臣様も?」
亜美ちゃんが驚いている。
「なんだよ、立川。俺が選んだら悪いのか」
「とと、とんでもないっ!ただ」
「ただ、なんだ?」
「メイドたちの間では、一臣様は子育てに興味あるのかどうなのかって、その…」
じろっと一臣さんが亜美ちゃんを睨むと、
「申し訳ありませんでした。余計なことを言いました」
と思い切り亜美ちゃんは頭を下げた。
「ふん。別にいいけどな」
ぼそっと一臣さんはそう言うと、自分の部屋に戻っていった。
「弥生様はどう思われます?一臣様、子育てに興味おありなんですかね」
一臣さんに聞こえないよう亜美ちゃんが小声でぼそぼそと聞いてきた。
「あると思います」
私は自信満々にそう答えた。
でも、トモちゃんも亜美ちゃんも表情が暗い。
「だったらいいんですが。一臣様が生まれたときからいるメイドさんに聞いたら、社長は子育てにまったく興味を示さず、その頃からあまりお屋敷に戻ることがなかったと聞きましたので、一臣様はどうなのかなって…」
「大丈夫です。生まれてくるのも楽しみにしていてくれているし。あ!会社の一臣さんのオフィスだって、すっかり模様替えしたんです」
「え?そうなんですか?」
トモちゃんが、どんなふうに?と聞いてきたので、
「オムツ換えや赤ちゃんがお昼寝できるようにと、ベビーベッドも置いたし、遊べるプレイマットっていうのも買ったし…」
と具体的に話をした。
「へえ。それも弥生様が?」
「はい。樋口さんや細川女史も一緒になって、模様替えしてくれたんですよ」
「一臣様は?」
「一臣さんは忙しかったから、あんまり手伝ってくれなかったけど」
そう言うと、亜美ちゃんとトモちゃんは二人で目を合わせ、それから、
「もうすぐですね!赤ちゃん、生まれるの楽しみですね」
といきなり元気に明るくそう言い出した。
「私たちも、めいいっぱいお世話しますから、安心して下さいね?」
「え?あ、はい。よろしくお願いします」
どうしたんだろう。いきなり元気付けてくれた。もしかして、喜多見さんから私が不安がっていること聞いたのかな。
それとも、一臣さんが赤ちゃんに無関心だと思い込んで、慰めてくれているのかなあ。
「もうすぐですねえ、赤ちゃん」
「はい。痛みに耐えられるか不安なんですけど、喜多見さん、どうでしたか?赤ちゃん産んだとき」
月曜日の夜、一臣さんはまだ帰ってこなくって、一人で夕飯を食べているときに、喜多見さんに聞いてみた。ちなみに、お義母様は一昨日からしばらく大阪だ。出産予定日には帰ってくるらしい。
「痛かったですよ。破水してから病院にいって、1日かかって産みました」
私が食べたお皿を片付けながら、喜多見さんが教えてくれた。
「1日もかかったんですか?」
「はい、そうです。赤ちゃんが大きくなりすぎて難産だったんですよ。弥生様も少し歩いたほうがいいかもしれないですね。明日あたり天気もよさそうだし、朝か夕方、歩かれたらどうですか?」
「そうですね。体重も増えちゃって先生にも怒られたし。あ、このあとも少し散歩しようかな」
「ちょうど涼しくなって、いいかもしれないですね」
暑かった夏の日も、だんだんと秋めいてきている。暑い中、歩くのも大変だからと、最近はお屋敷のお庭の散歩も控えていた。
おかげで、1ヶ月で体重がどんと増えてしまい、産婦人科の先生に怒られてしまった。
ジムに行って、マタニティスイミングでもしたらどうだと一臣さんに言われたことがあったけど、休みの日はいろいろと買い物とか用事を入れてしまっていたし、平日は仕事をしていたから、そんな暇も無かったしなあ。
夕飯が終わり、一息ついてからお屋敷の外に出た。秋の虫の声が聞こえてきて、なんとも風情がある。
子供が生まれて、この庭を一緒に散歩できるのはいつかな。来年の夏には、歩ける?まだかな。秋ごろからかなあ。
「残暑がまだ厳しいですけれど、この時間は涼しくなってきましたね」
隣を歩く亜美ちゃんがそう言った。
散歩のお供は亜美ちゃんとモアナさん。トモちゃんは今日、お休みを取っている。
それから、少し後ろのほうから体格のいい男の人。多分、侍部隊の人だ。それに、木の陰には日陰さんがいるのがわかる。私が仕事を休んでからは、お屋敷内で日陰さんが守ってくれているようだ。
セキュリティが万全でも、こうやってそばで守ってくれているんだよね。
それを前、
「窮屈だったりしないの?そうやって監視されているみたいで」
と、大塚さんに聞かれたことがあった。でも、そんなことない。逆に私なんかのために、時間を割いてもらって1日守ってもらったりして、申し訳ないくらいだ。
「いいんだぞ、それがあいつらの仕事なんだから」
と、一臣さんに言われたことがあるけれど、それでも、申し訳なくって、お菓子やクッキーを作ってあげにいったことも何度かある。
つわりがあるわけではないから、暇なときにはキッチンを使わせてもらい、お菓子作りをしている。
たまに、一臣さんのお弁当も作ったりして、ちょっと奥さん気分を満喫している。赤ちゃんが生まれたら、こういうこともなかなかできなくなるんだろうなあ。
「気持ちいいですね」
モアナさんが風を感じながらそう呟いた。
「赤ちゃん生まれたら、抱っこしながらでも散歩したいなあ」
「いいですね!その時にも、お供しますからね?!」
亜美ちゃんが元気にそう言った。
「ありがとう」
「お屋敷内もきっと賑やかになるんだろうなあ。楽しみですね!」
「うん、本当に」
そして、すっかりあたりが暗くなり、私は自分の部屋に戻った。
一臣さんはその1時間後に戻ってきて、早々と夕飯を食べ終え、
「弥生、風呂に入るぞ」
と、駆け足で部屋にやってきた。
お風呂では、私のお腹をなでながら、
「もうすぐだな。壱弥」
と、名前で呼ぶようになった。
漢字の候補はいくつかあった。一哉、壱也、一矢 などなど。壱也に決まりそうになった時に、
「名前はもう考えたの?一臣。まだだったら、一臣の一と弥生さんの弥をとって、一弥なんてどうかしら」
と、お義母様がある日の夕飯の席で、そう提案をした。
「なるほど!そっちのほうがもっともらしいな。子供に、どうしてこの名前になったの?って聞かれた時に答えやすい」
一臣さんがお義母様の意見に大賛成で、私も一臣さんと私の一文字からとった名前を気に入り、いったん、名前は一弥に決まった。
「だけど、次男が生まれたらなんてつけるんだ?」
「そのときに考えたらいいじゃないですか、一臣」
お義母様の意見に、今度は耳も貸さず、
「う~~~ん、臣と生をつけあわせるか。いくおみ。変だな」
と、考え込んでしまった。
そのまま、考え込んだ一臣さんは部屋に戻ってからもパソコンで名前を調べだした。
「臣に生きるで、トミオと読ませるらしいな」
「臣生。いいですね!」
「ダメだ。トミーみたいな名前じゃないか。で、どうせ、トミーって呼ばれるようになると、やっかいだろ」
そうかなあ。
「やっぱり、二人目ができた時に考えるか。龍二のときもそうだったらしいしな」
「そうなんですか?」
「一臣って名前は、前々から決まっていたそうだ。親父が言ってたことがある」
へえ、そうなんだ。
「だけど、一人目だけ父親と母親の名前を入れたら、二人目はいじけないか心配だ」
実は心配性?
っていうちょっと面倒くさいことがあって、じゃあ、イチの字は壱っていう漢字にしましょうってなったんだよね。
「一臣さんは壱弥って呼ぶんですね」
バスタブにつかりながら、私のお腹をなでている一臣さんにそう聞いた。
「ん?なんでだ?弥生はどう呼ぶ気でいるんだ?」
「いっちゃんとか、いっくんとか」
「はあ?」
あれ?呆れたかな?
「え?変ですか?じゃ、イチ君とか」
「…まあ、好きなように呼べばいいんじゃないのか?」
「イッチー、イチリン、イチ。壱弥ちゃん」
「イッチー、イチリンはやめてくれ。チャン付けもダメだ」
「じゃあ、いっくん。イチ君」
「はいはい」
あ、呆れた?
「さあ、出るか。のぼせても困るしな」
そう言って、私の手を取りゆっくりとバスタブからあがり、そのままバスルームを出た。
一臣さんは、本当に優しい。
「一臣さん」
「ん?」
私の背中を拭きながら、一臣さんがなぜか肩にキスをした。
「前々からずうっと思っていたんです。一臣さんって優しいなって」
「こういうのは、溺愛しているとか、過保護だとか、束縛とか言うみたいだぞ」
「いいえ!優しいんですっ」
「ふはは。弥生がそう思うんならそうなんだろ」
「赤ちゃんが生まれても、優しくしてくれますか?」
「赤ちゃんを?弥生を?」
「えっと。どっちも」
「もちろんだ」
キュワン!
胸がキュンキュンして、幸せで気づけなかった。その時には。




