第15話 過保護な一臣さん
川井さんのお父さんが、緒方財閥の侍部隊の手で捕まったという報告が、その日の夜、ホテルにいる一臣さんにあった。
娘のほうは、そうと知らずに緒方家のお屋敷でメイドとして仕事をしていたらしい。でも、そこにも侍部隊の人が行き、お父さんが捕まったことを伝え、川井さんも捕まったとのことだ。
川井さんと同時に、竹沢さんも侍部隊に捕まり、事情を聞いたところ、どうやら初めは一臣さん目当てで入ったけど、川井さんにそそのかされ、入曽さんと一緒に屋敷内に盗聴器をしかけていたと自白したらしい。
緒方財閥はすぐに川井さんたちを警察に引き渡し、あとはすべて警察に任せるというAコーポレーションの時と同じ対応。二人とも警察でも目をつけていた人物で、警察も緒方財閥のおかげで逮捕できたと言っている様だ。
「警察の方々とも信頼関係があるんですね」
「ん?そりゃ、そうだ。警察に任せときゃいいことだ」
翌朝、ルームサービスで頼んだ朝食を食べながら、私は一臣さんにそんなことを聞いていた。
「でも、ドラマとかで警察のお偉いさんが、実は裏で悪いやつらと繋がっていて…なんてあるじゃないですか」
「あはははは。ドラマの見すぎだろ」
「やっぱり、そういうことってないんですか」
「さあな。そういうやつがいるかどうかは知らないが、緒方財閥と繋がっている人の中にはいないな」
「すごい信頼関係ですね」
「まあな。長年の信頼関係だな」
そっか~~~。
「さて。今日は会社に行って仕事を終えたら、屋敷に帰れるぞ」
「やっとですね」
「ああ。しばらくは、侍部隊と忍者部隊で守ってもらうけどな」
「え?でも、川井さんも竹沢さんもいなくなったのに…」
「いいや。上条グループや緒方商事の周りをうろついていたやつらは、まだ捕まっていないからな。警戒はしておかないと」
「そうですよね」
まだまだ、安心できないんだな。
「まあ、現れたら、絶対に捕まっちまうんだから、そうそう捕まるようなバカはしないだろうけどな」
一臣さんはそう言ってにこりと笑い、私の頬にキスをして、
「それにしても、朝からよく食うなあ」
と呆れた目で私を見た。
「う、ですよね。やばいですよね、こんなに食べちゃ」
つわりがなくなってから、食欲が出てしょうがないんだよね。どうしよう。
「あんまり食べ過ぎるな。赤ちゃんがお腹の中で、ぶくぶく太るぞ」
「はい。気をつけます」
「お前に似たら大食漢だな」
「もう~~~。すぐそうやって、人を大食いにしたがるんだから」
「なんだよ、真実だろ?ほら、早く出社する支度をしろ。10時からの会議に間に合わなくなるぞ」
「あ、は、はい」
そうだった。今日は機械金属のプロジェクトの会議だ。気を引き締めていかないと!
菊名さんと日吉さんが抜けた穴がまだふさがらず、残りのメンバーだけでけっこう大変らしい。その穴埋めも一臣さんがしているから、一臣さんは本当に忙しいようだ。
久々にプロジェクトメンバーに会ったら、みんなが「おめでとうございます」と妊娠したことを喜んでくれた。
子会社や工場の視察は、3回に分けてすることになっていて、4月から第2弾、東北へ、そして、第3弾は、夏ごろ北海道に行くことになっている。
西日本は大阪支社にも、このプロジェクトチームを作ったので、龍二さんが先頭になり、視察を行っているらしい。
視察に行く前にも、各工場の経営状態を数字で見て、閉鎖寸前のところを優先的に見に行く。それがたとえ、北海道でも、もたもたしているうちに工場が潰れたりしたら、申し訳ないからなと、自ら視察に行くことも一臣さんは考えている。
「妊娠していなかったら、絶対に弥生を同行させるんだけどなあ。ハードなスケジュールだから、連れて行くわけにもいかないし」
ミーティングが終わってから、一臣さんがまだ他のみんなが会議室で資料を片付けてるというのに、そんな話をし始めた。
「寂しいだろうけど、我慢な?俺も、視察したらすぐに帰ってくるから」
「いいえ。大丈夫です。一臣さんのほうが体がまいっちゃいます」
「阿呆。前から言っているだろ?お前がいないと眠れないし、そんな日が続くほうが体を壊すんだ。弥生に会えたら回復するんだから、早くに会いに帰ってくるぞ」
きゃわ~~~。今の、周りにいるみんなが耳をダンボにして聞いてた!だって、みんな一瞬目を丸くして、顔を赤くしたもん!
そして、それに気がついた一臣さんは、
「ああ、弥生、15階に戻るぞ」
と椅子から立ち上がり、私の腰に手を回し、会議室を後にした。
と思ったら、ドアの外で「し~」と口に人差し指を立て、立ち止まった。
「おっどろいたな。あの二人、噂じゃいろいろと言われているけど、すごいラブラブじゃないか」
「いや、本当に驚きましたね。まさか、一臣氏があんなことを言うなんて」
「冷え切っているようには見えないよな。あの上条さんの反応を見ればすぐにわかる」
私の反応?!え?私、なんかした?
一臣さんはそこまで聞くと、静かに歩き出した。そしてエレベーターに乗ると、
「冷え切っているだと?そんな噂まで流れているのか」
と、眉間にしわを寄せた。
「あ、え?」
「今、そう言っていただろう」
「はい。でも、私の反応がそう見えないって。どんな反応なんでしょう」
「……」
無言?なんで?腰に手を当てて何やら考え込んでいるけど。
そして、15階に着くとまた私の腰に手を回し、いや、お尻まで撫でながら一臣さんは歩き出した。それも、なんでだか私をじっと見ながら。
えっと。なんで?
「お前、俺が触ると嬉しそうな顔するし、だからわかるんだろ」
「え?!私、嬉しそうにしましたか?」
「ああ、今も、思い切り」
うそ~~~。お尻撫でられて喜んだの?私。
一臣さんの部屋に戻り、樋口さんが用意してくれたお弁当を食べていると、
「親父は社員がどんな噂をしていようが、気にしないでもいいじゃないかって言うんだけどな」
と、唐突に一臣さんは話を始めた。
「だが、親父の場合は事実だろ。おふくろとの不仲も、仮面夫婦も事実だからな。俺らが生まれてからは、それを隠そうともしなかったし、親父が屋敷に帰らないことも、愛人がいることも、みんな知っているからなあ」
「……」
それって、社員にとってどうなんだろう。どうでもいいことなのかな。
「だがなあ…」
お茶を飲んで、一臣さんが私を見る。首をかしげ、一臣さんを見つめ返すと、
「ほら、それだ。可愛い小動物だ」
と、わけのわかんないことを言われた。
「は?」
「可愛い小動物を傷つけたくないんだよ、俺は」
「私のことですよね」
「ああ。首をかしげ、曇りの無い純粋な瞳で見つめられると、こいつを守らなくちゃって気になるだろう。変な噂で弥生のことを傷つけられたくないんだよ」
「……」
最後の一言だけなら、すっごく喜べるんだけど、いろいろと余計な文言があったような気が。
「言いたいことはわかる」
「え?」
余計なことを言ったって反省しているとか?
「俺が過保護だって、親父も笑って言う。だけど、俺らが本当に仮面夫婦なら、何を言われてもいいが、こんなに仲がいいのに、こんなに大事に思っているのに、それなのに冷え切っているだなんて言われたら、腹が立つだろう、弥生も」
「腹は立ちませんけど」
「そうなのか?」
「でも、悲しいです」
「だろ?!」
うわ。一臣さんの声がでかくなった。びっくりした。
「俺はいいんだ。今まで、女遊びをさんざんしてきたし、そう言われても仕方ないと思う。だが、弥生を悲しませたくないんだ」
「……」
力説してる。なんだか、可愛い。それに、嬉しい。っていうか、くすぐったい。
「う、嬉しいです」
「……」
ガバッ!一臣さんがお弁当をテーブルに置くと、私を抱きしめてきた。
「え?」
「お前、可愛すぎるんだって」
どこが!?
「あ~~~~。わかってる。何も言うな。どうせ俺は、弥生に腰抜けになってる。そう言われても事実だからしょうがない」
腰抜け?
「それも、誰かに言われたんですか?」
「親父にも、青山にも、樋口や等々力にも」
え~~~~~~~!
「そんなの、そのうち社員全員がわかるようになるから、ほうっておけ。あと数ヶ月したら、仮面夫婦どころか、副社長は奥さんに腰抜けになっている腑抜けな副社長だって言われるようにならないよう、しっかりと仕事をしろ、とまで親父に言われた」
うそ。
「だ、大丈夫です!一臣さん、お仕事しっかりとこなしています!」
「当たり前だ。弥生に会いたいのも我慢して、今まで結婚前以上に仕事をしてきたんだ。結婚したら仕事もしなくなりました。奥さんにデレデレですっていうのも、情けない話だろ」
「はい」
「いや、仮面夫婦って噂が流れているし、仕事しないでいたら、どっかの女と遊んでいるとか言われそうだけどな」
そうか。結婚後も忙しくしていて、お屋敷に帰るのも遅かったりしたのは、そういう理由もあるからなのか。
「視察にも連れて行きたいぞ。どこにだって連れて行きたいんだ。細川女史にも青山にも止められたが、本当は今までもずっと、屋敷においておかないで、会社にも連れてきたかった」
なんか、一臣さんが弱音をいっぱい吐いてる。珍しくない?
私を抱きしめたまま、一臣さんが離れない。どうしたのかな。なんかあったのかな。
「何よりもお腹の赤ちゃんを優先してくださいと言われた。わかっている。俺も赤ん坊が大事だからな」
そう言うと、私のおでこにチュッとキスをして、やっと私から一臣さんは離れた。
そうだったんだ。私一人で寂しがっていたわけじゃなかったんだ。弱音聞けて嬉しい。いつも話してくれたらいいのに。
でも……。
きゃ~~。なんか、今さらながら、恥ずかしくなってきた。とっても嬉しいけど、やっぱりくすぐったい。どこにでも連れて行きたいとか、腰抜けだとか、大事だとか。
午後は、一臣さんは外出。私は秘書室に行き、事務仕事を手伝った。そして5時になると、
「弥生、戻ったぞ」
と、一臣さんはわざわざ迎えに来る。
ビクッと、その場にいるみんなが背筋を伸ばす。でも、そんなみんなのことも無視して、私の腰を抱き一臣さんは部屋を後にする。
「なんだって、一臣様はわざわざ迎えに来るんでしょうね」
秘書室からそんな声が聞こえてきた。
「弥生様に早くに会いたいからでしょ」
と言ったのは大塚さんだ。
「うん。大塚、ナイスフォローだな」
しめしめっていう顔をして、一臣さんは廊下を歩き出した。ああ、やっぱり、仲いいアピールのためだよねえ。
「片付けることがあるから、屋敷に帰るのはもう少し待ってくれるか」
「はい」
「15階でお茶でも飲んで、のんびりしておけ。疲れただろ?」
「いいえ、そうでもないです。最近、つわりも本当に治まったし、全然元気なんです」
「そう言って無理したら、お腹の子にさわるだろ」
「あ、はい。ごめんなさい」
もしかすると、お腹の子にも過保護になるのかもなあ。大事だと思うと、とことん大事にしそうだし。
6時半ごろ、一臣さんは、
「弥生、起きろ。帰るぞ」
とソファで寝ていた私を起こした。ちゃんと私の上には毛布がかかっていて、寝ちゃった後、一臣さんが気遣ってくれたのがわかる。
「寝ちゃいました。ごめんなさい」
「謝ることは無い。妊婦は、よく眠たくなるって、本で読んだしな」
「え?そんな本、いつの間に読んだんですか?」
「妊娠がわかってすぐにだ」
じ~~~ん。そんなことまで?!なんか、感動だ~~~~~。
「あのっ!」
「なんだ?」
「一臣さんも遠慮しないで、なんでも言って下さい」
「ん?何をだ?」
「たとえば、甘えたくなった時には甘えてください。泣き言でも弱音でも、なんでも聞きます」
「だったら、もう甘えているし、なんでも言ってるぞ。今日も聞いただろ?俺の本音」
「あ、はい。嬉しかったです」
「くす」
一臣さんが笑って私を抱きしめてきた。
「嬉しいって言ってくれるから、なんでも話せる。弥生は、本当に…」
ギュ。抱きしめる手に力が入り、そのあと一臣さんは黙り込んだ。
「本当に…?」
「なんでもない」
「え、気になります」
「言葉に出来ない。なんて言ったらいいのかわからない」
「……?」
「愛してるよ」
キュン!
「私もです」
「ああ、それも知っている」
キュキュン!
私、こうやって一臣さんに大事に思われていることがわかるから、痛いほどわかるから、それだけでもいいかな。なんて思う。
他人がなんと言おうと、幸せだもん。何を言われても、関係ないのかもしれない。
ギュ。一臣さんを抱きしめると、いつものコロンの香りがして、また胸がときめいた。いつまでたっても私は、一臣さんにときめいているんだなあ。




