第14話 心配する二人
「疑うって、どういうことだ」
一臣さんの声は穏やかだけど、亜美ちゃんのほうが少し一臣さんの顔色を気にしだした。
「以前、弥生様がご実家に行かれてから、一臣様、弥生様をご実家に戻すことはしなくなったので、今回はどうしてご実家に戻しちゃったのか気になってですね、そんな話を亜美ちゃんとしていたんです」
亜美ちゃんが話すのを躊躇していると、トモちゃんのほうがどんどん話を進めだした。
「その時、私たちの後ろにいつの間にか川井さんが来て、一臣様は弥生様をわざとご実家に帰らせて、昔みたいに女遊びをしていらっしゃるんじゃないかとか、実は、入曽さんがクビになったのは一臣様に手を出されそうになったのを拒んだからだとか、あれこれいろいろと私たちに吹き込んできたんです」
「でも、私たち、そんなこと川井さんが勝手に言っているだけで、一臣様のことを信じていました。だけど、一臣様が屋敷に帰らず、ホテルに女性と一緒に泊まったようだって川井さんに聞いて」
「ホテル?川井がそんなことを?でも、なんだって川井がそんなことを知ることができるんだ」
「え?じゃあ、本当にホテルに…」
「ちゃんと説明する。落ち着け、立川」
一臣さんはそう言って二人を椅子に座らせた。
一臣さんと私もソファに腰掛け、
「ホテルには弥生と泊まっていた。弥生が実家に帰っているっていうのは嘘だ」
と唐突に話し出した。
「え?嘘?」
「最近、屋敷で変なことが続いていただろう。入曽のこともだが、床に残っていたワックスだとか」
「はい。確かに…」
二人が同時に頷いた。
「あんな怪しい屋敷に弥生をおいておけないからな。弥生の実家では俺が守ってやれないし、ホテルにいるっていうのは秘密にしてあって、実家に戻っているという嘘の情報を流したんだ。だが、川井は俺がホテルにいるって言っていたんだな?」
「はい。あ、でも、誰に聞いたかまでは確認しませんでした」
「弥生といるとは、言っていないんだな?」
「はい」
「それにしても、なんだって私たちにそんなこと、川井さんは言ってきたんでしょうか」
「さあな。よくわからんが」
一臣さんはため息をつき、私を見ると優しく私の髪をなでてきた。
「弥生は心配するな」
「…でも、亜美ちゃんやトモちゃんに心配かけた…」
「いいんです。気にしないで下さい!」
暗い顔をしていた亜美ちゃんが、慌てたように笑顔でそう言った。その隣でトモちゃんも思い切り頷いている。
「だが、気に食わないな。なんだってまた、立川と小平にそんなことを…」
「他のメイドにも言っていました。それを聞いて中には、一臣様は跡継ぎが出来たから、女遊びを再開したんじゃないかって、そんな話をしているメイドもいて」
「トモちゃん。そんなメイドさんが、お屋敷にいるんですか?」
なんだか、ショックだ。みんなが一臣さんのことを信頼していると思ったし、私たちのことも見守っていてくれているのかと思っていたのに。
「奥様つきのメイドさんです。あまり、お屋敷にいらっしゃらないから、お二人の様子も知らないようですし、それに、奥様と旦那様は、その…」
亜美ちゃんが、言葉を濁した。
「親父とおふくろは、名ばかりの夫婦だからな。あの二人は、お互いそれを認め合っているし、それぞれに愛人もいるし、それを隠そうともしていないからなあ」
亜美ちゃんの変わりに、一臣さんがそう言ってまたため息をついた。
「まあ、いい。勝手にメイドがそう言って噂しようがなんだろうが構わない。ただ、川井の意図がわからない。そんなことを屋敷内で広めて何がしたいんだか…」
一臣さんはしばらく黙って考え込んだ。でも、
「立川と小平はもう心配しないでもいいからな。このとおり、弥生のことは俺や細川女史、他の連中でも守っている」
と優しい声で二人に言った。
「はい。安心しました」
「まったく。まさか、会社にまで乗り込んでくるとは思っていなかったがな。ははは」
あ、笑った。それを見て、亜美ちゃんとトモちゃんがびっくりしている。
「さてと。俺は午後から出ないとならない。弥生はここで、立川たちとのんびりしていろ」
「え?私たち、まだここにいてもいいんですか?」
「ああ。せっかく有給までとって弥生に会いに来たんだろう?のんびりとしていけ」
「はい。ありがとうございます」
亜美ちゃんとトモちゃんがぺこりとお辞儀をした。一臣さんは、樋口さんと一緒に颯爽と部屋を出て行った。
「弥生様、お元気そうでよかったです」
「ごめんね、亜美ちゃん、トモちゃん。嘘をついていること、ずっと気になっていたんだ。心配かけて本当にごめんなさい」
「いいえ!お元気な姿が見れただけでもよかったです!」
トモちゃんがそう元気に言ってくれた。
「コーヒーでもお入れしましょうね」
細川女史が席を立とうとしたが、
「あ、樋口さんがおいしい紅茶とクッキーを買ってきてくれたんです。私、紅茶は今飲まないようにしているんですけど、亜美ちゃん、トモちゃん、それを飲んでいってください。細川女史、私が入れてきます」
と私が腰を上げ、一臣さんの部屋に入り、紅茶を入れた。
そして、紅茶とクッキーを持って、一臣さんの部屋から戻ると、
「そちらのお部屋は、一臣様のお部屋なんですか?」
と亜美ちゃんが聞いてきた。
「はい。一臣さんのお部屋です。会社にいる時には、たいてい一臣さんはこのお部屋にいて、私もほとんどこの部屋で仕事しています」
「へ~~~~。じゃあ、会社にいる時には、ほとんど一臣様と一緒にいらっしゃるんですね」
「はい。一臣さんが外出しなければ」
トモちゃんにそう答えると、
「外出は一緒にされないんですか?」
と亜美ちゃんが聞いてきた。
「今は連れて行ってもらえなくて」
「弥生様はご実家にいらっしゃるという嘘の情報をわざと流していますから、会社に来ていることもふせてあるんですよ」
「え、そうなんですか」
細川女史の言葉に亜美ちゃんは戸惑った顔を見せた。
「じゃあ、弥生様に会わせろなんて私たちやってきちゃったのは、まずかったんじゃないかな」
「そ、そうだよね、亜美ちゃん」
こそこそと、二人で暗い顔で囁き、
「だ、大丈夫でしょうか」
と、亜美ちゃんが青い顔をして細川女子に聞いた。
「大丈夫ですよ。ここに弥生様がいるかいないかまでは、誰も話していないでしょうし」
「すみません。私たち、考えなしでした」
「今日、屋敷に戻ってから、会社で弥生様にはお会いできなかったと、そう話していただければいいだけですよ」
「え?じゃあ、亜美ちゃんたちにまで、嘘をついてもらうってことですか?」
「弥生様、いいんです。弥生様のためなら、嘘の一つや二つ、いくらでもつきます」
「トモちゃん、ごめんなさい」
「いいんですってば!」
トモちゃんがにっこりと笑った隣で、亜美ちゃんは不安そうな顔をしたまま、
「でも、いつになったら、お屋敷に帰ってこられるんですか?」
と、細川女史にそう聞いた。
「もうすぐですよ。大丈夫です。とにかく、弥生様のことはみんなで守っているので、心配しないでも大丈夫ですから」
細川女史が強い口調でそう言うと、亜美ちゃんは「はい」と頷いた。
紅茶とクッキーを食べながら、
「やっぱり、一臣様は弥生様を大事に思われていますよね」
とトモちゃんが明るく話し出した。すると、亜美ちゃんがまた暗い顔をして、
「疑ったりして、本当にごめんなさい」
と私に謝ってきた。
「いいえ。心配かけたのはこっちなんですから。でも、お二人に会えて嬉しかったです」
「私も弥生様に会えて嬉しいです」
「私もです!早くお屋敷に戻れるといいですね」
亜美ちゃん、トモちゃんの言葉に、涙が出そうになった。
亜美ちゃんたちは、細川女史が見送りに行った。その間、私は一臣さんのお部屋で一人待っていた。
川井ってメイドが、何を考えているのかも検討がつかないけど、何より、私も早くにお屋敷に戻りたくてしょうがない。いつまで、こんなふうに身を潜め、隠れるように過ごさないとならないんだろう。
細川女子はすぐに戻ってきて、
「弥生様、お疲れになったでしょう?少し横になられては?」
と、ソファベッドを平らにしてくれた。
「はい。少しだけ、横になります」
実際、疲れたわけではないんだけど、妊娠してからやたらと眠気が襲ってくる。
「一臣様があと1時間で戻られますから、それまでお休みになって下さいね」
「はい。ありがとうございます」
細川女子は静かに一臣さんの部屋を出て行った。私はソファベッドに横になり、少しだけ不安な気持ちを抱えながら眠りに着いた。
ぼそぼそと何か話し声が聞こえる。あ、一臣さんの声だ。戻ってきたんだ。
パッと目を開け、すぐに一臣さんの姿を探した。一臣さんはデスクの椅子に腰掛け、誰かと電話で話をしていた。
「辰巳さん、じゃあ、もう屋敷に戻っても大丈夫ってことですか」
え?どういうこと?
「ああ、はい。じゃあ、今日1日は様子見ですね」
ちらっと一臣さんは私を見た。そして、にこりと優しく微笑んだ。
「わかりました。よろしくお願いします」
そう言うと、一臣さんは電話を切り、
「弥生、起きたのか?」
と、私のもとに来てくれた。
「はい。辰巳さんと電話していたんですか?」
「ああ。いい情報だ。川井が動き出してな、川井の親父の居所がわかったんだ」
「川井さんのお父様?」
「名前を変えて、上条グループの子会社に潜んでた」
「え?!」
上条グループ?
「弥生の親父さんには連絡取った。水面下で今、探らせてる」
「どうして上条グループの子会社に…」
「スパイ活動していたんだろ。娘のほうは緒方財閥のメイドとして潜入させ、親父のほうは上条グループに潜り込んでいたってわけだ」
「何のためにですか?」
「黒幕がいるんだよ。日本の企業を狙っているアメリカの大手の企業がどうやら黒幕だ。もともと上条グループをのっとろうと考えていたんじゃないのか。でも、緒方財閥とつながりを持って、ますます上条グループはでかくなった。だから、阻止しようとある企業を焚きつけた」
「あ、もしかして緒方財閥がアメリカで買っちゃった土地を買おうとしていた会社?」
「そうだ。その会社の依頼で動き出したのが川井だ。だが、もともと川井も、川井の親父も、もっと大きなアメリカの企業のスパイだったんだ」
「な、なるほど…」
「アメリカにいる忍者部隊が、すごい情報を得てきた」
「え?すごい情報?」
「Aコーポレーションの社長も、アメリカの黒幕にいいように使われていた」
「え?!」
そこもつながりがあったの?
「そうやって、自分の手は汚さず、他の企業を動かして緒方財閥や上条グループをのっとろうとしている」
「その黒幕がわかって、どうするんですか?」
「ふんっ。聞いてみりゃ、たいした会社じゃない。歴史も浅いし、大手っていってもたいしたネットワークも持っていないようなへぼい会社だ」
「でも、裏で危ないことをしている会社だったり」
「まさにそうだ。表向きは慈善事業にも協力しているし、企業をアピールするCMには、ハリウッドの俳優を使ったりしているし、クリーンなイメージのある会社のようだが…」
そうなんだ。
「安心しろ、弥生。緒方財閥の底力、見せてやるから」
「底力?」
「アメリカにも緒方財閥のネットワークはあるんだよ。その企業が裏でやってるやばい取引、もう検挙されるのも時間の問題だ」
「……」
なんか、映画かドラマの中の話しみたいだ。ついていけない。
「で、緒方財閥がそこに一枚絡んでいるってことは、相手には絶対にばれないようになっているから」
「そ、そうなんですね。実は緒方財閥って、怖いんですね」
「ああ。明治の時代から、繋がっているネットワークだ。いや、江戸時代からと言っても過言ではないな」
「……。そのこと、一臣さんも前からご存知だったんですか?」
「ああ。緒方財閥の歴史っていう授業で、小学生の頃から叩き込まれた」
「学校でですか?」
「まさか!家庭教師にだ。日本の歴史よりも、時間をかけてじっくり、ねちっこく教え込まれたんだ。いつか、弥生にも教えてやるから覚悟しておけ」
うわ~~~~~~~~~~~~~。怖いかも。
上条グループの歴史は浅い。ネットワークっていっても、そうそうないかもしれない。だけど、緒方財閥は歴史がある分、縦だけじゃなく、横の繋がりもすっごく広くあるんだろうな。
「緒方財閥は、弥生も知っているようにあまり他人を信用しない。疑って疑って、しつこく疑ってかかってから、信頼関係を結ぶ。だが、その分、一回信頼関係を結ぶと、結びつきがめちゃくちゃ深くなるんだよ」
「あ、なるほど。そうなんですね」
一臣さんもそうだもんね。一回認めると、とことん、信頼するところがある。
「そうやってできていったネットワークだからな。そりゃ、強くてふっとい信頼関係があるんだ。昔の侍スピリッツが、そのまんま残っているみたいな」
「わあ、すごい」
「それが、外国のやつらとでもそうだからな。大手とはいえ、アメリカのここ最近でかくなった会社なんて、目じゃないんだ」
「すごいんですね。恐るべし緒方財閥です」
「ああ。経済的に低迷しているが、ネットワークは健在だからな。そんな緒方財閥と繋がったんだ。上条グループも安心だろ?」
「はい!」
上条グループが緒方財閥を支える…みたいに、みんなに思われているけど、けしてそんなことは無いんだと思う。確かに、上条グループは今、すっごい伸びている会社だ。だけど、歴史は浅い。ネットワークもそんなにあるわけじゃない。
そういうことを考えたら、緒方財閥みたいなでっかい財閥と提携を結べたのは、ラッキーなんだ。
ここは、私も気を引き締めて、緒方財閥と上条グループのためにも頑張らなくっちゃ。だよね!




