第13話 会社まで来た?!
今日もホテルに戻った。しばらく私が実家に行っているという設定なので、お屋敷には2~3日戻らない。
「一臣さんもお屋敷に戻らなくてもいいんですか?」
「ああ。仕事で出張とでも国分寺が適当に誤魔化しているだろ」
「亜美ちゃんやトモちゃんにも嘘を言っているんですよね」
ちょっと心が痛む。
「しょうがないだろ。敵を欺くにはますは味方からって言うだろう?」
ホテルの部屋でベッドに座っていると、隣に一臣さんが座ってきてそう言った。
「それより、1日会社に出て疲れなかったか」
「はい。大丈夫です。一臣さんが気を使ってくれたから、全然」
「気を使ったわけではないが」
「え?」
「しょうがないだろ」
何が?
「俺は過保護らしいからな」
「…誰がそんなことを?」
「みんな言ってる。樋口も青山も最近は等々力や国分寺ですら」
「私に対してですか?」
「ああ。しょうがないんだよ。甘やかすつもりもないし、気を使っているわけでもない。ただ、自然とそうなるっていうか」
「し、自然と?」
「弥生が可愛いんだから、しょうがないだろ」
ひょえ~~~~~~。今の言葉、顔から火が出た。熱い!
「あいつだけは、そうなることをわかっていたみたいだけどな」
「あいつって?」
「龍二だよ」
「そういえば、兄貴は一回大事に思うと、すごく大事にするって言っていたことがありました。だから、弥生のことも大事に思ったら、すごく大事にするだろうって」
「弥生にそんなことを言っていたのか」
「はい。ランをすごく可愛がっていたって」
「ああ。そうだ。そういうことをあいつは知っているから…」
「でも、龍二さんのこともですよね」
「ああ、大事だ」
「可愛いんですよね」
「あいつがか?まさか」
「……でも、大事なんですよね」
「うるさいなあ。弥生。そうだよ。あんなに憎らしい弟でも可愛いよ」
「うわ」
「なんだ、その、うわっていうのは」
「素直な一臣さん、可愛いって思って」
「可愛いだと?」
「きゃ!」
押し倒された?
「今すぐ、可愛いなんて言えないくらい、激しく抱いてやるところなんだけどな」
「え?!」
「お腹に赤ちゃんがいるから、このくらいで勘弁してやる」
そう言うと、熱いキスをしてきた。
ダメだ。頭くらくらするよ。
「つわりが酷いときには、キスも出来なかったしな?」
「はひ」
軽く唇にチュってだけだったから、こんな熱いキスは久々でドキドキする。
でも、嬉しい…。
広報誌が出て、ホームページに今日の取材のことが載ったら、みんなの反応はどうなるのかな。一臣さん、8歳のときのことまで、ベラベラしゃべっていたけど。
お風呂に一緒に入り、私はベッドに横になるとすぐに眠気が襲ってきた。一臣さんはまだ仕事があると、隣の部屋でパソコンを開いて仕事をしていた。
一臣さんの姿が見えないのは、ちょっと寂しい。でも、寂しがりながらも私は夢の中へと突入していた。
夢の中では、一臣さんが綺麗な人と一緒にいた。その人は私に、
「かわいそうに。あなたは用なし。赤ちゃん産んだら、一臣様は私のもとに戻ってくるの」
と同情の目で見てから笑った。
そんなことない。一臣さんはずっと私と一緒にいてくれるもん。
私はそう泣きながら、必死でその人に言おうとしているのに、声が出てこなかった。綺麗な女性は、誰だかわからない。ちょっと見、土浦さんのようにも見えるし、メイドの入曽さんにも見える。そのうち、一臣さんとその人は腕を組み、私からどんどん離れていった。
「一臣さん」
必死で手を伸ばした。声もようやく出た。
「どうした?弥生」
私の手を誰かが握り締めた。
はっとそこで目が覚めた。目の前には一臣さんの心配そうな顔があった。
「え?」
「うなされてたぞ。どうした?」
「……一臣さん」
じわ~~~~っと涙が出てきた。
「なんだ?怖い夢でもみたのか?」
「いいえ。一臣さんが誰かとどこかに行っちゃう夢」
「どこにも行かないぞ」
「はい」
優しく私の髪を撫で、
「もう俺も寝るから、そんな変な夢見ないよう、俺に抱きついていろ」
と、ベッドに潜り込んできた。
「今までお仕事ですか?」
「ああ。でも、ちょうど寝るところだった」
「…お仕事、忙しいんですね」
「まあな。いろんなプロジェクトが動いているからな」
「私、お役に立てず、ごめんなさい」
「何言ってるんだか。こうやって、弥生の隣だから眠れてるんだ。お前はここにいるだけで、十分役に立ってる。っていうか、誰よりも一番、役に立っているんだから、謝る必要なんかないぞ」
「はい」
ギュ。一臣さんに抱きついた。いつものコロンの香りがする。ああ、落ち着く。
「おやすみ、弥生」
「おやすみなさい」
妊娠すると情緒不安定になるって、本に書いてあったっけなあ。だから変な夢を見たのかな。
やっと一臣さんのことを信じられるようになったって思っていたし、一臣さんもそう言ってくれていたのにな。
「一臣さん」
「ん?」
「私、一臣さんのこと、信じていないわけじゃないんです」
「わかってるよ」
「ごめんなさい。変な夢見て」
「弥生のせいじゃないから、謝るな」
「はい」
ギュ。今度は一臣さんのほうから、私を抱きしめてきた。
「妊娠してから、弱気の弥生になっているなあ」
「自分でもそう思います」
「いろいろと気にするな。元気に赤ちゃんを産むことだけ考えていたらいいんだから。な?」
「はい」
そうだよね。うん、本当にそうだ。
お腹に手を当てて撫でてみた。お腹の赤ちゃん、お母さんが弱気で嫌になったりしていないかな。ごめんね、こんなママで。しっかりするからね。
それから、パパはすっごく優しいよ。って、お腹にいるからわかっているよね。
私のことを抱きしめながら、一臣さんはすーすーと寝息を立てた。ああ、この寝息、すっごく安心する。私も、すっかり安心して眠りについた。
お屋敷にいるほうが、いつもだったら絶対に安心できる。でも、いろいろと不安になることがいっぱいあって、気が休まっていなかったみたいだ。ホテルに来てからのほうが、私も一臣さんも本当にのんびりできた。
食事はほとんどルームサービス。二部屋あるスィートルームは意外と快適。洋服とかは、マタニティを青山さんが買ってきてくれたし、一臣さんのスーツなんかはこっそり国分寺さんが運んできていた。
会社とホテルの行き来になっていたけれど、一臣さんと一緒に行動できて、私は幸せだった。でも、私の実家近辺で怪しい人がいたり、会社近辺にも見かけないサラリーマン風の男がウロウロしたりと、私を探すような素振りを見せる人が現れだした。
「弥生は、15階から出ないほうがいい。目をつけていた男がビル内に入ってきたという報告が、日陰からあった。IDカードを下げていて、勝手にエレベーターに乗ってきたらしいが、どこの部署に行くこともなく、うろついてまたエレベーターで降りて行ったらしい」
「どこをうろついていたんですか」
「カフェと、広報部あたりらしいぞ。カフェではうろつくだけで、席に着かなかったらしいし、広報部も声をかけられ、そそくさとエレベーターに乗ったらしいから、かなり怪しい。辰巳さんが監視カメラでチェックしたが、緒方商事の人間ではないようだ」
「でも、IDカードしていたんですよね」
「偽ものだろ。本物だったら、どこかの部署にでも入っているはずだ。IDカードの必要の無いところだけをうろついていたらしいからな」
「そうなんですね…」
「受付にも、ビルの警備の人間にも監視カメラで撮った写真を見せてある。要注意人物で、もしビルに入ってきたら、社長室か、俺のところに連絡するようにとな」
15階の一臣さんの部屋で、そんなことを話していた。もちろん、一臣さんもビル内を移動するとき、注意を払うようになった。樋口さんだけではなく、忍者部隊の人が必ず守るようになり、私は15階に居残り、常に細川女史が私をサポートすることとなった。
15階まではさすがに来れないだろうが、一人だけでは行動するなと注意を受けている。
実家の上条家も心配だ。事情をお父様にも話し、お父様の近辺にも忍者部隊が見守るようになり、上条グループ本社には、常時侍部隊がいることとなった。お父様にだけは侍部隊と忍者部隊の話をしたらしく、お父様は相当驚いていたらしい。
というのは、樋口さんから聞いた話なんだけど。
そんなこともあり、お屋敷に帰る日は1日、また1日と遅くなっていった。お屋敷内では、亜美ちゃんたちが心配をし始めたらしく、国分寺さんは、一臣様のお仕事が忙しくお屋敷に戻れないため、弥生様に寂しい思いをさせないようにと実家にいてもらうようにしていますと、そんな嘘をみんなに言っているようだった。
嘘を言っているのが、気が引ける。
そんなことを思っていた翌日のこと、15階で一臣様とお昼のお弁当を食べていた時、
「一臣様、受付に怪しい女性二人が、弥生様のことを聞きに来たと伊賀野から連絡が入りました」
と、スピーカーで樋口さんが報告をしてきた。
「受付に?それで、その女たちは今どこにいるんだ?」
「警備員が来て、取りおさえているとのことですが」
「わかった。すぐに辰巳さんにも連絡を入れてくれ。俺もすぐに行く」
そう言うと一臣さんはすばやく上着を手に取り、
「弥生はここにいろ」
とオフィスのドアを開けた。
ドアの向こうで樋口さんも細川女史も、すぐに動ける体制でスタンバイしている。
「弥生様は今日会社に出ているのかとか、今はどこにいるのかとか、会わせろとか、かなりごねている様子です」
「ごねるだと?そんなことをしたら怪しいのは丸わかりだし、いったいなんでそんなまねをしているんだ」
「わかりません」
「弥生は絶対にここを動くな。細川女史はここに待機していてくれ」
「わかりました」
「一臣さんは?大丈夫なんですか?」
「一臣様にはわたくしたちがついていますから大丈夫ですよ、弥生様」
樋口さんが優しくそう言い、そしてすぐに厳しい顔つきになった。
樋口さんと一臣さんが出て行ってからすぐ15階に電話が入り、細川女史が出ると、
「日陰です。一臣様は?」
と、受話器から日陰さんの声が漏れて聞こえてきた。いつも小声なのに、本当はこんなに大きな声で、滑舌よく話すんだなあ。
「樋口さんと出ていかれたわ。そろそろ1階に着くんじゃないかしら」
「ああ、じゃあすぐに樋口さんに電話してください。受付に来ていたのは、お屋敷のメイドです」
「やっぱり?例の二人なのね?!」
細川女史が、いつになく取り乱しながら声をあげた。
「いいえ。弥生様がお屋敷に帰れないのを心配して、立川さんと小平さんが来たんですよ。辰巳さんがお二人を15階にお連れするそうなので、入れ違いになるかもしれません」
「え?!今、なんて?」
私はびっくりして、思わず細川女史の手にある受話器に向かって聞いてしまった。
「弥生様ですか?」
日陰さんがそう聞いてきた。細川女史が私に受話器を渡してくれたので、
「そうです。亜美ちゃんとトモちゃんが来ているんですか?」
と、さっきの細川女史のように取り乱してしまった。
「はい。伊賀野は認識が無かったので、怪しい人物だと報告したようですが、わたくしが現場に行き、確認しました。すぐに辰巳さんも来たので、辰巳さんがお二人に同行してエレベーターに乗ったんです」
「じゃあ、待っていたらここに来るんですね?」
そんな話をしているうちに、細川女子は携帯で樋口さんと連絡を取り合っていた。
と、そのとき、トントンとノックの音がして、
「失礼します。辰巳です」
とドアを開け辰巳さんが顔を出した。
「弥生様、お屋敷のメイド二人をお連れしました」
「弥生様!」
辰巳さんの後ろから、トモちゃんと亜美ちゃんが顔を出し、
「よかった!ちゃんと会社にいらしてた!」
「元気そうでよかった!」
と、目を潤ませ部屋に入ってきた。
「どうしたの?二人とも」
細川女史が聞くと、
「ずっとお屋敷に戻らず、ご実家に行っていらっしゃるから、具合が悪いんじゃないかとか、また一臣様と喧嘩でもしたのかとか、すっごく心配になったんです」
と亜美ちゃんが、うるうるした目で細川女子を見て、そして私のことも見た。
「一臣様は仕事が忙しいと聞いていますけど、そんな理由だけで弥生様をご実家に帰すなんてありえないし」
「何でそう思うの?」
トモちゃんの言葉に細川女史が聞いた。私は亜美ちゃんに抱きつかれ、亜美ちゃんは「よかった、よかった」と涙声になっていた。
「だって!前にご実家に弥生様が帰っちゃったときに、婚約破棄するなんて言ってお屋敷に戻らなくなっちゃったし。もう2度と実家には行かせないって、一臣様、よくそう言っていたから」
「ああ、なるほどね。それなのにご実家に行くなんて、よっぽど何かあったんじゃないかって、心配になったわけだ。でもメイドの仕事さぼって来ちゃってよかったの?」
「有給出して来ました。国分寺さんに弥生様のことを聞いても、なんかはぐらかしているみたいだし、誰にも言わず、トモちゃんと有給出して会社に弥生様がいらっしゃるか確認しに行こうって話になって」
「弥生様がいない間に、有給消化していいですかって喜多見さんにも聞いたら、そうね、今のうちに休まないと赤ちゃん生まれたら休めないものねって、すぐにお休みをくれたんです」
私から離れ、落ち着いた亜美ちゃんがそう言うと、トモちゃんが今度は私に抱きついてきた。と、そこにバタンとドアを開け、一臣さんが入ってきた。
「お前ら、何しに来たんだ!」
「一臣さん、怒らないであげてください。二人とも私を心配して」
「わかってる!そんなことわかってるけどなあ。まったく」
一臣さんは脱力したって感じでため息をつき、
「まあ、いい。二人が弥生のことを大事に思ってくれているのは知っているからな」
と優しい声でそう言った。
「申し訳ありません。一臣様」
一臣さんがちゃんと許したのに、二人は思い切り頭を下げた。
「私たち、一臣様のこと、疑っちゃってました!」
え?疑うって、どうして?




