第12話 仲よしをアピール
「8歳?」
市川さんも小岩さんも同時にびっくりして聞いてきた。
「ああ。俺が8歳で、弥生は7歳のとき」
「その頃にお会いしていたんですか?」
「ああ」
一臣さんは静かに話しだした。
「当事親父が弥生の祖父に柔道を習っていて、俺と龍二がその道場に一緒に遊びに行ったことがあるんだ。弥生も柔道を習っていたらしく、俺と手合わせをして俺はまんまと弥生に投げられた」
まんまとって…。
「投げられた?」
「ああ」
「それが最初の出会いで最悪な…」
「いや」
市川さんの言葉を遮り、
「投げ飛ばされたのは確かにショックだったが、そのあと弥生と話をしたんだ。それがとっても印象に残っていて…。さっき、弥生が大学に入って俺を見て、恋に落ちたと言っただろ?最初に恋に落ちたのは弥生のほうだったと」
と静かに一臣さんは話しだした。
「え?はい。確かにそうおっしゃっていましたよね」
「正確には違う。弥生は8歳のときの俺のことを特に何も感じなかったようだが、俺のほうは弥生に恋しちゃったんだよ」
「え!?」
一瞬、市川さんも小岩さんも黙り込んで静止した。そして、慌てたように小岩さんはカメラのシャッターを押し、多分、真っ赤になって一臣さんと目を合わせた私を撮ったんだと思う。
「恋しちゃった?もしや、一臣様の初恋のお相手?」
「そのとおりだ。屋敷に帰ってから俺は、親父や他の連中にも、弥生と将来結婚すると息巻いていたくらいだし」
「え~~~~!!!」
市川さんが大声を上げ、のけぞった。それを小岩さんがパシャパシャと写真に撮り、
「ほえ~~」
と、力の抜けた声を発した。
「じゃ、じゃ、じゃあ、世間では政略結婚…とか言われていますけど」
「親父が俺の言ったことを覚えていて、弥生と婚約させたんだろ」
「じゃ、じゃあ、それは、つまり、初恋が叶ったという」
「そうだな。そういうことだ」
「ひょ、ひょえ~~~~」
市川さんまでが、声にならない変な声を出した。
「それ、弥生様はご存知で?」
「あとで知りました。聞いてびっくりしました」
「じゃあ、初恋の相手が婚約者だって知った時は、一臣様喜ばれて?」
「俺がそれを知ったのも、ずいぶんと後になってからだ。あのときの女の子が弥生だって気がついたのは、婚約してからだったし。な?」
「はい」
「知らずに婚約を?」
「そうだ。間抜けだろう?」
自分で間抜けって言った?ど、どうしちゃったの?一臣さん。なんか、ボロボロと情けない話もしちゃうし、(投げ飛ばされたこととか)あっけらかんと隠さずに正直に話しちゃうし。
「いえ、間抜けってわけではないですが…。でも、驚きです」
「もう一つ、間抜けな話があるが、聞きたいか?」
「え?なんですか?」
何?何を話す気?
「大学時代、こいつのことはよく知らなかった。それに、眼鏡かけて、今とは全然違っていたし」
「そうなんですか」
「ただ、卒業式の時には、レーシックも受けて、眼鏡はかけていなかったし、今と同じすっぴんだった」
「すっぴんなんですか?今も?」
「化粧、落ちちゃったみたいで」
慌ててそう言うと、
「すっぴんでも肌が綺麗だし、大丈夫だろ?」
と一臣さんが、また涼しい顔で言った。
「え、もちろんです。本当にお肌綺麗だし、すっぴんと思えないほど…」
「そうなんだ。こいつは化粧しないほうがいいんだ。まあ、幼くはなるかもしれないが、そこが可愛いんだし」
可愛い?!
ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~。もう、喋らないでほしいくらいだ~~~。
ほら、市川さんも小岩さんも引いてる!目が点になってる。呆れてる!
「話しを続けるぞ。弥生も、横でそんなにジタバタするな。静かにしてろ」
恥ずかしくて、体をうねらせていたら、一臣さんに叱られた。
「卒業式に、何かあったんですか?」
「いや、何があったわけではないが」
市川さんの質問にそう答え、
「弥生が一緒に写真を撮りたいと言ってきたんだ。俺は、その当事弥生がフィアンセだって知らなかったし、こいつの顔も知らなかったし」
と、話し出した。
「それで、一緒に写真を?」
「いや、断った」
「え?な、なんでまた?」
小岩さんのほうが聞いてきた。
「俺には上条弥生っていうフィアンセがいる。それだけは知っていた。でも、本人がまさか同じ大学にいるとは思ってもいなかったし。だから、一瞬にして惚れた相手がフィアンセとは知らなかった。一緒に写真を撮ったところで、フィアンセがいる俺にはどうにもできないから、だから、写真を撮ることすら断ったし、話もしなかったし、追いかけていって名前も聞かなかったし、思いも封印したし」
「い、今、一瞬にして惚れたって?」
「ああ、一目ぼれって言うのはあるんだな?初めて会った相手に、一瞬にして恋をする。あ、でも、初めてじゃないな。8歳の時にすでに会っていたから、俺は人生で2回も同じ相手に一目ぼれしたんだ」
うっきゃ~~~~~~~~~~~~~~~~!!
「一臣さん、もうやめましょう。その話はやめて下さい。私、恥ずかしくて倒れそうです」
一臣さんの腕にしがみついてそう言うと、一臣さんはきょとんと私を見てから、大笑いをした。
「恥ずかしくて倒れるのか?お前、ほんと、面白いよなあ」
「笑い事じゃないです。どうしちゃったんですか?なんでそんなことまで、ばらしちゃうんですか?恥ずかしくないんですか?」
「今の、本当のお話なんですね?真実なんですね?作り話じゃないんですね?」
「当たり前だ。作り話をしてどうする。俺は、自分のフィアンセと知らずに惚れて、勝手に報われないと思って思いを封印した。な?間抜けな話だろう。はははは」
大笑いをする一臣さんを、市川さんは目を点にしたまま見つめ、小岩さんは写真をひたすら撮り続けた。
「で、では。えっと。一臣様は奥様にものすごく惚れ込んでいらっしゃる」
「ああ。惚れてる」
きゃ~~~~~~~~~~~~~~~。顔、上げられない。きっと私真っ赤だ。
「弥生様も一臣様に」
「ああ、ぞっこんだ。な?」
コクコクと下を向いたまま、首を縦に振った。
「で、では、政略結婚というよりも…」
「俺の初恋がめでたく叶って、ゴールインできた。幸せなカップルってわけだ。な?」
「ゴールイン?幸せなカップル?」
市川さんがオウムのように繰り返すと、
「そうだ。そう記事にも書いておいてくれ」
と、一臣さんはクールな顔でそう言った。
「え?記事にしていいんですか?ここだけの話じゃないんですか?」
「いいや。真実だから、記事にしていいぞ。俺たちの馴れ初めだ。そういうことが聞きたかったんじゃないのか」
「はい。そうですが。まさか、馴れ初めがあると思わずに」
「え?」
「いえ。あの。親同士が勝手に決めた政略結婚かと…。あ、すみません」
市川さんは一臣さんが睨んだから、慌てて謝った。
「まあ、いい。みんなにもそう思われているようだから、ちゃんと真実を知ってもらわないとな。噂では仮面夫婦だとか言われているらしいが、そんなことはないからな。見てわかるとおり、仲がいい」
そう言うと一臣さんは、私の肩を抱いた。
「それは、ずっと手を繋いでらっしゃったので、わかっていましたが」
小岩さんがそう言うと、一臣さんは、
「ああ、忘れてたな。手、繋いでた。癖だな。いつも繋いでいるから」
といけしゃあしゃあとそう言った。
嘘ばかり。絶対に仲いいアピールしたんだよ。だっていつもは、手を繋いでいるより…。どうしていたっけ?あ、私の太もも撫でてる。
それはさすがに、できないか…。
15階に戻る間、広報部のみんなは私たちをじろじろと見た。一臣さんは私の腰に腕を回し、
「弥生、疲れなかったか?大丈夫か?」
とやや大きめの声でそう聞いてきた。
「はい、大丈夫です」
本音は、思い切り疲れています。
「そうか。15階に行ったら、少し休め。久しぶりの会社で疲れただろう」
「はい」
一臣さんの声、みんなに聞こえる大きさ。これ、絶対に優しさアピールしているよね。
「弥生様のこと大事にしている」
「やっぱり、仲いいんじゃない?」
後ろからそういう声がした。隣で一臣さんが、よしって口元を緩ませた。やっぱり、作戦か。
でも、15階に戻ると、
「樋口、弥生が疲れたようだから、少し休ませる」
とすぐさまそう樋口さんに伝えた。
「大丈夫ですか?弥生様」
「はい」
「俺も、弥生と休むから、取次ぎとかしばらくしないでくれ。あれ?細川女子は?」
「秘書課です」
「何かトラブルでも?」
「いいえ。江古田さんから相談を持ちかけられているようです」
ギク。まさか、土浦さんのことかな。
「そうか。じゃ、頼んだぞ」
「はい」
一臣さんのオフィスに入ると、
「ほら、弥生。ソファをベッドにするから、少し横になれ」
と、ソファの背もたれを倒してくれた。
「大丈夫です」
「いや、かなりしんどそうだぞ。横になれ。毛布持ってきてやる」
うわ。優しい!
一臣さん、優しさアピールしてたけど、二人きりではもっと優しくなる。
声も表情も、ずっとずっと。
「一臣さんは?休まれないんですか?」
「ああ。プロジェクトのことで、見る資料があるからな。弥生は気にしないで休んでいいぞ?」
そう言って、一臣さんは一人掛けのソファに座り、資料を読み出した。
「嬉しい」
「ん?」
「いつもお屋敷だと、一人でベッドに寝てて、すっごく寂しかったから。こうやって、一臣さんがそばにいてくれるだけで、すっごく嬉しいんです」
「そうか」
にこりと一臣さんは私を見て優しく微笑んだ。
「でも、さっきはびっくりしちゃいました」
「真実を言っただけだ」
「で、でも。投げ飛ばされたことまで言っちゃうなんて」
「子供の頃の話だ。別にいいだろ?もう時効だ」
何が時効なんだか。
「あの記事を読んだら、さすがに噂は消えるだろ」
「はい、そうですね」
「俺に色目を使ってくる女もいなくなるだろ」
「え?」
色目?
「たとえば、土浦だっけ?プロジェクトの」
え?!
「あいつ、弥生に変なこと言ってなかったか?横に行ってこそこそと話しをしていただろ?」
「知ってたんですか?」
「やっぱり。お前、顔色おかしくなってたけど、変なこと言われたのか?」
一臣さんってすごい。ちゃんと見ててくれたんだ。
「だ、大丈夫です。いつものパターンです」
「いつもの?」
「同情されただけです」
「同情?」
「はい。でも、気にしていません」
「……。あれか。跡継ぎを生むだけの道具…みたいな」
「はい」
「そうか。弥生、すまない」
え?
「なんで、一臣さんが謝るんですか?」
「俺が、お前をちゃんと知る前に、親父が勝手に決めたフィアンセを嫌がり、女遊びをして、結婚しても女遊びはするだの、とんでもないわがままばっかり言ってきたからな。跡継ぎさえ生ませたら、屋敷には帰らないとか、そう言っていたのは俺自身だし…」
う。それで謝ったのか。びっくりした。
「は~~~あ。自分で自分が情けないよな。大人気ないことをしてきた」
「後悔しないで下さい。今は、ちゃんと一臣さんに大事に思われているって、わかっています」
「……。俺のこと、信じているんだよな?」
「はい」
「そうか。やっと、信じてくれるようになったのか」
?やっと?
「他の女と何かあるんじゃないかって、疑っていたこともあっただろ?」
「それは、自分に自信が無かったから」
「自分に自信が持てたのか?」
「えっと。一臣さんが本当に優しいし、大事に思ってくれているから、自信が持てたっていうか」
そう言うと、一臣さんは立ち上がり、私の隣に寝そべった。
「やっぱり、少し一緒に寝る」
「はい」
「添い寝、してほしいだろ?」
「はい!」
べたっと一臣さんの胸にひっついて顔をうずめた。
「一臣さん」
「ん?」
「もう、コロンつけても大丈夫です」
「コロン、つけたほうがいいのか?」
「あの香り好きなんです。ドキドキするって言うか、でも、落ち着くって言うか」
「そうか。わかった」
一臣さんは私のおでこにキスをして、おやすみと耳元でささやいた。
ギュ。一臣さんに抱きつき、好き…と思わず言ってしまった。一臣さんは、優しく私の髪を撫でた。でも、俺もだとか、好きだとか言ってくれなかった。
ほんのちょっとだけ、寂しいなって思っていると、
「愛してるよ」
と耳元でささやかれた。
ひゃあ。胸がドキンって高鳴っちゃった。
ああ、今日も、私は思い切り幸せだ。




