第10話 同情と妬み
ミーティングは、まったく新しい企画のものだった。それも、プロジェクトチームはほとんどが女性。このプロジェクトが成功すれば、まったく新しい部署ができるという。
「もともと緒方繊維っていう会社はあったんだが、アパレル関係はなかったんだ」
「アパレル?」
「緒方商事でブランドを立ち上げ、上条グループのビルに店を出していこうという企画があって」
「洋服ですか?!」
「ああ。で、そのブランドを立ち上げるプロジェクトチームがこのメンバー」
そう言って一臣さんは、資料を見せてくれた。
「わあ!すごい!緒方ブランドができるんですね!」
「あ、お前はメンバーに入っていないからな。今日はただの俺の付き添いだ」
「え?私は除外ですか?」
「もちろんだ。お前、服のセンスゼロだからなあ」
ぐっさり。いや、わかっていたことだけど…。
「アメリカにも上条グループとのビルが建つだろ。そこにも出店しようと思っている。そして、成功したら世界進出だ」
うわあ。
「衣類は今までも緒方繊維で扱っていたし、ブランドもあった」
「そうなんですか?」
「肌に優しいとか、丈夫だとか、そんな感じのコンセプトで、インナーウエア、あとスポーツウエアにも力を入れてきていた」
「そうなんだ~~~」
「知らなかったのか?」
「すみません…。あ、じゃあ、一臣さんが着ていたテニスウエアとかって」
「ああ。緒方繊維で作った布を、大手のブランドとコラボして作ったもんだ」
「へ~~~」
「だが、これからは緒方財閥でブランドを立ち上げ、そのブランドでメンズ、レディス、子供服、ベビー服、スポーツウエアから、インナーウエア、ビジネススーツ、靴、鞄、タオルだの寝具まで、作ろうと思っているんだ」
「すご~~~~~~い」
聞いているだけでもわくわくする!
「すごいだろ?まずは大阪に建てるビルと、六本木の上条グループのビルに、店を出す。そのプロジェクトチームだ」
「じゃあ、プロジェクトチームのメンバーもすごい人の集まり?」
「ああ、凄腕のやつばかりだ」
「すごい!」
「俺は機械金属のプロジェクトを任されているから、あまりこっちのプロジェクトには関われないんだけどな。でも、たまには顔を出してみようと思っている」
「わ~~~~~~」
知らぬ間に、そんなプロジェクトまで動き出していたなんて。
なんていう名前のブランドになるのかな。緒方財閥だから、なんだろう。
「ブランド名って決まっているんですか?」
「まだだ。もう候補はあがっているみたいだがな」
「なんですか?!どんな候補があがっているんですか?」
「知らん」
「え?」
「それは、龍二に任せてある。大阪のビルに入るわけだし、このプロジェクトチームにもあいつは絡んでいるしな」
「へえ」
一臣さんは、関心ないのかなあ。
「可愛いベビー服や、子供服を作って、子供に着せような」
「え?!」
関心って、そこ?
「今、託児所の施設も考え中だ」
「え?そのビルに?」
「オフィスにだ。だが、俺らの子供は15階で面倒みたいよなあ。やっぱり、ベビーシッターを雇うか」
「え?オフィスに赤ちゃん、連れてきていいんですかっ?」
「ああ。そのほうが、お前も働きやすいだろ?屋敷においてくるのは、心配だしな。今回の件があって、屋敷のセキュリティも強化しないとならないって感じたし、子供を安心しておいておけないって、痛感した」
「そ、そうですね」
「ここなら、変なやつが入って来れないし、屋敷より安心だろ?」
「はい…。でも…」
なんだか、閉鎖的な気もする。
「弥生や俺が屋敷にいる間は、もちろん屋敷で育てるし、年齢が上がれば、ここに閉じ込めておくのは無理だから、そのときにまた考えよう。な?」
あ、私の心配、わかってくれた。
「はい」
出産に間に合うよう、15階を改造することにもなった。一臣さんのオフィスの奥の部屋に、ベビーベッドを置いたり、子供の遊び場を作る。無駄にでかかったクローゼットを半分のスペースにするようだ。
赤ちゃんを連れて、仕事に来れる。一臣さんも一緒に育児をしてくれるんだろうか。
って、想像できないなあ。オムツ換えをする一臣さんとか、赤ちゃんをあやしたり、寝かしつけている一臣さんとか。やっぱり、全部ベビーシッターさんに任せることになるのかな。
ううん、ダメ。私が絶対にしたい。仕事もしたいけど、子育てもちゃんとしたい。
そんなこと、わがままかな。でも、子供の世話は私が絶対にしたいよ~~~。
「15階なら、親父やおふくろも見に来るだろうし」
「赤ちゃんを?」
「ああ。親父なんか、俺の世話はしなかったけど、孫の世話ならしそうだよな。あ、おふくろは、俺が赤んぼうの頃は、仕事をしばらく休んで、育児に専念していたしな」
「え?そうなんですか?」
「龍二が生まれて、2歳くらいになるまでは、ずっと屋敷にいたぞ。ほんの少しだけ、俺は記憶が残ってる。龍二は忘れてるだろうけどな」
そうなんだ。お義母様が育児をしていたんだ。そっか~~。
私、赤ちゃんの頃から、ベビーシッターとかに面倒見させちゃっていたのかなって、ほんのちょっと思ってた。でも、ちゃんとお義母様の手で、一臣さんも龍二さんも育てられたんだな。
「なんか、どんどんワクワク楽しみになってきました」
「ん?赤ちゃんか?」
「はい」
「そうだな。俺も楽しみだ」
一臣さんが、パパ。いったい、どんなパパになるのかな。
ああ、やっぱり、想像つかない!
「弥生、ミーティングだ。行くぞ」
「あ、はい」
一臣さんの部屋で、しばらく話し込んじゃったけど、急いで10階の会議室に移動した。
すでに、会議室に入るとメンバーが揃っていた。お茶の用意は、秘書課の大塚さんと矢部さんがしてくれていた。
「弥生様!」
私を見て、矢部さんが声を上げた。大塚さんも私のところにすっ飛んできて、
「もう、つわり大丈夫なの?」
と小声で聞いてきた。
「はい。今日から仕事復帰です」
「よかったねえ!あ、ごめんなさい。タメ口で。よかったですね。弥生様」
大塚さんは私の隣にいる一臣さんを見て、慌ててそう言った。
「大塚も矢部も、屋敷まで来てくれてありがとうな」
「い、いえ、そんな」
一臣さんにお礼を言われ、二人とも恐縮して、そのまま腰を低くして部屋から出て行った。
「待たせたな。今日は、俺の仕事の補佐もしてもらっている弥生も連れてきた。あ、もちろん、弥生のことは知っているよな?」
「はい。存じております。副社長夫人ですよね」
「ああ、そうだ。今日のミーティングに弥生も参加するからな」
「はい」
そう答えたのは、このチームのリーダーらしい。
メンバーは女性6人、男性二人の計8人。マーケティング部、広報部、繊維資材部、経理部、生活雑貨部から集められた。20代後半から40代までいる。リーダーは40歳、女性。マーケティング部。見た目もバリバリのキャリアウーマン!って感じのビシッとスーツが似合う女性だ。
そして、私が何より気になったのが、一臣さんにやたらと話しかけ、一臣さんのことばかりを気にかけている広報部の若手女性社員。若手と言っても、私よりも上だろうなあ。黒髪ロング、スレンダーなのに胸だけは大きく、香水の匂いが鼻につく。つわりがひどい時だったら、吐いていたかも。
顔は…。つけまつ毛バサバサで、化粧もばっちりで、素顔がわからない。とにかく、絶対に一臣さんに気があるのは見え見え!!!
いやだなあ。気にしないでもいいんだろうけど、一臣さんのことは信じているけど、やっぱり、いい感じはしない。
「一臣様が、このプロジェクトに関わっているだなんて、すごく嬉しいです」
その女性の名前は、土浦さん。ちょっと鼻声の甘ったるい話し方だ。
「そんなに関わるわけじゃない。たまにしか、顔は出せない」
「一臣様、お忙しいですものね。そんなに忙しくて、休まる時はあるんですか?」
「ある。屋敷に帰れば、ちゃんと休める」
「お屋敷に?」
「ああ」
「忙しくて、会社に泊まるときもあるって聞きました。ホテルに泊まっちゃうときもあるって」
「いや、結婚してからはないな」
「奥様がいらっしゃるお屋敷に直行するって、聞いておりますよ」
そう口を挟んできたのは、リーダーの平井さんだ。
「ああ。新婚だからな」
わあ!一臣さん、どうしてそういうことを、いけしゃあしゃあと普通の顔で言うかな。
「あの、弥生様は、つわりでお休みになっていたとか」
「そうだ。まだ、妊娠していることは発表していないが…。そろそろ安定期にも入るし、発表する時期だな、弥生」
「え?!は、はひ」
妊娠をどこに発表するのか、よくわかんないけど、焦って返事しちゃったよ。
「皆さん、お喜びになると思いますよ」
そう言ったのは、男性社員。ゴマすりが上手そうな雰囲気のある30代の男性。
「そうだな。跡取りができるんだ。みんな、そりゃ、喜ぶだろう」
うわ。プレッシャーがまた…。
「よかったですねえ、一臣様。これで、安心ですね。弥生様も、無事にお子様を生んだら、お役目も果たせるってものですよねえ」
土浦さんが、なんだかいやな微笑み方をしながら、私を見た。
その目つき、心のうちまでわかっちゃう。前はわかんなかったけど、そういう目つきで見る人が多いから、だんだんわかってきちゃった。私に対する同情の目。あなたの役目はこれでおしまい。かわいそうにっていうような、そんな目。
それから、ミーティングが始まった。一臣さんは特に何も意見することなく、ただ聞いていた。私も横で聞きながら、さすが、みんな優秀な人が集まっているよなあ…と感心していた。
ミーティングが終わり、リーダーが一臣さんと話があると言うので、私は会議室の隅で待っていた。すると、土浦さんが私の隣にやってきて、書類を整頓しながら、
「お疲れ様です」
とにこやかに挨拶をした。
「お疲れ様です」
そう答えると、
「もう会社には来られないかと思っていました」
と、小声で話しかけてきた。
「え?」
「お子様生むまで、ずっとお屋敷にいるんじゃないかって思っていました」
「…体調、よくなったので仕事に復帰しました」
私の具合が悪いって噂でも、広まっているのかな。
「弥生様の役目って、後継ぎを生むことじゃないですか」
「はい」
「私、同情しちゃうなあ」
やっぱり、そうきたか。
「あ、でも、ちょっと羨ましいかなあ」
「何がですか?」
羨ましい?
「だって…」
ぼそぼそっと耳元でささやき、土浦さんはいきなり怖い目で私を見た。
今、なんて言った?一臣様に義務とは言え、抱かれたんですもんね。って言った?
それに、すっごく怖い視線。
「でも、やっぱり、同情しちゃいます。だって、お役目終わったら、一臣様に相手にされることもなくなるんですもんね」
くすっとそのあと、土浦さんは笑って、会議室を出て行った。
今の、なんだ~~~~?!
つまり、義務だけで一臣さんに抱かれたんだから、もう今後は相手にされないんだよってことだよね。
私は後継ぎを生むためだけに、一臣さんに抱かれたんだって、そう言いたいんだよね?
「弥生?具合でも悪いのか?」
いつの間にか私の前に、一臣さんがやってきていた。
「い、いいえ」
にこっと無理やり微笑み、一臣さんのあとに続き、会議室を出た。
今の、一臣さんに報告したほうがいいかな。でも、そうしたら、土浦さんはどうなるのかな。プロジェクトメンバーから外される?それとも、こんなことくらいで外されたりしないのかな。
どうしよう。言うべき?言わないべき?
悩みに悩んで、誰かに相談することにした。細川女史?いや、まずは大塚さんか江古田さんにでも、相談してみようかな。
「あの、午後に1件出かける用事があるんですよね?」
「ああ」
「私、その間、秘書課に行っていてもいいですか?」
「いいぞ。でも、仕事引き受けないでもいいからな。無理はするな」
「はい」
優しい。腰に手を回し、一臣さんのオフィスに戻るまでも、ゆっくりと歩いてくれたり、気遣ってくれているのがわかる。
こんなに一臣さんは優しいのに。優しさは本物なのに、きっと社員のみんなからは、演技だって思われているのかもしれない。それも、なんだか、悲しくなってくる。
お昼は樋口さんがお弁当を買ってきてくれて、それを食べた。そして午後になり、14階の秘書課の部屋に一人で移動した。
なんだか、久々の秘書課は懐かしさすら感じる。
「あ、弥生様!」
ドアを開けると、まずは江古田さんが気づいてくれて、私の名前を呼んだ。すると、パソコンを入力していたみんなが、一斉に私を見た。
「おひとりですか?」
「はい。一臣さんは外出するので、私だけ来ました」
そう言いながら、江古田さんと大塚さんに近づき、
「一つ、相談がありまして。あとで時間とってもらえますか?」
と聞くと、二人とも
「あとでと言わず、今すぐにでも」
と、すぐに席を立ってくれた。




