第8話 ホテルへ移動
しばらく、黒影さんがべったりと私にひっついて行動をし、竹沢さんと川井さんには国分寺さんがマークした。見えないところでは、日陰さんも伊賀野さんも見守っていてくれていた。
朝晩の一臣さんの見送りやお出迎えには、私は危ないからということで行くのをやめた。亜美ちゃんの話だと、あの二人のメイドはいつも一臣さんに媚を売るように接近しているらしい。でも、怪しい人たちだったら、一臣さんだって危険だよね。
「今日は、竹沢さんがなんだか変に一臣さんに接近していたんですよ」
部屋の掃除に来た亜美ちゃんとトモちゃんがそんな話を始めた。
「接近って?」
「今まで以上に近づいてて」
「昨日の夜も、そういえば一臣様の鞄まで持とうとしていました。一臣様、鞄は人には持たせないからいいと断っていましたけど」
怪しい。鞄を持ってどうしたかったんだろう。
「黒影さんは、すごいですね」
「え?何が?」
亜美ちゃんの言葉に、びっくりして聞き返すと、
「SPのごとく、弥生様をお守りしているじゃないですか」
「あの身のこなし、実はボディガードの訓練でも受けているんじゃないですか?普通のメイドとは違いますよ」
「え、トモちゃん、なんでそう思うの?」
「だって、足音はしないし、常に周りを警戒している感じとか、気配を消しているところとか、普通じゃないです」
やっぱり、わかるよね。普通じゃないよね。
「そういう人を雇ったってことなんですかね。あの二人が怪しいからかな」
「亜美ちゃん、そういう話はあんまりしないほうがいいかも」
「え?」
「どこで誰が聞いているかわかんないし」
「敵に聞かれるって事ですか?」
「まさか、盗聴器がしかけてあったり?」
亜美ちゃんとトモちゃん、悪ノリしているなあ。でも、そうなの。しかけてあるんだよ。私の部屋だから、多分、大丈夫だけど。でも、今も廊下で聞いているかもしれないし。
心配。もし、聞かれてたら、亜美ちゃんとトモちゃんも危ない?
そっとドアを開いて廊下を窺おうとすると、
「弥生様、何かご用ですか?」
と、廊下の絵の額縁を拭いている黒影さんがそこにはいた。
「え、いいえ。何も。えっと、廊下の掃除ですか?」
「はい」
黒影さんの目は、安心して下さいねと言っているように見えた。
「ご苦労様です」
そう言って私はドアを閉めた。
「弥生様、誰が掃除をしていたんです?まさか、竹沢さん」
トモちゃんが声を潜めて聞いてきた。
「黒影さんです。だから、大丈夫です」
「ああ、なんだ。よかった。あれ?やっぱり、黒影さんって、弥生様のSP?」
「そういう話もしないようにしましょう、亜美ちゃん」
「そうですね」
変にいろいろ詮索して、深入りして、亜美ちゃんやトモちゃんまで危ない目に合わせたくない。ああ、本当に早くに解決してくれたらいいのに。
スパイとか、なんだとかって、いったいどこの会社のスパイなんだろう。Aコーポレーションのことはもう終わったんだよね?まさか、社長の復讐に!とかじゃないよね。
1週間が、緊張で過ぎた。その間、一臣さんは本当に早くに帰ってきてくれて、時々私の部屋で小声で話をし、あとは一臣さんの部屋だと安心できず、二人で大広間に行き、ピアノを弾いてくれたりした。
そして土曜日。また、散歩を装って、基地みたいなあの隠し部屋に一臣さんと行った。中に入ると、樋口さん、等々力さん、日陰さんもいて、それから侍部隊の数人が揃っていた。
「一臣様、いろいろと情報が掴めましたよ」
そう言ったのはいかつい顔の辰巳さんだ。辰巳さんは私には怖いが、一臣さんには従順で、一臣さんも辰巳さんを信頼している。
「弥生、こっちに来て座っていろ。寒いだろ、樋口、ひざ掛けあったよな」
「はい、用意してあります」
一臣さんは私を椅子に座らせ、膝にひざ掛けをかけてくれた。う、優しい。
妊娠してからというもの、一臣さんの優しさに何度も感動したことがある。前から優しかったけど、優しさが倍増して、そのたび、私ってば、胸キュンしている。なんて素敵な旦那様なんだろう。なんて、心の中で思っている。
辰巳さんの報告では、竹沢さん、辞めさせた入曽さんは、どうやら一臣さん目的でメイドになったようだった。二人とも、一臣さんに近づくために、まずは緒方財閥のほかのお屋敷でメイドになり、推薦してもらって、ここに来たらしい。メイドになる前に一臣さんと会っていて、(一臣さんはまったく覚えていないようだけど)緒方財閥関係の会社も数社受けたが、どこも雇ってもらえず、最後の手段としてメイドになったらしい。メイド暦もそこまで長くなく、メイドになるまでの経緯も明らかだ。
ただ、川井さんは違うらしい。メイド暦は一番長く、とっても優秀。だが、メイドになる前が明らかでないようだ。どうやら、高校卒業後、海外に行っているらしく、その間の経歴が不明。3年間、空白の時間がある。本人曰く、カレッジで英語を勉強し、その後しばらくリュックサック一つで旅行をしていた…とのことだが。
「怪しいな」
一臣さんはぼそっと呟いた。
「それに、ご両親も…。F貿易に勤務されていたんですが、解雇されているんですよね」
「F貿易って言ったら、緒方商事と取引があるよな。そこを解雇?」
「なぜ、解雇されたかは今調べています」
「ふ~~~~ん。なんだか、裏があるようだな」
「このお屋敷は人事異動がほとんどなく、辞める人も少ないので、今回、募集をかけたのが狙い目だったんでしょうね」
「ああ、龍二について大阪にメイドが行ったからな」
「3人とも、移動を自分から願い出ていますし、前から狙っていたんでしょうね」
「このお屋敷は辞める人少ないんですか?」
私が質問をすると、樋口さんが、
「コック長や、メイド長、執事が、みなさん、いい方ですからね。面倒見もいいし、お優しいし、働きやすいんだと思いますよ」
と優しく答えてくれた。
「そうですよね。それは、わかります!」
「俺やおふくろは、怖いと嫌われていたけどな。でも、会う機会なんかそうそうないし、メイドやコックは、上に立つ人間が器が大きけりゃ、働きやすいだろう」
「そうですね…。あ、でも、お義母様や一臣さんもお優しいですよ」
「今はな。前はそうでもなかったぞ。な?樋口」
「そうですね。怖がられていましたね。特に一臣様は。一臣様がお屋敷に戻ると、お屋敷全体がぴりぴりとする感じはあったかもしれないですね」
「お前は、屋敷に戻ると、緊張感なくなっているけどな。ああ、屋敷って言うより、寮か。寮では、のんびりとしているもんなあ」
「そうなんですか?」
寮でのんびりりている樋口さん、見たこと無いかも。
「休憩室では、いつもテレビを見たり、新聞読んだり、みんなと雑談して、笑っていますよね。樋口さん」
「等々力さんもでしょう」
「ええ?樋口さんが笑っているんですか?うわあ、見てみたい」
会社じゃ、ロボットって言われてるのに。
「寮のみんな、仲良いですからねえ。信頼関係がしっかりとしているんですよ。緒方家のこの屋敷は安心だったんですが、ねえ」
等々力さんはそう言ってから、眉をしかめた。
「早く、前のように安心していられるお屋敷にしたいですね」
「そうだな」
樋口さんの言葉に、一臣さんは真剣な顔で頷いた。
話が終わると、私と一臣さんは散歩から帰ってきたかのようにお屋敷に戻った。
「弥生」
部屋に戻ると、一臣さんがギュッと抱きしめ、
「もう少しだからな」
と耳元でささやいた。
「あの、私、だいぶつわり、よくなったんです。だから、もう会社にいけると思います」
「安定期に入るまでダメだ」
「でも…」
「いや…、待てよ」
一臣さんは私から離れ、パソコンを開いてメモに、何かを打ち出した。読むと、
『屋敷にいるより、安全かもな』
と書いてあった。
「じゃあ…」
話しかけると、私の口を手で押さえ、
「樋口に相談してみるよ」
と普通の声で一臣さんは話した。
「あ、はい」
ようやく、お屋敷に缶詰生活から開放されるのかも…。
日曜日、一臣さんは私に出かける用意をするようにと言ってきた。
「そろそろ、仕事復帰できるか、車で移動してみて考えようと思う。樋口もそう言っていたしな」
「はい。急いで支度します」
着替えをして、顔を洗って、化粧をして、一臣さんの部屋に戻った。
遅い朝食を食べに、一臣さんとダイニングに行くと、私たちに寄り添うように黒影さんが歩いてくれた。
席に着くまでも、黒影さんは警戒をしている。
「弥生様、どうぞ」
椅子を引いてくれたのは国分寺さん。ワックスが床に残っていた事件以来、みんなが床もテーブルもいろんなところに目を配りながら、給仕をしてくれているのがわかる。
朝食が済み、私と一臣さんは等々力さんの車に乗り込んだ。お見送りに竹沢さん、川井さんも来たが、国分寺さんや黒影さんが私をがっちりガードしてくれていた。
樋口さんも助手席に乗り込み、車は発進した。
「休みの日に、等々力さんも樋口さんもすみません」
「いいんですよ、弥生様。屋敷の中は窮屈だったでしょう」
「えっと…。はい。正直言うと、辛かったです」
「悪かったな。気も休まらなかっただろ。上条グループのホテルに行って、そこで今日はのんびりしよう」
「え?」
ホテルに行くために、お屋敷を出てきたの?
「しばらく、ホテルに宿泊されるのはどうですか」
え?宿泊?
「ああ、樋口、なんかあったのか?」
「はい。実は、日陰さんから報告がありました。川井というメイドが誰かに電話をしていたらしいんですが、弥生様がお一人になるときがなくて、狙えないとか、そういう内容だったようなんです」
「迂闊にも電話でそんな話をしていたのか?」
「それが、わざわざ屋敷から出て、誰もいない森の中で話をしていたらしく。日陰さんたちは蔵が見つかったんじゃないかとヒヤヒヤしながら、後を追ったようですよ」
「ふん。森の中に行けば、見つからずに連絡できるとふんだのか」
「弥生様を狙っているというのは、やはり、跡継ぎを生ませないようにしているということですかね」
等々力さんが心配そうに私をバックミラーで見ながら、そう聞いてきた。
「わからんな。そんなことをして、いったい何の得になるって言うんだか」
一臣さんは顔をしかめ、私の肩をギュッと抱き、
「弥生は心配しなくてもいいからな。俺らがちゃんと守るから」
と、力強い声でそう言った。




