第7話 守りたい
月曜日からまた1週間、一臣さんと離れ離れ。
「今週はなるべく早くに帰る」
「え?本当に?」
「ああ」
そう言うと一臣さんはチュッと私にキスをして、部屋を出た。私も玄関まで見送りに一緒についていった。
「いってらっしゃいませ」
またも、新人二人が見送りに来た。
そして、その二人が私に近づこうとしたとき、今までいなかった黒影さんがどこからともなく現れ、私の横にすっとやってきた。
「弥生様、お部屋まで付き添います」
「大丈夫です。私たちがいますから」
なぜか、亜美ちゃんとトモちゃんが私の両隣に来て、黒影さんを追いやってしまった。
なんでかな。と不思議に思っていると、私の部屋の中まで亜美ちゃんたちはやってきて、
「弥生様、あの黒影ってメイドには気をつけてください」
と耳打ちされてしまった。
「え?なんでですか?」
「あやしいんですよ、あの人。さっきだって、どこから現れたんだか、足音もせず、いきなりいたし」
「それに、昨日、廊下をヒタヒタと用も無いのに歩いていたり」
「一臣様の部屋の前で、何をしていたんだか、佇んでいたり」
「絶対にあやしいです。だから、本当に気をつけてください」
「はい」
実は、忍者なの…なんて言えないよね。女の忍者だから、クノイチだっけ?
「じゃあ、私たちはこれで」
「はい」
二人が部屋を出て行くと、しんと静まり返り寂しくなった。ああ、今日は何をして過ごそうかなあ。
とりあえず、一臣さんの部屋に行ってみた。テレビをつけて、寂しさを紛らわした。
10時。携帯にメールが来た。
「あ、一臣さんだ」
嬉しい。なんだろう。
>何も変わったことはないか。
そう書いてあった。
>何もないです。
>そうか。一人では絶対に行動するなよ。黒影や日陰が見守っているとは思うけど、気をつけろ。
>はい。
ああ、そうか。心配してこうやってメールしてくれたんだなあ。
でも、見守られながら、ただお屋敷の部屋の中でじっとしているなんて、なんだか、私らしくない気がする。
誰が来たって、何があったって、自分のことは自分で守る。それが私なのに。
でも、今はお腹に赤ちゃんがいるんだもん。やっぱり、ちゃんと大人しくしていないと。
つわりも前ほどひどくないし、そろそろ会社に行きたいのになあ。いつまで、こんな生活していないとならないんだろう。
また、ソファに座り、ぼんやりとテレビを眺めた。内容なんてまったく入ってこなかった。
「弥生様、お昼の用意ができました」
亜美ちゃんの声が廊下からした。私は一臣さんの部屋のドアを開け、
「ありがとう」
と顔を出した。
「あ、そちらにいらっしゃったんですね。お昼、ダイニングで食べられますか?」
「はい、行きます。ずっと部屋にいるのは、退屈です」
そう言って、亜美ちゃんと一緒に1階に行き、ダイニングの私の椅子に座ろうとテーブルの周りを歩いていると、すぐ前に歩いていた亜美ちゃんが、
「きゃ!」
といきなりまん前で、足を滑らせドスンとしりもちをついた。
「大丈夫?!亜美ちゃん」
すごい音がしたよ。
「はい。いたたた、お尻打った~~」
「大丈夫ですか?立川さん」
国分寺さんや、日野さんも急いで駆け寄ったが、
「その辺、滑りやすいから気をつけてください!」
と、またどこからともなく現れた黒影さんがそう叫んだ。
「え?」
国分寺さんも日野さんも立ち止まり、亜美ちゃんが滑って転んだあたりを目を凝らして見ている。
「油ですか?」
「ワックスですよ、これは」
日野さんの声に、しゃがみこんで床を触り、触った手を嗅いでそう国分寺さんが言った。
「ここの掃除の責任者は高尾さんですね」
「はい、高尾さんです」
国分寺さんの質問に、あとから来た喜多見さんが答えると、後ろを向いて、
「高尾さんを呼んで下さい」
と大きな声で言ってから、
「立川さん、大丈夫?病院いって診てもらったほうがいいんじゃないかしら」
と心配そうに亜美ちゃんに声をかけた。
亜美ちゃんは、キッチンから慌てたようにやってきた亜美ちゃんの彼の肩を借り、
「大丈夫です。でも、少し休んでも良いですか?」
と、私のほうを見て聞いてきた。
「もちろんです。寮ですぐに休んでください。もし、痛むようなら、病院に誰か連れて行ってあげてください」
「じゃあ、俺…、いえ、僕が連れて行きます」
「お願いします」
亜美ちゃんの彼に頭を下げると、亜美ちゃんも彼氏のコックさんも恐縮そうに、
「そんな、頭下げたりしないで下さい」
と、慌てふためいた。
「でも、心配だし。本当に無理しないで。念のためレントゲンとか取ってもらったほうがいいかも」
「大丈夫ですよ、弥生様」
亜美ちゃんはにこりと笑い、彼と一緒にキッチンの奥へと消えていった。
「大丈夫かなあ」
「弥生様は心配なさらず、どうぞ座ってくださいませ。あまり心配しても、お腹の子にさわりますよ」
ワックスは日野さんとトモちゃんが綺麗にモップで拭いていた。そして、国分寺さんは私の椅子を引いてくれた。
「はい」
そう言われても、心配だよ。亜美ちゃん、心配かけまいと笑顔作っていたけど、本当に痛そうだったもん。
「高尾さん、お話があります」
あ、高尾さんを引き連れ、国分寺さんがダイニングを出て行った。その後ろに、黒影さんもいた。
「高尾さん、なんでこんなところにワックスなんて」
トモちゃん?私のコップにお水を入れながら、独り言かな。
「あの人がミスするわけもないし、わざとこんなことするわけもないし」
トモちゃんが、ブツブツとさっきから言っている。
「小平さん、そういう話はここでしなようにして下さい」
日野さんがビシッとそう言って、トモちゃんは私に「すみませんでした」と謝り、そそくさと壁際に下がっていった。
高尾さんは今年6年目になるベテランさんだ。誰かについているわけではないが、ダイニングや大広間、応接間などの掃除の責任者をしている。あのベテランの高尾さんが、ワックスを床に残したまま、ほうって置くとは思えない。
昼はトマトソースのパスタだった。それにサラダとコーンスープとフルーツ。かなりお腹いっぱいになった。
「弥生様、だんだんと食欲も出てきたんじゃないですか?」
にこにこしながら、喜多見さんがそう言った。
「はい。おなか空いてくると気持ち悪くなるんですけど、胃に何か入れば大丈夫みたいです」
「よかったですね」
「この分ならすぐに、会社に行けますね?」
ワクワクしながら、喜多見さんに聞いてみた。でも、
「安定期になるまでは、無理ですよ」
と、にこやかにそう言い返された。
ガックリ。
すべて食べ終え、椅子から立ち上がるとトモちゃんがすぐに横に着たが、
「弥生様、これからは黒影が弥生様に付き添うようにいたします」
と、国分寺さんが黒影さんを引きつれ、ダイニングに入ってきた。
「え?なんでですか?黒影さん、新人なのに」
「もちろん、引き続き小平さんにも弥生様のお世話をお願いしますけど、立川さんがしばらく動けないでしょうから」
「だったら、わたくしが」
すすすっと、キッチンのほうから日野さんがやってきてそう言ったが、国分寺さんは、
「黒影さん、弥生様をお部屋までお連れして下さい」
と、強引にそう言って、テーブルの上の食器を片付けだした。
「では、弥生様、お部屋までお供します」
「はい」
お供って言葉が、なんだか、時代錯誤のような気もする。
トモちゃんも、日野さんまでが後ろからやってきた。二人とも、黒影さんが私のお供をするのが納得いっていないような顔つきで。
「トモちゃん、あとで亜美ちゃんの様子を教えてくださいね」
部屋に入る前にそう言うと、トモちゃんはいきなりシャキッとして、
「はい」
と元気に答え、廊下を引き返していった。
「それでは、わたくしたちも」
日野さんが、私がドアを開けると、お辞儀をしてそのまま去ろうとしたが、
「黒影さん、戻りますよ」
と、まだ私の横にいる黒影さんを呼んだ。
「わたくしは、弥生様のお部屋が安全かどうか確認してから戻ります」
「安全かどうかって、そんな、安全に決まっているでしょう」
「念には念をいれないと。そう国分寺さんからも仰せつかっておりますので」
「…そ、そう。わかりました」
日野さん、若干怒っていたかも。目じりを上げてそう言って、去っていったけど。
私が部屋に入ると、黒影さんも中に入りドアを閉めた。そして、足音も立てず、部屋の奥へと進んで行き、
「実は、このお部屋には盗聴器がしかけていないようなので、ここでお話をさせていただきます。あ、隣の一臣様のお部屋には盗聴器がしかけてあるので、小声で話しますよ」
とこそこそと話し始めた。
「は、はい」
私も小声で答え、黒影さんに促されながら、ソファに座った。黒影さんは私の前にひざまずき、
「さきほどのワックスですが、やはり、例のメイドたちの仕業のようです」
と突然言い出した。
「例のって言うと」
「川井さんと竹沢さんですよ。あのメイドたちが今日はダイニングを担当したらしいですから。今、監視カメラのチェックを侍部隊の人間がしているはずです」
そうなんだ。黒影さんは侍部隊の人とも、連絡を取り合っているのか。
「なんだか、嫌ですね。このお屋敷は一臣さんも唯一寛げる場所だったのに」
「そうですよね。信頼できるはずのメイドが信頼できないとなると、どこにても気が休まらないですよね」
「黒影さんはずっと忍者部隊に?」
「はい。親もそうでしたから」
「親が忍者部隊だと、お子さんもみんな入るんですか?」
「そんなことないですけど。でも、多いですね。親子揃ってって言う人は。そのほうが、信頼できますしね」
「…もしかして、子供の頃から何か訓練を受けていたとか?」
「はい。訓練って思っていませんでしたけど、親から武術を習ったり、そういう場所に通ったりしていました」
「へ~~。すごいなあ」
「弥生様もお強いってお聞きしました」
「でも、今は赤ちゃんがいるから」
「そうですよね。わたくしたちがお守りするので、ご安心くださいね」
黒影さんは力強い目でそう言い、そのあと優しく笑った。あ、けっこう笑うと可愛いんだ。
「いつまで、こんなことが続くんでしょう」
「素性がはっきりするまでですね。あの二人が、どこからの刺客かわからないと」
「刺客!?」
「あ、ごめんなさい。忍者映画や時代劇の観すぎだって、よく怒られます」
びっくりした。一臣さんか私、殺されるのかと思った。あ、でも、そんなようなことを一臣さん言っていたっけ。
早く、終わらないかな。
それとも、これからもこういうことは頻繁に起こるのかな。だったら、子供をこの屋敷で育てるのも、気が休まらないってことかな。
だから、緒方家の人たちは、まず人を疑うのかな。一臣さんもそうだよね。
でも、こんな状況の中で育ってきたのなら、無理も無いことなんだろうな。
お腹に手を当てた。絶対にこの子のことは、守りきりたい。危ない目にあわせたくない。そう思いながら。




