第5話 怪しいメイド?
夕方になり、部屋を出て階段を降りながら、
「弥生様、お体お大事に」
「秘書課でお待ちしていますね」
「いつ戻ってこれそう?」
と江古田さんや矢部さん、大塚さんと話していた。
「いつ頃かな。安定期になってからだと思うんだけど」
私が大塚さんの質問に答えていると、そのとき、背中をトン!と後ろからいきなり押された。
「きゃ!」
「大丈夫ですか?!弥生様」
横に並んでいた亜美ちゃんが、私の体を支え、転んだり、階段から落ちることはなかったものの、ものすごく焦ってしまった。
「弥生、どうしたの?」
大塚さんが心配そうに振り返って私を見た。
「階段からずり落ちた?気をつけないと、一人の体じゃないんだから」
「は、はい」
斜め後ろには江古田さん、そのとなりに矢部さん。心配そうに私を見ている。
誰かに押された気がしたんだけど、まさかね。
ちょうど踊り場を通り過ぎたところだった。そして気がついた。新人のメイドさんが二人、奥様のお部屋のほうへ、階段を上っていった。今、私とすれ違ってたかな。
話に夢中で、あんまり回りを気にしていなかったけど。
「弥生様、大丈夫ですか?」
階段の下で待っていた細川女史が、私に近づき聞いてきた。
「はい。大丈夫です」
「気をつけてくださいね」
「はい」
タクシーはすでに来ていて、みんなを喜多見さんや亜美ちゃんと見送った。
「弥生様、楽しそうでよかったです」
亜美ちゃんが2階まで一緒に上がりながら、そう自分のことのように喜んでいる。
「ありがとう」
「あと少しで一臣様も戻っていらっしゃるし、もう寂しくないですね」
「うん」
「お疲れでしょう。少し、お部屋で休まれては?」
「はい、そうします。ありがとうね」
自分の部屋に入った。しんと静まり返っているから、寂しくなって一臣さんの部屋に行くことにした。
だが、私が例のドアから一臣さんの部屋のドアを開けると、部屋の中から誰かの気配を感じた。
「誰ですか?喜多見さん?」
そう聞いた瞬間、ドアの閉まる音がした。
「だ、誰?」
部屋の鍵をいつもかけているわけではないけど、喜多見さん以外一臣さんの部屋には入らない。
あ、もしかして、お風呂の用意でもしていたのかな。と、バスルームに行くと、お風呂の用意はまだできていなかった。
「あれ?」
絶対に今、誰かいたよね。
怖くなって、慌ててまた自分の部屋に戻った。
そして、しんと静まり返る部屋の中、ベッドに潜り込んで、眠ることも出来ず、ただひたすら一臣さんの帰りを待った。
「弥生様、夕食をお持ちしました」
国分寺さんの声が聞こえ、
「はい」
と、ベッドから抜け出し、ドアを開けに行った。
「一臣様のお部屋にお持ちしますか?」
「いいえ。ここでいいです」
テーブルに国分寺さんが、サラダやフルーツ、スープを置いた。
「あの、喜多見さんが一臣さんのお部屋に来ていたかわかりますか?」
「お風呂のご用意ですか?今からすると言っていましたから、ちょうど今頃用意していると思います。夕飯を召し上がってから、すぐに入られますか?」
「今、お風呂の用意をしているんですか?」
「はい。どうかしましたか?」
「さっき、一臣さんのお部屋に行ったら、誰かがいる気配があったんです。てっきり喜多見さんかと思ったんですけど。あ、他に何か用事があったとか?」
「いいえ。特にそのようなことは…」
「じゃ、誰が…」
「ご心配なさらないで下さい。お調べしますから。弥生様は、わかるまでこちらでお休みになっていてくださいね」
「はい」
国分寺さんは顔は穏やかだったが、急いで部屋を出て行った。
喜多見さんじゃなかったら、誰かな。一臣さんのお部屋って、喜多見さんしか入らせていないよね。
夕飯を食べ終え、国分寺さんが来るのを待った。一臣さんの部屋に行って、誰か変な人と遭遇しても怖いし。普段なら、やっつける。でも、今は無理だ。お腹に赤ちゃんがいる。無茶をしてお腹の赤ちゃんに何かあったら大変だ。
夕飯を終え、しばらく国分寺さんを待ったが、まったく来る気配が無い。
なんか、ここに一人でいるのも、心細いんだけどな…。
ガチャリ。
ん?今、一臣さんの部屋から、ドアを開ける音がしなかった?もしかして、帰ってきた?!
「一臣さん?」
となりの部屋に通じるドアを開けようとした。でも、ドアノブは回ったのに、ドアが開かない。
「あれ?」
ガチャガチャ。何度か開けようと試みたが、まったく無理だ。
「まさか、鍵がかかってる?」
なんで?誰かが一臣さんの部屋から鍵をかけた?
それとも、一臣さんが帰ってきているの?
それとも、国分寺さんとか、喜多見さんが鍵をしたとか?
何が起きているわけ?
「弥生、帰ったぞ!」
あ!やっぱり、一臣さんだ。一臣さんの声が隣から聞こえた。
「か…」
一臣さんを呼ぼうとドアの前から声をかけようと近づいた。
だが、隣から、
「なんだ!何してるんだ!」
という一臣さんの大きな声が聞こえてきた。
何?誰かいるの?!
「一臣さん?!」
ドアをガチャガチャ開けようとしても、やっぱり開かない。
廊下側のドアを開け、廊下に出た。
「一臣さん!大丈夫ですか?!」
泥棒とか、誰かが侵入したの!?
ガチャリ。こっちのドアも開かない?なんで?!中から鍵がかかってる!
「一臣さん!!!」
ドンドン!ドアをたたいた。中からなにやら声が聞こえては来るが、何を話しているかまでわからない。
「弥生様、どうかなさいましたか?」
「喜多見さん、一臣さんの部屋に誰かいるみたいなんですっ!」
「ああ、それでしたら、今、一臣様が帰ってきて…」
「中から鍵がかかってて、開かないんです。私の部屋から通じるドアも鍵がかかってて、誰かが一臣さんを待ち伏せしていたみたいで!」
「え?!」
喜多見さんは、慌てて階段のほうに行き、
「国分寺さん!一臣様のお部屋の鍵を持ってきて!至急!大至急!!!」
と叫んだ。
バタバタと国分寺さんも、他のメイドさんもやってきた。
「コック長、樋口さんと等々力さんも呼んでください!」
階段を上りながら国分寺さんが叫ぶと、下から「はい!」というコック長の声も聞こえた。
ガチャガチャ。国分寺さんが慌ててドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。と、その時、
「いやあ!」
という女性の悲鳴のような声が部屋の中から聞こえてきた。
私と国分寺さんは、思わず目を合わせ、
「どうかしたんですか!?」
と、国分寺さんは慌てたようにドアを開けた。
「一臣様が!いきなり襲ってきて!」
そう言って、メイド服の背中のファスナーを開け、肩やブラジャーまで露出した入曽さんが泣きそうになりながら、国分寺さんのもとにかけてきた。
「はあ!?お前、何を言ってるんだ!お前が勝手に脱いだんだろうがっ!」
え?
「違うんです。部屋に引っ張り込まれて、抵抗したのに一臣様が」
「いい加減にしろよなっ!!!」
一臣様はそう叫んだ。私の後ろで、
「メイドにまで手を出すなんて」
と、そういう声が聞こえてきた。何を言ってるの?と、怒りながら振り返ると、新人のメイドがそこにいた。
「一臣様がそんなこと、するわけないじゃないですか!」
「本当なんです。国分寺さん!」
入曽さんは、国分寺さんにそう訴えている。
「そんなわけ、あるわけないです」
私がそう言い切ると、
「弥生様なんて、もう抱く気もしないって、だから、お前が相手をしろって言ったんですよ」
と、とうとう入曽さんはわあっと泣き出した。
「呆れた。呆れて何も言えない。お前、いったいなんなんだ」
一臣さんが、眉間にしわを寄せ、腕組しながらそう聞いた。
「あれれ。兄貴、とうとうメイドまで手を出しちゃった?いくら弥生が妊娠中で、エッチできなくて欲求不満だからって、それはまずいでしょ」
え?!
すごく、憎らしい口調の声が、階段のほうから聞こえてきた。そして、そこに現れたのは、龍二さんと京子さんだった。
「俺が弥生以外に手なんか出すか。他の女じゃ、まったく欲情しない。目の前で裸になったって、どんなことしても無理だ」
「なるほど。じゃあ、そこのメイド、なんか企んでる?第一、自分の城に弥生以外の女を入れるとは到底思えないし、あんたが勝手に入り込んだんだろ?」
龍二さんがそう入曽さんを見下したように見ながら言った。
「…なによ」
入曽さんは今まで弱弱しく泣いていたのに、突然顔を上げ、一臣さんや龍二さんを睨んだ。
「なんで、こんな童顔の寸胴の女のことは抱けて、私は無理なわけ?信じられない。そもそも、跡継ぎ生むだけの結婚でしょ?子供できたんだから、いい加減、一臣様を解放したら良いじゃない。一臣様は、こんな女のために、他の女は手を出さないようにしているってわけ?」
え?なんか、いきなり態度が変わった。それに、今度は私のことを睨んでいる。
そして入曽さんは背中のファスナーを自分であげ、メイド服をちゃんと着ると、
「一臣様が淡白なのは知ってる。前もお酒飲んで、まったく抱いてくれず、一人で帰ったことあるしね。だけど、結婚したって女遊びはするって、そう言ってたじゃない」
と一臣さんにタメ口で話しだした。
「お前に?俺が?以前会った事があるのか?」
一臣さんは、私のことを自分のほうに抱き寄せて、後ろに隠すようにしながら入曽さんにそう聞いた。
「4年前よ。まだ、一臣様が大学生の頃。パーティで会ったわ。大学卒業して、なんとか近づきたくって、メイドにまでなったのに、全然私のこと思い出してくれないし、かまってくれないし」
そこまで入曽さんが言うと、一臣さんは呆れたようにはあっとため息をつき、
「ストーカーだな。国分寺さん、こいつ、即クビ」
とクールに言い放った。
「一臣様?私は、ずっとあなたのことを思って…」
「勝手に人の部屋に入りこんで、勝手に人に迫って、服脱いで、相手にされないとわかったら、悲鳴上げて、お前みたいな危ないやつ、クビに決まってるだろ。今度、弥生や俺のそばをうろついてみろ。お前だけじゃなく、家族まで働けないようになるからな」
うわ。すごい脅し…。と思って、一臣さんの顔を見ると、真剣そのもの。それに、龍二さんや、国分寺さんまでが、入曽さんを睨んでいる。
「一臣様、大丈夫でしたか」
「ああ、樋口も等々力さんも、悪かったな。休んでいたんだろ?」
「いえ。弥生様は、お怪我はありませんか?」
「はい」
「樋口、こいつ、すぐにつまみ出せ」
「かしこまりました」
樋口さんはクールにそう言うと、入曽さんの腕をぐいっと掴み、階段を降りていった。
「痛い、離して」
「申し訳ありませんが、離すわけにはいきません。あと、事情をいろいろとお聞きしたいので、寮の食堂までいらして下さい」
樋口さんの声は、すっごく低くて威圧感があって、怖かった。
「弥生、大丈夫だったか?」
「一臣さんこそ、大丈夫ですか?」
「ああ。俺は大丈夫だ」
一臣さんはそう言って、私を抱きしめた。
「兄貴、他の女には欲情しないって、まじ?」
「龍二、お前、適当なことをさっき言ってたな。俺がメイドに手を出したとか何とか」
「悪い。もう、昔みたいに、女癖悪い兄貴じゃ無かったよな」
「そうだ。お前だって、京子さんにしか興味ないんだろ?」
「…そりゃまあ、そうだが」
龍二さんはすぐ隣にいる京子さんをチラッと見て、照れくさそうにそう言った。京子さんは、顔を赤らめている。
「じゃあ、俺らはもう休むから。弥生、気をつけろよな」
龍二さんは、京子さんの腰を抱き、自分の部屋に入っていった。
「大阪から、龍二さんと京子さんも来たんですか?」
「ああ。今度は東京で、いろいろと会議があるから、それに出席するためにな」
一臣さんは私の肩を抱きながら、部屋に入った。
「弥生、心配かけたな。お腹の子は大丈夫だったか?」
「はい」
私のお腹を優しく一臣さんがさすった。
「つわりは?」
「今は大丈夫です」
「じゃあ、一緒に風呂に入るか」
「はい。でも、その前に」
私は、一臣さんにギュウっと抱きついた。ああ、一臣さんだ。一臣さんだよ~~。
「ん?寂しかったか?」
「寂しかったです」
「大塚たちが来て、楽しかったんだろ?」
「でも、帰っちゃってから、ずっと部屋で一人で寂しくて」
「俺はびっくりしたぞ。弥生がいるのかと思ったら、ベッドからメイドの女が顔を出したから、まじで驚いた」
「え?ベッドにまで潜り込んでいたんですか?」
「怖いだろ?あれこそが、ストーカーだな」
「…。じゃあ、入曽さんが、ドアの鍵を閉めたんだ」
「いや、俺の部屋のドアには触っていないぞ?」
「いえ。私の部屋に通じるドア。誰かがガチャって閉めたんです」
「それは、入曽かもしれないが、俺の部屋のドア…、廊下に通じるドアは入曽じゃない。でも、鍵、閉まってたよな?」
「はい」
「……。他にも、あいつの仲間がいるのか」
「新人のメイドさん?」
「う~~ん。もしかすると、そうかもな。調べるか」
一臣さんは携帯を手にした。
「ああ、細川女史?悪いけど、頼みがあって…。え?」
細川女史に電話かけたんだ。
「そうか。わかった。ちょうどいい。それで頼む。…え?!弥生が?」
何かな?びっくりしてる。
「わかった。ああ、そっちも頼む」
そう言うと、一臣さんは電話を切り、険しい顔で私のそばに来た。
「弥生、誰かに今日背中押されて、階段から落ちそうになったのか?」
「え?」
「細川女史が、見ていたらしい。何人かその場にいて、すれ違ったりしてわかりにくかったらしいが、大塚や、江古田、矢部なわけがないし、立川のわけもないから、新人のメイドが怪しいって言ってたぞ。その場に入曽もいたか?」
「いいえ。残りの二人なら、ちょうど、奥様の部屋のほうへ階段を上っていってました」
「そうか。やっぱり、新人のメイドが怪しいよな…」
そう言うと、一臣さんは眉間にしわを寄せ、
「屋敷も安全じゃないじゃないか。くそ。とにかく、弥生のことは守らせるからな」
と私を抱き寄せた。




