第3話 つのる寂しさ
妊娠3ヶ月目に入った。つわりは、もっとひどくなったかもしれない。ただ、キッチンに行き、食べ物の匂いを嗅がない限り大丈夫だが、食べられるものが、トマト、グレープフルーツ、なぜかコーンスープ、日本そばだけ。
一臣さんは、持ち帰ってこれる仕事は持ち帰るが、それでも早くても6時になる。昼の間はずうっと、ベッドで寝ているか、気分がいいと庭に出て、風に当たりながら亜美ちゃんやトモちゃんと話しをしたり、たまに根津さんとも話をした。
部屋に亜美ちゃん、トモちゃんが来てくれたこともあった。だから、なんとか気分転換はできた。
と、そんなある日、一臣さんが大阪支社に1泊で出張に行くことになった。金曜に出て、土曜の夜遅くでないと帰れないと言う。
「土曜日も…?」
土日は、屋敷の敷地内を走るくらいで、ジムにすら行かずに私といっしょに過ごしてくれていたのに。
「悪い。土曜は大阪で取引先を呼んでのレセプションがある。どうしても外せないんだよ。親父やおふくろ、大阪支社長、龍二も出席する」
「…はい、わかりました」
「本当ならお前も出るところなんだけどな、食べ物がわんさと出るところだから、絶対に無理だろ?」
「ごめんなさい。1秒もいられないと思います」
「代わりと言ったらなんだが、京子さんが出るから」
そうなんだ。ああ、私って、役立たず。なのに、一臣さんがいないことを寂しがったりして。
「すみません。なんか、奥さん失格かも」
「いいって。つわりだとは言ってないが、弥生が体調不良で休養中だと、みんな知ってるから大丈夫だ」
「…はい」
「寂しいだろうが、土曜は我慢して…。あ、そうだ。大塚が会いたがってた。土曜、屋敷に呼ぶか」
「え?大塚さん?」
「それと、江古田や矢部も。なんなら、細川女史も。な?」
「はい」
というわけで、土曜、みんながお屋敷に来る事になった。
けっこう寒い日で、雪が降るかもっていう空模様。
「行ってらっしゃい」
玄関まで送ると、一臣さんが私に軽くハグをして、
「あったかくしていろよ」
と優しく囁いた。
車が発進すると、
「いつも、一臣様は弥生様に優しいですねえ」
「ほんと、仲睦まじい」
と、ほうっとため息をメイドさんたちはする。
基本、一臣さんが出社する時は、喜多見さんや国分寺さんが見送るだけだ。でも、私がいるから、トモちゃん、亜美ちゃん、日野さんも一緒にお見送りをする。
ただ、一臣さんつきのメイドじゃないにもかかわらず、最近は勝手に2~3人、メイドさんがお見送りに来る。この人たちは、昨年12月からお屋敷で働くようになった新人さんだ。
お屋敷全般のことを任されていて、1~2年働いたら、誰かについてお世話をするようになると、前に日野さんが教えてくれた。ただ、この3人はどうやら一臣さんに熱を上げているらしく、一臣さんのお世話がしたいと喜多見さんに訴えているらしい。
メイドさんには上下関係があり、トップは狛江さんといって今60歳。前は社長のお世話を長年していたらしく、ちょっと怖い。一臣さんもとっつきにくいらしく、一臣さんが頼りきってるのは喜多見さんだけだ。
狛江さんは、今でも社長の世話をしに、会社やホテルのほうに行ってしまうので、あまりお屋敷にはいない。狛江さんの次に偉いのは喜多見さん。もう一人、奥様のお世話をしている生田さんがいる。でも、生田さんは奥様が旅行に行くときには一緒についていってしまうので、基本お屋敷にいる喜多見さんが、メイドさんの面倒を見ているって感じだ。
喜多見さんは、生田さんや狛江さんほど厳しくない。適切なアドバイスをしているけれど、口調も柔らかで、一臣さんの見送りに新人3人がいたとしても、特に注意もしない。
でも、亜美ちゃんとトモちゃんは、新人3人が気に入っていないようだった。
私の部屋まで私を見届けに来た亜美ちゃんとトモちゃんは、
「なんで一臣様のおつきのメイドでもないのに、お見送りに来たりするんですかね」
「たまに、一臣様にも話しかけたり、お食事の用意だって、国分寺さんと喜多見さん、日野さんだけでも十分なのに、入曽さん、勝手に手伝おうとしているし」
と、私の部屋まで入り込んで愚痴を言い出した。
「勝手にお手伝いしているんですか?」
「私にも勉強のために、手伝わせてくださいって喜多見さんに言って」
そう亜美ちゃんが言うと、
「私、入曽さん、気に入らないんですよ。絶対に一臣様に色目使ってる」
とトモちゃんが鼻息を荒くした。
「え?そうなの?」
「一臣様が遅くに帰ってきたとき、弥生様、お出迎えできないじゃないですか」
「はい。寝ちゃっているし」
「そういう時を狙って、出迎えているんです。私たち、交代で遅いときには出迎えたりしているんですけど、入曽さんは当番でもないのに出てくるんですよ」
「わざわざ、その時間まで残っているってこと?」
「そうなんです。あの人、寮にいるわけじゃないから、どうしているんだろう。帰りはタクシーかな」
「ここから徒歩で行けるところに住んでいるみたいだよ、亜美ちゃん」
「本当?」
「寮はいっぱいで、人が入れなかったから、近くに引っ越してきたって言ってたもん」
トモちゃんはそう言うと、
「他のメイドとは明らかに違っていて、私たちには態度も悪いし、仕事も適当だし、絶対に奥様が知ったら、クビにすると思うんだけどなあ」
と苛立つようにそう言った。
「そ、そうなんだ」
入曽さんって、前にズキっとくるようなことを言われた気がする。
見た目もちょっと派手目で、胸の大きい人。他の新人さんに比べると、確かに態度が大きいような気もする。
亜美ちゃん、トモちゃんが、
「出張で寂しいですね。今日、遊びに来ましょうか」
と言ってくれた。
「うん。ぜひ、来て」
「仕事早めに終わらせて来ますね。あ、明日は会社のお友達が来られるんですよね?よかったですね、弥生様」
「うん」
亜美ちゃんの言葉に私は思い切り頷いた。
亜美ちゃんとトモちゃんは、私つきのメイドだけど、他の掃除などの仕事もある。それらを終わらせ、私の部屋の掃除に行ってきますと喜多見さんに報告して、私の部屋にやってくる。喜多見さんも、私のためを思って、亜美ちゃんとトモちゃんが私の部屋に来たとき、戻りが遅くなっても怒ったりしない。
「弥生様のお世話をするのが、立川と小平の仕事ですから、いつでも、二人を呼んでくださってもいいんですよ」
と喜多見さんは言ってくれるし、お母様もそのことに関しては許してくれている。
だから、1日お屋敷にいたとしても、寂しいわけではないんだけど、でも、一臣さんと離れている時間は、寂しいものは寂しい。
一臣さんは、メールが嫌いみたいで、あんまりしてくれない。たまに、時間が出来たときに電話はくれる。でも、
「弥生、元気か?」
としか聞いてくれず、私の返事を聞くと満足してすぐに電話を切ってしまう。
私は、もっともっと一臣さんの声が聞いていたいのに。
「今夜は、一人寝だ」
朝から、すでに気持ちがブルーになった。
気分転換にお屋敷をうろついたり、庭に出ようかとも思ったが、朝から頭痛がしていたので、一臣さんの部屋のベッドに横になった。10時を過ぎると、喜多見さんが掃除に来るので、その間は自分の部屋に移動する。
元気があれば、喜多見さんと一緒に掃除もするが、今日はダメそうだ。
「いつまでつわりって続くのかなあ」
ベッドに横たわり、ぼそっと呟いた。
10時を過ぎてから、自分の部屋で休んでいると、亜美ちゃんたちが遊びに来た。私の部屋の雑巾がけをしながら、いろいろと楽しく話しかけてくれる。
昼近くになると、国分寺さんがお昼を持ってきてくれて、亜美ちゃん、トモちゃんと楽しく話しながら食べる。私が食べ終わると、亜美ちゃんたちが昼休憩を取るために、部屋を出て行く。
「寮でお昼を食べてから、休憩するんだな。いいなあ、あの休憩所でだよね」
一回、お母様がいないときに遊びに行ったが、休憩所がキッチンに近いので、匂いがダメで、早々に部屋に戻ってきた。
あんなに食いしん坊だったのに、食べ物の匂いがダメになるだなんて、相当つわりってのは大変だな。大食漢のお前が、辛いだろう。と、一臣さんに言われたっけ。大食漢はよけいだと思ったけど、食べられない辛さはまったくない。だって、お腹すかないもん。
変に詰め込んで、あとで胃液出るまで吐く方が辛い。本当だったら、何にも食べたくない。
午後、一臣さんの部屋に行き、ソファに座って編み物をした。来年の冬に赤ちゃんに着せる予定だ。
男の子かな。それを考えると、もっと頭痛がしてくるので、考えないようにしている。色もどっちでもいいようにクリーム色の毛糸だ。
夕方、疲れたのでベッドで横になる。7時になると、今度は喜多見さんが、夕飯を持ってきてくれた。喜多見さんは、私の体の具合も毎日聞いてくれる。本当にお母さんみたいで安心する。
「弥生様、今日はいかがでしたか?」
優しい声と表情。実の娘のように私を気遣ってくれる。
「今日は、吐き気はしなかったけど、頭痛がして」
「そうですか。では、食べたら早くに休んでくださいね」
「はい」
夕飯はおそば。それを食べ、喜多見さんが準備してくれたお風呂に入る。私一人じゃとても大きいバスタブ。寂しさを抱えつつ、中でゆったりとした。
「今日だけの我慢。明日の夜には一臣さんがいるんだから」
そう自分に言い聞かせ、お風呂から出て髪を乾かし、とっととベッドに潜り込む。すると、携帯が鳴った。
「一臣さん!」
「弥生か?今、ホテルに戻ったぞ」
時計を見ると、9時ちょっと過ぎ。
「早かったんですね」
「今日はな。夕飯も早くに済ませた。あ~~、疲れた」
「忙しかったんですか」
「忙しかったぞ。大阪支社長と龍二と一緒に、いろんなところを回ったしな」
一臣さん、今日はいっぱい話してくれるんだ。
「弥生は?どうだった?」
「今日は、ちゃんと食べれました」
「そうか。よかったな」
「でも、寂しいです」
「弥生」
あ、怒ったかな?声、低い。
「そんなに可愛い声を出して寂しがるな。抱きたくなるだろ」
なんだ。怒ったわけじゃなかった。
「あの、一臣さん、浮気はしないでくださいね」
「あほ。するわけないだろ。何度も言ってるけど、弥生じゃないとダメなんだよ。わかったか」
「はい」
「じゃあ、あったかくして寝ろよ。今夜も冷えているからな」
「一臣さんも、気をつけてくださいね」
「俺か?…寝れないと思うから、これから一人で酒でも飲むよ」
「……まだ、一人だと寝れないんですか?」
「ん~~。2~3時間は酔えば寝れるかもなあ」
なんで、私が隣にいないと寝れないんだろうなあ。
「じゃあな、切るぞ」
「はい。おやすみなさい」
電話が切れた。とたんに、部屋が静まり返る。
「寝ちゃおう」
布団に潜り込み、目を瞑った。でも、なかなか寝れなかった。
ああ、一臣さんが恋しいよ~~~~~~~~~~。




