第8話 厄介な出来事
のんびりと和やかに芝生の広場でくつろいでいた。でも、突然その平和な空気が壊された。
「どういうこと?プレイルームに行ったら誰もいないから、慌てて探しまくって、旦那に聞いたら芝生の広場にいるよって...。なんでそんな勝手なことをしているわけ?!」
いきなり捲し立てられ、私も一臣さんも呆気に取られていると、
「あ、ああ、斗來君のお母さん、これはさ」
と、潤君パパが慌てたように説明しようとした。
「潤君のお父さん、保谷さんだったわよね。なんにも断りもなく子どもを連れていくってどういう神経しているの?一言普通言わない?!」
「ごめん、ごめん。でも、旦那のほうが知ってただろ?旦那に聞いてこっちに来たんじゃないの?」
「そうだけど、母親の私に一言いうのが普通じゃないの?!」
わわ。けんかになってる!
「ごめんなさい。そういう配慮が足りなくて、ちゃんと斗來君も一緒に連れて行くって言うべきでしたよね」
どうにか間に入って穏便に済ませようとしたが、
「そうよ!あなたも母親ならわかるわよね?いきなりいるはずの子どもがいなくなったら、どれだけ心配するか!ここはいったい何なの!そんな勝手が許される場所なの?勝手に連れていかれて、万が一行方不明でもなったら」
と逆に怒らせてしまった。
「敷地内だ。それもここは安全な場所だ。だいいち弥生には関係ない。あとからここに合流したんだからな」
あ、一臣さんもようやく言葉を発した。
「そんなの関係ないわ。母親なら気持ちがわかるでしょって言ってるの!」
「ちょ、やばいって。高尾さん。そういうものの言い方はやめたほうがいい」
「何よ!私はねえ、あなたみたいに別にこの屋敷に雇われているわけじゃないんだから、どこで何を言っても関係ないでしょ?それとも、ここのご主人だか、大奥様だかに告げ口でもすんの?」
うひゃあ。怖い、この人。さすがの一臣さんも怒るよね?って一臣さんを見ると、口をぽかんと開けている。もしや呆然としているわけ?
「告げ口はしないけど、だけど、旦那さんのことも考えてあげなくちゃ。ここで仕事しづらくなったり、もしくはクビに」
「はあ?私は何も悪くないし、親として当然のことを言ってるだけでしょう!!!」
「…いや、でも、あ、えっと」
潤君パパが言葉を失いながら一臣さんの顔をうかがった。
「どうしましたか?」
騒ぎが聞こえたのか、国分寺さんと亜美ちゃんも駆けつけてきた。
「あ、斗來君のママ!」
亜美ちゃんが駆けつけると、斗來君のママは亜美ちゃんのことまで睨んで、
「どうもこうもないわよ。うちの子を勝手に連れてきたのよ」
と大声で訴えた。
「勝手にも何も、高尾さん…パパのほうには私から報告しましたけど」
「なんで母親である私には何も言ってこないわけ?」
「まずは落ち着け!お腹の子に悪いと思わないのか」
一臣さんが、また口を開いた。一臣さんの声は冷静だった。
「なんなのよ、あなたに指図受けたくないわよ!」
「ひょえ~~~~。斗來君ママ、そんな言い方はやめて」
亜美ちゃんが真っ青になった。いや、その場にいたみんな、国分寺さんですら顔色が変わった。
「はあ?そんなにどまりまくってお腹の子にいいわけないだろ。そのくらい母親なら考えろ。それとだ!人に子どもを預けておいてその態度はなんだ。俺も保谷もちゃんとお前のところの子も面倒を見ていたんだ。まずはありがとうぐらい言え!」
「なんなの、そのえっらそうな俺様態度!お前って言った?お前なんて言われる筋合いないわよ!」
「うひゃあ~~~~~!やめて、やめて、それ以上何も言わないで、斗來君ママ!」
亜美ちゃんが止めようとしても、斗來君ママは黙ろうとしない。
「こっちだってねえ、色々と大変なのよ。でも、そんなのお互い様でしょ?前に住んでいたところだってみんなでお互い様って感じでやってたの。でもね、まさか公園から勝手に子どもを連れてどっかに行くなんてことしなかったわよ。そんな常識知らずな人はいなかったわよ」
「なんだと?常識知らずだと?そっちこそ何様のつもりだ!」
「母親よ!どこの誰だか知らないけど、勝手にここで子ども遊ばせて、そっちこそ大奥様に怒られてクビになるんじゃないの?!」
「高尾さんの奥さん、一臣様がこちらのお屋敷のご子息です」
「はあ?なんて言った?よく聞こえなかったけど?!」
国分寺さんの言葉に斗來君ママは振り返り、ちょっと逆切れ気味に苛立ちながら聞き返した。
「ですから、その方が緒方財閥の次期総帥でもあり、緒方商事の副社長の緒方一臣様です」
「………え?副社長?ここの屋敷のボンボンってこと?!」
ボンボン…。その言い方もどうかと。
「香?!」
そこに、高尾さんと亜美ちゃんの旦那さんの清瀬さんまでが駆けつけた。
「お前、まさか一臣様と弥生様に、失礼なことをしていないよな!」
そう高尾さんが顔を青くしながら奥さんの香さんに聞くと、
「もう十分に失礼なことを言ってました」
と亜美ちゃんが真っ先に教えた。
そしてそのあと、国分寺さんが高尾さんの前に立ち、
「高尾さん、あとでちゃんとお話ししましょうか。いくら奥さんはここの従業員ではないにしろ、屋敷内の寮に住むわけですから、守っていただきたいことはたくさんありますよ」
と、とても冷静に話した。
「申し訳ありません」
「謝るなら、一臣様と弥生様にです」
「あ、も、申し訳ありません。妻が本当に失礼なことをしてしまって」
高尾さんは一臣さんと私に頭を下げた。だが、奥さんのほうは、
「知らなかったのよ。副社長とその奥さんだなんて」
と高尾さんに訴えた。
「いいから謝れ!」
香さんは、旦那さんに頭を無理やり押さえつけられた。
「あ、あの、知らなかったわけですし、一臣さんもちゃんと広場に連れていくことを伝えなかったわけですし、だから、そんなに無理やり頭を押さえつけないでも」
「いいえ!ちゃんと自分が言わなかったのが悪かったんです」
「まったくだな。高尾、お前に免じて今回はなかったことにするが、これが俺じゃなくおふくろだったら、今すぐにクビだ。すぐにでも寮から追い出されていたぞ」
「はい」
「まあ、いい。ほら、子どもたちも驚いて泣きそうになっている。今日はもう寮に戻れ」
「ありがとうございます。斗來、部屋に帰ろう。香も」
「なんなの。まさか、屋敷のボンボンが寮のプレイルームで遊んでいるなんて思わないもの。わかるわけないじゃない。それに、このくらいでクビになるわけ?」
「香!!いい加減にしてくれよ。俺の立場も考えてくれ。それに、その副社長に斗來の面倒を見てもらったんだから、お礼ぐらい言ってくれよ」
「……」
無言で香さんは斗來君の腕をつかんで歩いて行ってしまった。斗來君はグズグズと泣いていたようだった。
「それじゃ、自分も潤を連れて戻ります」
「ああ。潤君もびっくりしただろ。大丈夫だからな?また遊ぼうな?」
「ありがとうございます。さ、潤、帰ろう」
「うん、バイバイ」
潤君は特に泣きもせず、いつものように元気に壱弥に声をかけた。壱弥も元気に手を振った。
「は~~~~~~。心臓に悪かったです」
亜美ちゃんがそう言いながら、胸をおさえた。
「何も立川、いや清瀬がそんなにびくつくこともないだろ」
「でも、斗來君ママの怒りにびっくりしたっていうか。私、あんなに気性の激しい人とやっていけるかなあ」
「亜美はわからなかったのか。俺は見抜いていたぞ。高尾さん、よく奥さんが怖いってぼやいていたし」
清瀬さんがぼそっとそう言うと、一臣さんが、
「確かに、あんな嫁は嫌だな」
と肩眉をあげた。あれ?意外にも怒っていないかも?
「あ、すみません。自分もキッチンに戻ります」
「私も、掃除の途中だった。戻ります」
二人は足早に屋敷の中に戻っていった。
私と一臣さんも壱弥と臣ニを連れ、自分の部屋に戻った。壱弥はソファに座り、一臣さんと一緒に子ど供向けのDVDを見始めた。その横に臣ニを抱っこして私も腰かけた。
「びっくりしましたね。斗來君ママには」
「強烈だな。弥生とは真逆だ」
「そうですねえ。でも、いると思っていってみたら子どもがいなかったって、相当怖かったんじゃないですか?どこかに攫われたのかとか、色々と心配したと思いますよ。そのあたりも探し回っていたのかもしれないし」
「確かにな。普通の精神じゃなかったかもな」
「それに、屋敷のボンボンが従業員の寮のプレイルームで、子どもの面倒を見ているとは思いもしなかったかもしれないし」
「そこは高尾がちゃんと説明したらよかっただろ。説明不足だ。まあ、夫婦の会話がちゃんと出来ていなかったのかもしれないけどな」
「そうですねえ」
「にしてもだ。あれは厄介だな。あんまり俺は関わりたくない。今後プレイルームに行くのはやめるか」
「でも、そうしたら壱君がみんなと遊べなくなっちゃいます」
「弥生が連れていくとか...。俺がしんの面倒をみるぞ」
「おっぱいは?」
「それは無理だ。さすがに出ない」
「そりゃ、そうですよ~~」
「は~~~あ。女っていうのは厄介だな。男同士ならうまくやっていたのにな」
「コックさんたちとですか?」
「そうだ。話が合って、面白かった」
ふうん。従業員と仲良くなる私は変わり者だって言っていたのにね。
翌週、結局プレイルームには行かず、一臣さんは壱弥を連れてプールに行った。私も臣ニを連れ、プールサイドの長いすでゆっくりした。国分寺さんがベビーラックをプールサイドに用意してくれて、あたたかい部屋でトロピカルなジュースを飲んで、すっかりみんなで南国気分を味わった。
土日はこのプールもジムも従業員には開放していない。ジムには忍者部隊と侍部隊が来ている。格技場も彼らが使っている。私も土曜日に時々合気道をしに行っていたが、妊娠してからはずっとご無沙汰だ。いつから再開できるかなあ。体がなまってきちゃっているなあ。
「そろそろ壱にも習わせるか」
突然隣の長いすで、ゆったりと本を読んでいた一臣さんが話し出した。壱弥も疲れたのか子ども用の長いすで眠っている。臣ニも寝ているからとっても静かだ。私もぼんやりとしていて、少し寝かかっていた。
「え?何を習わせるんですか?」
「武術だ。格技場のあいている時間に、樋口を呼ぶか」
「カンフーですか?!」
「お前が習いたそうだな」
「ちょっとだけ。体がなまってきたって思っていたんです」
「ほんのちょっとだぞ。リハビリ程度にな」
「わあい」
「まったく。ここの奥さんはほんと、変わりもんだな。格闘技が習えるとご満悦になるんだから」
「だって、ずうっとカンフー習えなかったんです。細川女史とも手合わせお願いしていたのにまだ叶っていない」
「まあ、そのうちな」
「壱君にもカンフーを習わせるんですね」
「合気道は弥生が教えてやれ」
「はい!」
きゃ、わくわくしてきちゃった!
その日の夕方、さっそく樋口さんを呼んでカンフーを私と壱弥が習うことになった。が、なぜか潤君と斗來君までが樋口さんと一緒にやってきた。その後ろから、高尾さんと保谷さんも顔を出し、
「すみません。昼のまかないの時に、樋口さんからカンフーを壱弥様に教えるというのを聞いて、ぜひうちの子たちにも習わせたいと思いまして…」
と一臣さんの顔色をうかがった。
「そうなんですね。いいですよね、一臣さん」
「ああ、樋口がいいなら特に問題はない」
「ありがとうございます。自分らは仕事に戻りますが、あとで嫁のほうが見学に来ますのでよろしくお願いします」
高尾さんがそう言うと、一臣さんが肩眉を上げ、
「高尾の嫁って言ったらあれか…。弥生、俺は苦手だから部屋に戻る」
と颯爽と格技場から出て行ってしまった。
「あ…」
高尾さんがしばらく呆然として、
「香が怒らせたからだなあ。はあ。午前中もプレイルームに来なかったんですよね?香がいたから」
と深いため息をつきながらそう言った。
「斗來君ママのほうが今日は来ていたんですか?」
「はい、一臣様にちゃんと謝りに行けと、斗來を連れて香も無理やり連れていったんですが、潤君のママがいて、今日は壱弥様は来ていないと…」
「無理やりって...。奥さん嫌がりませんでしたか?」
「嫌がりはしましたけど、このまま一臣様を怒らせたままにしておけないですし。一回ちゃんと謝らないと」
「苦手だとは言っていましたけど、怒っていないから大丈夫ですよ」
そう言うと高尾さんは少しだけほっとした顔つきになり、お辞儀をして格技場を出て行った。
やれやれ。こういうのって世間でもあるのかな。子ども同士は仲良くなっても、大人のほうが色々とごちゃごちゃしちゃうのって。それもまさか、一臣さんがその渦中に巻き込まれるなんて。
せめて私は斗來君ママと仲良くなりたいなあ。




