第1話 お義母様の怒り
アメリカから帰ってきて、また元の日々が戻ってきた。一臣さんは相変わらず忙しく、私は時々一緒に行動をするが、秘書課でのお手伝いもする日も多かった。
そして、時々一臣さんと一緒に行く取引先でも、緒方財閥関係の会社でも、
「奥様と副社長は大変仲がいいと聞いております」
と言われてしまう。
そのたびに私は、顔がほてって照れてしまうのだが、一臣さんはドヤ顔をして、
「そうか。そんな噂が流れているってことか」
と満足そうだ。
前は、仮面夫婦だなんて言われていたのに、この変わりよう…。やっぱり、二人で一緒にいる時はいっつも一臣さんが背中に手を回したり、べたべたくっついたりしていたからかなあ。
あ、そうか。龍二さんたちとはそこが逆なんだ。龍二さんからはそこまで京子さんとべたべたしようとしていないけど、京子さんが甘えて引っ付くようになったから、べったりくっつくようになった。でも、一臣さんの場合、一臣さんのほうがべったりくっついて離れなかったんだ。
思えば私からべったりしたことって、あまりないなあ。お屋敷ではあるかな?いや、ほぼ一臣さんのほうが引っ付いてくる。っていうか、私を離してくれない。間に壱弥がいれば別なんだけど。
なんてね。そんなこと言って、放っておかれると不安になって、一気に元気をなくしちゃうから、べったりしていてくれたほうが安心なんだけどね。
壱弥も元気に託児所に行っているし、お義母様は、来週から1週間大阪に行き、京子さんとコンサートや舞台を見に行って楽しむらしい。
忙しい日々ではあるんだけど、とても平和な日が続いている。
ところが、大阪で楽しんできたはずのお義母様が、不機嫌そうに帰ってきたのだ。そりゃもう、お屋敷のメイドたちは恐れおののいて近づけないほど…。
夜、私と一臣さんがダイニングテーブルでお義母様が来るのを待っていると、しかめっ面をしたお義母様がやってきた。わあ、私も怖い。でも、周りのメイドさんのほうが緊張している。
国分寺さんはさすがだ。いつもと変わらない。喜多見さんはとても気を配っている様子だ。だが、
「ば~~~ば!ば~~ば!」
とベビーチェアに座っている壱弥はおかまいなしにお義母様を呼んだ。
壱、この雰囲気を察せない空気を読めないやつ?それか、かなりの大物か…。って、こんな赤ちゃんに察しろと言っても無理ね。
「壱君!あなたは本当に可愛いわね!壱君の笑顔を見て早くに癒されたかったわ。あ、でも、食事が冷めてしまうからいただきましょうか」
「そうだぞ、おふくろが来るまで食わずに待っていたんだからな」
「悪かったわね、一臣、弥生さん。あまりにも頭にくることがあったから、しばらく部屋で枕を投げていたのよ」
はい?
「枕を?そんなことをすることもあるのか?たいてい、その場で怒り飛ばして気を晴らしているおふくろが」
「失礼ですよ、一臣…。まあ、そうかもしれませんが、今回は怒り飛ばすことが出来ない相手でしたし、だけど、怒りがそうそう収まらなくてね。でも、話はあとにしましょう。さ、食べましょう、弥生さん」
とほほ笑んで料理を食べだした。
どうやら壱弥の笑顔で、一瞬にして怒りが飛んでしまったのかもしれない。穏やかになり、料理を堪能している様子だ。
「コック長」
食べ終わるとコック長を呼んだ。周りのメイドさんたちにまた緊張が走る。もしや、コック長に文句でも言うのかと思っているようだ。だが、
「とっても美味しかったですよ。アメリカでも大阪でも色々と食べましたが、やっぱりコック長の料理が一番」
とにこりとほほ笑んでそう言った。
「ありがとうございます。わたくしたちも皆様がいらっしゃらなかった時には、料理が出来なくてうずうずとしていました。ですが、その間、色々とまた新しい料理を考えましたので、楽しみにしてください」
「まあ、嬉しい。ね?弥生さん」
「はいっ!」
どんな料理~~?すんごい楽しみ。
「ほほほほほ!やっぱり、ここはいいわね。弥生さんは元気だし、コック長の料理はおいしいし、壱君は可愛いし、一臣は憎たらしいし」
「おい、おふくろ。最後のはなんだ。余計な一言が入ったぞ」
「あなたが憎らしいほどかわいいってことですよ。ふふふ」
わ~お。一気にお義母様のご機嫌が直った。周りのメイドさんたちもびっくりしている。
そういえば、ここまで笑ったり冗談を言ったり、食事中はしないもんなあ。珍しいと言えば珍しいかも。
「で、何にそんなに頭に来ていたんだ?大阪で龍二が何かしたのか?」
「いいえ。京子さんと舞台を見に行った時のことです」
「京子さんが何かしたか?」
「するわけないでしょう、あの奥ゆかしい京子さんが!」
あ、ちょっとお義母様が怒った。
「そ、そうか。だったらなんだ?何があったんだ?」
「大金麗子です」
え?麗子さん?っていうか、呼び捨てたよ、今…。
「あいつに会ったのか?あのいけすかないお嬢様に」
「ええ、会いました。バッタリと舞台が終わって京子さんとゆっくりお茶をしていたら、ごきげんようとか言いながら、憎らしい笑顔で近づいてきたんです」
はい?憎らしいって今言った?うわ。
「ははは。相当おふくろを怒らせたようだな」
「そうですよ!本当に頭に来ました」
「でも、大金銀行のお嬢様を怒らせるわけにもいかなかったってところか」
「一臣、その通りよ。はらわた煮えくりかえったんだけど、なんとか穏便に済ませて帰ってきたのよ。だけど、どんどんどんどん怒りが大きくなって、そのままここに帰ってきたものだから、枕にあたっていたんです」
くす。笑ったのはお皿などを片付けに来ていた国分寺さんだ。わ、笑ったりしてお義母様怒らないかな。
「なんだ?おふくろをそこまで怒らせた原因は」
一臣さんがあきれながら聞いた。どうやら国分寺さんのくすっていうのは、お義母様には聞こえていなかったみたいだ。
「京子さんに対して罵倒したんです」
「罵倒!?」
「跡継ぎも産めないような、弱い体のくせにちゃっかりと緒方財閥に取り入って、いったいどんな手を使ったんだと」
え~~~~~!?何それ?!!ひどいよ!!
「そんなことをおふくろの前で言ったのか?」
「いいえ。私の前ではにこにこしていましたよ。わざとらしいくらい。私がちょっと席を外した間です」
「おふくろは誰かに聞いたのか?」
「ええ。化粧室に行ったら、京子さんが泣いていましたからね。京子さんは大金麗子の言ったことを遠回しにしか教えてくれませんでした。ですが、いつも私についてくれているSPが全部話してくれましたよ。ああ、腹ただしいったらありゃしない」
「本当ですっ!信じられないですっ!京子さんにそんなことを言うなんて~~~~!!!」
私も思わず怒りを口に出していた。
「弥生さんもそう思うでしょ?他の人なら、ねじふせますよ。ですが、大阪での取引がありますからね。下手をして取引中止になっても困りますから」
「じゃあ、泣き寝入りか。何もせずすごすごと帰ってきたのか?おふくろが?」
「まさか。まだカフェでのほほんとしている大金麗子のところに行って、一臣がどんなに弥生さんと結婚して幸せか、私も弥生さんと一臣が結婚してよかった。龍二も京子さんみたいな奥ゆかしい方がお嫁に来てくれて嬉しいと、何度も耳にタコがつくくらい、言ってきてやりましたよ」
「耳にタコ?何回同じことを繰り返したんだ?」
「同じってわけじゃないですけどね?アメリカでのこと、お屋敷での幸せな日々、可愛い壱君のこと、そりゃもう色々と言ってやったわ」
「それでも、まだ頭に来ていたのか」
「本当はよくも可愛い嫁を泣かせたな!とその場でビンタの一つくらいかましてやりたいところでしたが…」
「え?」
メイドさんや、喜多見さん、国分寺さんですら驚いて声をあげてしまっていた。っていうか、私も。
「はははは。なんだよ、おふくろ。いったいどうしちまったんだよ」
「今のは失言です。皆さんもすぐに忘れてください。ああ、でも、すっきりしたわ。そうだ。こんなふうに頭に来た時、ストレス発散したいから、一臣、あのプールで泳いでもいいかしら」
「屋敷裏のプールか?いいんじゃないのか?おふくろが泳げればの話だが」
「馬鹿にしたわね、一臣。これでも若いころはよくジムのプールに通っていたんですよ。テニスだってしていました。一臣、今度テニスも付き合いなさい」
「おふくろの相手?俺は悪いが強いぞ。弥生がちょうどいいんじゃないのか?っていうか、テニスはやめたほうがいい。肉離れでもしてみろ。パーティにも参加できなくなるぞ。せいぜいプールで泳ぐ程度にしたらどうだ?」
「そうね。わかりました。早速水着でも買おうかしらね。泳ぐときは弥生さんも付き合ってね。京子さんは泳げるのかしら。あ、演奏会もしなくちゃね?弥生さん」
「そうですね!京子さんのハープ聞きたいですし」
「話してみるわ。じゃあ、私はお先に。疲れたからもう休むわ」
「はい。おやすみなさい」
お義母様がダイニングから出ていくと、いっせいにメイドさんたちがため息をついた。でも、一臣さんは大笑いをした。国分寺さんもくすくすと笑っている。
「あんな奥様、初めて見ましたね」
喜多見さんが国分寺さんにそう言うと、
「はい。驚きですよ。相当頭に来ていたとは思いますが、本当に京子様のことを可愛がっていらっしゃるんですね」
と国分寺さんが優しく微笑んだ。
「あ、弥生様のことも大事に思われていますね。弥生さんと話をしただけで、奥様は元気になられた」
「はい。なにしろ同盟組んでて」
「同盟?なんだ?それは」
「あ、やばい。これ、内緒だったかも」
「弥生、俺に内緒ごとをする気か?え?!いつからそんな悪いことをするようになった。そんなふうに躾けた覚えはないぞ」
「一臣さんは、お父さんですか」
私の言葉に喜多見さんがくすくすと笑った。
「わかりました。部屋に戻ったら教えます」
さすがにみんながいるところでは話せないから、一臣さんと壱弥と部屋に戻ってから、アメリカで同盟を組んだことを一臣さんに話した。
「なんだ、そりゃ。俺らが浮気をしたらこらしめるってことか?はあ?龍二はわからんが、俺が浮気なんてすると思っているのか?」
やっぱり、ばらさなかったら良かった。思いきりへそ曲げたみたいだ。
「一臣さんが浮気なんてするわけないってわかっています。龍二さんだって。それに、一臣さんが私を大事に思ってくれているのも、お義母様もわかっています。ただ、それだけ仲良くなったっていうか、信頼関係ができたっていうことなんです」
「なるほどな。そんなことをおふくろが言い出したのも信じられないけど、まあ、さっきの様子なら、わかる気もする」
「さっきの?」
「ああ、まさかプールで泳ぐとか言い出すとは思わなかったし。枕を投げていたとか、大金麗子を呼び捨てにしたとか…。ぶ!くくく!」
あ、笑い出しちゃった。
「あははははは!まさか、まさかあのおふくろが!」
ツボに入ったみたいだ。これはなかなか収まらないかもなあ。
お義母様の前では笑えなかったのかな。もしかして。
でも、京子さんを泣かせるような麗子さんには私も頭にきたけれど、それを見て心を痛め、京子さんのために怒っていたお義母様の優しさを嬉しく思う。
なんだか、私たちはしっかりとした家族の絆が出来ているのかもしれないなあ。




