第2話 妊娠
亜美ちゃんが昼食の用意ができましたと、部屋まで来てくれた。私は一臣さんの部屋から返事をして、髪をとかしてから部屋を開けた。
「あ、亜美ちゃん」
待っててくれたんだ。
「弥生様、おめでとうございます」
「え?」
「喜多見さんから聞きました。具合はどうですか?お昼、食べられそうですか?コック長がサラダや果物を用意しています。ご飯の匂いとか、お味噌汁の匂いとかダメかもしれないだろうからって、和食じゃないんですけど」
「そうなんですね」
気を使ってくれたんだ。ありがたいけど、今は何が食べられるのか自分でもわかんないなあ。
ダイニングに亜美ちゃんと一緒に行き、テーブルに着いた。
「弥生様、おめでとうございます」
国分寺さんも席まで来てそう言ってくれた。
「お体の具合はいかがですか?」
「はい。今は大丈夫です」
「無理をなさらない程度に、お食べになったほうがよろしいと喜多見さんやコック長も申しておりました」
「はい」
サラダ、果物は食べられそうだ。特にトマト、オレンジ、このへんはおいしく感じる。トーストとハムエッグも、なんとか食べられた。
食べ終えた頃、
「一臣様や社長、奥様にはわたくしから連絡を入れました。皆さま、大喜びで、社長も今夜時間を取ってお屋敷に来られるそうですよ」
と国分寺さんが報告に来てくれた。
「え、そうなんですか」
嬉しいけど、ちょっとだけ不安。
「弥生様、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
日野さんやトモちゃんも近くに来て、喜んでくれた。
「ありがとうございます」
「これで、安心ですね、弥生様」
日野さんの言葉に、一瞬、私は言葉を失った。でも、
「はい」
と、作り笑いをして頷いた。
今の、作り笑いってみんなにばれちゃったかな。
「ごちそうさまです。少し部屋で休んできます」
「ご気分、優れないんですか?」
喜多見さんが心配そうに聞いてきたが、
「いいえ、大丈夫です」
と、精一杯微笑み、亜美ちゃんに付き添ってもらって部屋まで行った。
「弥生様、元気が無いようですが、つわり、お辛いんですか?」
「大丈夫です」
「でも…」
亜美ちゃんは戸惑いながら、私の顔を見た。
「私はつわりの経験もないし、弥生様のお辛さを理解できなくて申し訳ないです」
「え?いえ、そんなに辛いってほどじゃないから、心配しないで」
ああ、私が暗くなっているからかな。
「ちょっと、産婦人科に行くのも緊張して、疲れちゃっただけなんです。休めば元気になります」
「産婦人科、緊張しますよね」
亜美ちゃんもにこりと笑い、
「何かあったら、すぐに呼んでくださいね」
と私が部屋に入るまで、見守っていてくれた。
バタン。ドアを閉め、ベッドまでとぼとぼと歩き、横になった。
「あ~~~~」
赤ちゃんできたら、もっと嬉しいと思ったんだけどな。暗くなっているこの気持ち、お腹の赤ちゃんに伝わっちゃうかしら。
「ごめんね」
お腹をさすりながらそう呟き、私はまた夕方まで眠ってしまった。
「弥生」
髪を優しくなでながら、誰かが優しく呼んでる。
「弥生…」
「一臣さん?」
無意識にそう聞きながら、私は目を覚ました。目の前には優しく私を見つめる一臣さんの顔があった。
「あれ?仕事は?」
「早めに切り上げてきた。国分寺さんから、弥生が妊娠してるって聞いて、親父も今日は屋敷に帰るって言ってたぞ」
「はい」
「おふくろも、用事を早めに切り上げ、もう帰ってきている」
「…そうなんですね」
「気分悪いのか?昼も元気が無かったって、喜多見さんが言ってたぞ」
「なんか、疲れたみたいで」
「そうか。新婚旅行の疲れとか、時差とか、そういうのもあるしな」
一臣さんはそう言いながら、また私の髪を優しくなでた。
「夜、食堂に行けそうか?」
「はい」
「夕飯は何なら食べられる?もし、無理そうなら夕飯を一緒にしないでもいいぞ。親父も少しだけしか時間取れないみたいだから、応接間で話をするのでもいいしな」
「……皆さん、喜んでいたって国分寺さんが言ってました」
「ああ、親父なんかめちゃくちゃ喜んでた。あの、おふくろだって」
「ですよね」
跡継ぎなんだもん、喜ぶよね。
「弥生は嬉しくないのか」
ギク…。
「嬉しくないわけないです。でも」
「なんだ?どうした?」
一臣さんが優しく聞いてきた。
「あの…、不安なんです」
「無事に生まれるかがか?大丈夫だ。お前、丈夫だし」
「男の子でしょうか」
「……」
一臣さんの眉毛がぴくっと動いた。
「あの…」
怒ったのかな。黙っちゃった。
「それを心配しているのか」
「……はい」
「あほだな。女の子だっていいんだ。あんまり、跡継ぎのことを気にするな」
「気にするなって言われても、だって、一臣さんだって、跡継ぎができたってそう言ってたし」
「まあな。親父もおふくろもそれで喜んでいたわけだけど」
やっぱり。
ギュ。
「いいんだよ。お前はそういうこと考えなくても」
抱きしめながら一臣さんがそう耳元で言った。
「そういうことを考えるのは、周りのやつがすることで、お前が心配することじゃない。もし、女の子しか生まれなかったら、そん時にまた考えたらいいだけだ」
「はい」
「前にもそう言っただろ?」
「はい…」
「まったく。お前らしくないぞ、そんなことでくよくよするのは」
そうだよね。なんだって、私はそんなことくらいで、暗くなっているのかな。
「俺がいるんだから、大丈夫だ。弥生は悩まなくたっていい。女の子でも俺は嬉しい。思い切り溺愛する」
それもそれで、どうかと。でも、一臣さんだったら、本当に溺愛しちゃいそう。
「一緒に楽しく子育てするんだろ?」
「はい」
「子供生まれたら、いろいろとするんだろ?キャンプに、ハイキング、肝試し」
「はい」
「楽しもうな?」
ギュ。私も一臣さんの背中に腕を回して抱きついた。
「あれ?一臣さん、コロンは?」
もうシャワー浴びたのかな。
「つけてない。お前のつわりがよくなるまで、つけないから安心しろ」
私のために?
ああ。何だって私は暗くなったのかな。一臣さんは、ちゃんと私を大事に思ってくれているし、赤ちゃんが生まれることも育てることも楽しみにしてくれているのに。
しばらく一臣さんに抱きついていた。一臣さんのぬくもりがとっても安心する。
「弥生は、安定期に入るまで大事にしろ。会社も休んでいい。細川女史にも言ってある」
「お屋敷に一人ですか?寂しいです。それに、一臣さんにもずっと会えない」
「数ヶ月だけだ。車に乗るのだって辛かったんだろ?」
そうだけど。一臣さんに会えないほうが堪えそうだ。
「会社に出ても、どっちにしろ別行動が多くなるだろうし、俺も屋敷にいてもらったほうが安心できるから」
「はい…」
「立川たちを部屋に呼んでもいいぞ。おふくろがいない時なら、寮に行ってもいい」
「はい」
「俺も早めに帰るようにするし、家でできる仕事なら持って帰ってここでするから。な?」
キュン。
「はい」
一臣さんが優しい。それはとっても嬉しい。
トントン。
「一臣様、弥生様、旦那様がお待ちです」
日野さんの声がした。
「わかった」
私は髪をとかしたり、ちゃんとした服に着替え、一臣さんと一緒に応接間に行った。そこには、お義父様とお義母様が、ゆったりとお茶を飲んでいる姿があった。
「弥生ちゃん!」
私の顔を見ると、すぐにお義父様が立ち上がり、私のほうに向かって嬉しそうに歩いてきた。
「おめでとう」
そう言いながら私にハグをしてきた。と思ったら、
「親父、勝手に弥生を触るな」
と、一臣さんが引き離してしまった。
「なんだよ、いいじゃないか。ハグしたって」
「ダメだ。弥生はつわりもあるし、親父の加齢臭で気持ち悪くなるだろ」
「ひどいなあ、一臣は」
シュンとしながら、お義父様はまた、椅子に腰掛に戻った。
「弥生さん」
お義母様はソファに座ったままにこりと笑い、
「お体はどう?」
と優しく聞いてきた。
「今は大丈夫です」
私と一臣さんもソファに腰掛けながらそう答えると、
「つわりは辛いですよね。私も一臣のときに経験しました。しばらくは、会社に行くのも控えて、お大事にしないとね?」
と、また優しくそう言ってくれた。
「こんなに早くに出来るとはなあ、さすがは弥生ちゃんだ」
「親父、そういうプレッシャーはやめろよな」
「そういうプレッシャーってなんだ?」
お義父様が一臣さんに、怪訝そうに聞くと、
「だから、跡継ぎ。じじいが弥生に、男を二人絶対に産めって言ったみたいだし、弥生だってそういうの、プレッシャーになるんだよ」
「弥生さんにも、会長はそれを言ったんですか?」
お義母様が、顔を曇らせた。そして、私を見ると、
「会長の言うことなんて、気にすることないですよ」
と、少し強い口調で言ってきた。
「はい」
でも、お義母様もちゃんと男の子を二人生んだんだよね。
「さて。いろいろと忙しくなるなあ」
お義父様は突然立ち上がり、
「まず、ベビーベッドもいるな。ベビーシッターも考えないとな。それから、弥生さんのガードを強化して」
と、腕を組みながら歩き出し、
「弥生ちゃんは、とにかく体を大事にすること。それから、一臣、一応言っておくが」
と体の向きをこちらに向けた。
「子供が出来たからと言ってすぐに女遊びは」
「するわけないだろっ!一生しないから安心しろ!」
最後までお義父様が言い終える前に、一臣さんが大声で怒った口調でそう言った。
「くす。一臣はえらいわねえ。ちゃんと奥さんを大事にしていて」
お義母様は嫌味な感じでそう言うと、お義父様を見てふっとため息をついた。
「あ~~、ゴホン。じゃあ、そろそろ会社に戻らないとならないから。弥生ちゃん、何か要望があればなんでも言ってくれ。それじゃ」
お義父様は気まずそうに、早々に応接間を出て行った。
「まったく、あの人は。それはそうと、弥生さん、もうご実家のほうには報告しましたか?」
「まだです」
「きっと、喜ばれると思いますよ?」
「はい。連絡します」
お義母様も、
「食事も私や一臣に合わせず、無理しないで食べれるときに、食べられるものを食べてくださいね」
とそう言って、応接間を出て行った。
「一臣さん」
「ん?」
「お義父様も、お義母様も優しいですね」
「弥生だからだろ」
「え?」
隣に座っている一臣さんは、私の腰を抱き、
「弥生が可愛いから、可愛がるんだ。おふくろなんて、夕飯はちゃんと一緒に食えとか、つわりが辛くても仕事に行けとか、本来なら言いそうだ」
と、ちょっと眉間にしわを寄せそう言った。
「弥生だと、なんでだか、みんな甘くなるな。やっぱり、可愛いからじゃないか?」
ぎゅっと抱き寄せ、一臣さんは私の髪に頬ずりをして、
「弥生は、部屋で食っていいぞ。食堂だと匂いがきついだろ?俺もとっとと飯食ったら部屋に行く」
と私を抱きしめながらソファから立たせた。
そのまま私の腰を抱き、2階まで寄り添ってくれると、
「飯、食ってくる」
と、また1階に行ってしまった。
部屋に入り、10分とたたないうちに、国分寺さんが私の夕飯を持ってきて用意してくれた。サラダ、果物、それとパスタ。
「トマト味のパスタなら、召し上がれるかもとコック長が作りました」
テーブルに、それらを乗せてくれ、
「では、ごゆっくり」
と部屋を出て行ってしまった。
「みんなして、気を使ってくれてる。でも、一人は寂しいなあ」
そんなの贅沢な悩みかな。食事を用意してもらって、部屋まで運んでくれて、至れり尽くせりなのに。
「弥生」
え?もう一臣さんが来た。
「ああ、食事持ってきてもらったんだな」
「はい」
「食べれそうか」
「はい。一臣さん、夕飯は?」
「食った」
え~~~~。まだ、15分くらいしかたっていないんじゃないの?
「おふくろに呆れられたが、弥生が一人じゃ寂しがるって、さっさと食ってきた」
そう言うと一臣さんは、冷蔵庫から炭酸水を取り出し、私の前の椅子に腰掛けた。
「うまいか?」
パスタを食べていると、一臣さんが聞いてきた。
「はい。トマト味なら、食べれます」
「そうか、良かったな?」
「はい」
嬉しい。一人じゃ寂しかったけど、一臣さんが前にいるから寂しくない。
「一臣は本当に弥生さんが、可愛くて大事でしょうがないんですね…と、おふくろに言われた」
「え?」
うわあ。そんなことを?
「だから言ってやった。おふくろもだろって。そうしたら笑ってたぞ」
「……」
「やっぱ、お前、親父にもおふくろにも気に入られているよな?」
一臣さんもはははと笑った。
しばらくお屋敷にいることになる。寂しいって思ったけど、みんなに大事にされて、やっぱり私は幸せものだ。




