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第九話 朝と魔王

 けたたましい騒音がエレルインの耳朶に突き刺さり、彼女は目を見開いて飛び起きた。夢見心地は瞬時に消え失せる。甘美な余韻の消滅は、彼女の意識に不快感だけを残していく。

「なんじゃなんじゃなんじゃ! この世の終わりか! ならば弓をもて! わらわも打って出るのじゃ!」

「エレ……おまえはなにをいってるんだ?」

「はて……?」

 響の声に、エレルイン・フォルザアクは我に返った。音はもう聞こえなくなっている。しかし、耳朶に残った不快感は中々消えそうにない。

 エレルインは、ぼんやりと、自分の置かれている状況を確認した。

 響の隣で、寝ていたようだ。身につけているのはお気に入りの寝間着で、黒を基調としたものだ。魔王には黒が似合う。見慣れぬベッドは、上で跳ねるには物足りないが、ふかふかの布団は快眠を促すものだった。そして、隣では響が上体を起こし、手の中の時計と睨み合っていた。

 蒼河響。エレルインの魂約者――つまり永遠の伴侶だ。

 彼は、水色の上下を着ていた。それが寝間着らしい。水色は、彼によく合っている。身長はエレルインよりも二回りほど高い。黒髪黒目。顔立ちは整っており、彼の姉とよく似ていることを鑑みても、女顔といえるのだろう。良い顔で、眺めているだけでも暇潰しになった。

 エレルインは、響の部屋で一夜を過ごしたのだ。当初は響と一緒にベッドで寝るつもりだったのだが、響がそれを許してくれなかった。彼は、別の部屋から持ってきた布団を床に敷き、そこで寝るといってきかなかった。

 彼女は仕方なくそれを認め、別々に寝たのだ。しかし、夜中に目を覚ましたエレルインは、異界にいる寂しさに負けてしまったのだ。ついつい、響の布団に潜り込んだ。彼は寝入っていたので、起こさないように細心の注意を払ったものだ。

 そして、彼の寝顔を眺めているうちに、眠ってしまった。

「目覚ましが壊れてやがる」

「ほえ?」

「さっき止めたんだが、勝手に鳴り出してさ」

 そういって、彼は、手の中の時計を見せてくれた。黒い動物の頭をモチーフにしたような時計で、上部に突き出た耳がボタンらしかった。しかし、どこが壊れているのかはわからない。そもそもエレルインは時計屋さんではない。ただの魔王だ。魔王は万能ではない。職人の領域を侵すような無粋な真似もしない。

「もう少し寝ていたかったんだけどな」

「わらわも、眠いのじゃ」

 あくびを漏らしながら、エレルインは時計の針が示す先を見た。六時三十五分。早いのか遅いのか、いまいちわからない。魔界とは勝手が違うのだ。時の数は同じで、短針と長針という時計の構成も同じなのだが、どのように時を過ごすのが普通なのか、彼女にはまだわからなかった。

 ただ、昨日は、夜になって、ご飯を食べ、お風呂に入り、疲れたので寝る――という、魔界での過ごし方と大差のない一日であり、だからこそすんなりと順応できたのだろう。

 窓を見やると、家の外は明るくなってきているようだ。

「寝ててもいいぞ」

 どことなく冷たく感じられる物言いに、エレルインは、むっとなった。

「響はどうするのじゃ?」

「俺は下でだらだらしとく。どうせすぐに朝ごはんだし」

「ふむう……わらわも一緒にだらだら過ごすことにするかのう」

 エレルインは響に続いて起き上がった。覚醒しきっていない頭では立ち上がることすらおぼつかないが、響の腕に掴まってさえいれば安心だった。エレルインよりもしっかりとした体つきなのは、性別的な違いだけが問題とも思えない。年齢的に考えても、彼はずっとずっと年下だった。それでも頼りになると思ってしまうのは、ここが彼女にとって寄る辺なき異世界だからかもしれない。

 魂約を結んだ響だけが、エレルインの心の拠り所だった。

 もちろん、指を鳴らせばセヴァスチャンはやってくるし、響の母の鈴音も優しいし、姉の奏も好ましい人物だ。なんの心配もない。むしろ、十分すぎるくらいの幸福感がある。しかしそれでも、エレルインの中で響は特別だった。

 手を繋いで階段を降りている最中、響が突然質問してきた。

「ところで、なんで俺の布団に潜り込んでたんだ?」

「そ、それはじゃな、海よりも深~いわけがあるのじゃ」

「ほほう?」

「なんじゃその悪人みたいな目は! わらわはなにもやましいことなどしておらぬぞ!」

「だったら洗いざらい喋ったらどうだい?」

「わ、わらわは魔王ぞ! どこで寝ようと勝手ではないか!」

「魔王陛下とあろうお方が下賎の男の布団に潜り込むとは、とんだスキャンダルですなあ」

「おぬしはわらわの魂約者なのじゃぞ? 下賎などというではないわ!」

「あら、おはよう、響、エレちゃん」

「おはよー。今日の味噌汁はなに?」

「お、おはようございますなのじゃ、義母上ははうえ!」

 鈴音が挨拶してきたので、エレルインは慌ててかしこまった、問答しているうちに居間についてしまっていて、台所で調理中の鈴音が声をかけてきたのだ。響との問答が聞かれていたのかもしれないと思うと、気恥ずかしさが沸き上がってくる。会話はいい。だが、布団に潜り込んでいたとか、そういうことは隠しておきたい年頃だった。

 鈴音は、年頃の子供がふたりもいるとは思えないほど若々しかった。やはり響とよく似ていて、響は母親の遺伝子を色濃く受け継いだのだろうと推測できた。淡いピンクのエプロンが似合う女性だった。

「豆腐のお味噌汁よ。そういえば、エレちゃんがいつの間にかいなくなってたからちょっと心配だったけど、すぐに響の部屋から声が聞こえてきたから安心できたのよねー」

「ははは……おかげで姉さんに怒られたよ」

 響は笑って済ませたが、あのときのかなでの顔は、エレルインは永遠に忘れないかも知れなかった。まるでこの世の終わりだった。終末とは、ああいう顔をして現れるのかと思い、震えが止まらなかった。響の布団に潜り込んだ理由を足すとすれば、これがある。ただ、奏は普段はエレルインに対しても優しく、面白い人物である。エレルインは彼女のことを一瞬で好きになった。

「でしょうねえ。あの子、寝るときは神経質だから」

「母さんが無神経なんだけどね」

「うそよー」

 響と義母の会話を聞きながら、エレルインは、早く弁明しなければならないと思った。

「は、義母上……ち、違うのじゃ、わらわは別に義母上のことが嫌だからでていったのではないのじゃ」

 すると、鈴音が手を止めた。屈んで、目線をエレルインと同じ高さにしてくる。柔らかい視線だ。見ているだけで穏やかな心持ちになれる。

「エレちゃん、わかってるわよ」

「ふぇ?」

「響と離れたくなかったのよね」

 真摯に告げられて、エレルインは言葉を失った。図星だったから、というのではない。なにかとてつもなく大きな力を鈴音の言葉に感じたのだ。魔力などではない。柔らかく、すべてを包み込むような力の波動。それは愛というものなのかもしれない。

 エレルインは、目頭が熱くなるのを認めた。視界が滲む。

「義母上ええ!」

 思わず抱きつくと、鈴音は驚いたようだったが、すぐに受け入れてくれた。よしよし、と撫でられながら、エレルインはしばらく泣き続けた。なぜだろう。ここにいてもいいのだ、と思えた。いや、それは昨日の夜からわかっていたことだ。響も、響の家族も、みんな受け入れてくれたのだ。だから、彼女は魔界に帰るという選択肢を捨て、この家に居座った。

 ではなぜ、泣いてしまったのか。

 エレルインは、自分でも理解できない感情の動きに心の不思議を思った。魔王ですら、自分の心を支配できないものらしい。

「響、エレちゃんのこと、大切にね」

「……わかってるよ」

 ぶっきらぼうだったが、確かな響の返答にエレルインの耳が熱くなったのはいうまでもない、

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