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第六話 家族と魔王・混沌編

 ひびき達が居間でくつろいでいると、廊下からかなでがひょっこり現れた。

「エレちゃーん、一緒にお風呂に入りましょー」

「おーっ、義姉上あねうえ、いますぐ行きますのじゃ!」

 ソファの上に寝そべっていたエレルインが、ぱっと跳ね起きる。彼女は、奏の予想だにしない申し出に満面の笑みを浮かべていた。響にとっても予想外の事態だった。エレルインはどうやら、姉の心を鷲掴みにしてしまったらしい。

 それは別にいいことなのだが。

「響くーん」

 奏が、廊下の壁からにやにやした顔を覗かせてくる。

「なんだよ」

「覗いちゃだ・め・よ」

「だれが覗くか!」

 ウインクまで飛ばしてきた姉に対して、響は声を荒らげた。

 すると、奏の元に向かっていたエレルインが足を止めてこちらを振り返った。ひどく残念そうな顔をしている。彼女のいいたいことはすぐにわかった。

「なんじゃ、響は一緒ではないのか?」

「当たり前だろ」

 響がいうと、魔王少女は口を尖らせた。

「むー」

「お楽しみは、将来結婚したときのために、ね」

「おおっ、義姉上のいう通りなのじゃ! 楽しみは将来にとっておくのじゃ!」

 奏の言葉には納得したのか、彼女は喜び勇んで廊下に飛んでいった。浴室は、廊下の左側――二階への階段とはちょうど対面に位置している。とはいっても、浴室は広くはないし、奏とエレルインのふたりを収容するので精一杯だろう。子供の頃は母と姉と三人で入ったものだが。

 その頃は、響も小さかったし、奏も響と変わらないくらいの背丈だった。身長が抜かれ始めたのは、奏が中学生になったくらいからか。奏の身長はそのうちぐんぐんと伸び、いまでは巨人と小人くらいの差になっている――というのは言い過ぎだが、奏はモデル体型といってもよかった。

「響よ、わらわは義姉上とお風呂に入ってくるゆえ、上がってくるのを心待ちにしておるがよいぞ」

 先ほどの奏のように廊下から顔を覗かせたエレルインは、こちらの心境など無視した言葉をいうだけいって、奏に呼ばれてそそくさと消えていった。

「将来……ねえ」

 実感のわかないことではある。家族もエレルインも婚約だの結婚だのと盛り上がっているが、響には想像もつかないことだ。降って湧いたような話でもある。しかも相手は魔王だという。

「気の早い話ではありますな」

「おわっ」

 聞き知った声に振り返ると、いつの間にか白髪能面執事が立っていた。さっきまでだれもいなかったはずだったが、彼にはそんな理屈は通用しない。空間転移。つまるところ魔法のような力で、彼は魔界とこの世界を行き来できるらしい。

「どこから沸いてでた」

「ひとを幽魔ゆうまのようにいわないで頂きたいものですが」

 セオドール・ヴァン・スレイク・チャンドラ二世――通称セヴァスチャンは、魔王エレルイン・フォルザアクに仕えている人物だ。白髪をオールバックにした長身痩躯の男。狐顔だが、能面のように表情は変わらない。黒のスーツに白手袋が、いかにも執事風といった格好だった。執事とは言い切れまい。要するにコスプレ臭いのだ。

 本人は至って真面目で、エレルインのために飛び回っているようだが。

「ゆうまってなんだ?」

「魔界で塵と消えたものたちの怨念みたいなものですよ。どこからともなく沸いて出て、迷惑千万極まりないのです」

「まさにあんたのことじゃないか」

 告げると、彼は真顔をずいと近づけてきた。冷ややかな顔が暑苦しく感じられるほどの距離だ。

「響様、わたくしがなにか迷惑なことでもいたしましたか?」

「うーん……突然現れるところとか」

 響が適当に答えると、セヴァスチャンはこちらに近づけていた顔を離して思案した。表情に変化は見られないが、なんとなくそれとわかる。

「ふむ……では、転移座標に予め効果音を発生させますか。その場合二度手間になってしまいますが、ほかならぬ響様のご要望とあらば仕方ありません」

「真面目に取り合うなよ。っていうか響様ってなんだよ」

「響様は響様でございます。姫様の将来の旦那様ということは、わたくしにとって主筋になられるお方。敬称をつけるのは当然でございましょう」

「じゃあ俺の命令も聞くのか?」

 響は、驚いて彼の顔を見た。鉄面皮に変化はない。

「無論でございます。ただ、姫様のご意向に反するようなご命令には従いかねますのでご了承を」

 彼は、至極当然のように答えてきたので、響は面食らった。まさか自分の命令を聞くなどとは到底思えなかったし、命令するつもりも端からなかったが。彼はエレルインの従者であり、彼女の命令だけを聞いていればいいのだ。それが一番落ち着く。

「で、なんでまたここにいるんだ?」

「姫様のお泊まりセットを用意しましたので」

「あーそうかい」

 なんとなくは察していたことなのだが、執事の言動が響の想像を裏付ける形となった。

 エレルインは、この家に住み着くつもりだ。

 彼女としてみれば、魂約したのだから当然だというのだろうし、執事もそれを肯定するに違いない。母も姉も、あの可憐な少女が居候することは喜ぶに決まっている。響ひとりが反対したところで無意味だし、勝ち目がない。というより、反対する理由も見当たらないというべきか。

 エレルインの色に染まりつつある自分を認めて、響は嘆息した。

「とりあえず魔界の混乱は収まりましたが、今度は魂約の事実を知った姫様ファンクラブの方々が荒れていまして」

「なんだよそれ」

 響は、ファンクラブの言葉に笑ってしまった。魔王のファンクラブとはなんなのか。魔界とはいったい、どんな世界なのか。魑魅魍魎、悪鬼羅刹が跋扈するような世界にはとても思えない。エレルインやセヴァスチャンと関わっていると、想像していたよりも余程愉快な世界が脳裏に描かれてしまう。

 セヴァスチャンは、真面目な顔で告げてきた。

「姫様があまりにも愛らしいので、自然と出来上がったものでございます」

「魔界なんて魔王のファンクラブみたいなもんじゃねえのかよ」

「それはいい得て妙ですな」

「笑い事かよ」

 突っ込むと、彼は再び能面に戻った。

「とはいっても、姫様ファンクラブ設立にも理由がないわけではないのですよ。ことさら詳しく申し上げるつもりもありませんが」

「いいよ、別に」

「ちなみにわたくしのファンクラブナンバーは、栄光の一桁台でございます」

「さすがだな」

 あまつさえ会員証を見せつけてきた執事には、あきれるしかなかった。金色に輝くカードは、黄金を削りだしてできたような光沢がある。刻まれている文字は、やはり響には理解し難いものだ。恐らく魔界の文字なのだろう。言語が違うのだ。それなのに意思疎通できているのは、どういう理由があるのか。魔王の力、だったとしても驚かないが。

「会員ナンバー1はもちろん先代の魔王であり、姫様の実の父君であらせられるルエンフォルザアク陛下です」

「親バカここに極まれり、ってやつか」

「否定は致しませんが」

「否定しとけよ、主筋だろ」

「それはそれ、でございます」

「はーん……ナンバー1が妬ましいんだな」

「滅相もない」

 図星だったのだろう――セヴァスチャンの額に汗が浮かんでいた。

「ま、どうでもいいが。で、そのファンクラブがどうしたって?」

「姫様の魂約者を魔界に連れてこいとうるさいのです。許せない、ただじゃおかないとの声が多数寄せられております」

「なるほどな」

 エレルインのファンクラブという話から予想できたことではある。確かに、彼女の愛嬌は万人を魅了しうる。響の母と姉でさえ、一瞬で虜にされてしまったのだ。どれほど長い時を魔界で過ごしたのかは知らないが、その時間が長ければ長いほど、彼女の魅力は吹き荒れただろう。そして、ファンクラブに入会するような連中だ。響の事情や立場など考慮してくれるはずもない。

「八つ裂きにしてやると息巻いているものもいるようでしたが、どのみち納得するしかないこともわかっておられるはず。魂約は、魔王の絶対無二の権限。一度しか結べない約束ではありますが、なにものにも破れないものでもあるのです」

 セヴァスチャンの説明を聞きながら、響は、今日の昼間のことを思い出していた。少女が突然現れ、署名をねだられ、結果、魂約の結んでしまった。何度生まれ変わっても巡り合う魂の約束。永遠の伴侶。その言葉の意味を頭では理解しているのだが、実際にはわからない。死んでいないのだから、わかるはずもない。生まれ変わり、もう一度エレルインと巡り会えたときにこそ実感することができるものなのだろうが。

「魂約……ねえ。俺には実感ないんだけどな」

「本来、魂は目に見えるものではないということもありますな。その繋がりも、わかるものではございますまい」

 響は、セヴァスチャンのなにかを含んだような言い方が気になった。尋ねる。

「……あんたには見えるのか?」

「ええ。姫様と響様の魂が強く結び付いているのは、火を見るより明らかです。響様もご覧になられますか」

「え……?」

 響の返答を待たず、執事が、指を鳴らした。つぎの瞬間、室内が停電したかのように、響の視界が闇に包まれた。かと思いきや、まばゆい光が、響の網膜を白く染めた。それも一瞬だ。すぐに慣れる。目に痛いほどの光が、一条の帯となってある方向へと伸びているのがわかった。廊下の向こう側へ、壁を突き抜けて進んでいる。浴室の方向だった。

 光は、よく見ると拍動のように強くなったり弱くなったりしているのがわかる。そして、決して一方通行ではないのも響には理解できた。光は、こちらから放たれているだけではなく、向こう側からも放たれているのだ。ぶつかり合うのではなく、綺麗に交錯している。

 光を辿ると、響の胸元に至った。

 まるで、心臓から発せられる光が、浴室にいるだれかと繋がっているようだった。だれかは、考えるまでもなくわかる。姉であるはずがないのだ。

 と、廊下から、バスタオル一枚巻いただけという格好の奏が現れた。闇の中だが、姉の姿ははっきりと見える。停電などではない。魔法のようなものなのだろう。

 奏のスタイル抜群の肢体は、並大抵の男を軽く悩殺してしまうのだろうが、響の眼中にはなかった。いつものことだ。こちらの無反応っぷりが気に入らなかったのか、奏は無言のまま台所の奥に消えた。

 響から放たれる光は、まだ浴室に向かっていたが、少しずつ角度が変わっていた。そして廊下から、奏と同じくバスタオル一枚巻いただけのエレルインが、颯爽と飛び出してくる。

「ほっかほかなのじゃ!」

 響の光は、彼女の小さな胸の奥に注がれ、また、少女の胸元から放たれた光が響の胸に届いている。響は、自分の胸に手を当てた。鼓動が妙に激しくなっていることに気づいた。執事が指を鳴らす。闇が去り、明かりが戻る。エレルインと繋がっていた光は見えなくなったが、実感は、響の心に残った。

「いかがでしたか?」

「ありがとう」

 感謝したのは、なぜかわからなかった。ただ、響は、いままでの自分の意識を覆っていた霧が晴れたような感覚の中にいた。エレルインと自分の関係について、裏打ちができたというべきなのかどうか。ともかくも、響は彼女を見る目を変えた。鼓動はまだ早い。熱を感じる。彼女への波動。魂が繋がっている。求め合っている。

 始まりは、偶発的な事故だった。少女の致命的ともいえる失敗だった。彼女は響と隷属契約を結ぶつもりだったのだが、差し出してきたのは魂の婚姻を約束するというものだった。そうとは知る由もない響が署名したことで、ふたりの魂は結ばれてしまったらしい。いままではその意味がわからなかった。しかし、いまは違う。いまなら理解できる。

 少女が、小首を傾げて、こちらを見ていた。洗い立ての銀髪が、蛍光灯の光を反射して輝いて見えた。奏に比べれば華奢ではあったが、胸がないわけではないのはバスタオルが隆起していることでわかる。外見年齢相応のものだろう。そこまで考えて、響は頭を振った。

(なに考えてんだ俺は)

 響は、自分がエレルインから目が離せなくなっていることに気づいて慌てた。が、慌てたところで、自分の心境の変化を認めることしかできない。意識してしまったのだ。そうなるともうどうしようもない。

 それは、恋に落ちるという感覚なのかもしれない。

「姫様、そんなはしたない格好、このセヴァスチャンの目が黒いうちは許しませんよ」

「そちの目は黒くなかろう! それに下着はちゃんとつけておる!」

「そういう問題ではございません! 着替えはこちらに用意してあります。いますぐに着てください!」

「むむー! わらわは義姉上の真似をしておるだけなのじゃ!」

「なりません!」

「うぬぬー! 響よ、わらわを助けるのじゃ!」

 魔王と執事が居間と台所を行ったり来たりしている。執事はどこからか取り出した寝間着らしいものを掲げ、魔王に押し付けようとしているのだが、魔王はなぜかそれから逃げている。ふたりとも必死の形相だった。

「響?」

「え……?」

「どうしたのじゃ? ぼーっとして」

「いや、なんでもない。セヴァスチャンの言う通り、さっさと着替えとけよ。姉さんみたいになられても困る」

「響までわらわの敵となるというのか……」

 エレルインががっくりと肩を落としたのを見届けるが早いか、響の背後に気配が生まれた。背中に柔らかな感触があり、耳元に息がかかった。

「いまあたしの悪口いったでしょ?」

「うおっ、いつの間に!?」

 振り向くと、バスタオル一枚のままの奏が、響を羽交い締めにしようとしていた。姉の腕は既に響の首に回っている。奏は実に楽しそうに笑っていた。悪役の笑い方ではあったが。

「ふふーん、あんたがエレちゃんの柔肌に見とれている間に、よ」

「ぐえー」

「姉弟は仲良くするのじゃ!」

 エレルインが飛び込んでくると、その背後から執事が追いかけてくる。

「姫様、早く着替えてください!」

「あらあらあらあら、いったいどうしたのかしら?」

 さらには母・鈴音が姿を見せると、混乱はより一層激しくなった。

「母さん! こいつに大人の色気ってやつを教えてやって!」

「ええー? わたしにそんなことをいわれても困るわー」

「っていいながら脱ごうとするなよ!」

「義母上も義姉上の真似をするのじゃな!」

「だから姫様!」

「うおおおおおおお! だれかこの事態を収拾してくれええええ!」

 響は天に助けを求めたが、騒ぎは一晩中続いた。

 かくして、魔王エレルイン・フォルザアクは、蒼河家に居候することになったのだった。


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