輪廻4 乙女達の三重奏
遅れてすみませんm(_ _)m...
西暦36XX年03月12日。
大きく弧を描いたモニターがある半円形の部屋――副船橋で、ヴェネッサ・マーリングは溜め息を吐いた。
船橋にしてはあまり大きな空間ではない。しかしこの部屋はヴェネッサ専用の船橋であり、それは当たり前かもしれないと言えた。
モニターの前にタッチパネル式のコンソールテーブルがあり、その更に前には左右に動く椅子が一つだけ。彼女専用の船橋である証だった。
彼女は魔法師としても、BAFの断罪者としても優秀な人材であるのに加え、通信官としてもクルーとしても活躍している。
どうにかして彼の役に立ちたいと考え努力した結果だが、周囲からは完璧主義者のように見られて、少し自分に辟易とする事もあった。自分が完璧でないのは自分がよく分かっているし、自分を頼ってくれる部下もいるが、彼女は別に、完璧主義者になりたかった訳では断じて無い。
ただ、自分は彼の為に少しでも――
ヴェネッサは一つだけの椅子に座って、膝の上のPISを見下ろした。
その画面は暗く、先程まで映っていた少年は影も形も無い。
通信の最後に向けられた、彼の笑顔が、ヴェネッサは気に掛かっていた。
作り笑いのような、奥には何も無いような、薄っぺらな笑顔。
何処までも虚無で、感情が絶無で、だけど一見はとても優しく暖かい、世界を照らす太陽のような笑顔。
それは彼――柊終夜が「断罪者」になる時の顔だった。
そしてヴェネッサにとっては、自分はまだ、欠片も彼の負担を取り除けていないと自覚させられる顔だった。
「何故お姉ちゃんは、彼を総長に任命したのかしら……」
ヴェネッサはPISをタッチパネルの上に置くと同時、思わず呟いてしまった。
彼女の姉、マーガレット・マーリングは前代総長である。三年前――27歳という若い頃に息を引き取り、総長の椅子を終夜に託した人物。
その頃の終夜は12歳で、12歳の子供が総長になるのは異例の事だった。いや、現在の15歳で総長、というのも十分異例な事なのだが。
マーガレットが総長に就任したのは24歳の時であり、それが最年少だったのだから。
マーガレットは自分が死ぬ間際に「終夜にBAFを託す」と言い残した。
だが勿論、12歳の子供が総長だなどとは誰もが賛成出来ず、反対の声が殆ど全員からあった。総長という立場にも地位にも興味の無かった終夜が取る「別にどうでも良い」という雰囲気も、彼が総長になる事に反対する者の反対する所以となっていた。
だがマーガレットの遺書に、彼の実力が分からないなら彼と戦えば良いみたいなフレーズがあって、BAF第一飛空艇の魔法師が全員手も足も出ずに終夜に倒されたのは彼以外の誰もが鮮明に覚えている事だ。
彼には実力がある。
それは三年前、ヴェネッサも嫌というくらい思い知らされた。
だから姉が彼を総長にしたがった理由は理解出来るし、今は彼が総長になったのは当然という気持ちもある。
だが、終夜が空戦に赴く時の表情を見ていると、ヴェネッサはどうしても疑問に思ってしまうのだ。
どうして姉は終夜を総長にしたのだろう。
どうして姉は終夜の気持ちに気付かなかったんだろう、と。
「……はぁ……」
再び溜め息が漏れた。
と、その時。
「ヴェネッサ、ちょっと良いか?」
背後の入り口のスライドドアが開いて、銀髪を腰まで伸ばした美女が入ってきた。
リナヴィア・ウッドノート。
終夜の騎巧艇の専属整備士であり、空賊殲滅の際には相手の情報網を乱すハッカーでもある。実際、〈ミノタウロス〉殲滅ではネットワークの中で彼女は暴れ回っていた。
「リナ。どうしたの?」
椅子をぐるっと反転させ、ヴェネッサは彼女に向き直る。
リナヴィアは副船橋の中央で立ち止まった。
「馬鹿総長の騎巧艇が発進したみたいだが、総長は何処に行ったんだ?」
「ああ、その事ね。空賊を断罪しに行ったわ。ここから北東の空域で襲われそうなのは民間機。支援は要らないそうよ」
「流石だ、仕事が早い。総長のフォレン粒子との念話能力には何時も驚かされるな……」
リナヴィアは紫色の瞳を細めて苦笑した。
「そうね。ところでリナ、総長に告れたの?」
ヴェネッサのいきなりの言葉に顔を赤く染めた後、リナヴィアはとんでもないというような表情をした。
「無理だ、してない。ヴェネッサこそどうなんだ」
「私も同じく。……もう時間が無いのに」
「四月だよな、総長が学園に入学するのって」
「そうよ。後、一ヶ月も無いわ。……絶対断られる、って分かっている告白程辛いものは無いわね」
はぁ、と二人してアンニュイな溜め息を吐いた。
大人の乙女達の恋は、前途多難である。
☆
五つある浮遊大陸の一つ、アノヴェムには、魔法師を育成する教育機関がある。
聖フォレン学園。
通称、魔法学園。
フォレン粒子は毒ガスと核兵器の詳細不明の化学反応に因って生まれた、これは終夜と関わる者しか知らない事だが、「生命体」である。
魔法学的な解釈をしてみれば、フォレン粒子は精霊か妖精といったところだろうか――とは、終夜の言だ。
しかし、第三次世界大戦という歴史上最悪と言われる戦争を経て発生したフォレン粒子を、神が人間に与えてくれた奇跡の粒子、神聖粒子と呼ぶ者達がいた。
それが、奇跡の技術を扱う、魔法師、だったのである。
魔法師達は、フォレン粒子を我ら人間に差し伸べてくれた神を、粒子と同じ名で「フォレン」と呼んだ。
聖フォレン学園の「フォレン」は、粒子の「フォレン」ではなく、神の名の「フォレン」なのである。
二月末に筆記・実技共々入学試験が行われ、結果発表は三月末。
柊終夜も、ある事情から学園の試験を受けていた。彼が受かるのはリナヴィアやヴェネッサなど、BAF第一飛空艇の魔法師や整備士、クルー達にとって万有引力の法則よりも当たり前の事なので、既にBAF第一飛空艇の中では、終夜が三年間、学園に行ってしまう事の寂しさが隠しきれずに漂っている。
総長が三年間という長い間不在になる事実は、多少不安に思う魔法師もいたようだが、BAFの魔法師とは即ち裁きを与える者――断罪者だ。
終夜がいなくても彼の意志を受け継ぎ、行動出来る魔法師達である。元より、彼らは魔法師のエリートの中のエリートなのだから。
だから寂しさが漂っていると言っても、終夜を笑顔で送り出そうという雰囲気があった。
BAFにいる魔法師の殆ど――いや、恐らく終夜以外の全員が聖フォレン学園を卒業した者達である。魔法学園には、魔導機――魔導銃などの魔法に必要な道具のことだ――や騎巧艇の整備士を育成するカリキュラムもある為、リナヴィアを始めとしたBAF整備士達も魔法学園の卒業生だ。
一般人からは「人殺しの魔法師達」と言われるBAFだが、彼らはその一般人の為に人殺し――断罪をしているのだ。
それは一般人だって十分承知している筈なのだが、殺しまでする必要は無いのではないか、とBAFを非難する人々もいる。
だがその意見は、断罪者と同じ魔法師からしてみれば間違っていると言わざるを得ない。空賊達だって魔法師である以上、物理的な拘束をしても不測の事態――逃亡を許してしまうかもしれない。
魔導剣や魔導銃などの魔導機は「魔法(魔力)を導く機巧」の意味。
魔法師は魔導機を使って魔法を発動させるのが通常だが、魔導機が無ければ魔法が発動出来ないという訳ではない。
魔法機は、人体に眠る「精神力」を、フォレン粒子と融合させる事で、魔法を顕現させる力を持つ「魔力」に昇華させ、魔導機の何処かに刻み込んだ魔法陣を指針として魔法を発動させる機器だ。
魔導機のメリットを一言で言うと「魔法発動のスピードが段違いに早くなる事」。
威力や正確さよりもスピードがまず第一に優先される魔法戦闘では、魔導機を使わない魔法師はいない。だから魔法師は魔導機が無ければ魔法を使えない、と思い込んでしまうものだが、実は魔導機を使わなくとも魔法を使える魔法師はいる。
魔導機無しの魔法は困難で、威力も正確さも、何よりスピードが落ちる。それでも魔導機無しで魔法を発動出来る腕の良い魔法師は確かに少数だが存在していた。
精神力と魔力は本質的には全く同じものだ。魔導機は、フォレン粒子のエネルギーを利用して、ただ精神力の質を高めているだけなのだから。それはつまり、元々の精神力の質が高ければ、魔導機を使わなくとも魔力はそこにあるという事。魔法が使えるという事だ。
生まれながらの精神力の質が高い魔法師は、魔導機無しでも時間は掛かるが魔法を使えるのだ。
まだ海の上に大陸があった時代も、人間は魔力と成り得る精神力を持っていた。精神力が強い人物はその時代では「霊感が強い人」とされたらしいが、真偽は定かではない。ともかくその時代、人間は唯の一人も精神力を魔力にまで昇華出来なかった。
人間が精神力を魔力に昇華させる可能性を掴んだのは、フォレン粒子が世界を包み込んでからだ。つまり、人間はフォレン粒子を酸素の代わりとして呼吸で人体に取り込む事で、精神力の質を高めたのである。
こうして、魔法はフォレン粒子に因ってこの空の世界に発現した訳だ。
大分話が逸れてしまったが、精神力の質が高い魔法師なら、魔導機を取り上げても物理的な拘束は意味が無いという事である。
ならば、空賊などの犯罪を犯す魔法師達の断罪はどうすれば良いのか。
拘束が駄目なら、答えは一つしか無い。
――処刑、である。
それをするのがBAFの魔法師、断罪者の仕事であり、「殺しまでする必要はない」などという無知蒙昧な意見は、魔法師からしてみれば「馬鹿じゃないのか」と一蹴されるのである。確かに、〈ミノタウロス〉断罪の時のような、虐殺の域に近い行為は一般人に咎められても仕方無いことではあるが。
魔法とは無縁な一般人には「人殺し」と嫌われるBAFだが、魔法師にとっては憧れ畏敬する組織だった。
例え一般人の何億人から嫌われようと、その何億人を守り続けるBAFは、魔法に携わる者にしてみれば尊敬の対象なのである。
泥を被っても沼に沈む事無く進み続ける魔法師達。
そんなBAFの魔法師に憧れる者が、一つの民間機にも乗っていた。
浮遊大陸セリンブール発、浮遊大陸アノヴェム行きの航空機だ。
並んだシートの一つに座って、一人の少女が窓の外を見ていた。
今日は雲が無い。真っ青な空は時が止まってしまったかのように変化が無かった。
航空機が前に進んでいる事は微かなエンジン音が伝えてくるが、視覚だけに意識を集中させると、航空機は止まってしまったのではないかと思わせる景色だ。
鮮やかな桜色の髪を腰まで伸ばした少女は、ふいに魔力を感じた。
ピクン、とその少女の肩が揺れる。
「誰……?」
少女は隣のシートに座る姉に聞かれないように小さな声で呟いた。
彼女は魔力感受性の高い魔法師の卵、の卵である。自分の感覚にはそれなりの自信を持っているが、先程感じた魔力はあまりにも小さいものだった。多分、魔力が発された場所と距離があるからだろうが、もしかしたら自分の勘違いで魔力など発されていないかもしれない。だから、勘違いだった時の為に姉には聞こえないようにしたのだ。
「後ろ……?」
感じた魔力を探っていると、どうしても独り言が出てしまう。姉に気付かれないよう声量は抑えているが、これは彼女の癖だった。
魔力は後ろから感じた。
少女は窓硝子に手を当て、顔を近付けて、航空機の背後を見た。といっても、殆ど機体が邪魔で見えないのだが。
案の定、何も見えなかった。
勘違いだったのかもしれない、と思って少女は前に向き直ろうとした。
だが、その時に再び魔力の波動を感じ取る。
やはり、魔力の発生源は航空機の後ろにある空域。先程感じた魔力よりも小さな魔力だった。航空機が前に進んで距離が段々離れていっているからだ。
二回も勘違いなんてある訳が無い。
確信した彼女は、殆ど窓硝子にぶつかりそうな額を遂に窓硝子にぶつけた。綺麗な紅色の瞳が、僅かな同色の光を帯びた。
無属性Bランクの感覚強化魔法、[視力強化]。
その名の通り、自分の視力を底上げする魔法である。
彼女は清楚な白いワンピースのスカートの中に指先を入れ、太股に括られたホルスターの中の短剣型魔導機に触れていた。
魔導機は触れるだけで魔法を発動させられるものもあれば、何か操作をしなければフォレン粒子を取り込まないものもある。剣型の魔導機――魔導剣に至っては、触れるだけで魔法が発動しなければ剣型にする意味が無いので、少女のそれは接触起動型だ。
金属材などの資源が不足している今の時代は、企業などが保有する精密機械に比べれば安いが、魔導機もそれなりに高い値段である。
少女の魔導機は世界に一つのオーダーメイドで、魔導機の中でもかなり高価なものだ。恐らく彼女は魔法師の名門である家柄の人間なのだろう。
少女が視力を上げて目を凝らした先――航空機より二キロメートル程後ろの空域に、一人の少年がいた。
顔はよく見えないが、騎巧艇に乗っている、という事は彼も魔法師だろう。
殆ど勘だが、二回感じた魔力はどちらも彼のものではない。あれは雑な魔力だった。制御出来ずに溢れ出した、無駄な魔力。
彼――騎巧艇に跨がる鳶色の髪の少年は、多分そんな魔力とは縁遠い。少女は何故か、自分でも無意識なまま、そう思った。
「……じゃあ、さっきの魔力は……」
誰のものだろう、そう疑問に感じて、何時の間にか視線を外せなくなっていた少年から無理矢理視線をずらした。
そして、気付いた。
「――!」
少女は息を呑む。
漆黒の服を来て漆黒の騎巧艇に乗る少年の周りには、操縦者のいない騎巧艇が数十艇、取り囲んでいた。
「何で……」
何で?
そんなの、とっくに分かっている。
空中での魔法戦闘など、限られてくる。
少年が「断罪」したのだ。
誰も乗っていない騎巧艇は恐らく、空賊の魔法師のものだろう。
今はいない魔法師達は、少年に裁かれたのだ。命を消される事で。
「あの歳で……断罪者なのね……」
凄い、と思った。
BAFの魔法師、断罪者は彼女の憧れだった。
多くの人間に嫌われても、魔法で犯罪者から人々を守る断罪者達。
あの少年は例外なのだろうが、BAFの魔法師は殆どが聖フォレン学園を卒業しているという。だから少女も断罪者になる為に聖フォレン学園の入学試験を受け、現在はその結果待ちだ。――いや、結果は既に姉から聞いていて、だから魔法学園のあるアノヴェムに向かっているのだが。
空っぽの騎巧艇に跨がっていた筈の魔法師達は、自分が乗っている民間機を襲おうとしていたに違いない。
そうなるとあの少年は自分を含め、この機体に乗る人々を助けたのだ。
「……ありがとう」
彼女は本当に小さな声で囁いた。
断罪者に助けてもらうのは二度目だった。
こうしている内にも機体は少年から遠ざかり、お礼の言葉は彼に聞こえる筈もない。彼の姿もぼんやりとしてきた。少女の[視力強化]が流石に限界なのだ。
――だが。
まるで少年は少女の声が聞こえたかのようにこちらを向いた。
「えっ?」
思わず大きな声が出る。
姉が自分の背中に目を向けたのが分かった。
しかし少女はずっと窓の外――騎巧艇に乗る少年を見詰めていた。
彼は確実に私を見ている、と思った。顔もぼんやりしていて見えない距離を間に挟み、二人は確かに目を合わせていた。
その時彼は笑ったように少女には見えた。
優しい微笑みだった、と思う。その表情に、少し違和感も感じたけれど。
彼は騎巧艇を操って、他の騎巧艇を引き連れ、航空機の影に消えた。
「あっ……」
無意識に名残惜しそうな声を出してしまう。
「さっきからどうしたの、ラズ? そんなエロい声出しちゃって」
「いえ……って、なんてはしたない言葉を使うんですか姉様!」
少女の姉――少女より二つか三つ程歳上の少女が、クスクスと笑っていた。
長い金髪をシュシュという髪ゴムで無造作に一つに括った彼女は、ポニーテールを可笑しそうに揺らしている。
「だって、本当にエロチックだったんだもの」
「……っ」
少女は頬を真っ赤に染めた。自分はそんなに嫌らしい声を出してしまったのだろうか。
「それで、どうしたの? 窓の外を真剣に見詰めちゃって。宇宙人でもいた?」
「そんな訳ないでしょう」
と、少女は赤面した顔を瞬時に元に戻すと即答した。
「あら、夢が無いわね」
「宇宙人なんていなくて結構です。寧ろいない方が良いです、馬鹿馬鹿しい」
「……怖いのね、宇宙人が」
「え? ち、違います。ただ私は……」
「まぁ良いわ。それで、何が『視えた』の?」
少女は少し目を見開いた後、唇を尖らせた。
「姉様、気付いていましたね? 私が[視力強化]を使った事」
あの魔法は姉に気付かれないよう行使したつもりなのだが。やはり彼女には敵わない、と改めて認識した。
姉は無言でニコニコと笑うだけだ。
「……ちょっと、凄い方を見つけたのです」
「凄い方?」
「はい。……彼は魔法学園に来るでしょうか」
「何の話?」
「いえ、彼はもう断罪者。……来る訳ないですよね。それならば私が、何が何でもBAFに入って彼と会えば良いのです」
「おーい、ラズ? 何の話なの?」
少女は困惑する姉に笑い掛けた。紅色の瞳には、必ずBAFの魔法師になるという決意と覚悟があった。
「何でもありません。――姉様」
「な、何?」
「私は姉様が生徒会長をお務めする聖フォレン学園で、必ず強くなってみせます」
少女――ラズベリー・レーヴェンスは、自分の姉であるクランベリー・レーヴェンスに向かって、そう宣言した。
読んで下さりありがとうございました。
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