輪廻3 異能
西暦36XX年03月12日。
それは奇妙な――生き物、と呼べるのか呼べないのかも分からない和菓子であった。
「饅頭、ちょっと」
「我は大福だ!」
BAF第一飛空艇の甲板で訳の分からない会話を交わしているのは、一人の少年と一匹の大福だった。
少年の方は、鳶色の髪に左右で色の違う眼。少しあどけない顔立ちをした細身の少年が、頭の下に腕を置いて枕代わりにし、青い空を見詰めながら寝転がっていた。
BAF総長、柊終夜だった。
一匹の大福、というのは比喩ではなくて本当に大福である。
手の平サイズの柔らかそうな真っ白の大福。そこに口は無いが、漫画かアニメのようにデフォルメっぽい瞳があった。右上に、子供の口で齧られたような小さな跡があり、そこからチラッと中の餡が見えた。
因みに粒餡であるその大福は終夜の腹の上に乗っている。
「お主、もう3412567回になるが、言わせてもらうぞ」
「ん?」
「我は大福だ。なのに何故、我に『饅頭』などという名を付けたのだ?」
一見落ち着いているように聞こえたが、その声音は確かに怒りを含んでいた。
「……えー、だってそっちの方がおもしr」
「戯けが! 毎回毎回同じ答えを……」
「……いや、実は俺、粒餡嫌いでさ。だからちょっと悪戯してやろうと」
「――ッ!?」
のっぺりとした大福――いや名前で言えば饅頭の顔が、ピシリと固まった。
「な、何だと……粒餡が嫌い?」
うん、嫌い、とあっさり頷く終夜。
「し、知らなかったぞ。それは天変地異に値する新事実だぞ!」
「や、そこまでは行かないんじゃないかな」
「ではお主は、粒餡が嫌いというふざけた理由で我に嫌がらせに『饅頭』という名を授けた訳であるか?」
うん、そう、とあっさり頷く終夜。
ガーン、と固まる饅頭という名前の大福を、彼はけらけらと笑う。
「仕方無いだろ。俺が饅頭を生み出したのはまだ六歳の頃だったんだから。餓鬼だったんだって」
「それはそうとしても、お主、一口齧ってからというのは……」
饅頭は、終夜が六歳の頃に食べ掛けの大福に掛けた魔法に因って生まれた生命体である。
属性不明SSSランクの超高難度魔法、[憑依]だった。これは終夜が生み出した魔法であり、その第一実験台が食べ掛けの大福、もとい饅頭だった訳だ。
終夜と饅頭の為に言っておくが、この事実は[憑依]が公開されれば魔法界の歴史を変える程の偉業である。
「お主……高貴な我をどうしてくれるのだ……」
「別にお前高価って訳じゃないだろ」
終夜が相変わらず虚無感たっぷりの笑顔を浮かべた。
「高価ではない! 高貴、だと言っている!」
「はいはい」
「それに我はそこらの大福より高価でもあるではないか!」
「……え、何処が?」
終夜にしては珍しく、本気で首を傾げた。
「も、もしやお主、知らんのか!? 我が……」
「……我が?」
終夜は上半身を起こすと、腹の上から転がって甲板に落ちた饅頭に視線を向けた。
「な、何をする!」
プンスカ、プンスカと怒る饅頭。
「……我が、何?」
だが饅頭は終夜の薄っぺらな笑みに圧されて、話を進める事にした。
「……我が苺大福だという事、お主は当然知っているだろう?」
「……苺?」
「うむ、我は苺大福であるぞよ」
「口調変わってるけど……って知らなかったぞ! 饅頭って苺大福だったのか!? こっちのが天変地異に値する新事実だよ!」
念の為言っておくが、終夜と饅頭は10年近く共にいる仲である。
流石の終夜でも驚きを隠せなかった。ただ、表情は中身の無い演技のような驚愕だったが。
「お、お主は一体この10年近く我の何を見ておったのだ!」
いや何も見てない、と思わず口にしそうになった終夜だが、何とか抑える事が出来た。流石にそれを言えば怒るだろう――いや既に饅頭は怒っているのだが。
だから彼が口にしたのは全く違う事だった。
「悪い悪い。後で落花生食わせてやるからさ」
「本当か、お主! うむ、やはりお主は良い奴であるな。落花生という至福の食べ物をくれるとは……」
饅頭の落花生好きな発言に終夜が「小豆も食えよ」と付け足す。
「あんな不味い物食えるか!」
キッ、とこちらを睨み付けてくる饅頭。
「何時も思うけど、何でお前、粒餡までは平気なのに小豆っていう豆自体になると食べられないんだよ」
「我にも分からん。ただアレは不味い」
多分これは終夜の一生物の疑問である。
「……一生物という言葉の使い方を間違っていないか?」
「は? 饅頭、誰と話してんの?」
遠い目をする饅頭に問い掛けたが、いや何でもない、とすぐにはぐらかされてしまった。
そんな世間話(にしては馬鹿な会話)をしていた時だった。
『シュウヤ、大変』
『あっち、あっち見て』
終夜だけにしか聞こえない声が、彼の鼓膜を――いや、正確には魔力を震わせた。
終夜は饅頭との会話を止めて瞼を閉じる。
その少年の姿に、饅頭は「会話している」のだと気付いて黙り込む。
『どっち? 方角は?』
これは終夜の念声。声に出さず、魔力を放出して魔力の波を作ることで、脳で考えたことを魔力の波を通して伝えているのだ。彼はつまるところ、念話を交わしているのだった。
『えっと、東、東』
『ちょっと北寄り。シュウヤ、大変だよ』
東北、と得た情報を頭に叩き込んだ終夜は、もう一度念声を発した。
『何が起きてる?』
終夜の質問に、念話の相手は即答した。
『空賊』
『悪い奴らがいるよ』
『民間の飛行機を襲おうとしてるね』
『シュウヤ、早く』
終夜は瞼を開いてもう十分だとばかり立ち上がった。
「どうした、お主。フォレン達からの情報は何であるか?」
饅頭が、ぴょんぴょんと甲板の上で跳ねながら問い掛けてきた。
因みに、10年近い年月の中で表面の粉は取れてツンツルテンになっているので、粉が周りに飛び散る事は無い。
「空賊。ちょっと行ってくるよ」
饅頭――いや大福の癖に心配そうな表情をする真っ白い生命体に、終夜は何時も通りの笑顔で笑って見せた。
饅頭が心配しているのは終夜の身の安全、などではない。終夜は心配するのが烏滸がましい程の魔法の技量を持っている。彼が負ける訳が無い、というのは、BAF第一飛空艇に乗る断罪者達の大原則である。
だから饅頭が心配しているのは、終夜の心だ。
彼が人を殺める時、決まって浮かべる虚無な笑顔の理由。
それを饅頭は、知っていた。
「饅頭」
「……何だ、お主」
「断罪者の仕事は人殺しじゃない。――人助けだ」
「……」
饅頭は何も言い返せなかった。それは紛れもない偽善だと知っていて、理解している癖に。
「……お前は優しいな、饅頭」
終夜は笑みを消すと、そう言い残して甲板を後にした。
バタン、と閉まった扉を見詰める真っ白な和菓子は、しばらく粉の無くなった小さな体に風を浴びて佇んでいた。
☆
終夜はBAF第一飛空艇――通称「軍艦」の下部に向かう為のエレベータに乗り込んだ。
音も立てずにスライド式の扉が閉まり、終夜を乗せた正方形の箱は降下していく。
終夜はちゃんと腕を通した上着から、携帯用情報端末(Portable Intelligence Server)――PISを取り出した。
すると示し合わせたようにPISの画面に映像が映った。
ディスプレイの向こうにいるのは一人の女性だった。
リナヴィアではない。彼女よりもやや若い、二十歳ちょうどくらいの女性である。
亜麻色の髪と瞳を持った、眼鏡は掛けていないが理知的そうな美人だった。肩より少し上辺りで切られたショートカットは、彼女に活発そうな印象も同時に与えている。一言で言うなら、テキパキと動く仕事の出来そうな人、というところだろうか。
ヴェネッサ・マーリング。
現在のように普段は通信官として働いている彼女だが、優秀な魔法師であり、〈ミノタウロス〉を断罪した時などは実働部隊に加わっていた猛者である。
彼女は一瞬、通信が繋がったと思ったら画面に映った終夜の顔に目を見開いたようだが、すぐに話を始めた。
『総長、現在東北で民間機が――』
「空賊に襲われてるんだろ? 分かってる」
終夜はヴェネッサの言葉を遮って言うと、PISを動かしてエレベータ内の風景が彼女の方の画面に映るようにする。
『……出動口に向かうエレベータに乗っている途中、ですか? 流石、情報が早い』
「当然。俺の情報網は世界中をカバーしているからな」
『何時も思いますけど、本当に反則ですよね。フォレン粒子から情報を得る、だなんて』
「反則って……そうなのかもしれないけど、フォレン粒子は気体じゃなくて――」
『――生命体、ですよね?』
画面の中で微笑んだヴェネッサに、終夜は「ああ」と頷いた。
フォレン粒子はただの高エネルギー体ではない。人間の目には見えないし分からないが、フォレン粒子には意思がある。
終夜は不可視のフォレン粒子を捉える青い右眼と、念話を交わす為の漆黒の左眼を生まれつき持っていた。
それはつまり、世界中を取り巻くフォレン粒子から、甲板での念話のように情報を得る事が出来るという事だ。柊終夜の情報網はこうして成り立ち、誰よりも大規模で正確な情報が彼の元に集まる。だから、彼に知られたくない話は、フォレン粒子の無い場所でしなくてはならない。そんな場所は、真空空間にしかないのだが。
尤も、終夜は世界の全ての情報を得ている訳ではない。彼は知る必要も興味も無い事は調べない。リナヴィアの恋心を知らないのはこの為だ。(彼女はよくヴェネッサに恋について相談に乗ってもらっている。)
『支援は要りませんか?』
「要らない」
『了解しました。では総長、何かありましたらすぐに連絡を』
「分かってる。ありがとう、ヴェネッサ」
終夜は何時も通りの笑顔を画面に向けて、PISを仕舞った。
最後に見たヴェネッサの顔は、完璧で揺らぐ事の無さそうな無表情だった。
エレベータの上部にある電光掲示板が、「F2−e」から「F1−e」に切り替わる。一階(F1)フロアのe区域は、空域での魔法戦闘――空戦をする為に欠かせない騎巧艇の待機室の一つだ。
ピー、という電子音に続いて、エレベータのスライド式ドアが開く。
終夜は待機室の中が視界に入った途端、世界が虹色に変わるのを青い右眼で捉えた。
フォレン粒子には意志だけでなく、色も、そして形もある。色は千差万別だが、形は立方体で一つの頂点が上になっているというものに統一されていた。これは、終夜にしか分からない事なのだが。
騎巧艇はフォレン粒子を推進機関に取り込んで推進力とする。(これは騎巧艇以外の乗り物も同じ仕組みである。)
故に、騎巧艇を空へと送り出す出動口がある待機室には、人工的にフォレン粒子を充満させているのだ。
終夜は呼吸がかなり楽になる感覚を慣れたものと待機室に降り立つ。正方形の無骨な部屋には、漆黒の騎巧艇が一つだけ中央に佇んでいた。ただ、強化素材の床と壁と天井に囲まれた、家具や騎巧艇の整備道具さえ見当たらない、その騎巧艇の為のような部屋。
いや、ような、ではなかった。
ここは終夜の騎巧艇の為にある領域なのだから。この場に足を踏み入れられるのは、他ならぬ終夜自身と、終夜専属の騎巧艇整備士のリナヴィアだけだ。
騎巧艇の名前の由来は、騎馬と機巧と飛空艇から来ている。
騎巧艇に乗る魔法師は、「魔法騎士」と呼ばれる事もあるが、経済力のある一般人なら魔法師でなくとも使用する者はいる。ただ、機械は今の世界では簡単に手に入れられる物では無いし、空賊に襲われに行くようなものなので一般人で騎巧艇に乗る者は殆どいない。
終夜が一階のe区域を自分だけの専用機待機室にした時、BAF第一飛空艇にいる魔法師達は皆、一番広い待機室であるa区域を強く推奨してくれたのだが、彼は半ば強制のようなその好意を断った。
理由は唯一つ、一番広い待機室を一人の為に使うなんて、明らかに使い方を間違っているし無駄だから、だ。
最初、終夜は自分専用待機室を持つのさえ断ったのだが、流石にその意見は通らず、待機室としては一番狭いe区域で終夜の方が妥協したという訳だ。
騎巧艇の発進がスムーズにいくようにフォレン粒子が充満された部屋は、終夜の視界限定で虹色に映る。これがフォレン粒子の色だ。
充満しているフォレン粒子を出来るだけ室外に逃がさないよう、終夜が降りた後に素早く閉まったエレベータの扉を背に、彼は悠々と漆黒の専用機に歩み寄った。
騎巧艇の隣に設置された、円筒を斜めに切ったような形の切断面にあるモニターに触れる。
フォン、と微かな空気の震える音が、静かな待機室に響いた。
『ロック解除』
モニターから女性らしき合成音声が流れる。
終夜は漆黒の騎巧艇のサドルに跨がると、ハンドルを握り込んだ。
キィィィン、という騎巧艇の作動音と共に、下部にある機関から推進機関へフォレン粒子が吸い込まれていく。
『《魂喰い》、発進致します。――ご武運を』
瞬間。
騎巧艇の下部から、フォレン粒子から得た推進力が噴き出した。
空中に浮いた騎巧艇が、ゴゥン、ゴゥン、と駆動音を鳴らす。
終夜の眼前の壁が左右に割れた。虹色だった室内に、太陽の光が眩しく差し込む。
全開となった出動口の向こう側、雲の無い空へ、終夜は漆黒の騎巧艇を誘った。
終夜「なぁ饅頭、お前ってどうやって動いてんの? 筋肉とか無いだろ?」
饅頭「我は大福だ! ……ふ、どうしてもと言うなら我の秘密を教えてやっても良いぞ」
終夜「あ、じゃあいいや」
饅頭「お願いです聞いて下さい」
終夜「いえ、遠慮します」
ヴェネッサ「非情極まりないですね総長」
終夜「……分かった、聞いてやるよ。で、何で饅頭は動ける訳?」
饅頭「ふふ、聞いて驚け! 何と、中の餡で重力の調節をしているのだ!」
終夜「……嘘だろ?」
饅頭「……うむ。嘘だ」
ヴェネッサ「謎が増えましたね」
終夜「作者が何も考えずに和菓子生物(UMA)なんか出すからこうなるんだ」
作者「……すみません」
読んで頂き有難うございます。
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