最後の桜
物語を進める上で
史実と異なる部分が多少あります。
読者様の新選組のイメージとは違う
印象を与えてしまう可能性も
ございますので、ご了承下さい。
桜が舞う頃。
「また必ず来る」
「…えぇ、楽しみにしてますよ」
――なんとなく、分かっていた。
本当になんとなく、だが。
***
「ねぇ」
「ねぇったら」
何度も何度も問いかけるが、その黒くて丸い猫はジッと自分を睨みつけるだけ。
「かわいくない奴だなぁ。君、土方さんそっくりだよ。たぶん野良だよね」
彼、沖田総司は、ある家屋の縁側にいた。ここで病床に伏している彼は、布団に入るのも暑く、重い体を無理やり引きずり縁側で涼んでいる。
「ぐっ、ごほっ!ごほっ!!」
口を押さえた手には、赤黒い血。
「まただ。お前、移るよ、不治の病が」
冗談っぽく言う沖田の笑みには自嘲が混ざる。
猫は少しも鳴くことなく、家の外に出て行った。
「おい!何してるんだ沖田君!」
「?」
急に聞こえた、聞き慣れた声。
(また見つかっちゃった)
そう気には止めないようで、沖田は懐紙を取り出して血を拭う。
「松本先生」
「君は本当に懲りないなぁ。布団に入りなさい」
松本良順、蘭方医である。
「嫌ですよ。こんなに暑いのに布団になんて入ってられませんし、暇ですもん」
「全く君は…」
いつものことである。
松本は諦め、沖田の側に座った。
「ねぇ松本先生。」
「何だい?」
「近藤先生は、元気にしていらっしゃるのかなぁ」
「…近藤君のことだ。今も勇敢に戦っているだろうよ」
「…そうですね」
沖田はただ、にっこりと微笑んだ。
「最近、よく昔を思い出すんですよね」
突然、ポツリ、と沖田が呟くように言った。
「昔、とは?」
あまりに唐突なので、松本は少し驚いた風である。
「そりゃもちろん、京にいた頃です。僕も元気で、それはもう暴れてましたよ」
そう言って小さく笑う。
「あまりずっと見ていた訳じゃないが、君はいつも楽しそうな風だったな。」
松本もつられて笑った。
「屯所で暴れて、町で暴れて…。まぁこの場合暴れるの意味が大いに違いますけど。」
「君はなかなかの問題児だったそうだね」
松本も誰から吹き込まれたのか、思い出し笑いをしているらしい。
「屯所で土方さんの部屋に勝手に入ったり、永倉さんや原田さんや平助たちと騒いだり…。あと斎藤君にもいたずらしたりしたかも。山南さんも呆れてたっけ」
「土方君は静かに怒る人だったなぁ。それは鬼の形相で。実に怖かったよ」
「僕にはそうでもないんですがね」
「そうなのかい?」
2人とも、少し遠い目をしているように見えた。
「そうやって土方さんに怒られる度に、近藤先生が宥めてくれるんです。近藤先生はよく心配してくれましたよ、僕らのこと」
「近藤君は…それは大層君を可愛がっていたなぁ。」
「…近藤先生にまた会いたいなぁ」
「……きっとまた会いに来てくれるだろう」
「えぇ、きっと僕を迎えにきてくれるでしょうね。」
「…………。」
沖田が言った瞬間の異様な雰囲気といったらなかった。
(松本先生、すごく変な顔してる)
「松本先生、」
「…な、なんだい」
「土方さんの趣味が発句だって、知ってますか」
沖田は笑みを絶やさず、ただ淡々と言葉を連ねる。
「…いや、初耳だなぁ。そんな意外な趣味があったのかい」
「ははっ、意外、でしょ。試衛館にいた頃は堂々と発句してたもんですがね。副長になってからはコソコソしてましたよ」
面白可笑しく彼は言う。
「良い趣味だと思うがねぇ」
松本もそんな土方を想像してしまい、思わず笑みが零れる。
「僕それから楽しくなっちゃって。よく土方さんの発句集を見てそれは怒られたものです。」
「君は本当に…」
松本は呆れ半分、微笑ましさ半分と言った風である。
鬼と恐れられていた土方にそんなことができるのは、沖田くらいしかいないだろう。
「ある日、非番だったんで暇なもんだから、また土方さんの部屋に忍び込んだんですよ。」
「その発句集を見に行ったのか」
「えぇ、暇でしたから。土方さんの号は『豊玉』ってんですが、その時無防備にも土方さんの文机にほったらかしにしてあったんですよ、『豊玉発句集』がね」
沖田は本当に楽しそうに話す。
「それで、どうしたんだい」
松本も沖田の話に興味を持ち始めたようであった。
「それで、前見たときよりかなり句が増えていたもんですから、思わず発句集を自分の部屋に持って行っちゃったんです」
「ははは…」
松本はただ苦笑いするしかないらしい。
「土方さんの句って、ほんとに不器用っていうか、武骨っていうか…。かなり面白いんです」
ふふふ、とここまで楽しそうに笑う沖田を、松本は久々に見た気がした。
「爆笑しながら読んでたんですけどね、その句の中に、1つ気になるものがあったんです。びっくりしますよ、何だと思いますか」
「なんだい、それは」
「僕の句です」
沖田のふわりとした温かさと切なさのようなものを含んだ笑顔。
「君の、句」
「えぇ。僕の句です」
―さしむかう 心は清き 水鏡
(水鏡…)
松本は素直に、きれいな句だと感じた。水鏡…とは、揺るがない精神。そして、清い心…。真っ直ぐな句である。
「それが、君の句なのかい」
「えぇ、水鏡、って僕のことらしいんですよね」
沖田は照れているのかは分からないが、頬を人差し指で掻いている。
「何故水鏡が沖田君だとわかったんだい?」
「聞きたいですか?…爆笑もんですよ」
「なんだい、また…」
***
「さしむかう心は清き水鏡…」
京にいた頃。
沖田は自分の部屋に寝転がり、『豊玉発句集』を読みあさっていた。
(これ誰かに宛てた句だな)
《…ドタドタドタドタドタ》
「あ、来た」
外から聞こえる激しい足音。
《スパンッ!!》
一気に襖が開いた。
「総司!」
…と、同時に聞こえた怒声。
「あ、土方さん。これ借りてます」
「何が借りただ阿呆が」
「やけに句が増えてますね。」
土方は顔を真っ赤にしている。
「早く返せ馬鹿」
「もう読み終わったんでいいですけど。気に入った句がありましたよ」
沖田はニコニコしながら土方に句集を返す。
「お前はいい加減にしろ!今度これを盗んだらただじゃ措かねぇぞ」
「ね、土方さん、僕が気に入った句、知りたくないですか」
沖田は聞く耳無し、といった所である。
「別に」
「嘘だ、自分の作った句が気に入られたんだから、知りたいでしょ」
「お前は何が言いたい」
土方は呆れたようにはぁっ、とため息を吐く。
「さしむかう心は清き水鏡」
「…!」
途端、再び土方の顔が赤くなった気がした。
「誰に宛てた句ですか。近藤さんかな」
水鏡、とは揺るぎのない、真っ直ぐな心。
そして、清い心。
「誰でも良いだろうがそんなの」
「なんだ、近藤さんじゃないんだ。…それじゃあ…花街の姑とか?」
「馬鹿言ってんじゃねぇよお前は」
「山南さんか、平助…ではないか。あ、斎藤君だ」
「勝手にしろ、馬鹿やろう」
そう言い残し、土方は沖田の部屋を後にした。
「ちぇっ」
(誰かなぁ)
「お、総司じゃないか」
「あ、近藤先生」
開けっ放しの襖から顔を覗かせたのは、新選組局長、近藤勇だった。沖田総司が最も信頼し、尊敬して止まない人物である。
「今日は非番か」
「えぇ、近藤先生は?」
沖田はそそくさと座り直した。
「便所に行っていただけだよ」
「ははっ、なるほど」
「お前は襖を開けっ放しにして何してるんだ」
近藤は優しい笑みを浮かべる。
「僕は…えーと、その」
「また歳の句集を持ち出したのか」
盗んだ、と言わない所が近藤の優しさである。
「まぁ…そんなとこですかね」
こんな沖田も、近藤だけには頭が上がらないのだ。
「あいつの句、俺は好きなんだがなぁ。総司も、気に入っているんだろ」
「まぁ、気に入ってますが」
(色んな意味でね)
そこで、沖田はあることにふと気がつく。
「あれ、近藤先生、土方さんの句を知ってるんですか」
「あぁ知ってるよ。たまに歳が見せてくれる」
「へ、へぇ…そうなんですか」
さすがだ、と思わざるを得なかった。あの土方が句を自ら見せるなど、想像もつかない。近藤はやはり偉大だと沖田は改めて感じた。
「あ、じゃあ!近藤先生、さしむかう心は清き水鏡、って歌、知っていますか」
「あぁ…なんでまたそれを…」
「あの句、何となく好きなんですけど、誰かに宛てて歌ったものですよね。なんだか誰に宛てたのか気になっちゃって」
沖田も、近藤の前ではここまでに素直なのだ。
近藤は一瞬きょとんとして、
「はっはっはっ!あれはな、総司。お前だよ」
盛大に笑った。
「え」
「水鏡、ってのはお前のことだ。というか、言って良かったのだろうか。…ま、歳には秘密だぞ」
そう言って近藤はニカッと歯を見せて笑う。
「はぁ…」
沖田は柄にもなく呆けている。
「じゃあ、俺は仕事があるんでな」
そう言って近藤は襖を静かに閉め、去っていった。
***
「あはははっ!ほんっと面白いでしょ、土方さん。素直じゃないんですよあの人」
沖田は本当に楽しそうに、嬉しそうに笑う。
「本当に仲が良いんだな、君たちは。…僕はね、沖田君」
松本は少しだけ空を見上げた。
「?」
「初めて西本願寺に来て、すごく驚いたんだよ。」
「はぁ…」
「京での新選組の評判と云ったらそれは恐ろしかったからね。僕も御殿医だったとはいえ少々は身構えていたところもあったんだよ。しかし…新選組は僕が想像していたようなところではなかった。」
松本がそう言った途端に沖田は優しく笑った。
「確かに短気な奴も多いし、血気盛んな奴らばっかりですけどね」
「あぁ。しかし、ある種の温かさを感じたよ。志を誠の旗に掲げ、真っ直ぐにその志を見つめる目は皆一緒だった」
「あはは、懐かしいなぁ」
また沖田は声を上げて笑う。
「…君は、昔に戻りたいと思うのか」
松本の目は切なかった。
自分の目の前で笑うこの青年の死期はもうすぐそこに迫っている。
そして、彼のいた新選組は、バラバラになった。
何より、彼が最も守りたいと思っている人物は、亡くなった。
その事実を、彼は知らない…はずだ。
「正直に言えば戻りたいに決まってますよ。でも、そんなの叶わない。」
沖田が弱音を吐いたのを、松本は初めて聞いた。
「あぁ。」
「何も守れない、戦えない僕は、もう死に行くしかないんです」
「何も守れない…など」
「いいえ、そうです。…でもね、松本先生」
「………」
「僕はもう戦えないんだから、役目が終わったんです、きっと。こうやって戦えなくなるまで、僕は必死になって新選組を、近藤さんを、守ってきたつもりです。みんなと共に、守り抜いてきたつもりです」
悲しく、優しく笑う沖田を、松本はあまり見ることができなかった。
込み上げるモノを、必死に抑えた。
「だから…だから僕はもう、死んだって構わない。こんなに幸せな時を過ごせたんだから」
「沖田君」
死ぬのは誰であろうと怖い。本心なのだろうが、彼は何を思っているのか…。
「早く…近藤さんに会いたい」
「あぁ、きっといつか、会える」
松本は今完全に悟った。
彼は、知っているのだろう。
近藤勇の死を。
周りがひた隠しにしようと、彼は知っていたのだ。
「僕は今年の桜を見ることができたから、だからもう、心残りはありませんよ。桜なんてもう見られないと思っていましたから。あんな綺麗な桜が最後に見られた」
「そんな気の弱い事を言うな。沖田君らしくもないだろう…」
「動かねば闇にへだつや花と水」
沖田は、目を瞑っていた。
「………」
「土方さんよりは、上手いでしょう」
彼は、笑っていた。
それは…安らかに。
***
時は明治。
松本はかつて沖田と話した場所にいた。
(土方君が亡くなって、もう何年になるか…)
松本は、一枚の和紙を見つめた。
―動かねば 闇にへだつや 花と水
彼の辞世の句である。
彼らしい句であると思った。
花はきっと、桜だろう。
動かねば…戦わねば、彼は土方とは会えない、と。
(沖田君、もう花と水に、闇はへだっていないだろう?)
きっとどこかで、彼らは笑っているだろう。
(もう戦う必要もないんだから)
戦いの無い世界で、永遠に生き続けるだろう。
ある時、新選組は永遠であると、永倉は言っていた。この世に残った者、また逝ってしまった者、やはりバラバラであるが、心はバラバラでは無いと。
(彼らが作り上げてきたこの世を、生き抜かねばならない)
***
「また必ず来る」
「…えぇ、楽しみにしてますよ」
近藤は名残惜しそうにしながらも、立ち上がった。
「近藤さん」
「なんだ?」
「今度、みんなでまた宴会をしましょう。きっと楽しいですよ」
「…あぁ、いいなぁ。きっとだ。」
END
こんな文章をここまで読んで頂き、本当にありがとうございました!