『第七話』
長く久しぶりの休暇を取る為、夫は寿子とさよを連れ、思い出の尾瀬へ。
そして温泉旅館での静かで優雅な一時。
三人にとって何年ぶりなのだろう。傍らに眠るさよ、
そして寿子は沈黙を打ち破り夫へと切り出した。
寿子の夫は車を磨いていた。
何故なら寿子とさよの二人を温泉へと連れて行く為だ。
久しぶりの家族旅行、マイカーで行ける範囲へ
の一泊だが、寿子にとってもさよにとっても
何年ぶりだろう。
昼前に家を出て一時間くらいで目的地へと到着した。
寿子は言った。
「尾瀬に来るのは何年振りだろう。
そう遠くもないのにあれから一度も来られなかっ
たわねぇ」
そう言うと夫は答えた。
「そうだなっ、再び来られる日までが長かったな~」
それもそのはず尾瀬は二人にとっての思い出の場所。
そう二人が結婚した当時、新婚旅行で訪れた
場所だったからだ。
昔の時代は新婚旅行と言っても精々、
近郊の地で三日程休みを貰ってのんびり過ごす
だけだった。若い世代の様にオーストラリアだ、
ヨーロッパだとそう簡単には行ける時代ではなかったのだ。
しかし、近い尾瀬ですら二人は新婚旅行以来訪れて
はいなかったと言うのだ。それでも二人にとっては
これ程に思い出深い場所もないのだろう。
「この場所は変わらず美しいですねぇ」
「そうだなぁ」
いつもはぶっきら棒な夫ですら、
この日はとても優しく感じられた。
それでも寿子は二人の世界だけに浸る事もなく、
「義母さん、足元に気を付けてね」
そう言い、気遣ってさよの手を引く。
そんな姿を見て日々仕事に追われ硬く
なっていた夫の表情も気が付けば緩やか
になっていた。
旅館に到着して、豪勢な食事を振る舞われ、
そして二人でさよの手をひいて温泉へと向かった。
寿子は思った。
きっとこれも時が経てば良き思い出に変わるのだろう。
その頃又三人でこの場所を訪れたい。
と、そんな事を微笑ましく考えてはニッコリと微笑んだ。
「さっさぁ久しぶりなんだから、お前も飲め!」
そう言う夫の晩酌に付き合う寿子。
さよはすでに床に入り眠る。
月夜が美しい日の静かな時間。その時寿子は思った。
この時間を何としてでも守って、
山野家を守ってゆきたいと。そして・・・
「ねぇあなた・・・
山野家は遠い昔に何かが起こっていたのでしょうか?
近藤家とは・・・どうご縁があったのでしょう?」
夫に突然投げかけた寿子。
そんな寿子に対し夫の反応は・・・
「お前・・・どうしてそれを?」
「あっいいえ・・・」
上手く説明出来ない寿子。
夫は少し驚いた様子だったが・・・
次第に強張った表情が解れ、寿子に話始めた。
「そうだなぁ、江戸末期、
いや明治初期だったのだろうか、
これは俺も聞いた話なので、
真実なのかは定かではないが・・・」
「はい・・・」
そう言って夫は自分でとっくりの酒を
グラスになみなみと汲んだ。
そしてそれを一気に飲みほした。
「山野家はお前も知ってるだろうけど、
昔は名主だった。その流れから次第に
時代が移り変わっても、住み込みで
働いていた若い奉公人たちがこの家に共同で
住んでいたと聞かされた。その頃、
一つの事件が起きた。
奉公人の一人の女性に子供が授かった。
しかしその女性は父親の名前を最後まで明かす
事はなかった。だが山野家は女性とその子供を
追い出す訳でもなく、それを承知の上で今まで通り
受け入れていた。
だから女性はそれ以後もこの家で奉公を続けていた。
・・・がしかし・・・」
夫はそこまで話して一度話を止めた。
寿子はそんな夫の姿をただ押し黙って静かに
見詰めていた。
第八話へつづく・・・。