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一夫多妻なんてお断り!下衆な婚約者から逃げたら、唯一の愛を誓われました

作者: 絆結
掲載日:2026/06/04

※本作には一部強めの表現(言葉・ニュアンス)が含まれます。苦手な方はご注意ください。

※本作は連載版を短編に再構成したものです。改稿版は後日Kindleで公開予定です。

「お前を俺の婚約者にしてやるよ。どうせお前じゃ貰い手がないだろうからな」


彼、ルーファス・フォン・アークライトが十二歳、私、セレスティア・マディライトが十歳の時、父に連れられてアークライト伯爵家へ訪れていたあの日、庭で出会った彼に唐突にそう言われた。



私の父は貿易商人で、アークライト家には商品を売りつける為に、昔から度々出入りしている。


たぶんアークライト伯爵か、ルーファスに()われたのだろう、ルーファスに歳近い私はいつ頃からか父がアークライト家を訪問する際には必ずお供させられた。



ルーファスは綺麗な金髪碧眼で、年齢の割には背も高く、まあ顔も悪くはない。そんな彼だけれど、常に上から目線で優しくされた記憶もない私は当時十歳にして「コイツはないわ」と思っていて、骨髄反射で断りの言葉が口をついて出た。


「いえ、結構です」


しかも、お前じゃ貰い手がないとは失礼にも程がある。

そりゃあ、我が家は商家で爵位などないが、父の仕事は軌道に乗っており、下手をすると下級貴族よりは裕福な家庭だと言える上に、私自身の見た目だってそんなに酷いものではない。


プラチナブロンドの髪はいつも丁寧に手入れをして艶やかさを保っているし、体型だってこの年頃の娘としては中の上だし、顔だって自慢できる。


けれど、この国では女性側に断る権利は与えられていない。

私の返事などサックリと無視して、彼は自分の父親に私と婚約する旨を伝えに行ってしまった。



この国、アダスティア王国は、もう随分と昔から男性の出生率が異様に低い。そのため人口は常に女性過多。つまり放っておけば女性は溢あぶれる一方で、出生率はどんどんと下がっていく。

国が亡びることを恐れた何代か前の国王が、一夫多妻制にする事を決定し、男性はなるべく早く、なるべく多くの婚約を決め、お手付きした者は必ず妻に娶めとるようにと定められた。

しかも、国の存続がかかっているため、貴族と庶民といった身分差のある者の結婚も認めた。


そうしてこの国は今、より早く、より多くの女性を従えた者が優秀と認められ、女性の意思などないかのように扱うクズ王国に成り下がっている。


お陰で、私は(よわい)十歳にして好きでもない、むしろどちらかと言うと嫌いな人間の婚約者にされてしまった。

そんな私も今年十五歳。ルーファスは十八歳になる。あの頭が下半身と直結しているルーファスに、そろそろ手籠にされそうで戦々恐々しながら過ごしている。


基本、何に誘われてもお断りしているし、彼には当時から既に七人の婚約者がいるので「どうぞそちらで欲求を満たしてください」と心の内に収めず常に口に出してそう伝えている。

なのに、何故か彼は私に固執して何度も何度も色々なことに誘ってくる。


恐らく、この国の女性はお淑やかに、控えめに、男性の三歩後ろを歩くように、男性から求められた事には唯々諾々と従う人間ばかりで、こうやって真正面から異を唱える人間が珍しく、どうしても服従させたいだけなのだろう。

けれど、私からしてみれば、こんな異常な国で男性の求めに何の疑問も持たずに従うなど考えられる事ではない。


ここまで女性の意思や人権を無視した国はここアダスティア王国くらいのもので、他の国は同じような状況でも、もう少しマシな程度には女性の人権も意思も尊重されている。


貿易で他国へ行くことの多い父が他国の本などをたまにお土産としてくれる。そんな本を読んだり、うちの商船の乗組員の話を聞いたりして他国の様子を知っている私には、この国の在りようは受け入れられない。


何故、男性には選ぶ権利が与えられ、女性には拒否する権利さえ与えられないのか。

なぜ、女性はたった一人の人を愛し敬うのに、男性からは自分一人に愛情が向けられないのか。

こんな不平等は到底受け入れられなかった。


流石に自分で働くことも(まま)ならない年齢で、家や国から逃げ出したところで、すぐに野垂れ死ぬことが分かりきっている。

どうにか商家に生まれたこの境遇を活かして、どこかで一人暮らしていける歳になるまでと待っていたが、そろそろ頃合いだろう。

今日、私はこの家を、そしてこの国を出る!



ずっと着々と準備を進めていて、既に隣国へ渡る用意も整っている。

隣国、ウェルネシア帝国は、同じく一夫多妻制を認めてはいる。

だが、アダスティア王国と決定的に違うのが、女性にも選ぶ権利、断る権利が認められている。

故に、無理矢理手籠めにすることも許されないし、一夫一妻の夫婦も多く存在する。

代わりに、帝国を治める皇帝は有能で、国は豊かで争いもなく、暮らしやすい()の国ではどの家庭も子沢山だという。


つまり、治める王が有能ならば、一夫多妻を強要したり、女性の人格を無視したりせずとも国は続いていくということだ。

是非ともアダスティア王国のアホ王にも見習って欲しい。



私は用意していた最低限の荷物を持ち、サイドテーブルに両親へ宛てた手紙を置くとそっと扉を開けた。


父は、今日は母とは別の若い奥さんの元へ行っている。つまり、盛さかっているので気付かないだろう。

母や別の奥さん達は、父が他の奥さんと盛っている夜は、情事の声を聞きたくないので睡眠剤を飲んで寝てしまっている。

こんな国だから、子供達は盛っている声には慣れているけれど、…というか、かなり(すさ)んで育ってしまっているけれど、それでも自分が奥さんの立場になれば、やはり別の人間と盛っている声など聞きたくはないだろう。



父には六人の奥さんとの間に十五人の子供がいるが、上十人は既に成人して家を出ている。

残り五人の内一人は赤ん坊、一人は幼児、もう一人は八歳でこの時間には既に就寝している。

そして同じ母の子である、仲の良い兄にだけには、行先は告げていないが逃げ出す事を伝えてある。

眠る前に最後の挨拶も済ませていた。


母が、私的に見てまともな人間であったお陰で、兄ロベルトはこの国には珍しく優しい男性に育った。

婚約者も十七歳の今の時点でまだ一人しかもっていない。

恐らく生涯その一人としか結婚しないだろうと言っている。

私もそんな人に出逢えれば、この国で生きても良いと思えたのだろうなと思う。


私は部屋を出て階下へ降りると、奥まった部屋から聞こえる嬌声を行進曲にして玄関へと足を進めた。

玄関の扉を潜くぐり、振り返ると腰を折り頭を下げる。


こんな国にも、この国に染まる父にも、諾々と受け入れる母にも未練はないが、一応十五歳まで育てて貰った恩はある。


頭を上げると私は踵を返し、今度こそ振り返らずにマディライト家を後にした。


***


「ギル、ちょっと一緒に来い」

兄のザックことアイザックに突然呼びつけられ俺は皇宮へと連れて行かれた。

辿り着いた先は従兄弟で皇太子であるアーサーの私室だった。


「何だよ、アーサーに会いに来るのに俺まで連れて来るのは珍しいじゃないか」

「まぁ、ちょっとあってな。話はアーサーに会ってからだ」

俺の言葉にザックが答え、俺達は侍女に案内されアーサーの部屋へと足を踏み入れた。


アーサーは入ってすぐのソファに掛けていた。

「やぁ、ザック、ギル。待っていたよ。どんな面白い話を持って来てくれたの?」

どうやら、簡単な説明はしてアポイントは取ってあったらしい。

直ぐに侍女がお茶の準備をして退出していく。


アーサーが手で指し示すまま、俺達はアーサーの向かいに腰掛けた。

「突然悪いなアーサー。ちょっと厄介だが面白い話を持ちかけられてな」

「いいよ。ザックからの話はなかなか面白いものが多いからね」


ザックが形ばかり謝罪をするが、アーサーは寧ろ楽しみにしていたように笑って返す。

口を挟んでも話が滞るだけだろうから、俺は黙って二人を見守る。


「実は、アダスティア王国で契約している商家の娘に逃亡の手助けをして欲しいと頼まれた」

俺とザックは皇族の一員ではあるが、皇位に興味は無く、余計な問題を避ける為にも普通に職に就いている。ザックは昔から海が好きで、色んな国に行けるからと商船の船長をしていた。


「逃亡?」

ザックの言葉の中で当然俺も気になった言葉に、アーサーが反応する。

商家の娘が一体何から逃亡する必要があるのか。

アーサーの問いにザックが一つ頷き返す。


「アダスティア王国では一夫多妻制のみで、女性に拒否権が無い件についてはセオドリックとも何度も話合ったよな」

改めての確認といった感じで紡がれるザックの言葉に、俺とアーサーは頷いて見せる。

これについてはもう何年もアダスティア王国の王太子セオドリックと俺達四人で話し合っている。


「その商家の娘、セレスティア・マディライトは、望まぬ婚約をさせられ、その相手と婚姻…というか関係を結ぶくらいなら死んだ方がマシだと。だから、独りで生きていける歳になった今アダスティア王国から逃げ出したいと、俺に相談してきた」


俺達の顔を順に見やってからザックは続ける。

「相手は伯爵家嫡男だが、都中に知れ渡る程素行が悪い」


説明するザックの顔が嫌そうに歪む。

「このままいれば、間違いなく近い内に薬を盛ってでも手籠にされると言っている。しかも、釣った魚に餌はやらない主義らしく、一度関係を持てば、恐らく軟禁されて性奴隷扱いが関の山だろうと」


「なるほどね。それで逃亡…か」

アーサーも嫌そうな表情を浮かべて顎に手を当てる。


「だが、だからと言って逃亡とは大したものだな。普通なら諦めるところだろ」

女性に拒否権は無く、人格など無視されても当たり前。

アダスティア王国はもう随分と永い間女性に優しくない国だった。

そこで育った者達は大概がそれを受け入れてしまっている。

大切にされなくて当たり前。

頑張って逃げ出したとして行き先はあの世が関の山か。


「まぁ、そうだな。珍しく気概のある嬢ちゃんではある」

俺の言葉に、思い出しているのかザックが楽しそうに応える。


「何しろ商家の娘だからな。他の国の事情にも明るい。世を儚むよりは何処か別の国へ渡って独り立ちする道を選びたいらしい」

ニヤリと笑みを浮かべるザックを見て、俺もその娘、セレスティアに想いを馳せる。

果たしてどんな娘なのか。

俺の知る女は、如何に条件の良い男に娶ってもらうか、それしか考えていないような女が殆どだ。

全く興味のない皇位の継承権があるからと寄って来る女共。

アーサーという立派な皇太子がいるのに。

皇太子になれなくても、騎士隊長を務める公爵家次男という肩書きも女には好みのものらしい。

だが、セレスティアという娘は独り立ちする道を望むという。

禄でもない婚約者に囚われていたから結婚に希望を持てないのか。

商家の娘とはいえ随分と逞しいことだ。


「それで、この機会を利用するんだね?」

黙って話を聞いていたアーサーがザックに確かめるように問いかける。

その言葉にザックは「ああ」と短く答えながら大きく頷いた。


「セオドリックがずっと望んでいた変革を成す好機だ。手伝ってくれるよな?」

ザックの問いかけに、アーサーも俺も静かに頷き応じた。






ザックに言われた通りミッターマイヤー家で待っていれば、ザックに連れられて現れたのはプラチナブロンドの美少女だった。

十五歳の割に身体も大きく、見た目も、恐らく中身に影響されてか大人びて見える。

ミッターマイヤー夫妻と話しているのを聞いていれば、本当にザックが言っていたように独り立ちするつもりで何もかもを捨ててきたらしい。家族さえも。

それを聞いて、俺は思わず要らぬ口出しをしてしまった。


「何も言わず、何もせず逃げてくるんじゃなくて、家族にくらいちゃんと自分の気持ちを伝えてからの方が良かったんじゃないのか?」

「………」

俺の言葉にセレスティアは黙り込む。


気分を悪くしただろうかと顔色を窺えば、少し切なそうな表情を浮かべ俯いてしまった。

逞しいとは思っていてもやはりまだ十五歳。

辛い思いをしているのに追い打ちを掛けてしまったかと後悔の念が湧いた。


***


「ティア、今日納品された分の伝票置いとくからよろしくね!」

カウンターで帳簿をつけていた私に、オーナーの奥さんであるイレーネさんが声をかけてくる。


「はい。分かりました」

チラリとだけ視線を上げて、カウンターに置かれた伝票に手を伸ばす。


永い年月をかけて信頼を築いてきた商船の船長に助けてもらい、無事アダスティア王国を出てウェルネシア帝国へと渡った私は、船長の紹介で雑貨屋のオーナー夫妻の家へ避難させてもらい、なんと境遇を哀れに思った夫妻の養子として迎えてもらった。


孤児を引き取ったという名目で養子縁組してもらい、今私は、セレスティア・マディライトではなく、ティア・ミッターマイヤーと名乗っている。

元々マディライト家も商家だし、雑貨屋の養子というのは何とも有難い。


イレーネさんと、オーナーのウォールさんは一夫一妻の仲良し夫婦で子供はなんと十二人いるらしい。

けれど全員が既に独立しているらしく、私を養子に迎える際も「寂しくなったところだったからちょうど良かったわ」と優しい言葉をかけてくれた。


「ティア、悪いがそこにある飾り蝋燭を一つ取ってくれないか」

ウォールさんの呼びかけに、私は走らせていたペンを止め、顔を上げた。


彼が指さす方向には何種類かの綺麗な花の形をした蝋燭が並んでいる。

明かり取りに必需品となっている蝋燭は、普通は棒状の長い極有り触れた形のものだが、飾り蝋燭と呼ばれるこの花型の蝋燭はパーティーやお茶会に使われたり、後は閨事を行う部屋の雰囲気作りに使われたりする。


「はい。何色がいいですか?」

立ち上がりながら問いかけると「黄色をお願いします」と上品な声が返ってくる。

声の方へ視線を向けると少しご年配のお仕着せを着た女性が立っている。

どこかの貴族屋敷の使用人がお茶会用の蝋燭を買いに来たのだろう。


私は指定された黄色い飾り蝋燭を手に取り女性の方へ歩み寄り蝋燭を見せる。

「こちらでよろしいですか?」


「ええ。奥様がお茶会にはこの蝋燭がないとダメだと仰るのよ」

彼女のそんな返事を聞きながら私は蝋燭を手早く梱包する。


日中に開くお茶会なら窓からの明かりでも十分明るいので、光の届きにくい場所に蝋燭が一つあれば十分なのだろう。


梱包した蝋燭を袋に入れ渡すと、彼女は上品に「ありがとう」と言ってくれる。

私とウォールさんは「ありがとうございます。どうぞまたお越しください」と言って彼女を見送った。

彼女の背中を見送ってから、私は隣に立つウォールさんを見上げ声をかける。


「ウォールさん」

「お父さん、だろ?」

声をかけた途端に、こちらを振り返りながら言い直しを要求される。


「あ、ごめんなさい。お父さん」

「なんだい?」

素直に呼び直せば、彼は優しく微笑んで先を促してくれた。


「そろそろ配達に行く時間じゃない?」

「ああ。そうだね。店番を頼めるかい、ティア」

問いかけると、時間を確認し、彼は私の頭に手を乗せ応える。


イレーネさんは先ほど納品された品を裏で仕分けているため、そんな時は必然的に私が店番をすることになる。


「任せて」

私がそう言うとウォールさんは嬉しそうに笑って「ああ。頼むよ」と返し、裏へと回っていった。

雑貨屋ではあるけれど、変わり物の茶葉や焼き菓子、アロマオイルや生活必需品など幅広く扱っているため、たまにこうした配達が入ってくる。

私はくるりと店内を一周見回してから、先ほどまで座っていたカウンターへと足を向けた。


「よお、ティア!店番頼まれたのか?」

歩き出そうとした私の背中に、この数日で随分聴きなれた声がかけられた。

彼はこの雑貨屋の二軒隣にある八百屋の息子で、ギル・ランドルフ。


銀色の長髪を緩く横に括り、肩の上に垂らしている。

背は高く、体は細い割に筋肉があるようにも見える。

精悍な顔つきは肉食獣のようで、体の細さや髪色とは不釣り合いに感じる。

私より四つも上の十九歳だと言うが、大人びていた兄と比べるとなんともガキっぽく見えるのだが。


十九歳と言えば、成人して独立しているはずなのに、私がここに来てから二、三日おきに店に顔を出す。

一体何をしているんだろうこの放蕩息子は。


「ほれ。今日の餌だ」

しかも、何故か私を餌付けしようとしているらしく、来る度に何かしら菓子を持ってきてくれる。

甘いものは好きだし、食べ物に罪はない。

ということで、遠慮なくもらっておく。

「ありがとう」


けれど気になるのはその金の出処と、こんな所で油を売っていていいのかということ。

「ねえ、ギル?いつも差し入れしてくれるのは有難いのだけれど、貴方一体普段何をしているの?日中のこんな時間にこんな所で油を売っていて大丈夫なの?」


今までにも何度か、何の仕事をしているのかとか、寄り道していて大丈夫なのかとか色々訊いたことがあるけれど、毎回話をはぐらかされる。

そもそもに、私がこのミッターマイヤー家に来た日も何故か夫妻と一緒に家にいたという謎な人だ。

人目を忍んで夜中に来たにも関わらず。

けれど、船長も夫妻も「彼は大丈夫だから」としか言わず、結局、彼が何者なのか未だに分からない。


「お?なんだ、お前そんなに俺のことが知りたいのか?もしかして一目惚れしたとか?」

これである。

要するに詮索されたくない訳だ。


「あー、もういいわよ。もう訊かない」

言って私は追い払うように彼に向ってシッ、シッ、と手を振る。

そうすると彼は「なんだよつれないなぁ」と言って、受け取ったまま手に持っていた菓子の袋を開け、中から菓子を一つ摘み、私の口に無理矢理押し込む。

唇に触れた指先が、するりと離れていった。

ギルはその指をごく自然にペロリと舐める。

一瞬遅れて熱が顔へ上る。


「なっ、何するんですか!!」

思わず彼の腕を掴み、彼の唇から指が離れるように引っ張る。

彼はそんな私を楽し気に見下ろし、「顔、真っ赤」と言って、くつくつと笑いを漏らす。

すっかり玩具おもちゃにされていることに腹を立てながら、私は掴んでいた彼の腕を投げるように離した。


この男、本当に一体何がしたいんだ?


ムカつきながら、もう無視してカウンターの向こうへ戻ろうと横を向いた所で、彼はカウンターに両手をつき、私の体をカウンターと彼の体で囲い込む。

一瞬ビクッと肩を揺らしてしまった自分に苛立ちながら、彼へ向き直り思い切り睨み上げた。


「何なんですか!」

彼は相変わらず楽し気な顔で私を見下ろしてくる。


「なあ、ティア。お前、俺の婚約者にならないか?」

しかし、一瞬真剣な顔をして言うギルに、私は思い切りボディーブローをお見舞いしてやる。

ぐふっと声が漏れるが、距離がなさ過ぎて力が入っていないし、寧ろ殴ったこっちの拳の方が痛かったくらいだ。たいして効いてはいないだろう。


「ちゃんと働いているのかも分からないような男はお断りよ!」

そう言って、私を囲う彼の腕を押しのけカウンターの向こうへと戻った。


ワザとらしくお腹を撫でながら、彼は凝りもせずカウンター越しに話しかけてくる。

「ま、向こうでどういう扱いになっているか分からないから、婚約できないか」


カウンターに肘をつき両掌で顎を支えながら、楽し気に、けれどその声だけは小さく囁かれる。

私は手近にあった計算用のメモ用紙の束を彼に向かって投げつけた。

「帰って!」


私が本格的に怒っていることが漸く伝わったのか、彼は「あー、悪かったって。怒るなよ。今日はもう帰るから」と言って、ヒラヒラと手を振り、店を出て行った。


彼に言われなくても分かっている。

両親には「私は死んだと伝えてくれ」と手紙を残してきたけれど、伯爵家相手に、しかもあの執着の酷いルーファス相手にそれがどこまで通用するのか。

婚約を無効にせず、もし私を探してでもいたら…。

見つかってしまった時を考えると、こちらで婚約や婚姻を結んでしまえば相手に迷惑がかかってしまう。

そう考えれば、彼の言うように私が婚約するのは無理に等しい。

まあ、別に私は結婚なんてしなくても構わない。

寧ろ、ルーファスみたいな奴と結婚するぐらいなら死んだ方がマシなくらいだ。

けれど彼の言いたいことも分からなくはない。


彼は初めて私がミッターマイヤー家へ来た時に、ここに居て私の話は聞いている。

その時にも言っていた。

「何も言わず、何もせず逃げてくるんじゃなくて、家族にくらいちゃんと自分の気持ちを伝えてからの方が良かったんじゃないのか?」


分かってはいる。

私が逃げたことで迷惑を被こうむるのは残された家族だ。

けれど、あの国の人間はおかしい。

長年続いたあの法律で、無理矢理犯やっても娶めとればいいんだろ、くらいの感覚しかなくなっている。

女性の人格なんてほぼ無視だ。

何なら、親子であっても、娘なんて道具にされて媚薬でも盛って相手に差し出されるんじゃないかとすら思える。

私の父がそこまでする人間かは分からない。

けれど、確実にルーファスは媚薬を盛ってでも私を手に入れようとするだろう。

そんな所へ戻るなんて嫌だ。


…でも。

兄のことだけは。


向こうで何か起こっていないか今度船長さんに訊いてみよう。

そう結論づけると私はふぅっと溜息を吐ついた。




休日はいつも港に沢山の出店が並ぶ。

店舗を構えての販売ではなく、卸売りする前に仲介なしで高値で取引する為や、新しい卸先を確保する為などに出されるもので、私はアダスティア王国に居た時にも、ウェルネシア帝国に来てからも休みには必ず足を運んでいる。

並ぶ出店を覗きながら私は船長のザックさんを探す。


ちょうど先程ザックさん達の乗る船が港に入ってきたところなので、たぶんそこら辺で荷降ろしを手伝っているんじゃないかと思う。

そう思って周りを見回していると、人混みの中に綺麗な銀髪を見つけた。


「ザックさん」

人混みをかき分け駆け寄って行くと、彼は顔を上げ私を見つけると軽く手を上げ応じてくれた。

「おう、セ…、ティア久しぶりだな。元気にしてたか?」


海の漢らしくよく日に焼けた彼は、ガッチリとした体つきで海賊船の船長ですか?というような風格を醸し出している。

精悍な顔立ちは、どこか誰かに似ている気がしたけれど思い出すことができず、とりあえずそこは気にしないことにした。


「ええ。お陰様で」


にっこりと微笑んで返し「ザックさんも元気そうね」と付け加えると、彼は「おうよ!」と元気よく返してくれた。

しかし一瞬後には何かしら考え込むように押し黙った。かと思えば、すぐににかっと笑って私の手を取る。


「ティア、いいものを見せてやる。ちょっとついて来い」


そう言って、有無を言わせず私の手を引き、つかつかと歩を進めていく。

無言のまま結構な大股で歩くザックさんの後を、慌てて小走りについて行くと、辿り着いた船長室へ入り、彼はパタンと扉を閉めた。


「ザックさん?」


なんだか少し不穏な空気を感じて恐る恐る声をかけると、彼は扉から目一杯離れた所まで私の手を引いていき、いきなりストンと手を放した。


「ティア。お前に伝えておくことがある。アダスティア王国での事だ」


***


――ルーファス視点――

「いよいよだな。待ってろよセレスティア。今日こそお前を俺様のモノにしてやる」

俺はまだ陽の上りきらない薄暗い中、部屋で小瓶を手に握りしめた。


俺には八人の婚約者がいて、その内七人は既に喰った。

どいつもこいつも従順で、ちょっと雰囲気を作ってやれば、ホイホイ股を開きやがった。

まあ、喰った以上責任持って娶ってやるが、全く面白みがない。


だがセレスティアは違う。

あいつは最初から俺に対して口答えして、いつも歯向かってくる。

きっと俺の気を自分だけに向けて欲しくてやっているのだろうが、そろそろどちらが上か分からせてやる必要がある。


今日は俺の十八歳の誕生日。

あいつもきっと今年こそは素直になろうと、俺への誕生日プレゼントを用意しているに違いない。

優しい俺様は、自分からプレゼントを貰いに出向いてやって、俺の記念すべきこの一日の大半をあいつの為に使ってやろうと思っている。


あいつが起きる前に部屋へ入って、この媚薬を口移しで飲ませてやって、その後は…ムフフ。


俺は既に準備させていた馬車に乗り込み、マディライト家へ向かった。

玄関は開いていなかったので、勝手口へ回り、既に朝の準備を始めている使用人を呼びつけ、セレスティアの部屋へ案内しろと言うが、頑なに拒否しやがる。


仕方がないので、勝手に部屋を見て回ろうと、手近な扉を開けようとすれば、俺を止めようとついてきていた使用人が「そちらは旦那様のお部屋で」「そちらは第一夫人のお部屋で」と煩い。


使用人を無視して片っ端から当たって、漸く二階の真ん中辺りの部屋で、使用人から「お止めください。お嬢様はまだお休みです」という言葉を引き出した。


俺の腕を取って止めようとする使用人を「無礼者!」と振り払い、俺は意気揚々とセレスティアの部屋へ踏み込んだ。


部屋はカーテンが引かれ、隙間から漏れる光以外なく、かなり暗い。

ついてきていた使用人は諦めたのか、もう姿はなくなっていた。


俺は扉を閉めると、邪魔されないように内側から鍵をかける。

鍵のかかるカチャリという音に、この先を思ってゴクリと喉を鳴らす。


足音を忍ばせベッドの脇に立ち、あいつの寝姿を確かめようと目を凝らした。


しかし、幾ら目を凝らしても、何故かベッドの上に人らしき膨らみが見えない。

あの艶やかなプラチナブロンドも、艶めかしい胸の膨らみも、俺を誘う尻の膨らみも見当たらない。


俺は勢いよく上掛けを引き剥がした。

しかしやはりそこには何もなく、俺は「どういうことだ…」と茫然と零した。


そこへ何やら部屋の外が騒がしくなり、ガチャガチャと扉を開けようとする音が響く。

暫くして外から鍵が開けられ、灯りを持った使用人と、あいつの両親と兄が部屋へと雪崩れ込んできた。


「どういうことですかルーファス様!就寝中の淑女の部屋へ勝手に押し入るなど。幾ら伯爵家ご子息で娘の婚約者であっても非常識過ぎます!」

父親の怒鳴り声が聞こえるが、今はそんなことはどうでもいい。


俺はまだ何か怒鳴ろうとして、俺に手を伸ばしている父親に向かって怒鳴り返した。

「これはどういうことだ!俺様直々にセレスティアを抱きに来てやったのに、何故あいつはいない?!あいつはどこだ?!」


「──────は?」


俺の怒鳴り声に、たっぷりと数舜の間を置いて、父親の間抜けな声が返ってくる。

それと同時に灯りを持った使用人がベッドの横へと走り寄ってくる。


蝋燭の灯りがベッドを照らすが、やはりそこにあいつの姿はなく。

使用人に続いてベッドへ走り寄った兄が、ふとサイドテーブルへ視線を向ける。

そこに何かがあったようで、兄はそれを手に取っている。


どうやら封筒のようだ。

兄、ロベルトは急いで封筒から中身を取りだし、使用人に照らさせる。


「──────っ」


ロベルトが息を呑む様子に、両親もその手紙を覗き込む。

直後、母親はその場に崩れ落ち、父親は手を目に当て天を仰いだ。


「何が書いてあるんだ?寄越せ」

俺は三人の様子を見て、何が書いてあるのか気になり、手紙を取ろうとした。

ロベルトが渡すまいと強い力で握っていたが、力一杯引っ張ると、ロベルトの握っていた端部分が破れた。

俺はお構いなしに手紙を取り上げ、目を通す。


『お父さん、お母さん、ロベルト兄さんごめんなさい。

 無理矢理婚約させられてから、ずっと我慢してきましたが、私ももう十五歳。

 そろそろあの下衆なルーファスが私を手籠にしようと動き出すでしょう。

 私はあんな下衆に手籠にされるのも、娶られるのも我慢なりません。

 あんな下衆に手籠にされるくらいなら、死んだ方がマシです。

 私は今から家を出ます。家を出てどこか死体の見つからない場所で死ぬことにします。

 あの下衆には私は死んだと伝えて下さい。

 迷惑をかけてごめんなさい。さようなら』


読み始めてすぐに俺の手は怒りで小刻みに震え出す。


下衆だと?!

この俺様を下衆だと?!ふざけやがって!

しかも、この俺様に手籠にされるなら死んだ方がマシだと?!

幾ら俺様の気を引きたいからといって、流石にこれは許さんぞセレスティア。

死ぬとか言って気を引いて、探して欲しいだけだろう?

そんなに俺の愛を確かめたいのか。

なら、望み通り探し出して、俺様のモノをぶち込んでやろう!

手足を縛って自由を奪い、毎日、朝から晩まで俺の子種を注ぎ込んでやる!

それがお前の望みなんだろう?!セレスティア!


俺は持っていた手紙をグシャリと握り潰した。


どうやら、心の中で呟いたつもりの言葉が全て声に出ていたようで、ロベルトが横から俺に意見してくる。

「妹は本当に貴方のことが死ぬほど嫌いなんです。今頃もうどこかで命を絶っています。最期くらい自由にさせてやってください」

父親も母親も、俺のことを蔑んだ様な目で見ている。


「ルーファス様、セレスティアは死んだのです。マディライト家はあの子の死亡届を出します。そうすればこの婚約は無効とされます。ルーファス様もどうぞあの子のことはお忘れください」

「…こんな…こんな国のせいであの子を……」


父親が冷えた目を向け俺に言い放つ。

その横で崩れ落ちたまま母親が何かぶつぶつと呟いている。

その様はまるで心の壊れた人間のようで、なんとも不気味だった。


「レックス、ルーファス様をお送りしてくれ」


ロベルトが有無を言わさず俺を追い出しにかかる。

レックスと呼ばれたのはどうやら灯りを持ってきた使用人のようで、灯りをサイドテーブルに置くと、徐おもむろに俺の方へと向かってくる。


「ルーファス様、玄関までお送り致します。どうぞ」

部屋まで案内した使用人とは違い、怯えた様子もなく有無を言わさぬ様子で俺へ促す。


俺の前へ促すように差し出された手を叩き払い、俺は父親とロベルトに怒鳴りつけた。

「ふざけるな!俺はセレスティアが死んだなどと認めない!婚約を無効などさせるか!」

しかし、それに対して奴等は誰一人として反応を示さず、冷えた目でじっと俺を睨みつける。


セレスティアがいない以上、ここにこれ以上留まったところで何にもならない。

俺は腹立ちを表すように、大股で扉へと向かった。

部屋を出る寸前に、苛立ち紛れに媚薬入りの小瓶をロベルトに向けて投げつけた。


許さん!許さん!許さん!


俺はドスドスと音を響かせて玄関へと向かう。


幾ら気を引きたいからといって、俺様を下衆呼ばわりしたセレスティアも。

俺様を馬鹿にしたロベルトも。

婚約無効を申し出ると言った…マディライト家も全て。

絶対に許さん!

絶対にセレスティアを見つけ出して、許しを乞うまで犯し続けてやる!


***


「ティア。お前に伝えておくことがある。アダスティア王国での事だ」


港に着いて皆船から降りているため、船の中はかなり静かだった。

閉められた扉の向こうから、薄らと外の喧騒が聞こえてくる程度だ。

船長室の奥でザックさんと向き合う私に、彼はじっと視線を向けてくる。

今までここまで真剣な彼の表情を見たことがなく、私は何事かと身構えた。

黙ったまま彼を見上げる私に、彼は真剣な面持ちのまま口を開いた。


「アークライト家の愚息(バカ)がマディライト家へ乗り込んだらしい」


彼の言葉に、私ははっと息を呑む。

マディライト家に乗り込んだ。それがどちらの意味なのか、私は黙って彼の言葉を待つ。


「ロベルト様が伝えに来てくれた。どうやら()()()()()()()を手籠にしようと、媚薬まで用意して明け方に部屋へ忍び込んだらしい。ティアが家を出た翌朝、明け方だ」


彼の言葉に、背中をゾクリと寒気が走り私は思わず両手で自身の体を掻き抱いた。


間に合って良かった──。


心からそう思った。

そして安堵の息を吐こうとして、ふと気が付いた。

私が家を出た翌朝、明け方…?

それはつまり、あの手紙をあいつも見た…?

一気に血の気が引く私に、ザックさんは一通の封筒を差し出す。


「ロベルト様からだ」


私は急いで封筒を受け取ると、その場で手早く開封した。


『愛する妹へ

 君は、上手くどこかへ逃げられただろうか?

 ()く先を聞いていない私には、君に連絡を取る術がない。

 ザック殿に託して、いつか君がこの手紙を受け取る頃にはどれ程の時間が経っているだろう。

 君がこの手紙を受け取るまでに、ルーファスの奴に捕まっていない事を祈る。

 君が家を出た後、明け方にルーファスが君の部屋へ侵入した。

 君に媚薬を飲ませて襲うつもりだったらしい。

 それで運悪く君からの手紙を見られてしまった。

 勿論、君が死ぬつもりだと書いていたお陰で父と母は君を死んだものとして届け出てくれ、無事婚約も無効となった。

 けれど、ルーファスは君の死を信じていない。

 伯爵家の力を以って君を探し出そうとするだろう。

 どうか十分に気を付けて欲しい。

 可能であれば、奴が君に辿り着くまでに、君を守り抜いてくれるような相手と巡り合っていてくれることを願う。

 私達はアダスティア王国の屋敷を処分して、ダグナーへ移住することにした。

 私達の心配はしなくて良いから、どうか君が幸せであるように。君自身の為に生きて欲しい。

 幸せを願っているよ』


読み終わると私は手紙を元のように二つ折りにする。

その手紙に一粒雫が落ちた。


「ロベルト兄さん…」


大好きだった兄に迷惑をかけてしまった事だけが悔やまれる。

駄目な父と母だと思っていたのに、娘の最期の願いだけは聞き届けてくれたんだと僅かな嬉しさもあった。


「どうやら、アークライトのバカ息子が、家の力を使って()()()()()()()を捜しているらしく、先日アダスティアへ寄った時にこの船の奴等もセレスティア嬢を見かけなかったかと訊かれた」

私が手紙を読み終わるのを見計らって、ザックさんが零す。


「勿論、誰一人()()()()()()()を見かけた者はいなかったがな」

彼の大きな手が、私の頭を優しく撫でる。


「ティア。困った事があれば、ギルを頼るといい。あいつはああ見えて腕も立つし、色々な所に顔も利く」

彼の言葉に思わず胡乱な目を向けてしまう。


ギルが腕が立って、顔が利く?

あんなチャラい男が?

…顔は()いけど。

でもチャラいけど。


思ったことが顔に出てしまっていたのか、ザックさんが苦笑する。

「あー。あいつはな、ちょぉっと捻じ曲がってるだけで、悪い奴じゃないんだよ?」


(ひね)くれてるんじゃなくて、捻じ曲がってるのね?


「そう。分かったわ。ギル以外頼る人がなくなったら、その時は仕方ないからギルを頼ることにするわ。ありがとうザックさん」


私の言葉を受けて、彼は何とも言えない表情をするものの、すぐに何かを思い出したように声を上げ、上着の中へ手を突っ込んだ。

引き出された手には一枚の折りたたまれた紙が握られている。

「これ、やるよ。セレスティア嬢の人相描きだそうだ」


笑いを我慢するように言いながら渡された紙を受け取り、丁寧に開いていく。

「──は?」

私が間の抜けた声を漏らすと、彼は堪えられないとばかりに腹を抱えて笑い出した。


なんだこの子供の落書きは。

五歳児でももう少し上手く描けないか?


「…もしかして、これってルーファスが描いたの?」

「そうらしい。…ぶふっ」

私の言葉に答えてはくれるが、彼はだいぶ限界らしい。


「これ、私、見つかる心配なさそうね」

「そう…だなっ」

もう既に笑い過ぎて涙まで出てきたようで、彼は目尻に浮かんだ涙を指で拭っている。


一応子供の落書きより酷いソレの下には、文字で特徴が書き加えてある。

プラチナブロンドの長髪。アンバーアイ。十五歳。


…該当する人間が一体どれ程いると思っているんだ、あいつは。

馬鹿で愚かで下衆な奴だとは思っていたけど、本当に救いようのない人間だったのね。

探せば、私のことを知っている人間で、もう少しまともな絵を描ける人間がいたでしょうに。

あ、でも、私のことを知っている人間に、あいつに力を貸そうという人間がいないかもしれないわね。


「まあいいわ。笑い話のネタにギルにでもあげておくわ」

言って私は小さく折りたたんだそれをバッグの中に詰め込んだ。


「ところで、ザックさん。申し訳ないのだけど、兄に手紙を書きたいので、何か紙とペンを頂けないかしら?」

この機会を逃すと、次彼に会えるのがいつになるか分からないので、無理を承知でお願いしてみる。


「ああ、それなら──」

そう言って、彼はまた懐から折りたたまれた紙を取り出す。

そして紙を丁寧に開いて、折りたたまれていた外面にあたる方を表にして渡してくれる。

何となく想像は出来たけれど、一応確認すべきなのだろうか…。と思いつつ裏面を見る。

「……」


「否、メモ用紙くらいにはなるかと思って」

笑いを堪えて彼の口端がひくついている。

私は敢えてそれに応えず、渡されたペンを受け取って、側にあった机で兄への手紙を書き始めた。


書き終わったソレを折りたたみ、兄からの手紙が入っていた封筒へと入れる。


「ザックさん、ダグナーへ行くことがあれば、これを兄へ渡して頂けませんか。兄妹揃って手間をかけますが、どうぞお願いします」

「ああ、任せろ」

差し出された封筒を彼は厭うことなく受け取ってくれる。

受け取った封筒を懐へしまうと、彼は私へ手を差し出した。


「さあ、もう戻ろうか」


彼に手を取られ、私達は外へと戻った。



船を降り、ザックさんに見送られ、私は出店の立ち並ぶ中へと戻った。

目新しい物がないか見てから帰ろうと、ぐるぐると出店を見て回る。

通りがかった出店に、アロマオイルに並んでアロマキャンドルと書かれた蝋燭が置かれているのを見つけて足を止めた。


アロマオイルは既に結構色々な種類が出回っていて、うちの雑貨屋でも取り扱っているが、アロマキャンドルというのは今まで見たことがない。

並んでいるのはラベンダー、ローズ、ジャスミンの三種類。

店員に説明を聞こうと一歩足を踏み出した瞬間、トンっと誰かと肩がぶつかった。


「あ、すみません」

慌てて顔を上げ謝ると、相手も「こちらこそ申し訳ありません」と謝ってくれる。

視線を上げたその視界に入ってきたのは、ブラウンの髪。そして黒いシャツの上に白に赤のラインの入った上着、白のズボンに黒いマントという騎士の出で立ちだった。


休日のこの出店には多くの人が集まる。

人が集まれば犯罪や争いが起きることもある。

そのため騎士が巡回しているのは知っていたが、こうして出遭うのは初めてだった。


アダスティアではこんなふうに騎士が治安維持に動いてくれることも少ない。

ウェルネシアは本当に良い国だと思うし、この国の騎士も素晴らしいと思う。

そんな思いで見上げると、ぶつかった騎士が改めて「お怪我はありませんか?」と訊いてくれる。


「大丈夫です」

そう返しながらふと視線をずらすと、ぶつかった騎士のすぐ後ろに、銀髪をてっぺんで結った長身の騎士が反対を向いて立っているのが視界に入る。

どうやら二人組で巡回にあたっているらしい。

ぶつかった騎士は私に怪我がないと知ると「では失礼します」と言って歩き出し、銀髪の騎士もこちらには顔を向けないまま歩き去っていった。


イレーネさんとウォールさんにアロマキャンドルを試してもらって、許可が出れば店に置こうと思って、アロマキャンドルを全種類一つずつ購入し、店員に連絡先を聞いて帰ってきた。

そして二人にザックさんから聞いた話と、兄からの手紙の話を伝え、ルーファスが描いた人相描きを見せた。

てっきり人相描きを見て大爆笑されると思っていた私の予想は裏切られ、二人は深刻な表情で顔を見合わせている。


「ねぇ、ティア。ウォールとも話してたんだけどね。ティアは、早めに誰かと婚約してしまった方がいいと思うの」

「勿論ティアの希望は聞くし、別にティアのことが邪魔な訳じゃない。ティアの安全の為にどうか前向きに検討して欲しい」


二人の真剣な言葉に、私は言葉に詰まる。

二人の性格からして、私を邪魔に思ってのことでないことはよく分かる。

ルーファスとの婚約は無効になったし、拘っているのがルーファスだけなら相手に迷惑をかけることもまずないだろう。


けれど…。


誰かと婚約…と言われても、私がウェルネシアに来てからまだそんなに経っていない。

知り合いも幾らもいないし、婚約するような相手がまずいない。

それに、身分を偽る為とはいえ、孤児から雑貨屋夫婦の養子になったような女を婚約者に欲しがるような人間って…。


私のそんな考えを読んだように、ウォールさんが言葉を継ぐ。


「孤児だとか平民だとか、そこら辺は気にしなくても大丈夫だ。この国も基本アダスティアと同じで身分違いでも結婚は許されている。何なら孤児が皇族と結婚したって大丈夫なくらいだ。まぁ人物は重視されるがな」


まあ、それは分かる。

幾ら自由と言っても皇族と結婚するなら、中身のしっかりした人間でないと無理だ。

皇族が碌でもない相手と結婚した為に折角の良い国が滅んでしまっては困る。

しかしまあ、皇族の相手が孤児でも良いって…。

まあ、とりあえずそれは置いておこう。

私が皇族に嫁ぐとか有り得ないから。

んー。でも、婚約かー。

ウォールさんとイレーネさんみたいな、一夫一妻の素敵な夫婦になれるなら、それは本当に素敵なことだと思う。

愛する人に、自分一人だけが愛される。

アダスティアにいれば、殆ど夢のまた夢だ。

そんな人に出逢えればいいな…。


そう考えて、ふと先日のギルの言葉が頭を過る。


『なあ、ティア。お前、俺の婚約者にならないか?』


ピキッとこめかみに血管が浮く感覚を覚える。


あいつだけは絶対ない。


私はふるふると頭を振って、二人に応えた。


「でも私、ウェルネシアで人脈もないし、こんな身元の知れない人間、相手になる人も困るでしょ?大丈夫よ。ルーファスのこんな人相描きで見つけられっこないから」


心配してくれる二人には悪いけれど、どう考えたってあんな人相描きで私に辿り着けるとも思えない。

兄にさえ行き先を伝えていないのに、数多くある国の中からどこへ行ったか探し出すなんて、王族並みの権力でも行使しなければ無理だろうと思う。


「でも、でもね?薬を使ってでも貴女を手に入れようとするような人なんでしょ?だったら、形だけでもいいから誰かと婚約しておいた方が向こうも手が出しにくいと思うのよ」

「そうだよ。最初ティアの話を聞いた時には、まさか本当に薬を使ってまで…なんて考えていたけれど、実際そんな物を用意するような人間、何をするか分かったものじゃない。できることは何でもしておいた方がいい!」

私の否定の言葉に、二人は必死の様相で詰め寄ってくる。


まあ、確かにあの下衆は本当に危険を感じる程に頭がオカシイ。

けど、そんなに必死にならなくても…と思う私は楽観的過ぎるのだろうか。


「いえ、でも。本当に、こんな面倒な人間と形だけでも婚約なんて、了承してくれる人間もいないでしょうし、私は大丈夫だから」

「いや、それなら相手は私達で探すから────」


実際面倒な人間でもあるし、そんな人間と婚約を望む人間はいないだろうと思う。

それと同時に、私自身あんな下衆(ルーファス)の婚約者として五年間も置かれていたことで、婚約することに抵抗もあるのだ。


そう思って二人を説得しようとしても、二人も必死に私を説得しようとしてくる。

そんな攻防を繰り返していると、ノックもなく無遠慮に突然扉が開けられた。


「何?探し物?俺も一緒に探してやろうか?」


なぜ、お前が、いる。


扉を開け、挨拶より先に話に加わりながら部屋へ入ってきたのは、銀髪を肩に流したチャラ男。


「「ギル!」」「…ギル…」

ウォールさんとイレーネさん二人の声と、私の声が重なる。


この話をしているこの場に、一番姿を現してはいけない人間だと思う。


案の定、ウォールさんとイレーネさんの顔に喜色が浮かぶ。

「ギル!ちょうど良い所へきた。お前、ティアを婚約者にしてやってくれないか?!」


きたよ、コレ。


「うん?いいけど、何で?」


いいのか?

そんな簡単でいいのか?

というか──


「いや、こんな仕事してるかも分からない平民では、腐っても伯爵家嫡男が強硬すれば婚約してても意味ないでしょ」

思ったままを口に出してしまった私に三人の視線が集まる。


「ああ、まあ確かに腐ってるが伯爵家嫡男だな」

ウォールさんのツッコミどころはそこなのね。


「あら、ギルはちゃんとした身分の───」

「イレーネさん!」

ウォールさんの横からイレーネさんが何か言おうとしたけれど、ギルに止められてしまった。


なに、ちゃんとした身分て?


気になってギルに視線を向けるけれど、ギルは首の後ろをガリガリと掻きながら私から視線を逸らし、ウォールさんへ言葉を向けた。

「で、何の話してた訳?」

その言葉に、ウォールさんとイレーネさんが必死で説明を始める。


「────そんな、薬まで用意してティアを手籠めにしようとするような奴、見つかったらどうなるか分からないだろう?!」

「だから、もし見つかっても無理に手出しできないように、誰か婚約者をって──」

二人の説明を黙って聴いていたギルは、イレーネさんが言葉を切ると「あー」と納得したような声を漏らした。


「それでか。じゃあ仕方ないな。ティア、俺と婚約しよう」

かっこつけたように前髪をかき上げながら、立ったまま私を見下ろし(のたま)う。


それに条件反射で言い返しながら私は彼を睨み上げた。

「いや、だから、仕事してるかも分からない平民なんて───」

しかしその言葉は途中で遮られてしまった。


「いや、俺、皇族だし」

「────は?」

間抜けな声を漏らし、ギルを見上げる。


こいつは──

チャラいだけじゃなくて大ホラ吹きなのか?

バカなのか?アホなのか?

ルーファスと同類なのか?


私の頭の中を駆け巡る言葉が聴こえたかのように、ギルが顔を顰める。

「お前、今物凄く失礼なこと考えてるだろ?」

睨み下ろされて思わず視線を逸らす。

そんな様子にギルは大きく溜息を吐くと、静かな声音で言葉を紡いだ。


「ギルバート・フォン・アンザム。俺の本当の名だ。現皇帝の弟が俺の父親で、ついでに、商船の船長をしているザックは俺の兄だ」

「………はぁ――――?」


皇弟殿下の息子?

ザックさんが兄?

兄ってことは、ザックさんも皇弟殿下の息子?

なにその設定。

どこの陳腐な小説ですか?


全く信用できない私の向かいで、ウォールさんとイレーネさんはうんうん頷いて「実はそうなんだ」「そうなのよ」とか言っている。


「いや、いや、いや。皇族の人間が商船の船長とか。フラフラしてる八百屋の息子とか…」

頭痛がしてきそうな頭を振りながら私が言うと、相変わらず立ったままのギルは腰に手を当て、指で頬を掻いている。


「いや、お前には全て隠してたし、嘘ついてたのは悪いと思ってるけど、一応俺、これでも騎士団で隊長も勤めてるんだけど?」

言って、彼は緩く結んで肩の上に流していた髪を解き、頭のてっぺんで括り直した。


そんな彼の様子をぼーっと見上げていた私の脳裏に、ふと騎士服を着た銀髪の男性の姿が浮かぶ。


「──え…?」

「今日、港で遭っただろ」


遭った。確かに港で見かけた。

銀髪を頭のてっぺんで括った、長身の騎士。

しかも、そう思って見れば、ザックさんも銀髪…。

言われたことを総合すると、確かに色々と繋がる。

逃げてきた当初、ギルがここにいたことも。

ウォールさんとイレーネさん、ザックさんが動じなかった訳も。

ザックさんがギルを頼れと言った言葉も。


「──つまり…」

「お前がアダスティア王国から逃げてくることを知って、騎士として、皇族として、お前を保護する目的と一応見張りも兼ねてた。おかしな動きをするようなら捕らえる必要があるからな」


私が考え、求めた答えをギルが躊躇いなく口にする。


そう…か。

確かに、逃げる私は必死で気付かなかったけれど、迎え入れるウェルネシア帝国としては、正式な手続きを踏まず入国する人間を、知っていて野放しにはできないだろう。

しかも、私が最初に頼ったのが皇族の人間だなんて。


「だから、お前には俺の素性は明かさなかった」


その言葉に、考え込んで伏せていた視線を上げる。

何の感情も読み取れない顔を見上げ、浮かんだ疑問を投げかけてみる。


「今、明かして良かったの?」

「ああ。別にお前は怪しい人間でないことは分かってたしな。…ただ、もう少し、ただのギルとしてお前と接していたかったというのはあるがな」


後半、顔を逸らし呟かれた言葉に「ん?」と小首を傾げる。

けれど彼は「いや、いい」とだけ言って話を終わらせてしまった。


「じゃあ、すぐにでも手続きをしておこう。明日にでも誓約書を持ってくる」

「ちょ、ちょっと待ってよ!私、ギルと婚約するなんて言ってない!」

私の方は見ず、ウォールさんとイレーネさんに向かって言い頷いて見せる彼に、慌てて声をあげると、彼は私の方へチラリと視線を寄越し溜息を吐いた。


「ティア。この国は確かに女性側の断る権利は認められている。だがな、お前はもう少し状況を考えろ」

彼の言葉を受けて、ウォールさんとイレーネさんが激しく頷いて見せる。


いや、分かるけど。

確かに状況的にこの上ない縁談なんでしょうよ。

でもね…。


じとっと見上げる私に、ギルは再度大きな溜息を吐き、ガシガシと頭を掻く。


「──悪かったよ」

唐突に降ってきた謝罪に虚を突かれる。


「え?」と漏れてしまった声に先を促されるように、彼は言葉を続けた。

「ティアがどんな人間か知りたかった。今まで俺の周りにいた女達とは違うんだって確かめたかったんだ」

「…意味が分からない」

言われた言葉に、思わず心の声が駄々洩れた。

けれど彼は気分を害した様子もなく、そこに至った背景を説明してくれた。


「これでも一応皇族だからな。現皇帝に男児は一人しかいない。そいつに何かあればザックや俺に皇位継承権が回ってくる。俺やザックの周りには常にその権威を狙う女共が群がってくる訳だ」

反吐を吐くように語る彼の姿は、私が彼に出逢ってから初めて見るものだった。


「うんざりもするだろ。手に入れるつもりもない皇位に群がる奴しか寄ってこないんだ。馬鹿みたいな夢だとは思うが、できるなら俺は俺自身を見てくれる人間と一緒になりたかった。でも、この国で、今までそんな人間に出逢えたことがない。だから──」

俯き加減に話していた彼の視線が、私の目をしっかりと捉える。


「誰もが諦めるような環境から、そして自分より高位の人間から逃げてきたティアに興味が湧いた。お前が、どんな人間なら相手に望むのか知りたかった。…他の女達とは違うんだって確かめたかったんだ。だから本当はもっと時間をかけて色んな俺を見て欲しかったんだ」

今まで見たこともないほど真剣な眼差しに、思わずドキリと胸が高鳴る。


それに気付かなかったふりをして、強い口調で問いかける言葉を投げる。

「だからって、何であんなチャラくなるのよ?」

「ん?チャラかったか?俺はお前に、俺に対して興味を持って欲しかっただけなんだが?」


まさかの素ですか。


思わず溜息が漏れる。

「分かった。まぁいいわ。とりあえずギルがそれでいいのなら、問題が解決するまでの間、形だけ、よろしくお願いします」

私は思わず考えることを放棄して、ギルに頭を下げた。

その言葉に、彼は眉間に皺をよせる。


何か気に喰わないことを言ったかしら?と小首を傾げて彼を見上げると、彼はついっと視線を逸らし「まあいい」と呟きを漏らした。


「すぐに手続きする。明日には誓約書を持ってくるから。但し、誓約はお前の本当の名前、セレスティア・マディライトでしてもらう。じゃないと、お前を助けてやれないからな」

言って私に視線を戻すと、彼は意味ありげに口角を上げ、にやりとした笑みを浮かべた。


なんだか嫌な予感がするけれど、考えないことにしときましょう。






翌日、宣言通り、ギルは誓約書を持ってミッターマイヤー家を訪れた。

ルーファスとの婚約の時には女性に拒否権がないため、誓約書を目にすることも、サインをすることもなく勝手に婚約を結ばれてしまったけれど、ウェルネシア帝国では必ず本人の直筆サインが必要になる。


誓約書に目を通し、最後にもう一度ギルに確認の声をかける。

「ギル。貴方に迷惑をかけることになってしまうけれど、本当にいいの?…その…、勿論貴方が本当に愛する人に出逢えた時に、婚約解消して欲しいと望むなら、いつでも応じるつもりではあるけれど…」

彼はその言葉に、チラリとだけ私へ視線を寄越すと、小さく溜息を吐いた。


まぁ、それは溜息も吐きたくなるわよね。


申し訳なさでいっぱいになって「やっぱり──」と口を開きかけた瞬間、彼はその声に重ねるように返してきた。


「俺は構わない。変な気はまわさなくていいから、さっさとサインしろ」

言った彼の表情は、迷惑だというようなものでもなく、少し焦りにも似た感情だけが読み取れる。


とりあえず、彼が迷惑だと感じていないのであれば、暫くの間厄介になろうか、と覚悟を決めて誓約書にサインをした。セレスティア・マディライトとして──。

サインをして、彼に誓約書を渡すと、書面を確認した彼は口角を上げ、にやりと笑みを浮かべる。

誓約書を丁寧にしまい「じゃぁ、俺は誓約書を提出してくるから」と戸口へ向かいながら言い、外へ一歩踏み出そうとして振り返る。


「そうそう。十日後にアダスティア王国で、王太子の誕生パーティーが開かれるんだが、そこに招待されていてな。婚約者も同伴で出席することになっている。七日後出立するから、準備しておいてくれ。ああ、ドレスはこちらで用意してあるから」

「────はぁ――――――っ?!」

悪戯が成功したとでも言いたげな、ニヤニヤした笑みを浮かべて言い切ると、私の叫びを背に、彼はさっさと立ち去ってしまった。


「──ありえないっ!!」

私の叫び声に、店の準備をしていたウォールさんとイレーネさんが部屋へ戻ってきたけれど、興奮した私が何とか事情を説明すると「ああ、聞いているよ。早く準備にかかりなさい」と事も無げに返されてしまった。


沸々と湧き上がる怒りを着替えを放り投げる手に込めながら、一人ブツブツと呟き考えを巡らせる。

「何考えてるのよ、ギルは!」


いくら婚約したとは言え、逃げ出してからまだそんなに日も経っていないのに、アダスティア王国の、しかも王太子の誕生パーティーなんて、ルーファスも来るに決まっているじゃない。

あいつに見つかったらどうしてくれるのよ!


心の内で悪態をついて、ルーファスと遭遇した場面を想像してみる。


──ん?

意外と大丈夫なのか…?


考えかけたけれど、怒りと焦りに疲れて、私はそれ以上考えることを放棄した。


***


七日なんてあっという間で、私はギルに連れられ、アダスティア王国へと向かう船に乗せられた。

今回は密出入国ではなく皇族の婚約者としての旅程の為、船は豪華な客船だった。

ウェルネシア帝国からアダスティア王国までは船で二日。

アダスティア王国に着いて一日は旅の疲れをとるために用意された休息日となっている。

とはいえ、私は死亡扱いされている家出人。

外をうろつく訳にもいかないので、ホテルで引き篭もって過ごした。

そしてパーティー当日──。


ギルが用意してくれたドレスに、彼が手配してくれた侍女たちが着替えさせてくれる。

真っ赤なドレスに程よく装飾が施され、色合いで派手に見えそうなものだが、厭らしさのないスタイリッシュなデザインになっている。

少し胸元が開いている気がして気になるものの、それを厭らしく目立たせないように首飾りが存在感を示す。

何故か少し悔しい気もするが、彼のセンスは良いらしい。


着替えが終わると侍女が呼んできたのか、タイミング良く彼が部屋へ訪れる。

軽くノックをしてから部屋へ入ってきた彼は、一歩踏み入れた所でピタリと足を止めた。

黙って立ち尽くす彼に訝いぶかし気に視線を向けると、その瞳は僅か見開かれ、驚いたような表情を浮かべていた。


「どうかした、ギル?」

動く様子のない彼に問いかければ、彼ははっとしたように動きを取り戻し、私に歩み寄りながら口端を上げる。


「いや、馬子にも衣装だなと思って」

相変わらずの軽口に、少々ムッとしたものの、乗ってやるのも癪だとスルーすることにした。

私が無視を決め込むと、彼はバツが悪くなったのか指先で頬を掻きながら、私へと腕を突き出した。


「では参りましょうか、セレスティア嬢」


柄にもない丁寧な言葉と仕草に、ゾクッと背中を何かが走った感覚がしたけれど、ふるふると体を小さく震わせて、彼の腕へと手をかけた。

部屋から馬車へ、そして馬車から会場へとエスコートしてくれる様は、今まで私が見てきた彼とは違い、確かに皇族だと感じさせるものがあった。

勿論、装いによる補正も幾分加わっているものの、元々の精悍な顔つき、騎士であるという言葉通り逞しい体躯。凛とした佇まいに、指先まで洗練された仕草。


なんだか物凄くムカつくけれど、認めますとも。

ええ。確かに皇族の方なのでしょう。

でもなんだか──

隣に立つ彼を見上げて、私は続く言葉を振り払った。


真っ直ぐに背筋を伸ばし前を見つめる彼は、会場中の人の注目を集めている。

それこそ男女問わずに。

まあ、それはそうだろう。

この会場の中でも、これだけ存在感を示している人間はアダスティア王国の王族の他には彼と──


「やあ、ギル。久しぶりだね」


目の前に迫る銀髪碧眼の超絶美青年。

装いから、どう見ても明らかに王皇族であるに違いないと判る上に、この銀髪と顔立ち。

私は隣に立つギルにチラリと視線をやってから、目の前に立つ美青年に視線を戻した。


「ああ、久しぶりだなアーサー」

「こちらが例の婚約者殿?」


アーサーと呼ばれた彼の視線が私を見おろす。

その瞳は見くだしているような色はなく、寧ろ面白い物を見つけたというような色を浮かべている。

彼の半歩後ろには、控えるように金髪碧眼の美女が淑やかに立っている。

きっと彼の婚約者、皇太子妃候補の一人だろう。


アーサー・フォン・アンザム皇太子殿下。

名前だけは知っている。

ウェルネシア帝国の次期皇帝。


彼の良き国を背負っていくに相応しい、聡明叡智の言葉が表す通りのような素晴らしい人物だと聴いている。

そんな人物が皇太子であれば、確かに他の皇位継承権を持つ者はその座を狙うつもりもなくなるかもしれない。


「ああ、俺の婚約者。セレスティアだ」

アーサー様の問いかけに答える形で紹介され、私は慌てて礼をとる。


「セレスティア・マディライトと申します」

「ウェルネシア帝国皇太子、アーサー・フォン・アンザム。隣の彼女は私の婚約者で、エレノーラ。よろしくね、セレスティア嬢」

「エレノーラ・フォン・パーセルと申します」

私の挨拶に続き、皇太子殿下と婚約者様が挨拶を返してくださる。


まあ、ある程度覚悟はしていたけれど、いきなり皇太子殿下とご挨拶とか、緊張するどころの話ではないからやめて欲しい。

とは言え、ギルのパートナー…というか婚約者としてここにいる以上仕方ない。

しかもアーサー様の先程の言いようからすれば、恐らく私の事情は全てご存じなのだろう。


挨拶が済むと、アーサー様は楽しそうに…ギルと似た、口端を上げる笑みを浮かべると私達を促し、アダスティア王国の王族への挨拶へと足を向けた。

私はなるべく目立たないように、ギルの斜め後ろへと控え付き従う。

国王陛下と王妃陛下にご挨拶し、本日の主役である王太子殿下への挨拶へと進む。


セオドリック・フォン・バクスター王太子殿下。

十二人いらっしゃるお妃様のお子二十数人の内、漸く産まれた王子殿下お二人の内のお一人で、先にお生まれになった方だ。


今日お見えになっている王妃陛下はこの王太子殿下の実母。

この国は一番に王子を生んだ妃が正妃になることになっている。


私は、王太子殿下もお会いするのは初めて。

国王陛下は今までの何百年という流れを変える気概もない凡人というイメージだが、王太子殿下については特に噂に聴くこともなく、どんな人物なのか判らない。


「セオドリック王太子殿下、この度はお誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます、ギルバート殿。ところでそちらに控えていらっしゃる方が、例の婚約者の方ですか?」


アーサー様達が挨拶を済まされ、続いてギルがセオドリック様に挨拶をすると、セオドリック様から挨拶と共に既視感を感じる問いかけが返ってくる。

つまりは、セオドリック様にまで話は通っているということなのだろう。

さすが皇族。


「ええ。私の婚約者のセレスティアです」

流れ的に紹介されるのは分かるし、勿論挨拶もしないといけないけれど──

「私」って何?!

いや、分かる。意味は分かる。

けど、鳥肌が立ちそう。

似合ってないよギル。

分かるよ。従兄弟な皇太子殿下ではなく、他国の王太子殿下だもんね。

言葉遣い大事よね。

でもね。やっぱり私は普段のギルの方がいい──。


ちょっと鳥肌立てながら、それでもちゃんとセオドリック様に挨拶を返した私を褒めて欲しい。

「セレスティア・マディライトと申します。この度はお誕生日おめでとうございます」


私が挨拶を返すと、セオドリック様はにっこりと笑みを返して下さる。

「ありがとう。ところでセレスティア嬢、君は確か──」

「セレスティア!!お前やっぱり生きていたんだな!!」


セオドリック様が礼に続いて私に何事か言いかけた瞬間、会場に響き渡るような大声が私達の左後方から発せられた。

それと同時に、場に不釣り合いなドカドカという大振りな足音が響いてくる。


幾ら身分関係なく婚約ができるようになり、このような晴れやかな場にも平民である私達のような人間まで参加できるようになったとは言え、王太子殿下との挨拶中、殿下のお言葉を遮って声をあげるなど有るまじき不敬。

やはり馬鹿は死んでも治らない。まあ死んでないけど。

アークライト伯爵も、どうしてあの馬鹿を未だ見限らないのか疑問で仕方ないわ。


「殿下、お話中でしたのに大変申し訳ございません。少々失礼致します」

そう言って、スカートを摘み小さく礼をとって、セオドリック様の「構わないよ」という言葉を受けてから、私はゆっくりと足音が近づいてくる方へと振り返った。


足音の主はもう既にニメートル程の距離まで迫り、逸る気持ちを体現するように、右手は既に私へと向け上げられていた。


「セレスティア!お前、やはり俺様が恋しくなって戻ってきたんだな!仕方ないから、気を引きたくて俺様のことを馬鹿にしたような手紙を残したことは許してやる。さあ!お前の望み通り今からお前に俺様の子種をたっぷり注いでやろう!!しかし、許してはやるがお仕置きは必要だな!まずはお前が素直になれるよう、手足を縛って、お前が自ら俺様のモノをぶち込んで掻き回して欲しいと懇願するまでは焦らさないとな!」

馬鹿で下品な言葉を大声で叫びながら、私の肩を掴もうと上げられた手が触れる寸前、その手は私の横から伸びてきた手に掴まれ止められた。


掴んだ手を捻り上げるように背中に回すと、目の前の馬鹿──ルーファスから情けない悲鳴があがる。

「ひぃっ──。イテテテテッ!やめっ─、放せっ!何だお前はっ?!」


周りはすっかり驚きからドン引きへ変遷し、少し距離をあけて私達を囲むように半円になっている。

ルーファスを取り押さえているのは勿論ギル。

そして、私の隣には心配してくれたらしいアーサー皇太子殿下とエレノーラ様。

背後にはセオドリック王太子殿下。

斜め後ろには近衛騎士に守られた国王陛下と王妃陛下という、この地獄絵図。


この下品で馬鹿で下衆な男の頭の中身は()ることしか入ってないのだろうか。

ギルに暴言を吐きつつ暴れるルーファスを、ギルは涼しい顔で押さえつけている。

これ、私は一体どう収拾したらいいんだろう。

そう思ってルーファスを見つめていると、ギルが冷えた声を発した。


「王太子殿下との挨拶を遮り、他人(ひと)の婚約者に下品な言葉を浴びせ、無体を働こうなど、貴様は一体どんな教育を受けてきたんだ?」


少しだけ捻り上げる力を緩められ、漸く周りの状況とギルの声が脳へと伝達されたらしく、ルーファスは周囲を見回した後に私の背後、セオドリック王太子殿下に視線を向け若干顔を引き攣らせる。

そして漸く、正座で腕を捻り上げられた状態でセオドリック様に向かって声をかけた。


「王太子殿下、大変失礼致しました。しかし、そこにいるセレスティアは私の婚約者でありながら、私の気を引きたいが為に自殺を仄めかし、私の前から姿を消していたのです!それが無事であったことに安堵したあまり、状況を察することができずこのようなことを──。って、貴様、いい加減手を放せ!!」

馬鹿の割には丁寧にセオドリック様に謝罪を述べたが、許しを請うより先にギルに向かって怒鳴りつける。

それを諫いさめたのは、ここまで黙って事の成り行きを見守っていたセオドリック様だった。


「態度を改めるべきはお前だ、ルーファス・フォン・アークライト。お前を取り押さえているその方はウェルネシア帝国皇弟殿下のご子息。つまり、隣国の皇族だ。そしてここにいるセレスティア嬢は、その方の婚約者だ。言動を慎め!」


「──────は?…今何と?」

セオドリック様の言葉に、ルーファスは呆けたように口を開く。

ルーファスから力が抜けたからか、ギルが彼から手を放すと、彼はその場にペタンと両手をつき、口は半開きのままセオドリック様を見上げる。


「セレスティア嬢は、無理矢理結ばれた婚約に耐えられず、世を儚んで自死を試みたが瀕死のところを、そこにいるギルバート殿に助けられ一命を取り留めた。我が国では既に彼女の死亡届が受理されていたが、ウェルネシア帝国にて保護されギルバート殿の婚約者となった。つまりルーファス・フォン・アークライト、お前との婚約は無効になった後に、ウェルネシア帝国にて新たな婚約が結ばれた。故にセレスティア嬢はお前の婚約者ではない。無体を働くことは許されない」

セオドリック様が丁寧に説明して下さる。


へー。そういう設定なんですねー。

知らなかった。私、瀕死のところをギルに助けられたんだ。

ギル、命の恩人なんだね。


思わず引き攣りそうになる顔を引き締める。


ルーファスはさっきギルが他人の婚約者って言ったのは聞いてなかったのね。

というか、もしかしたら自分に都合の悪い部分は、無意識でスルーしているのかもしれない。


「──っちょっと待って下さい!!セレスティアは俺の婚約者です!死んでいないんですから、婚約無効は無効ではないのですか!」


皇族相手に婚約者を返せって言える伯爵子息って凄いね。

皇族が婚約者にして、王族がそれを認めてるのに。


セオドリック様ははぁと大きく溜息をつき、馬鹿の為に懇切丁寧な説明を継続する。

「正確に言おう。セレスティア嬢は発見された時、間違いなく心臓が止まっていた。つまり死んでいたんだ。それをギルバート殿が蘇生させた。彼は騎士でね。心臓が止まってすぐであれば蘇生できる方法を知っていたからね。つまりアダスティア王国としては、彼女の死亡は受け入れるしかないんだよ。この国に在ったのは彼女の遺体だったのだから。彼女が生き返ったのはウェルネシア帝国でだ。そしてこのことは両国納得済みのことなんだ。ここまで言えばお前でも理解できるか?」


つまり私は遺体になって海を渡ったのですね!

ほぉ。素晴らしい筋書きですギルバート様。

ちょっと呆れた顔でギルを見つめてしまった。

ギルはルーファスの後ろでニヤリとした笑みを浮かべている。


「そんなっ。こいつは俺の──」


ルーファスしつこい!

叫びたいけど、大人しく猫さんを一枚、二枚…


暑苦しくなりそうな程沢山の猫を被っていると、それまで静観していたアーサー様が口を開いた。

「君はしつこいね。セレスティア嬢は死を選ぶ程、君のことが嫌いだったんだよ。いい加減諦めたら?王族と皇族が認めているんだよ?第一、アダスティア王国は女性に婚約の拒否権が無いというのが良くないよ。ねぇ、セオドリック王太子殿下?貴方はどう思われます?」

アーサー様の容赦ない言葉に、ルーファスも漸く口を閉ざす。


代わりに、話をふられたセオドリック様が楽しそうに口を開いた。

「そうだね。私も、そこはそろそろ変えていくべきだと思っていたんだ。今回はこうやって明るみに出たけれど、もしかしたら彼女のように世を儚んで自死を図った者が他にもいたかもしれない。相手がこんな人間ではね。幾ら最終的に娶ればいいとは言っても、男としての責任はそれだけじゃないよね?ちゃんと相手を幸せにしてあげないと。いかがですか、国王陛下」


突然ふられた国王陛下はうぉふぉんと咳払いをして、チラリと王妃陛下へ視線をやってから、セオドリック様へと応える。

前に盾となって立ち塞がっていた近衛騎士達はいつの間にか脇へ下がっていた。


「そうだな。もう直に王位もお前に明け渡す。それを機に、この国をより良く変えていく方法があるなら、取り掛かっていけば良いだろう。女性は、子を産んでくれる大切な存在だ。この国の認識を変えていくべき時がきたのだろう。問題を明るみに出してくれたセレスティア嬢には感謝すべきだな」

国王陛下の言葉に、私は軽く目を見開いて陛下を見つめてしまった。


凡人で、アホな王様だと思ってたのに、意外とものを解ってる王様だった?

あ、でも実行力がないのか。

側近達に力負けしてるとか?


失礼なことを考えていた私の腰が唐突にぐいっと引かれる。

驚いて顔を向けると、ギルが隣に立ち、私の腰を抱き寄せていた。

彼は相変わらず、ニヤリとした笑みを浮かべて私を見つめていた。


貴方一体どれだけの人間を巻き込んでるんですか。


ジト目で睨み上げても、ギルはどこ吹く風である。

まあ、もう私には関係のない話ではあるけれど、アダスティア王国が良い方向に変わってくれるのなら、それに越したことはないだろう。


何しろ、今この時にも嬉しそうな表情を隠せないご令嬢が幾人か見て取れるのだから。



パーティーはあの後セオドリック様がフォローしてくださって、何とか無事和やかなパーティーへと戻ることができた。

ルーファスは場を騒がせたことと、王太子殿下への不敬、ウェルネシア帝国皇族への不敬ということで近衛騎士にどこかへ連行されていった。


そして私はと言えば、何故か王族の退場と一緒に客室へ招かれ、セオドリック様とアーサー様、エレノーラ様、ギルと一緒に応接セットのソファに腰かけている。

国王陛下と王妃陛下が一緒でないだけマシではあるけれど、この面子は……。


緊張してカチンコチンになっていると、アーサー様が小さく「ふふふ」と笑い声を漏らす。

「そんなに緊張しなくてもいいのに。僕もセオもギルの婚約者に意地悪なんてしないから」

くだけた様子で楽しそうに語るアーサー様の言葉に、私は更に肩を窄すぼめる。


「いえ、その、別に意地悪されるなんてことは思ってもいないのですが……」

ボソボソと返すと、隣でギルが笑いを噛み殺し──そこねて、肩を揺らしている。


「ティア、いつもの威勢はどうした?」

半日ぶりに偽名もとい愛称で呼ばれて、少しだけ肩の力を抜いてギルを睨み上げる。

「誰だって緊張するわよ、こんな面子。まあギルは対象外だけど」

厭味のつもりで付け加えた言葉に、何故だかギルは嬉しそうに微笑む。


そんな様子を楽しそうに眺めていたセオドリック様がスッと背筋を伸ばし、私を見つめると徐に口を開いた。

「セレスティア嬢。貴女には改めて謝罪とお礼を言わせてもらいます。今回のこと、貴女には本当に長い年月辛い思いをさせました。これは我が国の、アダスティア王国王族全体の責任です。本当にすみませんでした。そして、この問題をこのような形で明るみに出し、解決への糸口をつかむ切っ掛けを作ってくださったことに感謝します」


言って頭を下げようとするセオドリック様に、私は慌てて声をかけた。

「やっ、やめてください!王族の方が下の者に頭を下げるなど!わ、私は大丈夫ですから!」

慌てすぎて、自分で言っておいて、何が大丈夫なんだ?と思わず疑問が湧く。

けれど、とりあえずセオドリック様が頭を上げてくださったので、安心して私は浮きかけた腰を下ろした。


「ありがとう。貴女とギルには本当に感謝しているよ」

改めてお礼を言われて、私は思わずギルを見上げる。

ギルは満足そうな笑みを浮かべているだけで、未だに私に説明をしようという気はないらしい。


「王太子殿下はそのように仰って下さいますが、私は今日のことに関しては何も事情を存じませんので……」

ギルに言ってもきっと誤魔化されて終わりなので、「私困惑してるんです」というふうを装ってセオドリック様に向けて、ギルに対する不満を口にしてみる。

すると、言葉の意味がしっかりと伝わったらしいアーサー様がくくくっと笑いを漏らしギルへと視線を向けられた。


「ギル。ちゃんと説明してあげたら?」

色々の事情を全て知っていて、明らかに楽しんでいるふうなアーサー様は、物腰が柔らかく接しやすく感じるものの、やはり根底では従兄弟であるギルと似ているところがあるのかもしれない。

まあ、私としてはアーサー様からこの言葉を引き出せただけで十分なので、アーサー様がどんな性格でも構わないのだけれど。


流石にアーサー様から言われては無視を決め込む訳にもいかないのか、ギルはちらりと横目で私を見やってから、仕方ないなあとでも言いたげに口を開いた。

「まず、最初のところから話すと、実はティアがウェルネシア帝国へ逃げてくる話をザックに相談した時点で、セオ──セオドリックと、アーサーには話がいっていた」


セオドリック様とアーサー様へ順に視線を巡らせながら言うギルの言葉に、私は驚き無意識に「は?」と言う声を漏らしてしまった。


え?私がザックさんに相談した時点って…。

それもう半年程前の話では?

そんな時点で既にセオドリック様とアーサー様に話がいっていたって…。


何だかここぞとばかりに道具にされた気がしてならないのですが。

私のそんな思いなど、全く知らぬ様子でギルはどんどんと話を進めていく。


「俺は、前にも説明した通り一応の監視はしていたが、最初から俺達四人の間ではアダスティア王国の女性の扱いについての問題を直視するべき時が来たという認識だった。だからこの先俺達がどう動くべきかをずっと連絡を取り合っていたんだ。セオからティアの元婚約者…えっと、ルーファスだっけ?あいつの今までの言動とか性格とか聞いて、ザックからティアの性格とかも聴いてたから、ちょうど良い時期にある、このセオの誕生パーティーを利用することにしたんだ」

「ルーファスについてはまぁ予想通りの行動を起こしてくれたよね」

ギルが言葉を切ると、その後をセオドリック様が継ぐ。


「あそこまで下品だとは思わなかったけどね」

アーサー様が呆れた声を漏らし、隣でエレノーラ様が顔をしかめている。


確かに、あの言葉は聞くに堪えない。


「噂には聞いていたけど、あそこまで酷いのは私も初めて見たよ」

セオドリック様まである意味感心している。


「ティアが無事でいてくれて良かったよ…」

隣からふと小さな呟きが聞こえる。

私が驚いてギルに視線をやると、ギルは気まずそうに視線を逸らす。

その横顔は薄らと頬が赤く染まっていて、思わずドキッとしてしまった。


え…何これ。

すごいドキドキする。

私がギルに?

嘘でしょ?!

いや、ほら、ギルが柄にもないこと言うから…。

えっと…ギルも、ほら、いつもみたいに揶揄って…。


て思ったのに、私へちらりと視線を寄越したギルの表情が、一瞬の驚愕の後、一気に真っ赤に染まってしまった。


「え…なに…?」

思わず漏れてしまった私の声に「「うわぁ」」という二人分の声が重なる。


「二人とも顔真っ赤」

「そういうのは二人きりの時にしてくれるかな」

アーサー様に続きセオドリック様が私達の顔を交互に見ながら呆れたように言う。


言われて初めて私は自分の顔が熱を持っていることに気付いた。

私は慌てて両手を頬にあて俯く。


嘘でしょ。

何で?何で赤面なんてしてるの?

何これ。


軽くパニックになってしまった私の隣で、ギルがわざとらしく咳払いをする。

「まぁ、これでもうティアがあいつに追い回される心配はなくなったってことだ」


「そうだね。流石にあそこまでだと、今日の件もあるから何も罰しない訳にはいかないし。後のことは私に任せてもらえば大丈夫かな」

ギルの言葉に、セオドリック様が相槌を打ち、優しく言葉をかけて下さる。


「これで二人も何の心配もなく結婚できるね」

ニッコニコの表情が声にまで乗っているかのようなアーサー様の声が続き、私は思わず驚いて顔を上げた。

視界に入った表情はやはり声の通りで、満面の笑みが浮かんでいる。


「…え?」


漏れた声と共に、ギルに視線を移すと彼はまたしても視線を逸らす。今度は顔ごと。

「ギル?アーサー様達に偽装婚約だって言ってないの?」


「「「え?」」」

私の問いかけに、ギル以外の三人の疑問の声があがり、私は事態を把握した。

そして、その時になって漸く一つ大切な事実に気が付いた。

私の言葉に、ギルがあからさまに肩を揺らす。

取り残された三人は、会話の怪しげな方向性に、私達を交互に見遣りハラハラした様子を見せている。


「ねぇギル。そもそもこれって、実際に婚約する必要ってなかったんじゃないの?」


沈黙が満ちた部屋に私の声だけが響く。

ギルは先程から顔ごと逸らしたままだ。

アーサー様とセオドリック様が、そんなギルを凝視している。

エレノーラ様は困惑したような表情を浮かべて、私とギルを交互に見やっている。


「ギル?」

アーサー様がギルに声をかけると、彼はアーサー様の方へ視線を向けるが、私からは困ったような横顔しか見えない。


「もしかして、セレスティア嬢とちゃんと話してないの?」

アーサー様は困った子を諭すような口調でギルに問いかける。


──ん?

アーサー様の口ぶりだと、理解していないのは私のようにとれるけど、気のせい?


意味が分からなくて、私はアーサー様に視線を向ける。

彼は私の視線を受けて、困ったように視線を彷徨わせ、おずおずと私に応えてくれた。


「…えっと…。この話は、ギルの口からきちんと伝えるべきだと思うから、僕からは言えない。ギル──」

アーサー様の言葉で、改めてギルに視線を向けるけれど、やはり彼は私の方を見ようとしない。

そんな彼に今度はセオドリック様も呼びかける。

「ギル」

名前だけを呼ぶその声にも、アーサー様と同じ意図が感じられる。

その呼びかけに、ギルはふぅっと大きく息を吐いてからキュッと表情を引き締めると、漸く私の方へと向いた。視線や顔どころか、体ごと。


けれど、やはりまた、ガリガリと後ろ首を掻きながら、落ち着きなく視線を彷徨わせる。

「その…まあ…確かに婚約したフリでも良かったんだが…」

異様に歯切れが悪い。

しかも、言いながら段々と彼の顔が赤く染まっていく。

そして漸く覚悟を決めたとでもいうように、真っ直ぐに私へ視線を合わせ一息吸うと、しっかりとした口調で続きを口にした。


「──掴まえておきたかったんだ、ティアのことを。気持ちは後からでもいいから。悪い。ティアの気持ちを無視して…。俺もアイツと変わらないな」


「は───」

疑問形にすらならない声が私の口から漏れる。


掴まえておきたかった?

気持ちは後からでもいい?

つまりそれは───?


ボッと火がつくように、一気に顔に熱が上る。


「えっと…その…つまり…」


今度は私が視線を彷徨わせながらギルに言葉を返すと、何故かアーサー様とエレノーラ様、セオドリック様が静かに席を立つ気配がする。

えっ?と思って、三人の方を見ると、セオドリック様がニコッと笑って手を振る。


「私達はちょっとルーファスの件で陛下と打ち合わせをしに行ってくるから、二人はここでゆっくりしてて。終わったら戻ってくるから」

わざとらしい言い訳を残し、三人はそそくさと部屋を出て行ってしまった。


二人きりとか、もの凄く気まずいんですけど。

いや、まぁ、いられても気まずいけど。


三人の背中に追い縋るように上げた手を、仕方なく下ろし、視線を彷徨わせる。

ギルの方へ向き直るか思案していると、彼が大きく息を吸う気配がした。


「──セレスティア」

愛称ではなく名を呼ばれる。

その声にドキリとして、ぎこちなく彼の方へと向き直ると、真っ直ぐに私を射抜くような視線とぶつかった。


「ザックから話を聴いた時から、お前に興味があった。実際に逢って、話して、もっとお前のことを知りたくなった。そして、俺のことを知って欲しいと思った。ティアが俺に特別な気持ちがないことは分かっていたけど、どうしてもティアにずっと傍にいて欲しいと思うようになった。だから、誰にも渡したくなくて、卑怯な真似をした。悪かった。お前が望むなら婚約解消する。けど──」

彼は一瞬だけ俯いて、すぐに顔を上げる。


「俺はティアが好きだ。できるなら、このままティアの気持ちが俺に向くのを待って、いつかティアと結婚したい。考えてくれないか?」


突然の直球な告白に頭がついていかない。

顔も頭も発熱しているんじゃないかってくらい熱い。

息のしかたを忘れてクラクラする。


ギルが私を──?


「…ちょっ…待って…。いきなりそんなこと言われても…」


理解が追いつかないよ…。

自分の気持ちだって…。

……私の気持ち──?


浅く息を吸いながら、胸元を掴み、彼に視線を向ける。

真っ直ぐな視線が私を捉えている。

碧い瞳が熱を帯びている。

彼と出逢ってから、こんな瞳で見つめられたことなんて──。

…え。あった。

そういえば、以前にも。

あの時は気にもしなかったけど。


『なあ、ティア。お前、俺の婚約者にならないか?』


嘘。あれ、本気で…?

次々ともたらされる衝撃に心臓がドクドクと音を立てる。


「もちろん、ティアが答えを出せるまで、いつまででも待つ」

真剣な声が私の鼓膜を刺激する。


十歳で有無を言わせずルーファスの婚約者にされてしまったため、今までこんなふうに真剣に想いを告げられたことなんて一度もない。

ギルの態度も最初から揶揄ってるものと決めつけて見ていたから、こんなふうに想われていたなんて思いもしなかった。


どうしよう…。

すごく…嬉しい。

あ…。でも…。

「私、死んだはずの人間で、孤児で養子の平民だけど…」

突然思い出した現実問題。


ギルは皇族で、私は死んだはずの人間で、孤児から養子になった平民の娘。

ウォールさん達が皇族と孤児でも結婚できるとは言っていたけど、彼にとって、こんな人間と結婚なんて何のプラスにもならない。

けれど、ふと出てしまった私の言葉に、彼はぷはっと笑い声を漏らす。


「アダスティア王国の王族も、ウェルネシア帝国の皇族も、お前の存在を認めているのに、何を気にしているんだか。ティアは、ちゃんとセレスティア・マディライトとして生きていっていいんだよ。俺としてはずっとウェルネシア帝国にいて欲しいが、ティアが望めばアダスティア王国へ戻ることだってできる。そこら辺はセオがきちんとしてくれるだろうからな」

彼らしい笑顔で返された言葉は、ふわりと暖かい風のように私の心に届く。


パーティー会場に着いた時にも思ったけれど、やっぱり私は皇族然としている彼より、いつも私に見せてくれていた彼の方が好きだな──。


そう考えて、緩んでいた私の表情が一瞬にして強張る。


好き──。

好き──?

それはどういう…。

ああ。

悔しい。

チャラくて、ふらふらしてて、仕事してるかも分からないような奴って思ってたのに。


「なぁ、ティア。お前これからどうするつもりだ?家族も呼び戻してアダスティア王国に戻るか?」

優しい、真摯な声が問いかける。

今、こうして二人きりでいても、私を気遣ってくれるだけで、決してルーファスのように犯ることばかり考えたりしない。

最初から本当に私のことを考えてくれていた。


知らない間にすっかり餌付けされてしまっていたみたい。

本当に悔しい──。


私は彼を見上げて、答えを考える。

「私は──」


彼の表情が心なしか少し強張ったように感じる。

それでも、その瞳は真っ直ぐに私を捉えている。


「私はウェルネシア帝国で生きていくわ」

私の言葉に、彼がほっと息を吐く。


ああ悔しい。

この言葉を口にするのも。

彼を喜ばせてしまうだろうことも。

けれど、気付いてしまった想いを無しにはできない。

「──だって、私の婚約者はウェルネシア帝国で生きていくのでしょう?」


私の言葉に彼は驚いた表情を浮かべる。

そして一瞬後には喜色を。

「ティア!俺の婚約者でいてくれるのか?!」

彼の言葉に、私は「仕方ないからね」と憎まれ口を叩いて、赤くなっているだろう顔を小さく俯けた。


覗き見るように彼を見れば、嬉しそうにしていたその表情を直ぐに何か惑うようなものに変える。

どうしたのだろうかと思って、彼を見上げ小首を傾げると、彼は一瞬躊躇ったものの、直ぐに問いを口にした。


「その…。抱き締めてもいいか…?」

言われた言葉が一瞬理解できず、頭の中で反芻する。


抱き締める…?


意味を理解した瞬間、恐らく私の顔は茹で蛸のように真っ赤になっただろうと分かる。

顔が熱い。


「ちょ…、待って。…恥ずかしい…」

幾ら婚約継続を認めたからって、まだ自分の気持ちも気付いたばかりなのに、ハードルが高いよ。

いきなり抱き締めるんじゃなくて、ちゃんと確認してくれたことは評価するけど、もう少しだけ時間が欲しい。

せめて、今日の今日は勘弁して欲しいよ。


「分かった。…いきなり過ぎたよな。悪い」

「いえ、あの。別に謝らなくても…。その、少しだけ気持ちを整理する時間をくれる?」


彼に謝られるようなことでもないのに、謝らせてしまったことに申し訳なさを感じて、慌てて彼に答えると、彼は少しだけ安堵したような表情を浮かべ頷いてくれた。


「大丈夫。ティアの気持ちが追いつくまで待ってる」

彼がそう言って微笑みを浮かべた瞬間、扉を叩く音が響いた。

返事をすると、セオドリック様がそっと扉を開けて室内を覗くようにしながら入ってくる。


「なんだ、口付けくらいしてるかと思ったのに」

揶揄うように言いながら入ってくるセオドリック様に、アーサー様、エレノーラ様も続き入ってくる。


するか!と言いたいところだけれど、相手は王太子殿下なので、顔を逸らすに留めておく。


「したいところだが、ティアに嫌われたくはないからな」

私の隣で恥ずかしい寝言を宣うのは誰なんだろう…

何か、キャラ変わってないですか、ギルバートさん?

チャラ男だと思ってたのが、何か、溺愛モードに変わってしまったようで、ついていき難い。


「ちゃんと話できたんだな。大丈夫なのかギル?」

アーサー様が心配気にギルに訊ねる。

ギルは「ああ」と短く答え、アーサー様は安堵の息を漏らした。


「まったく…。出逢ってから割とすぐにセレスティア嬢に惚れたって言い出したくせに、本人には伝えてないとかないだろ」

「ほんとそうだよね。とっくに両想いなんだと思ってたのに」

セオドリック様が溜息混じりに言い、アーサー様が相槌を打つ。


えー。出逢って割とすぐって何ですか。

セオドリック様もアーサー様もご存知とか、何故ですか。


何だか居た堪れない気持ちになって、早くこの場から逃げ出してしまいたい。


「あ、そうそう。ルーファスなんだけど」

セオドリック様が、さっきのは言い訳じゃないんだよとでも言いたげに突然ルーファスの話を振ってくる。


「とりあえず、セレスティア嬢との婚約の無効は確定で、残り七人との婚約も無効にさせた。その七人については、王家で責任持って次の婚約者を用意する。ルーファスは今後勝手に婚約を結ぶことは禁止し、お手付きは投獄。セレスティア嬢含む元婚約者への接近禁止。これも破った場合は投獄。これはとりあえず今日の不敬罪への罰…と言うか、下品な言葉で場を汚されたことへの罰かな。こんな感じで陛下と相談してきたんだけど、どうかな?こんなところで許してもらえるだろうか?」


セオドリック様が語るそれは、今日の不敬に対する罰にしては過ぎるもので、寧ろ、私に対する罪滅ぼしとしても十分過ぎる。

「本当はもっと色々締め上げてやりたいんだけど、今のこの国では、あいつのやってたことは別に法は犯してないからな。長年辛い思いをしてきたセレスティア嬢達には申し訳ないけど、今の段階ではこれが限界なんだ」


「勿論解っておりますし、十分過ぎる対応です。心よりお礼申し上げます。ありがとうございます」

言葉を尽くしてくださるセオドリック様に、私も心よりのお礼を伝えると、セオドリック様はほっとしたように息を吐く。


ルーファスの件を伝えていただいて一息ついたところで、今日は解散することになった。


私はルーファスとの婚約の件が完全に解決したから、今後もう関わることもないだろうけど、ウェルネシア帝国とアダスティア王国は手を取り合って、今後、アダスティア王国の女性に対する扱いに関して変えていく協力をしていくらしい。


ギルは皇族ではあるけれど、(まつりごと)に関わるつもりは無いらしく、私と彼はアーサー様達とは別にウェルネシア帝国にさっさと戻ることになった。






「良かったわ。心配してたのよ」

ウェルネシア帝国へ戻ってウォールさん達に報告をすると、イレーネさんが心から安心したと言うように大きく息をついた。


「それじゃぁ、ギルとの婚約はどうするんだい?問題は解決したから解消するのか?」

ウォールさんが当初私が考えていたのと同じことを問いかけてくる。

それを聞いたギルは、私へと視線を寄越し「いいのか?」とでも言いたげに見つめてくる。


帰りの船の中、二日の間に気持ちの整理はつけた。

チャラく見えるけれど、真っ直ぐに向けられる言葉は至極まともなもので、ルーファスみたいに常に犯ることしか考えてないなんてこともない。

犯るための情熱ではなく、ちゃんと私を見てくれている、そんな情熱を向けられるのは初めてで、正直に言って嬉しい。

事情を知って尚、こんな私でも普通に接してくれたギルに心惹かれていたのはいつからだったのか。

結局、私もギルとそう変わらない、出逢って割とすぐから彼のことが好きだったのかもしれない。


認めたからといって、こんな性格だから素直になるには気恥ずかしいけれど、この婚約の継続は私も望んでいる。

だから、私はギルに伝わるように頷いてみせた。

ちゃんと伝わったようで、彼も頷き返してから、ウォールさんへと答えを返す。


「いや。婚約は解消しない。ティア・ミッターマイヤーではなく、セレスティア・マディライトとして婚約は継続して、いずれ結婚したいと思っている」

「まあ!」

「おや!」

彼のハッキリとした言葉に、イレーネさんとウォールさんが嬉しそうな声をあげる。

二人向き合って両手を合わせて喜んでいる。

そんな二人の様子を見ながら、ついこの間まで考えもつかなかった未来へ思いを馳せる。


いつか私もギルとこんなふうに素敵な夫婦になれるだろうか。

そう考えて、ふと気になる疑問が湧き上がってきた。

ウェルネシア帝国では一夫一妻の方が多いくらいだけれど、一夫多妻制も認めている。

ギルは…彼はそのことをどう考えているのだろう。


不安になって彼を見つめる。

私は…一夫多妻制なんて、やっぱり受け入れられない。

たった一人の人を愛し、愛されたい。

ルーファスの言動に問題があったのは勿論だけど、根底にあるのはやはり、その思いが強かった。


じっと見つめる私に気付き、ギルが私に向き直る。

不安に揺れる瞳を、彼の瞳が真っ直ぐに捉える。


「俺達も、ウォールさん達みたいな夫婦になれるといいな。お互いにたった一人を愛し、寄り添い合える、そんな夫婦になれるよう努力するよ」

彼の言葉に、ふらり、ふらりと彼の傍へと引き寄せられるように歩み寄る。


「…どうして分かったの?私が欲しい言葉」

「分かった訳じゃない。俺の望みだ」

彼の前に立ち、見上げた私の両腕を優しく掴み、真っ直ぐに私を見つめる。

世界に二人きりになったみたいに、彼に吸い寄せられる。


『どうせお前じゃ貰い手がないだろうからな』そう言われて、望まぬ婚約をさせられて、要らぬ苦労もしたけれど、下衆で下品なルーファス(婚約者)から逃げ出して良かった。


「あらあら」

「おやおや。私達はお邪魔そうだね」

そんな声が聞こえ、ウォールさん達がそそくさと部屋から出ていく。


「セレスティア。愛してる。生涯、お前だけだと誓う。たった一人の俺の妻になって欲しい」

そっと頬に手をあてられる。

その手に自分の手を重ね、摺り寄せるように頬を当てる。

柔らかな熱が心地よく伝わってくる。


「…私もギルが好きよ。生涯、貴方だけだと誓うわ。諦めなくて良かった。貴方出逢えて良かった──」


この先の未来がどうか幸せでありますように。

甘い空気を孕ませて、私はゆっくりと目を閉じた──。



――ギルバート視点――

「それで、あの件はどうなったんだ?」

ティアと俺だけ先に戻ってきてから二週間程して、漸くアーサーが戻ってきたと聞いて、俺はアーサーを訪ねてきた。

会って早々に気になっていたことを切り出す。


「ああ。とりあえず我が国と同じように、女性に拒否権を与えることと、婚姻を結ばすに子を産んだ場合の補助制度を取り入れることになったよ」

アーサーの答えを聞き、俺は一つ頷く。

妥当な選択だ。

拒否権を持つということは、つまり女性にも選択権が与えられるということだ。

女性に拒否権を与えれば、勿論これまでと比べて成婚率が下がる。

だか、成婚率が下がろうが、ようは子ができれば良い。

結婚しなくても子をもうける者がいても困る事がないよう、生活の補助や仕事の斡旋、養子先の確保など、国が手を差し伸べてやれば良い。

性質たちの悪い男に娶られるより、結婚できなくとも望む男の子を成すことができることを望む者も出てくるかもしれない。


そして何より…


「そうか。で、アイツは?」

あの場にはティアがいたから言えなかったことがあるだろうと訊ねてみれば、アーサーは正しく理解してくれたようで、俺の求める答えを教えてくれる。


「勿論、言動の矯正ができない場合は、婚約者は持たず種付け役だけしてもらう事になるよ。まともな人間が育てれば、あんな奴の子でもまともに育ってくれるだろうから」


まぁ、そうだろうな。

あんな奴でも子を成せるなら、種を無駄にする訳にはいかないからな。

事を成していても、子を成せない夫婦もいる。

そういう夫婦に子を育てさせ、国を保っていかねば。

そこら辺はウェルネシア帝国でも同じだ。

犯罪者であっても、その子が必ずしも犯罪者になる訳ではない。

ウェルネシア帝国はアダスティア王国より状況は良いが、安心できる程に回復している訳ではないからな。

犯罪者であっても、種は種。そして畑は畑だ。

養子に出された子の出自は明かされない。

良い教育を受け、国を担うような人物に育ってくれればこんな僥倖はない。


俺はふっと息を吐くとティアの顔を思い浮かべながらアーサーに応えた。

「ティアはウェルネシアに残ると言ってくれたが、いつかティアがアダスティアに帰りたいと考えられる程、あの国も良い国になってくれればいいな」

勿論、今まで辛い思いをしてきた分、俺が幸せにしてやるつもりだが、いつか、ティアの中で、アダスティアが辛い思い出だけの国ではなくなる日が来てくれれば嬉しい。


「話が聞けて良かったよ。邪魔したな」

言って、扉へと足を向ければ、背中にアーサーの声がかかる。


「セレスティア嬢によろしくね」

俺は振り返らず軽く手を上げそれに応えた。


俺が今すぐティアに会いたいと願っていることはアーサーにはバレバレらしい。

勿論、このまま愛しいティアの顔を見に行くけどな。

どうやら口説くのに失敗していた分愛を囁いて、ティアのことを本気で愛していることを伝えていかないと。


俺は、愛しいティアの笑顔を思い浮かべ、足早に皇宮を後にした──。

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