第二話 Believe〜キミと歌った日〜
―――あの春の日を、私はきっと忘れない。
彼女、吉野一陽と出逢ったのは、一年前の春。
桜の花が舞う季節だった。
合唱部の練習の帰り。
春休みの校舎は、ひどく静かで冷たい。
世界はあんなに麗らかなのに、胸の奥は少しだけ寂しかった。
―――このまま帰るの、もったいないな。
そう思った、その時。
春風に乗って―――ぽろろん、と。
ピアノの旋律が届いた。
……え?
視聴覚室の方からだ。
さっきまで部活で使っていた部屋。
もう、誰もいなかったはずなのに?
誘われるみたいに、足が勝手に動き出していた。
扉の前で、足が止まる。
中から春が流れてくる。
「Believe」。
卒業式で歌ったばかりの、あの曲。
でも、私の知っているそれとは、違った。
やわらかくて。
あたたかくて。
胸が、ふわりと優しくなる。
―――春が、鍵盤の上で歌っているみたい。
なんて……
なんて、美しいんだろう。
そっと覗いて、呼吸が止まった。
―――春の光の中の、女の子。
夕焼け色の髪が、キラキラと揺れる。
その笑顔だけで世界が春に染まった気がした。
ただそれだけ、なのに目が離せなかった。
……心臓の音、うるさいよ。
やがて曲は終わり、満足そうに頷いた彼女。
そして、ふっと……顔を上げて、視線が合う。
少し緑がかった青い瞳が、宝石みたいに光って―――
「―――遠くにいないで、隣に来て歌ってよ」
「え?」
にこって……まるで春の陽だまりみたいな笑顔。
「ねえ―――天ノ川さくらさん。
卒業式の「Believe」すごく素敵だった」
どうして、名前……?
頭が、追いつかないよ。
「―――っと言う訳でさ、キミの歌声……独り占めしたいんだ」
軽やかに鍵盤が跳ねた。
胸が、どくん、と鳴る。
気づいたら、私は彼女の隣に立っていた。
重なる瞳。
それだけで、世界の音が消えた。
そっと伴奏が流れ出す。
タタリラ…タンタタン♪
春風みたいに、やさしい音たち―――。
その旋律に包み込まれて……
私は、想いを歌に乗せた。
―――この瞬間、私たちは始まったの。




