第8話 ウオウオとの因縁〈1〉
「ぅ、わぁ………………」
フリューの地に足を踏み入れた僕の目をまず引いたのは、ソルフーレンの首都が魅せてくれる優美にして勇壮にして至極壮観な街並み——などではなく。
郊外とは比べ物にならないほどに幅広な作りをしている道路であるにも関わらず、それを容易に埋め尽くしてしまうほどの溌剌に満ち溢れている『人混み』であった。
耳を塞いでも聞こえるだろうガヤガヤとした、至近距離で太鼓を叩いているような大きすぎる喧騒が、驚愕により呆けてしまっている僕の鼓膜を強く叩き、それに続いて何処からか漂ってくる直火焼きだろう香ばしい料理の香りが僕の鼻腔を突いた。
スカスカになっている胃袋に立腹中である腹虫が『ぐぅ〜』っと鳴き出して……。
そんな空腹感を摩ることで一旦は誤魔化した僕が『いざ!』という意気込みを持って人混みの中へと混ざりて踏み行くは、混雑極まれりな『フリュー東区』の大通り。
今までに立ち寄った田舎の宿町村では見ることがなかった『人が作り出している陸上の波』に心躍らせながら、道行く人に打つからないよう進んでいく僕は人ひとり分しかない道を歩き、初めてきた首都の景観を思うがままに眺めた。
「村とは比べ物にならないくらい背が高いなぁ」
フリューに入ってすぐに見られる、ほぼ全ての建物は三階建て以上のビル的な造りになっており、ここに来るまでの中継として利用させてもらった各地の建築物と比べても、ここの建物は軒並み背が高くて、非常に堅牢そうであった。
まさに上等である壮観な建物の造り。
それを目に見える建築物全てが規則正しく揃えているとなると、都市管理をしているフリュー側が何らかの規定を施主に設けているのだろう。
したらば一軒を建てるのに相当なコストが掛かってしまうだろうし、発注を受けた施工者は肉体的に、建築依頼を出した発注者は懐的に大変だったに違いないな。
そういう何様の目線なんだよという太々しい思いと共に、当の経済的負担を和らげるための施策として、一階を商店のテナント、二階を居住用賃貸にし、それらで得られる多額の賃料で掛かったコストを回収しているんだろう——と。
喧騒に目尻を歪め、そして人混みに流されながらの目視にて確認した僕は、さすが風の都、ソルフーレンの政治経済の中心だけはあるなと、勝手に納得して頷いた。
そんなこんなで『ほげ〜』と。
フリューの内で広がり尽くしている景観に感心しているのか、はたまた圧倒されて放心しているのか分からない。おそらく『何も考えていない』と思われる。
ポカーンと口が開きっぱなしの面持ちをしながら道を遅めに歩んでいく僕は、漂ってくる焼き料理の香りに無意識に引き寄せられるように、通行人が数瞬の間だけ生み出す空白に身を捩じ込ませては、腹の虫に操られるがまま大通りを左方へ逸れ、ズラリと連なった屋台がある脇道へと抜け出てしまった。
ふらふらと入ってしまった、周りを囲っている高層の建築物のせいで日当たりがすこぶる悪い脇道——路地裏には、料理をその場で作って売っている屋台や、どう見ても曰く付きにしか思えない謎の骨董品、さらに手作りだろう装飾品を売っている幾つもの露店が規則性皆無に立ち並んでいて、そこは人が少なくて自由に散策できるほどの余裕があった。
これくらい人通りが少ない路地裏なら、大通りで起こっている『大渋滞』に巻き込まれて流されることなく、マイペースに食事を購入し、味を堪能できるはずだ。
爺ちゃんから預かっている信書を渡さなくてはならない、フリューの何処かにいる『モルフォンスさん』を探すという最重要使命は一旦、あっちに置いておいて……。
今からかなり消耗している活力を得るための腹拵えをしよう。そうじゃなきゃ広大過ぎるフリューの内を出鱈目に歩き回るなんて出来っこない。
うん、そうに違いないよな。
「——よっしゃ!」念願だった都会での買い食いだあ!!
僕は自分の思いを信じ——訂正。
猪突猛進に全信することによって暴走を止めるための枷を外し、漂ってくる香ばしい匂いに引き寄せられるがまま近づいていった。
食材を焼いている匂いと、視界を阻むほどの白煙。
それを遠慮なく辺りに流していた屋台のもとへと歩み寄った僕は、その屋台で作り売られている商品が『焼き魚』であるということが横目の視線で確認。
今は魚肉じゃなくて牛とか豚とか鶏とか、家畜の肉を焼いた料理が食べたいんだよなぁ……と無視して横切ろうとした、その時。
横目で見ても何料理か謎であった焼き魚を出している屋台の店主から、
「兄ちゃん、いらっしゃいッ!! ハイヨォ! ウオー! アイ!」
という大声を掛けられてしまい、梃子を使ってでも僕に買わせようとしている店主が披露する眼力の迫に負けたように、通り過ぎたその屋台の前へと戻ってしまうのだった。
「安いよ安いよ! 見てって、兄ちゃん!! アイッ! ウオッ!」
「う、うお……? は、はあ…………?」
ピチャピチャ音がしそうな汗濡れの捻り鉢巻を額に巻いた、袖を捲っているせいでタンクトップみたいになっている汗透け状態の白いワイシャツを着用している屋台のおじさんの、熱烈な売り込みをされてしまった僕は『見てってよ!』という熱声に促されるまま香ばしい匂いを周囲に発散している『謎の魚料理』を真正面から見た。
見たっちゃ見たのだが……その正体は結局のところ不明だ。
これは一体なんなんだ? こんがりと皮側を焼いた魚の開きに、さらに同じように焼かれた同種の魚が挟んである。焼き魚を同じ焼き魚で挟む料理?
そこは板パンとかを使っての『フィッシュサンド』じゃないのか、普通は。
これじゃあ魚魚だぞ。これはこれで『フィッシュサンド』には違いないとは思うけどさ、普通であれば主菜だろう焼き魚を無理やり主食に置き換えた焼き魚で挟むのは、あまりにも強引というか。
あまりにも尖っているというか……。独創的というか、珍料理が過ぎるというか。
ていうか、この料理は一体全体、どういう考えで作られた物なんだよ。
「あの、これは、えっと…………なんですか、これ?」
「ふふふ……これはフリューの名物『ウオウオウンマ』だ」
「…………………………は?」
「ちょいちょい、疑ったような沈黙がなかったか、今? 疑うところなんざ一つもねえ。事実、名物だからよォ!」
「……………………」
ウオウオウンマ…………って。
恐れ知らずに『名物』を自称している謎料理の名前は間違いなくダジャレの類だよな。しかも飲んだくれているような親父がする親父ギャクだったぞ。
もしかしてもしかしなくとも、この魚魚は今も正々堂々と胸を張っている店主のおじさんの創作料理なんだろうけど……。
でもおじさんは『ウオ以下略はフリューの名物だ』って燃えたぎった真っ直ぐ過ぎる眼差しでほざいていたしな……。
フリュー初日である僕が単純に知らないだけというのは甚だ思てしまうのが正直なところだが、おじさんが誇大誇張している臭いがプンプンと漂ってくるんだよなぁ。
だって『フリュー名物ぅ!』って言っているくせに、売っている屋台がある場所がこんな人気の少ない路地裏ってさ……どう? どう考えたって胡散臭すぎるでしょ。
「うーん………………」
おじさんを怪しみまくる僕が目前のウオウオについて腕を組みながら考えていると、当のおじさんは素知らぬ顔でテキパキと焼き立てのウオウオウンマを油紙に包み込み、それを考えに耽っている僕に手渡してきた。
「はい、八十ルーレンね」
「へ? ええっ!? え、いや、頼んでないですよ!」
「んあ? でももう作っちまったからなぁ。ほらほら!」
「えぇ…………八十ルーレンって適正価格ですよね?」
八十ルーレンって最初の宿屋の宿泊料とピッタリ同じ額なんだが。
それが一食分の食費ってさぁ……。
まさかとは思うけど『ぼったくって』ないよな、このおじさん。
地方の宿町村での食費は高くても『六十ルーレン』とかそこらだったぞ?
一泊七十ルーレンで簡素だったが朝食付きのところもあったし、大都会のフリューであることを加味したとしても、おじさんの言っていることの信憑性が乏し過ぎるんだよな。
「あ、ああっ、当たり前だろうがよいっっ!? ウオいが嘘言ってるってぇ!?」
汗を散らすような反応されても、図星を当てちゃったみたいにしか思えないって。
屋台に値札も掲げられてないし、絶対に人を見て値段決めてるだろ、このおじさん。
でももう作っちゃってるみたいだし、僕もお腹が減っちゃってるし。
実のところ気になっちゃってるしで、ここは取り敢えず買って食べて調べてみるか。
自称フリュー名物、どう見ても迷物の類だろう『ウオウオウンマ』の味とやらをな。
「………………怪しいけど、はい。八十ルーレン」
「えいぃ、毎度ぉ!! おおきになあ!!」
ルーレン銅貨一枚。
それをお金が好きと一目で分かる満面の笑みを浮かべているおじさんの、汗光りの手に握らせた僕は、お釣りである十ルーレン紙幣二枚を渋々という表情で受け取って、あまりにも強引すぎた買い物の支払いを済ませた。
歳若き女性ならば『半額程度』で売っていそうな、女性客に鼻の下を伸ばしている場面が容易に想像できてしまうおじさんの様子。
それを見ると、八十ルーレンって強気な価格は結構な割高のような気がしてしまうのだが……。
これは、本当に値段に見合うくらいに美味しいんだよな? フリューの名物を騙ってるくらいなんだから味は良いんだよな?
そんな訝しむ思いを胸中で強くバウンドさせながら、僕は支払いを終えた後に手渡された焼き魚魚挟み——ウオウオ以下略を見る。
赤光の黒炭でじっくりと焼かれているおがげで、今まで見たことがない『毒々しい紫の魚皮』をパリパリにしている、赤身でも白身でもない謎の青身魚。
それには多種の香辛料が過剰なくらいに振り掛けられていて、匂いと見た目、そして僕の味の好みを多分に含めての判断をするとなると『普通に美味しそう』であった。
塩や胡椒に唐辛子。
マカマカ臭木の花から取れる種子を粉状になるまで磨り潰した『マカジ』という、子供が嫌うピーマン以上の苦味がある香辛料。
南方大陸の東部にある『ララバ』が原産で、たまーに行商が卸したやつを売ってくれる『ショクコク』って、胡椒のパンチを最大限にしたような使い道が全くない調味料。
それらを程よく使って作られた、スパイスがまあまあ過剰なくらいに効いている味の方が僕は好みであるから、もしかしてだけど、ウオウオは意外とイケちゃうかもしれない。
……というか、ウオウオウンマの主材になっている紫の魚皮をした魚なんだが、この魚って食べても良いやつなのか?
顔はアンコウに似ているけど、目玉が飛び出さんばかりに出ているってことは、これ深海魚ってやつだよな?
故郷の真東にある漁村の水揚げ祭に、後学を得るという理由で参加させてもらったことがあるから、その時に多種多様な魚の実物を僕は見たことあるんだけども……。
こんな奇抜な青色の身に紫色の皮をした魚なんて見なかったぞ。
カカさん家で読んだ生物図鑑にもこんな魚なんて載っていなかった気がするし、まさかとは思うけど『毒』なんかないよな?
…………ええい!
怖いけど、もう八十ルーレンって大枚を叩いて買ってしまったんだ。
今さら怖気付いたから食べるの辞めます、なんて食べ物を粗末にするようなことを言えるわけがないんだ。
いけ、ソラ・ヒュウル!
毒まで喰え、ソラ・ヒュウル!
「い————いただきます……はぁムッ……むぅん、んん…………」
食す意を決心した僕は毒々しい見た目をしているウオウオウンマを、今までの人生で一度も見たことがない謎に満ち満ちている『青身紫皮の魚』を豪快に頬張った。
しっかりと焼かれているのに意外と柔らかい魚肉を噛んだ瞬間にズアーッと広がるのは、過剰に掛かっているスパイスなのか、この名称不明の青身魚特有のものなのかは一向に判断が付かないものの、非常に独特な『生臭くはない良い香り』であった。
「んんっ…………美味しい!!」
「へへっ、当たり前でい!!」
魚が実らす青身を噛めば噛むほどに、少し力を込めれば簡単に割れてしまう皮を舌の上で踊らせる毎に、魚と、過剰なのではと思えていたがしかし、丁度いいと感嘆してしまえるほどの多種多様なスパイスの加減が最高に美味い!
「んん…………ゴクッ」
美味に舌鼓を打っていた僕は、その耽りを邪魔するように口内に突き刺さってくる魚の小骨を何度も口から出しては手の皿に置く。魚に二匹分なんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、さすがに無防備な口の中を攻撃してくる小骨が多すぎるな。
たった一口頬張るごとに、まるで『意思』を持っているような小骨の大軍が口腔内に攻撃を仕掛けてくるせいで、普通に食べづらいぞ。味は最高に良いんだけど、骨がなぁ。骨が無ければ百点満点の一品だったと声を大にして言える『逸品』だったな。
「うん。美味しかったです、ご馳走様でした」
「おお、兄ちゃん良い食べっぷりっ! じゃあもう一つ」
「へ?」
購入させられたウオウオウンマなる珍料理を食べ終えた僕は、屋台の脇の方にあったゴミ箱に料理を包んでいた油紙を捨てる。すると、謎に不穏な言葉を吐き出したおじさんは、僕が間の抜けた声を発するのも全く気に留めることなく、残像が見えるほどの速さで『次のウオウオ』を完成させようとしていた。
「はいはいはいはいィ!! 次が出来上がるヨォっ!! むちょっと待ってて——」
「ご、ご馳走様でしたーーーーっっっ!!」
僕は商売根性極まれりなおじさんから、二度目となる押し売りをされてしまう前に、その場から一目散に逃走する。そうして猛速の逃亡を図った僕の背中に、
「待ってよ! お客さーーーんっ!!」
という声が浴びせられ、続いて僕のことを追いかけてくるおじさんの気配を強く感じるも、汗を散らす僕は出鱈目に土地勘のないフリューを走り続けるのだった……。
「待ってって! おいコラ待でやゴラァア!! 買えええええええええッッッ!!」
「ひぃいいいーーーっっっ!? たっ、誰か助けてえええええええええっっっ!!」
やっぱり胡散臭かった通りだよ! とんだゆすり屋じゃないかぁーーーっっっ!!
+ + +
「はあ、はぁ……っ追いかけてくるとかヤバ過ぎるだろ」
マ、マジで危なかった……。ていうか、一キロ以上も僕のことを商品を手に持ったまま、屋台を路地裏に放置したままで追いかけてくるとか、今まで味わったことのない新種の、恐怖以外の何物でもなかったぞ。
いや、ウオウオウンマ? が当初の予想に反して美味しかったのは紛れもない事実なんだけどさ、口から出てくる小骨が魚二匹分というのもあって滅茶苦茶多くて、軽く食べるにしてはすごく食べ辛かったってのも事実じゃん? だから残りの胃の空きは別の食べ物で埋めるかって思っていたのに、そんな致命的な気の緩みを見逃すことなく突こうとして、僕が食べている間に拒否する間も無く買わせるための次手のウオウオ以下略を虎視眈々と用意していたのは仰天だよ、あの『ウオウオおじさん』め。
さてと。振られているスパイスが多量だったから口の中を殴りつけてくるパンチは強かったけど、結局は焼き魚を二匹一緒にしただけでアッサリしていたウオウオに続いて、全力疾走が祟って鳴こうとしている腹の虫に捧げる料理はなににしようか。さっき食べたのが魚だったから、次は牛か豚か鶏か、はたまた羊か山羊か鹿か、あまり食べない種類の肉にするか。まあ、今の気分的に畜肉を使った料理には決まりだな。
逃亡によりこんがらがっていた思考をまとめ、胃袋に空きがあることを確認した僕は腹三分目の補給では足りないと立腹している腹の虫を宥めながら、大通りまで漂ってくる香ばしい匂いに誘われるようにふらふらと屋台巡りを再開するのだった……。
あっ! 串焼き屋台だ! よし、次はあれにしよう——
「————って、違う、違うっ!!」
無視できないほどの空腹感については一応解消できたのだから、その後に先ずするべきなのは、爺ちゃんから預かっている信書を渡す相手、フリューの何処かにいるのだろうが詳しい居場所が分かっていない、爺ちゃんの旧友だろう『モルフォンス』さんを探すことのはずだ。それなのに僕ときたら、フリューへ向かうことになった理由である要人探しを忘れた挙句、のうのうと食べ歩きを始めようとは、これ一体……。
「な、なんで僕はこの程度の、五つの子供でもできるだろう自制ができないんだ……っ! くそ、この食欲めっ!」
はっ! いかん! いかんぞ! 自分を責めすぎては! この食欲は青年期特有のものに違いないんだ。言わば成長期には必ず来たる暴食の刻なんだ。だから、うん。
当初の目的を食欲で見失うくらいは仕方ないことだよね? そうして固く閉ざされていた両目を開けると共に頷いた僕は、パンッと両頬を叩いて意識を切り替えた。
「————うしっ!」
いつものルーティンを行うことで人探しというここに来た本来の目的を、裏で食欲を操っていたに違いない腹の虫から取り戻した僕は、頭を抱えてしゃがんでいた体勢から立ち直って、キョロキョロと徐に周囲を見回した。混乱していた意識を通常に切り替えた——は両手を挙げながら拍手できるくらいに良いことなのだとは思うけど、結局のところ、目的の人物たるモルフォンスさんの居場所は未だに分かっていない。
「うーん…………」
まずは、探し人であるモルフォンスさんの情報、あわよくば居場所を知っていそうな人物を探してみるべきなのか。それとも虱潰しに道行く人達に「モルフォンスという人物の事を知りませんか? 居場所だけでも!」と話を伺ってみるべきなのか。
第一の案である『モルフォンスさんを知っている人を探し出す』というのは、本人を見つけるくらい難しそうな気がするけれど、もしかしたらモルフォンスさんが有名人という可能性もあるから、一概に捨て置けない物ではあるな。
第二の案である『モルフォンスさんを知っている人が現れるまで頑張る』という超ゴリ押し作戦は、一昼夜を費やすほどの重労働になることが想像に難くはないから、あまりやりたくはない一案ではあるが……捨て置くのは惜しい。
んー……あっ、大きな都市ならばあるに違いない『役場』に行ってみるのもアリだよな。そこならフリュー市民の住所諸々の個人情報が有されているだろうし、そこでモルフォンスさんについて教えてもらえるかもしれないぞ。茫漠と広がっていた選択肢を取捨選択し、一番可能性があり費やす労力が低いだろう行く当てを定めた僕が、
「よし!」と移動を始めようとした——その時。
「急げ、ロウベリー! あのエリオラさん達はもう現着してるらしいぞ! 待たせるわけにはいかないって!!」
「まっ、待ってってば、ルルド! って、前、前前!!」
「あ? 前って————おわっっ!? あだっ!?」
「うおっっ!? ……とととっ!?」
やけに人を急かしている男性の声が聞こえてくるなと思った次の瞬間、何の話をしているんだろうと空を見上げていた僕にドンッという結構な衝撃が襲い掛かり、僕は身をよろけさせるも生来の体幹の強さを持って踏ん張り耐えるがしかし。
余所見をしていた僕と打つかった硬質な感触——頭部を守る役割がある兜は装着していないものの、よくこれで走れるなと感心できるくらいに重たそうな鎧を着込んでいる歳が近そうな青年は、僕が踏ん張り耐えたことが起因して後方に跳ね飛ばされてしまい、ガシャンという大音量を立てながら盛大に尻餅をついてしまうのだった。
「だ、大丈夫ですか!? 鎧凹んでないですか!? すいません、声が聞こえるなぁと余所見してしまっていて!」
僕じゃなければ普通に吹っ飛ばされていてもおかしくなかった甚だしい衝撃を受けた方向へと瞬く間に振り向くと、そこには尻餅をついた状態で、
「痛てて……!」と口ずさみ、この上なく恥ずかしそうに顔を赤くしながら、その羞恥を誤魔化すように後頭部を態とらしく掻いている青年がいた。
間違いなく僕が吹っ飛ばしてしまった青年を視認し、やってしまったという思いで血相を変えた僕は、重量級の鎧を着込んでいるせいで立ち上がれずにいる彼のもとに駆け寄り、憂慮に満ちた大声を掛けて申し訳なさそうにする青年に手を差し伸べた。
「いや、緊急の招集に気を取られて周りのことを見れていなかった俺の方が悪い。この事故は俺の責任だ、本当にすまなかった……。っと。ありがとう、助かったよ」
謝罪と共に人身衝突事故が起きてしまったことへの弁解を連ねる青年は、僕が差し伸べた手を取って、自力で立ち上がるのは困難極まっている武装完了の体を起こす。
「いや、僕も余所見していたから責任はありますよ!」
予期せぬことが起きてしまったことにより心臓を強く跳ねさせていた僕は、体温の急上昇によって額に玉の汗を浮かべながら青年がする謝罪発言に言葉を被せた。
青年の急足が先の事故の原因の一端だったのは事実だろうが、僕が余所見をしてしまっていたこともまた、事実であると。
「い、いやいや、俺の責任だよ! 君のせいじゃない!」
「い、いやいやいや! 僕のせいですよ!!」
「い、いやいやいやいや! 俺のせいだから!!」
「「いやいやいやいやいや!! 俺の僕の俺の僕の!!」」
「うるさい二人とも!!」
「「へっ、あっ、ご、御免なさいっっ!?」」
起きてしまった衝突事故の責任の押し付け合い。いや、自分に責任があると言って引かず、相手の言葉を遮ってでも責任を抱え込もうとしている僕と青年の、側から見不毛でしかない漫才に終止符を打ったのは、冒険者業に従事していると思われる青年の仲間なのだろう、木の枝をそのまま使っているのではという木杖を両手に持った、僕と同い年に見えるうら若き桜色の長髪を靡かせる少女であった。
「まったくもうっ! ルルドのアホ! 馬鹿ルルド!! だから急ぎ過ぎるのはダメって、道中ずーっと言っていたでしょう!! 人様に迷惑かけない、のっっ!!」
「ゴォェアァウォゥッっっ!?」
「ひぇっ!?」
花の香りがしそうな桜色の長髪を至極ご立腹だという風に暴れさせている少女は、夥しい量の汗をダラダラと流しながら、謎の怯えを見せて身を小さくしている鎧の青年に声を大にした説教を浴びせて、手に持っていた木杖で青年の頭を体罰というにはあまりにも強烈に殴った。
流麗だった一暴力を目前で見届けてしまった僕は、自分が殴られたわけではないのに肩を震わせて、怯えた悲鳴を食い縛った歯の隙間から溢した。
「ずっぁ……あぅっ、すっ、すいませんでした……っ!」
重撲音を頭蓋から鳴らした青年は両の目尻に涙を溜めて、プルプルと小刻みに心身を震わせながら痛みを堪えている。そんな調子で、ほぼ反射で出たと思しき謝罪を青年は少女に発した。しかし、それに水を差してしまったのは僕で。
「え、あ、いや、あれは僕にも原因の一端がある——」
「ム! ムムムッ!! 私がする二度目の静止は、例え初対面の方でも『暴力』を行使しますよ? いいですね?」
「えっ!? あ、いや、ぼ、暴力は、よ、よくはないかなぁって……。あ、その、な、なんでもありません…………」
「ふふ、よろしい。ほら、ルルド、御免なさいしなさい」
桜髪の少女は恐ろしい笑みを浮かべながら頭を抱えて蹲っている青年の襟首を掴んで強引に立ち上がらせ、無理やり対面させた青年に謝罪を述べろという命令を出す。
その絶対命令を受けてしまった当の青年は、僕と同様に肩を小さくしながら視線を合わせ、ゆっくりと辞儀をした。
「あ、っと。ロウベリーの忠告を聞かずに、急ぎ足を続けてしまい、剰え人様に打つかってしまうのは言語道断……俺の考えなしでした、申し訳ありません、茶髪の人」
「あ、えと、僕はソラって言います……ソラ・ヒュウルです。えっと、ルルドさん?
あと、こちらこそ余所見をしていたので悪かったです。申し訳ありませんでした」
「ソラさん…………」
「ルルドさん…………」
「なに見つめ合ってるの? 普通に気持ち悪いよ?」
「「え……?」」
互いに謝罪を送りあった中である僕とルルドさんの間に流れるは和やかな空気。その空気に嫌悪感を感じたのだろう桜髪の少女——ロウベリーさんは歯に衣着せぬ物言いで僕とルルドさんの間に割って入り、その空気を打ち壊した。
「ていうか、ルルド。大東門前の広場で集合しなきゃいけないのに、ここで一期一会の青春に浸ってていいの? 私は男同士の友情とかに興味ないからもう行くからね? バイバイ」
「え!? ちょ、ちょっと待てって! あ、ちょっ、ああっ! ま、また縁があれば会いましょう、ソラさん!」
「え、あ、は、はい! えっと、ま、またどこかで会いましょうね、ルルドさん、ロウベリーさん!」
僕が与り知らない衝突事故を回避できぬほどに急いでいた駆け足の理由。
そのことを忘れずに覚えていたロウベリーさんは、固い握手を交わしていた僕とルルドさんのことを見ては酷く冷めきった目をしては付き合ってられないという風に肩を竦めながら後ろ手を振り、冒険者達の集合場所なのだろう僕が通り過ぎてきた『フリュー大東門』へと歩いて行ってしまうのだった。
そんな彼女のことを追い掛けるのは、必死な別れの言葉を叫びながら、僕に手を振るルルドさんで。
鎧が擦れ合っている音を響かせながら走り去っていく、もう少し共に過ごせていたら友達になれただろうルルドさんを、急ぐ彼らとは違ってボンヤリとしている顔をしながら見送った僕は、なにをそんなに二人は急いでいるんだろうなぁ——と首を長くして、急く二人が消えていった大東門の方を眺めた。
そして唐突に吹いては頭部を掠めていった突風に導かれたように、僕は二人が走って行ってしまった方向へ——少し前まで僕が居た『首都の最東』へと歩いていく。
「…………ん?」
常の歩幅が制限されているが故の小さな歩幅で、向かい側へと強く流動する人混みを縫い進んで来た道を遡って行った僕は、大東門がそこに見えた地点で周りが『ざわざわ』という含みのある喧騒を奏でていることに気が付き、やはり先の二人が急ぎ走っていた理由は、フリューで何かしらが起きてのことなのか——と暗に理解する。
人が混んでいるから騒がしいのは至極当たり前ではあるものの、その場に流れている喧騒は平和的なものであるとは到底受け取れるものではなく。
鼓膜を叩く騒がしきそれは『何かしらへの怯え』が多分に含まれていて、それを大東門に近づくにつれて強く大きく感じていく僕は、心臓を戦慄かせてくる妙な胸騒ぎを感じつつも、しかし子供のような興味も甚だにして、肉壁を作っている群衆に、
「すいません! 通してください!」
と言って強引に割り込み、そして門前の広場が見えるところまで進み切った。
「…………んん?」門前の広場に視線を向けた僕が見たのは、武装している集団だ。
仰々しい武装の装備を完了している複数の冒険者達が一堂に会している東門前広場のことを、何事だと心配そうに見つめている群衆にグニグニと揉まれてしまっていた僕は、なんとか遠くまで視線を届かせようとした強引な爪先立ちをもって、ルルドさんやロウベリーさんもいる冒険者の団体を興味津々で眺める。
「本当に何事なんだろ……?」
そんな間の抜けた僕の呟きは、背で耐えず鳴らされる群衆の騒めきにより敢えなく掻き消された……。




