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蒼風のヘルモーズ  作者:
『ソルフーレン』編〈1〉
8/59

第7話 『フリュー』と『ミュウ』

 四月三日の旅立ちから、早くも十日が経過した——四月十三日の午後二時過ぎになった現在。僕の目前には目的地である『フリュー』の、なにから守ってるんだと口ずさんでしまいそうになるほどに巨大な『白亜の防壁』が視界の端まで広がっていた。 


「フリューに着いたぜ、ソラ坊!! この先は検問所だし、ここに用がない俺はここで帰るからな!」


「ここまでありがとうございました、ドミーさん!!」


「いいってことよ、金もらってるしな! それじゃ、目的の母親探し、頑張れよ!! じゃあな!!」


「はい!!」


 感謝を受け取った御者のドミーさんは、尋常ではない手入れを毎日欠かさず行っているのだろう、全く黄ばみのない真っ白な歯を晴れやかな笑顔と共に見せつけては『パシン!』と両手に握られている手綱で快音を鳴らし、一般的なものよりも小さい荷台を引いている二頭の白馬を走らせて、早々に帰っていった。

 鉄の馬蹄の重打音を奏でながらぐんぐんと遠ざかっていく、ここまで乗せてもらった馬車に手を振って見送りを終えた僕は、背負っているリュックを「よしっ!」と勢いよく背負い直して、グッと引き締めた表情を徐に後方へ向けては目を見開いた。

 

「………………おぉ……!」


 十日間の間お待ちかねであった『フリュー』が待ち構えている後方へと振り返った僕の視界を、それのみで埋め尽くさんばかりに広がり切ったのは超巨大な壁だ。

 何十年掛けても絶対に数え切れないだろう、幾万、幾億という莫大な量の石ブロックを何段にも何段にも整列に積み重ねていって作り出された、人工の超巨大な防壁。

 まるで小さな蟻の一匹となって、低し視界を手に入れてしまったかのような不思議な感覚により、地面は揺れてはいないのに何故か全身が揺れ動いているような、あのなんとも覚束無い錯覚を覚えてしまっていた僕は、その状態に倣うよう堪能なはずの人語を消失させてしまう。これが酩酊状態というやつなのかもな——と思いながら、ふと防壁の天辺を追うために見上げていた首を元に戻して、真っ直ぐ前を見つめる。

 

 一匹の蟻になっていた状態から抜け出したいつも通りの僕の視界に入ってきたのは、先ほど手を振って別れたドミーさんが別れ際に言っていた『検問所』である。 

 並んでいるのは馬と人なのに、長蛇の列が認められる検問所の奥に見えるのは、ソルフーレンの経済の中心たるフリューに害なす者共を言葉通りの門前払いするための要所、現在地の方角からして『大東門』なのだろう誰が通るための大きさなんだと思える、高さにして『八〜九メートル』はある巨大な関門であった。

 関門を通るのには非常に厳しい審査と検問が必要なのか、どこまでも馬車群の列は続いているというのに、一台が大東門を通るのに『七〜九分』ほども掛かっていた。


 こんな非常にじっくりとしている捌き具合ならば、フリューに入ろうとしている最後の馬車一台が門を通り抜けられるのは日が暮れてしまった夜ごろ——

 午後二時過ぎという今の時間を鑑みれば、夜中の十二時を越えてしまうのではないか……?

 当事者ではないにしても意気消沈と汗を湛えてしまいそうになる不憫なる思いを披露していた瞠目と共に腹の奥底まで飲み込んだ僕は、馬車列の横方へと視線を送る。

 そこには馬車同様にこれまた長蛇となっている人の列が作り出されていて、僕が並ぶのはこっちだろうなと、一目にしただけで言葉での説明を受けずとも理解できた。

 列の最後尾を、列の最前から視線を流していくことによって発見した僕は、長いなぁ——という溜め息は吐きつつも大人しく列の最後尾に並び、自分の順番を待った。

 

「んんー…………」

 

 数時間コースになるだろう待ち時間を何とか過ごすための暇潰しとして、並んで二、三分もしない内にできている後方の列に折角の順番を取られない程度に身をズラした僕は、フリューに入ろうとしている前列を観察していく。後方だから正面の顔が見えないのは当たり前だが、ここから見える後ろ姿で分かる様子は思いの外に多い。 

 長大な待ち時間に大層イライラしながら足を揺する人や、思い出したくもない黒歴史のことなどを何一つ考えないように空を見上げながらぼうっとしている人、暇潰しに丁度いい談笑をしながら煙草を噴かす集団などが見受けられて、そんな多種多様な暇潰しを行っている前列の人々の中には、人でも入っているのかと思えてしまうくらいに大きな旅行鞄を、重たいから持っていられないと横に置いている人や、酔っ払った爺ちゃんが「ワシも昔はなぁ!」と自慢げに話していた、世界的に有名な職業の『冒険者』のパーティーだろうか? ゲラゲラと笑い合う武装している人達もいた。

 

 足腰に不調がある時に使うような杖のデザインではない、非常に手に持って振り回してみたいカッコイイ木製杖を地に突き立てながら、行儀よく笑う口元を隠すエルフの女性。薪割りの際に愛用していた斧よりも遥かに重たいだろう、一体全体どんな用途があるのやらな大盾を背負っている短足短腕で胴が太いドワーフのおじさん——より若いのかな? 判断しかねるけど……まあ、ドワーフの男性と言っておくのが塩梅か。

 さらにさらに何者を斬ろうとして作られたのか、まさか岩や山でも斬る気なのかと思えてしまう全く正気ではない大剣を背負った、僕と同じような何の特徴もない人族の男性。

 その冒険者パーティーのついでになるが、僕の目の前に並んでいるおそらく軽鉄で作られた『ライトアーマー』だろうで身を包んだ軽装の、ソロの冒険者だろう男性。

 

 そんな彼等彼女等、爺ちゃんの何十年前なんだよと言いたくなる『冒険自慢話』を聞かされて気になっていた冒険者のことを「ほえー」と。

 憧れていたものを遂に見ることができた子供のように目を輝かせながら僕が眺めていると、トントン——と前触れなく背後から肩を叩かれてしまった。

 その『非常に弱々しく』肩を叩かれた感触の後に続いたのは「すみません、そこの人…………」という、言い方は悪いが老いぼれた、心配になるほどのか細い声で。

 次いで「はい?」という気付きの声を漏らしながら掛けられた声の方へと僕が振り向くと、そこに居たのはどこか暗い雰囲気を醸している老夫婦。

 僕なんかに声を掛けて、一体どうしたのだろうか? もしかして足腰が悪いから順番を変わってほしいとか? それなら断る気はないし、二部もなく承諾するけどさ。


「えっと、どうしました?」

 

 戸惑いを見せていた僕が声掛けに応じると、話を断られるのではという不安げな様子を見せていた老夫婦は少しだけ表情を明るくして、向き直った僕に口を開いた。


「あの、私たち『ミュウ』に行きたいのです。それで、ミュウが大陸のどこにあるか知っていますでしょうか?」 


「………………ミュ、ミュウ?」


 恐る恐る話を聞くに、どうやらこの老夫婦は何らかの理由で行こうとしている『ミュウ』という場所の位置を知らないため、おそらく現地人と当たりを付けた僕に道案内をしてもらうために話しかけてきたようだった。確かに、生まれてからずっとソルフーレンの国民だから、現地人という老夫婦の名推理は当たっているが——しかし。   

 つい先日まで故郷から遠く離れた地に足を踏み入れたことがなかった当方に、細かな地理が通じるわけもなく……。

 老夫婦が言った『ミュウ』というおそらく地名なのだろうが、全くの初耳である単語を脳内で幾度も反芻させていく僕は両腕を堅堅しく組みながら、あまり興味がなくて薄らとしか思い出すことができない『カカさん家の世界地図』の内容を漁り出す。


 ミュウ、ミュウ、ミュウ…………んーっ、全っ然聞いたことない地名なんだが。

 現地人の僕に話しかけてきたってことは、この国のどこかにあるのか? 

 マジで知らないぞ。……ソルフーレンの都町村の名前を一つずつ挙げていくか。

 まず一つ目が目前にある首都の『フリュー』。 二つ目が第二都市だったはずの『フォールウ』で、三番目が『トルネイ』という大きな町。四番目が『ワールウィン』で次が『ハリケラ』で……うーん? ミュウなんて場所がソルフーレンにあるのか?

 ああ、ダメだダメだ! 頭を硬くしちゃうと一向に訳が分からなくなるから、ここは一旦『柔軟』に考えてみよう。

 ソルフーレンの地名の線を消してみると……うーん。まさか『ミュウ』っていう名前の国家があったりしないよな?

 いや待てよ。僕が単純に忘れているだけかもしれないぞ。よーく思い出せ。どうにか思い出すんだ、ソラ・ヒュウル。


 僕が悩みまくってるせいで老夫婦の顔が曇っていってるぞ。だからあまり待たせちゃダメだ。速く、もっと速く! 何年か前にカカさん家で世界地図を見せてもらっただろ! 見たんだから知らないわけがない。必ず知っているはずだぞ!

 …………ん、んんーっ? ど……どこなの? ミュウなんて国はどこに載ってるの? いや、いやいや、全っ然記憶の中の地図にミュウなんて載ってないんだが。 

 えぇと、ソルフーレンを北へと進んだ先にあるのが、極東の島国たる『鬼国・鬼ヶ島』との貿易が盛んな『ハザマの国』で、逆方向の南にへ進んだ先にあるのが、十個の国を一つに纏めた名称が付けられている『アリオン諸国』か。

 そのアリオン諸国をさらに南に進んだ先にあるのが、舞の国って呼ばれている『舞国・オルダンシア』だったはずだ。

 

 え? ハザマの国を北に行けば『歌国・オルカストラ』で、そこから先は陸続きの国はないし……一旦遡ってみて『オルダンシア』を南に行けば何かあったっけ? あ、そういえば『フントムイロ』っていう、情報がない国があったな。

 …………ん、んん? ここ『東方大陸』に『ミュウ』なんて国家はないよな? もしかして、やっぱり『ミュウは国ではない』のか……? まさか商店とか地方の街の名前とかじゃないよな? それだと流石に僕では分からないぞ。んんー……駄目だ。ミュウなんて場所を僕は知らない。

 記憶を全漁りしても分からないものは、いくら求められても答えようがないし、正直に分かりませんでしたって言おう。


「ごめんなさい、お爺さん、お婆さん。僕も『ミュウ』って場所は分からないです…………力になれず申し訳ない」


「そうですか…………いえ、こちらこそすいません。東の大陸にあると聞いていたんですが、他を当たってみます」


「はい……。勉強不足で、すいませんでした…………」


 老夫婦が向かおうとしている『ミュウ』っていう場所が何処にあるんだ? 老夫婦の方が何かしらの勘違いをしていて、地名を聞き間違えているとか、その可能性もあるんじゃなかろうか? まあ、単に僕が無知なだけなのかもしれないんだけどさ。

 不甲斐ないという感情から溢れ出てくる言い訳でしかない反省を、脳内で幾度も反芻させながら深々と項垂れていた僕が、ふとした様子で顔を上げて、僕の元から去っていった老夫婦を視線を右往させて探し、そして見つけ出せば、当の老夫婦は大東門の外壁にはりつきながら『客待ち』をしていたのだろう一台の馬車を駆る御者に話しかけて、そのまま馬車に乗って何処かへと走り去って行ってしまった。

 

 目的地の在所が不明であった老夫婦を乗せて何処かへ出発したということはもしかしなくとも、馬車の御者は『ミュウ』の場所を知っていたということなのだろう。

 それなのに僕と来たら。老夫婦を待たせるだけ待たせた挙句、結局なにも分からなくて、手掛かり一つも差し上げられず帰させてしまったんだから……役立たず極まれりだ。

 ふと涙が溢れ出してしまいそうになる雨模様の湿った思いで俯いていると、前に並んでいた軽装の武具と無精髭が特徴的な中年の男性——冒険者が話しかけてきた。

 

「えらい災難に遭っちまったな坊主」


「あ、いや……本当に不甲斐ないです。ミュウなんて場所は聞いたがことなくて、何も教えてあげられなくて……」


「ああ? あんな場所は坊主みたいなガキは知らなくていいんだよ。例え知っていても、誰にも言っちゃあ駄目だ」


「…………え? え、あの、どういうことですか?」

 

 引っ掛かる言い方をする中年の冒険者に、僕は片方の眉尻を上げながら問いを発した。問いを受けた中年の冒険者は『その言い方はどういうこと?』という顔で固まる僕を見て、しばらく悩むように黙り込んだ後、僕が求めていた答えを教えてくれた。


「ミュウはな、知る人ぞ知る『自殺の名所』なんだよ」


「じ、自殺ぅ……っ!?」


「ああ。この大陸の何処かにあるらしいが俺もミュウの場所は詳しく知らん。そもそも興味がないからな。だからお前みたいなガキは、んな場所知らなくていいんだよ」


「え、じゃあ、あの老夫婦は……まさか…………」


「そのまさか。夫婦揃って心中する気なんだろうぜ。どこか薄ら寒さを感じたろ、あの爺さんと婆さんからよ」


 嫌な臭いを嗅いじまったという風に鼻下を擦りながら、顔を盛大に顰めている冒険者のおじさんから話を聞いた僕は呆然と立ち尽くす。もしも僕がミュウの場所を知っていたとして、意図しない親切心で『とある目的を持った老夫婦』に教えてしまったならば……僕は『老夫婦の自殺幇助』をすることになってしまったのかもしれない。

 いやでも、もしかしたら。もしも、本当にもしもだけど、僕が『ミュウ』場所のことを知っていたなら、あの老夫婦を説得して止めることができたのかもしれな——

 

「おい、ガキ!! 滅多なこと考えてんじゃねぇぞ!!」


「っっっ!?」


「俺らが必死こいて止めても無駄なんだよ、ああいう奴らはよ!! んな他人のことを一々気にしてたら生きてけねぇぞ!!」


「………っ………は、はい……」


「ったく…………」 


 冒険者のおじさんは老夫婦のことで思い詰めた表情を見せてしまっていた僕にけたたましい一喝を入れて、その思考が無意味であるということを半ば強引に悟らせる。

 肩を跳ねさせてしまうほどの一喝が、人生経験が豊富な、それ故に達観をしているのだろうおじさんからの『不器用な励まし』だということを暗に理解してしまった僕は、止めろという言葉を素直に聞き入れて、目を伏せながら小さく感謝を口ずさむ。

 ミュウという自殺名所の所在を尋ねてきたあの老夫婦にも、何かしらの理由があるのだろう……。だからこそ僕が自善にして慈善である意志を掲げながら、影を身に纏っている老夫婦に対して考えを巡らせて、どう動いたとしても。それには大した力も、誉れとなる意義も、目指そうとした結果も——得られることはないと思われる。

 

 そう理解したとしても『もしも、もしかしたら』って考えと、その自己を疑る思考が行き着いた先にある、今ほどの行動の末に与えられた結果から分岐した世界を覗き見てしまうと、この『選択は間違いなのでは』ないかって、そう思えてしまうんだ。

 しかし、どれだけ今に得た結果に後悔しても、とうに過ぎ去ってしまった時間がやり直せる時まで戻ることはない。だから僕は気を取り直すために両頬をパンッと強く叩いて、頬を真っ赤にしながら、瞠目するおじさんと目を合わせた。


「ククッ……無知のガキのくせに威勢がよくていいじゃねえか。よし! じゃあな、坊——って、お前、名前は?」


「……ソラです。ソラ・ヒュウルです」


「ははっ! じゃあな、ソラ! 元気でな!!」


「————はい!!」


 文字通り痛烈に、しかし笑えるほど豪快に落ち込みかけていた意識を持ち上げてみせた僕におじさんは『紛れもない成長』を冒険者なりに祝福するかの如く、爺ちゃんみたいな笑みと共に叱咤激励を僕へと投げ付けて、後ろ手を振りながら順番が来ていた検問所の方へ——入都者を待つ検問官のもとへと歩いて行った。 


 + + +


 馬車の列ほどではないが、長蛇としか形容できなかった入都者達の列に並部こと、かれこれ一時間半。太陽が徐々に東へと傾いてきている青空の下でとうとう目前に検問所が迫ってきていることを認めた僕は、僕よりも一歩早く検問所に入れたおじさんの背中を一体どういう手続きが必要なのか、それを知るためにじっくりと観察する。 

 首都と外界の境界線上に建つ検問所には、強行突破できないように設置されている仕切りの遮断棒と、遮断棒を持ち上げる装置があるのだろうカウンターが見受けられた。

 入都、もしくは出都する際に通る必要がある検問所。そこにあるカウンターを挟んだ場所で仁王立ちしている検問官に、先に行ったおじさんは手に持った鉄のプレートを提示する。すると、おじさんは所持している荷物の中身を調べられることなく、持ち上がった遮断棒を素通りして、中へと入っていってしまうのだった……。

 

「次の方!」


「は、はい!」

 

 やっときたぞ、遂に来たぞ、僕の番が! 燃える意思など他所にガチガチに緊張している僕の体は、酷くぎこちない動きを周囲に見せながら検問官の前まで向かった。

 そして『やはり』と言うべきか、緊張で全身に汗を湛えてしまっている僕は、しかし素面のままである男性の検問官に『とある物』の提示を求められてしまった……。


「身分証、または通行許可証の提示をお願いします」


「…………………………?」

 

 み、身分証? 通行許可証? な、なにそれ……。そんなの持っていないし、誰にも渡されていないんですが……。

 

「あ、えっと…………持って、ないです」


「では発行致しますので、あちらへ向かってください」


 男性検問官は白の皮手袋に包まれている人差し指をある方へと指し、その方向を僕は目で追いかけた。そこには防壁をくり抜いて内部に取り付けたような『窓口』っぽい場所があり、そこで今に提示を求められた身分証か通行書を発行するようだった。


「分かりました。行ってきます」


 首都に関して右も左も分からないでいる僕に、言葉よりも分かりやすかった明確な指示を出してくれた検問官に感謝を述べた僕は、促されるままそこへと向かった。


「………………ええっと……こんにちは」


 やや挙動不審になりながら指示された場所にある窓口の前に立つと、そこから見えたのは黙々と小難しい事務作業をこなしている、制服なのだろう女性物のスーツを着用した女性で。その女性は僕が窓口に張り付いていることに気付いている様子はなく、作業の邪魔をしていいのかなと言葉を掛けあぐねていた僕は汗を湛えつつも息を飲み、場違いなのではという挨拶と共にコンコンと分厚すぎる窓硝子をノックした。

 

「あっ、申し訳ありません! 少々お待ちください!!」

 

 感じの良い人だ。そんな安堵を女性が発した驚愕の一声で察せられた僕は人知れず胸を撫で下ろして、行っていた事務作業の中断に急いている女性を黙って見守った。


「コホン……。対応に遅れてしまい誠に申し訳ありませんでした……では。こんにちは、私は世界冒険者協会の事務員。名をイーマルと申します。こちらで発行するギルド身分証は世界各国での身元証明に使用できます。紛失ですか? 初発行ですか?」 


 イーマルという名の、人族の僕はもっていない大きなモフモフの犬の耳を頭部から生やしている、外見上間違いなく『獣人族』であろう事務員をしているらしい女性がさらっと言った、とある言葉。それに驚愕を露わにしてしまっている僕は、先ほどの『世界冒険者協会』という言葉を何度も頭の中で、えらく興奮しながら反芻させた。


「世界冒険者協会…………」


 世界冒険者協会……って『ギルド』のこと、だよな。え、すご! 爺ちゃんの言っていた組織は実在したんだ……!


「あっ、えっと、は、初ですっ! 初発行です!」


「ふふっ。かしこまりました。ではこちらの……よいしょ。こちらのギルド身分証を発行する際に必須な書類に『名前・性別・出身』とうの記入をお願いします」


「わ、分かりました!」


 自慢話でしか聞いたことがなかった『世界冒険者協会・ギルド』なる組織が、この世に確と実在しているということに対する多大なる興奮で体を上下に揺らしてしまっている僕は、そんな僕の様子を見て笑みを溢しているイーマルさんが窓口の下の方にある隙間から差し出してきた、発行する際に記入が必須だという書類を受け取った。


 世界冒険者協会身分証発行時・必要書類——取扱重注意。

 

 なるほど。細々とした注意書きがされているけど特段注意しておく点とか、身分証発行によって個人の行動に制約が課されてしまうような引っ掛かる点は何も無いな。

 遺失した身分証の再発行には予め決めていた暗号が必須で、それを忘れてしまった場合は今回記入した情報を厳密に破棄し、厳格な状況にて再取得の必要性がある。

 先述した『もしも自己身分証を遺失してしまった場合』の注意点や、遺失した際に取るべき、そして再発行をする際に取らなければいけない行動なんかも、まあこんなもんだろうなという感じのものばかりだ。僕が気にする必要がある記述はこの書類には何一つ書かれておないし、早速、身分証の発行に必要な情報を記入していこうか。


 えっと、名前は『ソラ』で、性別はおと——


「あ、フルネームでお願いします」


「あ、あっ、はいっ!」


 えっと、名前は『ソラ・ヒュウル』で、性別は『男』。

 出身は『ソルフーレン』でいいんだよな? 


「…………あの、出身って故郷の村の名前を書いた方がいいんですかね?」

 

「いえ、大まかに出身国を記入していただければ、それで大丈夫ですよ」

 

「そうなんですね」ってことは、あとは暗号かぁ。ま、爺ちゃんのフルネームとかでいいだろ。これで書類はいいのかな? 他に未記入なところはないな。よし、完了! 


「出来ました」


「はい。お預かりします…………確認が終わりました。では、今から『ソラ・ヒュウル様』の身分証を発行致します。身分証の発行が完了し、お手渡しが可能になるまで少々お時間が掛かります。十五分ほどですのでそれまで窓口近くでお待ちください」


「分かりました」


 笑みを浮かべながら必須手続きが完了したことを知らせてくれたイーマルさんに感謝を告げた僕は、彼女が言った僕の身分証の発行が完了するまでの待ち時間を潰すために、他の利用者が来るかもしてない窓口の前から他の人の邪魔になってしまわないように横手へと移動し、防壁に背をもたれさせながら検問所を通る人達を観察した。


「………………」


 僕が列に並んだ時は『縦』であったため、他人の風貌を窺うのに制限があったのだが、少し離れた斜め向かいのここではそれがなく、何しようもない待ち時間というのもあって、入都しようとする列を作っている人々の顔を、格好を、珍しい武装をじっくり気ままに観察することができた。

 既視感しかない長蛇の列を作り出している人々の中には、故郷にいるカカさんと同じ特徴を持つエルフに、実は爺ちゃんって人族ではないのでは? と疑いたくなるくらい特徴が似通っている、しかし身長は僕や爺ちゃんよりも低い、一体いくつなんだろうなと思ってしまう老け顔のドワーフ。


 あと、やけに子供っぽいけど杖を持っているし……あれはもしかして、亜人族の中で最も身長が低く、老化するのがエルフやドワーフの次に遅いと言われている、身体的特徴が人族の子供とソックリだという『小人族』なのかな?

 こうして見ると他種族の身体的特徴は、カカさんから教わっていた通りだな。不老で容姿端麗で耳が長く尖っていたり、僕くらい若くても老け顔で短足短腕で、その代わり全種族の中で最も筋骨が発達していたり。実年齢が分からないくらい子供のような容姿をしていたり。頭部から多種な獣耳、臀部からは多様な尻尾が生えていたり。

 僕と同じ人間だというのに、ただ種族という点が違うだけでここまで身体的な違いが出てくるんだなと僕は見ていて楽しくなってしまい、時間の流れを忘れてしまう。

 

「ソラさ〜ん! 身分証の発行が終わりましたよ〜!!」


「あ! はいっ!」


 いつの間にか十五分という時間が過ぎてしまっていたようで、窓口から大きな声で呼ばれてしまった僕は急いで防壁から背中を離し、急いで窓口の前へと向かった。


「すっ、すいません……! ちょっと楽しくなっちゃって」


「ふふふっ。では、こちらがソラさんの『身分証』になります。大切にお預かりくださいませ。紛失時は先ほどの書類の内容に沿った行動を取るようお願いいたします」


「お、おお〜〜……っと、は、ハイっ…………!」

 

 僕が湛えている興奮に釣られてしまったような朗らかな微笑を浮かべているイーマルさんから手渡された物は『ソラ・ヒュウル』という僕の名前と出身国がしっかりと目視で確認できるほどに深く刻まれている『銅製のメタルプレート』であった。

 素材が素材なのだから当然なわけなのだけど、全体が銅色をしているそれは非常に硬質で、大きさの割に結構重たかった。そんなメタルプレートの上左端の方には直径一センチほどの小さい穴が空いていて。これはおそらく、ここに紐か何かを通して鞄とかの持ち物に取り付けておくためのものだろう。僕も肌身離せないリュックを背負っているし、それに付けちゃおうかな。……落とさないかな? ま、大丈夫だろ。


「身分証の初回の発行は原則として無料ですが、再発行の場合は料金が発生するので、そこは注意してください」


「分かりました」 


 僕はよく話を聞いてますよという風に「うんうん」と頷きながらイーマルさんが語ってくれる事細かな説明に耳を傾けていく。そして説明の終わりに、この旅を始めるキッカケであり、大きな目的となっている失踪した母『フーシャ』について尋ねた。 

 母についての問い掛けをすると、イーマルさんは「本来であれば個人情報の検索はギルドの規則に反しているのですが……私とソラ様のここだけの秘密ということで。今から確認しますね」と片目を閉じながら言い、この『フリュー大東門外部・ギルド事務所』にて保管されている『蓄積した身分証発行者の名簿』を調べ始めてくれた。

 

 調査開始から十数分後、とても残念そうな表情を浮かべているイーマルさんから『フーシャという薄緑髪で痩せ身の女性についての発行履歴はここには何一つなく、僕が求めているような情報は何も得られなかった』という旨を伝えられてしまう。


 困り顔をしているイーマルさん曰く、フーシャという名前の女性は『この窓口に来たことがないし、延いてはフリューで身分証を発行したとの形跡がない』のだとか。

 ギルドが定めているそうな規則を違反してまで力になってもらったのに無意味な時間も割かせてしまった僕は、非常に申し訳なさそうな顔をにするイーマルさんに、


「いえ、お力になっていただけただけで嬉しかったです。規則の件と、お時間を多大にお掛けして申し訳ありません。本当にありがとうございました……」という感謝を伝えて、深々とした一礼をした後にトボトボと窓口から離れて行った。

 そうして二度目となる、入都する人のみで作られている長蛇の列、その最後尾に僕は並んだ。今回は一度目よりも非常に早い、体感で四十分しない程度で検問所の順番が来てくれた。僕はバックを背負い直して、懐に入れていた『身分証』を取り出す。 


「お久しぶりです。これ、身分証です……!」


「ははっ。はい、では確認致します……確認終わりました。武器の持ち込みは、腰に差しているナイフだけですか?」

 

 列に並ぶのと同様に二度目の顔合わせである、もう顔見知りと言っていいのではと思えている仲の検問官の男性は、僕の腰に差されているナイフを指差してそう言う。


「はいっ、これだけです」


「分かりました。では荷物の方を確認させてもらいます」


「ど、どうぞ!」


 僕は「こちらにどうぞ」と指定された受付台の上に背負っていたリュックを乗せ、検問官が調べ終わるのを待った。


「…………はい、確認終わりました。ようこそフリューへ! 歓迎いたします!」

 

 荷物の確認が何事もなく無事に終わったことを告げた検問官の声に追随して、目に見えて高揚している僕の目前でアクションを起こしたのは、何者も通さんと道を阻んでいた剛強その物である紅白縞模様の遮断棒であった。その遮断棒はまるで検問所のカウンターから返却された愛用のリュックを背負った僕のことを歓迎してくれているように、なんの突っ掛かりなくスルリと持ち上がって、閉ざしていた道を開けた。 


「とうとう来た…………!」ここが話に聞いていた『風の都・フリュー』!!


 僕は多大なる興奮でニヤつきながら、歓迎するように両手を挙げてくれているような検問用のゲートを通る。そして目前で歓迎するかのような日差しを浴びている首都の光景が徐々に徐々に大きく広がっていき、それに目を見開いてしまった僕は——

 一歩前へと力強い歩みを進めて、目前に広がっている果てしないフリューの地を、


「————!!」


 踏み締めた。

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