第41話 裂け落ちて、全てを漬いやす『白金の杭』
肺を目一杯に膨らませてから放たれた、僕渾身の『おはよう』は、中規模なルーム全体を揺らすようにビリビリと反響していき、上下左右、そこかしこにいた石蜘蛛共が一斉に逃げ惑った。
あまりにも甚だしい大音声だった故か、上からぼとぼとと拳大の石——岩蜘蛛が落ちてきて、まさに落石だろうそれが地面へと着弾すれば、ドンッという音とともに『残骸』が飛び散る。
耳を塞いでいた二人は腕で頭頂部を庇いながら、僕は足元を走り抜けようとした一体を無感情に踏み砕きながら、これでようやく何かしらの反応を示すであろう『繭』のことを注視した。
——あれじゃない、違う、どれだ、ない、どれが反応を示している。
一つ、二つ、三つ。どれも反応無し。
閉じ込められている野生動物達は、死亡しているとは思いたくないが、その状態は衰弱的重篤なのだろうと察せられて、しかし今ばかりは『まだ助けてあげられない、ごめん』と、つい目を伏せたくなる感情を抱きながら、視線を他へと移す。
四つ、五つ、六つ目、やはり反応無し。
恐慌状態に陥っている石蜘蛛の至極喧しい鳴き声に心底苛立ちながら、続けて七つ八つ九つと数えていき、ルームの入り口を背にし、その左手の方から始めた行方不明者の捜索は、動かない繭を二十ほど認めた辺りで、ついに変化が訪れる。
ハッと肩を揺らし、目を見開いている僕の視線の先、入り口の対面にあるルーム唯一の出口の近く、約五十メートル先に吊るされている一つの繭が、不自然にギシギシと揺れ動いていた。
「あそこだっ!!」
天井から等しく吊るされている数にして五十を超える繭の中から、たった一つの『呼応』を認める。
それは知らせだった。自分はここにいると、駆け付けた僕達へと訴えているのだ。
それについ声を張り上げてしまう僕は、暗澹の中に差し込んだ希望の光に心臓の律動を崩してしまいながら、違う場所に視線を走らせていた二人へと、ピンと指を指してそれを知らせる。優秀な二人は僕の呼び声に即座に応えて、人差し指が差している方に視線を向かわせた。そして共有する。被害者が閉じ込められている繭の位置を。ならば、もう足踏みは終わりだった。
「急ごう!」
「ええ!」
要救助者を発見した三人は、地面に散らばっている石蜘蛛の残骸、赤色じゃない黄緑の血液と内臓をぶち撒けているそれらを無遠慮に蹴散らしながら、繭があるルームの出口の方へ向かって走り出す。
進路には蜘蛛の巣が張られておらず、僕達の駆け足を阻めるものは何物もない。
故に、一行はものの十数秒で繭の元へと辿り着いた。
繭を真下から見上げる僕は、今だ『ここだ』という要請を揺れで示している繭を認めて、精一杯に声を上げる。すぐに助けます、と。
「よしっ。やるぞ、ソラ!」
「うん、任せて!」
ルルド君は到着してすぐに背負っていた荷物を放り、今まで頑なに外さなかった分厚い鎧を脱ぐ。ガチャガチャと騒音を奏でながら身軽になっていった彼は、気合が籠った呼気を吐き出した後、僕に強糸切断用のナイフを手渡して、落ちてきた繭を受け止めるために真下で立った。そんな彼の用意を少し下がった場所で認めて、互いに視線を交わし、無言で頷き合う。
僕は邪魔なランタンを地面に置いて、受け取った使い慣れないサバイバルナイフを手に馴染ませた。何度か柄を握る箇所と握り方を変えて、しっくりきた時に『これだな』と固定する。そして、
「ふッ!」
見えた希望を活力に変換、それで生成された気合いを吐いて放つ、極精密な一投。瞠目を禁じ得ない完璧な投擲だったそれは、ヒュンッという風切り音を奏でながら、頭上で繭を繋ぎ止めていた強糸を目掛けて突き進んでいき、見事その一糸を切断する。身に付けていた物を全て外しているルルド君は、その一連の光景を瞬きを止めている目で認めながら、絶対に繭を接地させないという意気込みを以て、推定な七十キロオーバーのそれをキャッチする構えを取った。
そして、確かな重量を裏付ける勢いを以てこちらへ落下してくる繭を、目をガン開いているルルド君は「ふん!」という気合の鼻息を噴き、岩面に衝突させることなく受け止めてみせた。
「大丈夫ですか!?」
『ワシは問題ない……が……毒を食らって、大して動けん…………』
「——! ロウベリー、浄薬を出してくれ! ルーローンで買っていたやつを!」
「はいはい!」
一俵を優に超えている重量をした、思っていたよりも硬質な繭を、ルルド君は慎重に地面へと下ろして、それを見届けていた僕は内側にいる男性の安否、今の状態を確認する。すると閉じ込められている『初老』のような声をした男性は、想定通り『毒を食らっている』と語った。
それを聞いて、奇襲的な戦闘に備えて鎧を急いで着込んでいるルルド君が、周囲を警戒していたロウベリーさんに『薬』を用意するように叫ぶ。
彼女はそう要求されることは分かっていたと言わんばかりに、手際よく自分の荷物を漁り、透明な液体が入っている小瓶を取り出した。
僕は忙しないそんな二人を横目にしながら、手に握ったままのナイフを慎重に繭へと入れる。ズブブ、という確かな抵抗力を掌で感じながら、七センチほどの刃渡りがあるサバイバルナイフ、その刃を全て使ってもなお、男性がいる所まで届かない事実に対して、驚愕を露わにした。
一本一本の糸の太さが尋常じゃない。
もはや糸ではなく、強靱な『縄』と言っていいほどだ。
ここまでの太さと強度をしている白糸は初見。
それはすなわち、これは先ほど根こそぎ吹き飛ばしてやった糸製の障壁、それを編んだ石蜘蛛たちが作り出したものではないということか。
——女王蜘蛛。
数多の石蜘蛛たちの母体にして、この事件の元凶と思しき、異生物。世界の異物。
未だにその正体が分かっていない未知の怪物を想像しながら、僕は男性を閉じ込めていた繭を丁寧に切開して、最後はただの腕力で物凄い耐久力をしている蜘蛛の食牢を強引にこじ開けた。
「…………っ、若いのに……助けられてしまったようだな」
「顎髭……ということは、貴方が『ゲントウ氏』で間違いないですか?」
「ああ……っ、ふー……ワシがゲントウで間違いない」
「よし、ロウベリー、浄薬を」
「ええ」
他のものとは強度と太さがまるで違う、あまりにも強靭な糸で編み作られていた繭から姿を現したのは、トウキ君が着ているものとは似て非なる、言うなれば『道着』だろう紺色の和服に身を包んでいる、見た目的に五十歳くらいだろう、顎髭が特徴的な栗色の髪の男性であった。
モワッと蒸発した汗が繭からの解放と共にルームの中を昇っていく。僕はその酸っぱい匂いと蒸気に目を細めながら、自力で身動きが取れない様子のゲントウさんのことを抱き起こした。
上半身を起こされた彼の顔は、今にも泡を吹きだしそうなほど青ざめてしまっており、その容体が危篤一歩手前であることが一目にて分かった。
毒だけでなく、脱水の症状も出ているようで、眼球が窪んでしまっている。そして紫色の唇のヒビ割れには瘡蓋と真新しい出血がある。
僕はルルド君に『浄薬』なる、おそらく解毒薬だろうを飲まされているゲントウさんに、自分の荷物から雑に取り出した水筒を手渡す。
彼には薬と同じくらい水分の補給が必須だろうと。
「ゴクッ、ゴクッ……ブハァッ! フゥー……効いた。助かったぜ、若えの。ありがとうな」
浄薬なるものの服用と、満杯の水筒を飲み干すほどの水分補給。それらで一気に容体を回復させたゲントウさんは、先程までの血色の悪い顔の色を、よく焼けた浅黒い肌へと戻していた。
今まで十分な呼吸が行えていなかったのか、回復した彼は乾いていない脂汗を腕で拭いながら、洞窟内に満ちている、別段美味しくはない空気を至上のような顔で一気に肺へと注ぎ込む。
回復したとは言ったものの、それは毒に侵され脱水に苛まれていた彼の顔色が元に戻っただけで、しかし肉体にある傷はそのままだ。彼の両手は繭の内部からの抵抗を物語るように、指先の皮が剥げて出血している。
幾つか爪も取れていて、その生々しい状態は惨状の一言だった。
そして最も僕達の引いているのは、彼の左脹ら脛だ。
袴が裂けて晒されてしまっているそこには、言葉の通り『穴』が開いていた。象牙に貫かれたような、それはもう大きなものである。
彼の左足がひどい状態なのは誰の目にも明らかだが、緊急時の適当な止血として、袴を繋いでいた帯で太腿が縛られているため、過度な出血は防がれているのが、ある意味で救いだった。それは、大量出血での貧血状態にまで至っていないため、少しのサポートだけで動ける故に。
「ワシの足は問題ない。この程度、漢のワシには屁でもねえ」
そう言って、バシッと自分の左足を叩いてみせるゲントウさんに、ロウベリーさんは『自滅に繋がりかねない馬鹿なパフォーマンスはやめろよジジイ』と、あからさまな顰めっ面をする。そんな彼女を横目に、浄薬が入っていた小瓶を握るルルド君が片膝を突きながら口を開いた。
「再度確認しますが、貴方が髭面の冒険者の『ゲントウ氏』で間違いないですか?」
綺麗な竹皮に包まれている携行食——山下の村で買っていた『味噌焼きおにぎり』を僕から受け取って、それをじっくりと味わっていたゲントウさんに、今一度『名前』の方を確認する。すれば、頬についた焦茶の米粒を拭うゲントウさんは『ワシで間違いない』と鷹揚に頷いた。
「貴方と行動を共にしていたデデッパ氏について、何か知っていますか?」
「出っ歯の行方は知らん。洞窟に入って三十分ほどで相対した『大蜘蛛』との戦闘中にかろうじで逃がしてはやったが……帰ってきていないなら、俺と同じく蜘蛛共に捕まったんだろう」
洞窟に入って三十分で接敵した、か。僕達の時とは明らかに状況が異なっているな。ここに足を踏み入れて三時間が経過してから、身を潜めていた石蜘蛛のことを発見できた。にも関わらず、おにぎりを平らげた髭面のゲントウさんはたったのそれだけの時間で魔族と相対したと。
なぜ僕達が入ってきた時に大蜘蛛は——おそらく女王蜘蛛だろうは迎撃に来なかったんだ? 三十分とくれば、ほんの手前の方だ。そこまで来れるだけのフットワークはあるのに、なぜ……。
「トウキ君が向かった方に、その出っ歯がいるってことかしらね?」
「んー……アメヤマ氏の動向が掴めていないから断言はできないけど、そうかもしれないね」
「……やる気あるお前達にこう言いたくはないが、アメヤマとやらは既に喰われている。喰われていなくとも、死んでいるに違いない。そいつが蜘蛛に襲われてから、もう六日が経っている。ならば、生きている方が不自然だ。ワシも、あと二日遅ければ息絶えていただろうしな」
こう、たった十数年しか生きていない僕達と比べて、人生をより長く歩いてきた大人に現実を明言されてしまうと、もう誤魔化しが効かない。
みんな、薄々と思っていただろう。山下の村に住んでいる、行方不明のアメヤマさんが、とっくに『死亡』しているだなんて。僕だって、湧き上がってくるそれに無視を決め込んでいただけで、考えに及ばなかったわけじゃないから。
「……でも、アメヤマさんが亡くなっていたとしても、助けなきゃいけないのは変わらない」
その思いも、みんなで共有している。
だから、光を失わずに、前を向いて、今を考えられる。
「ああ、ソラの言う通りだ。俺達の目的は『救出』から何一つ変わりはない。たとえ要救助者が死亡していたとしても、彼のことを解放して供養することも目的の内だ」
「ふふっ、まあね。蜘蛛の巣に捕まったままは、私も嫌だし」
「高尚だな。金銭に目が眩む馬鹿どもに主らの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ」
「はははっ。ロウベリーの爪の垢なら甘いんじゃないかな? 砂糖中毒者だからね」
「殺すぞ」
「…………ごめんなさい」
やっぱり変わらないな、ルルド君もロウベリーさんも。
まあ、前者は変われよと言いたいが。
「ゴホン……おそらくだが、トウキが向かった道の方に、デデッパ氏はいると思う。それなら一旦は洞窟を出て、デデッパ氏の救出を完了させたトウキと合流をしたい」
デデッパさんが居る方にトウキ君が向かった以上、たとえ女王蜘蛛が待ち構えていたとしても、大した問題は起きないだろう。そう暗に言っているルルド君に、まあそうだろうなぁと僕とロウベリーさんは苦笑しながら頷いた。
単独で救出を進めている彼のことを知らないゲントウさんは、本当に大丈夫なんだろうなという顔をしながら、剥がれている指の爪にルルド君が所持していた消毒用の蒸留酒を吹き掛けて、ロウベリーさんが嫌々ながら渡してくれた裁縫セットの針と糸を使って泣き別れしている爪を指に、顔中に脂汗を滲ませながら縫い付けていた。
さらに、対象が死亡しない程度の量の『毒』を注入されたのだろう、左の脹ら脛にも蒸留酒を掛けて、そこは縫うことはせず清潔な包帯でキツくぐるぐる巻きにして、無理やり傷穴を塞ぐ。
あまりにも痛々しく、そして生々しい目の前の光景につい目を逸らしたくなるものの、僕は自分が所持していた軟膏と、コバングサ——止血と鎮痛の効果がある粘液を分泌する薬草。とても薄く、流通量が多い故に安価で、貼り付けると少しヒンヤリするため主に裂傷の処置に使用される——を渡して、粗雑ではあるが確かな応急処置がされている彼の十指にそれを用いた。
「あんがとよ、茶髪の坊主。これだけすりゃあ、一ヶ月かそこらで指に付くはずだ」
「……洞窟を出たら外で待機している『治癒術士』にその指と足の状態を確認してもらってください。間違いなく『治癒魔法』を施してくれるはずです。洞窟内にいる『魔族』の存在を共有したら、十中八九『ギルドからの討伐命令』が出る。その時はゲントウ氏も戦力に数えられる」
そんな短時間で剥がれてしまっている爪がくっ付くか……?
という顔をしつつ、鍛えればそうなるのかもと苦笑するルルド君は、僕が渡した軟膏とコバングサに満悦の様子を見せていたゲントウさんに、外にいる治癒術士という役職の人に負傷している指を見せるように伝えた。
「適当な応急処置も済ませて髭オッサンも動けるようになったようだし、早速動きましょうよ。じゃないと、入り口の方に逃げていった蜘蛛どもに道を塞がれちゃうわ」
目上のゲントウさんに『髭オッサン』などという渾名をつけているロウベリーさんのその言葉に、ルルド君は頷いた。彼が口を開こうとした時、僕の胸が戦慄く。
「だね。想定外のアクシデントに遭う前に洞窟を出よう。それじゃあ出発し——」
ルルド君が帰還する旨を全員へ伝えた、まさにその時、届く。僕達の耳に確かに届いたのだ。
この洞窟に突入してから誰一人として聞いていないだろう、岩壁や地面を削って進む破音が。
圧倒的な物量を誇っている大国の軍団が、草木なき荒野を進軍しているような夥しい打音が。
微かに得られた希望の光を潰さんと向かってくる、魔なる神から生まれた悪魔たちの足音が。
確かに『僕たちが辿ってきた道』の方から近づいてきていた——……。
ゴゴゴゴゴ——————!!
「「「「————っ!?」」」」
ルルド君の号令のもと、アメヤマさんのことは案じつつも、一旦は帰還をしようとしていた四人のところへ、言い表すなら『怒涛』のような、形容にし難い揺れと大音が押し寄せてくる。
あまりにも突然で、何の前触れもなかったその揺れと音に、致命的なまでに硬直してしまっている僕達は目を見開かざるを得ず。ただ、こちらへと迫り来ている何かの方に視線を向けた。
視線を送る方向は、今に向かおうとしていたルームへの入り口、帰還するための出口である。そこに明かりはない。故に見えない見通せない。だから待ってしまった。固まってしまった。何が来るのかと。
その音を奏でている原因が、僕達のいるルームへと入ってきて、コケアオミドロが発する青光に照らされたその瞬間、待とうが待つまいが決して関係なかったと知る。
これが帰還するための道を埋め尽くしていたなら、動こうが何も結果は変わらなかった、と。
「な、なっっ——かっ、壁っっ!?」
ルームの上下左右を埋め尽くし、鼠一匹も通さないほど過密になっているそれは、言わば一人でに動く大岩壁。
小説に出てくるダンジョンのように洞窟に仕掛けられていた罠が起動したのかと疑ってしまうほどの、何よりも信じられない光景が、僕とルルド君とロウベリーさん、そして立ち上がったばかりのゲントウさんの揺れ動く視界の中に確と映っていた。
もう理解が追いつかないと言うように、ルルド君が迫り来ている壁に汗を散らして叫びを上げる。その取り乱した叫びは、この場にいる全員の思いを代弁していた。
僕は、息を呑む。
「ち、ちげえ! アレは——!!」
齢五十は過ぎているだろうに、十代後半のルルド君以上の動体視力を発揮しているゲントウさんが、戸惑いつつも冷静に、こちらへ一直線に迫ってきている『大岩壁』の正体を看破した。
僕は持ち前の眼を十全に用い、目を引き攣らせているゲントウさん以上に詳細な情報を得る。
刻一刻と、致命的なまでに呆然としている僕達をすり潰さんと迫り来る、大岩壁の正体——。
それは、幾百千万。もしかしたらそれ以上かも知れない蜘蛛達が、究極に揃えられている軍靴のように緻密に連携し合い、完璧なまでに形成した、涙ぐましい結晶そのものである。
先程、僕が打ち破った白糸の障壁以上の頑強さ、重量、質量等々。まさに『圧倒的』の一言。
そう一週回って冷え切ってしまっている脳内で僕は認めて、叫んだ。叫ばざるを得なかった。
「尻尾を巻いて逃げたと思っていた蜘蛛どもの連携!! 追い込みの進軍——っっっ!?」
蜘蛛の壁。異生の大壁。圧殺する質量の暴力。
それらは瞬く間に僕達のいるルームを侵食する。高さは天井まで届いている。その幅は端から端までだ。さも大波。陸の、津波。飲まれれば……即死間違いなし。
「奥へ——奥へっ、奥へ走れえええええええええええええええええええっっっ!!」
催した大粒の汗を散らしている僕の叫びに当てられて、決死の形相をするルルド君が、このままではあの超質量の前に押し潰されてしまうと、すぐそこにあった、どこへ繋がっているのか分からない——いや、次期女王の『王台』に続いている一本道へと避難をする命令を下した。有無を言わずに従った僕達は、飛ぶようにその場を蹴り、道の奥へ奥へと全力で駆けていく。
その行動が、僕達を『』へと追い込もうとしていた奴らの思惑だと、考え及ばないまま——。
ドンッッッ!!
上下左右など関係なく足場にして、洞窟の四方を削る破音が。同胞たちと密着し、背負っている石殻がぶつかり合い生まれているけたたましい打音が。圧倒的な連携により一糸乱れず足並みを揃えていた蜘蛛どもが、僕達が飛ぶように入った『大広間』の入り口でピタリと止まる。
まるで『与えられた役目は終わった』と言うように、僕たちの退路を塞ぐべく、広間の入り口で不動となったそれに、荒い息を吐いては吸う僕は『甚だしい嫌な予感』で心臓を震わせた。呼吸も心臓も律していないまま、場を振り返って、確認せずに突入した広間の全貌を見通す。
「……………………」
王台があるだろう、高さにして五十メートル、横二百メートルを超える円形広間。
その中央で荒い息を吐いている僕達の頭上には、先程までいた食糧庫で見られたもの以上に太い白糸——ゲントウさんを包んでいた繭と同じ糸で編まれている『超巨大な蜘蛛の巣』が認められた。
いつかの日に読んで、しかし日没が近いからと読むのを止めてしまった宇宙図。
そこに描かれていた『銀河』と呼ばれる物のようなそれには、幾つもの蒼き星——僕の頭部ほどの大きさをしているコケアオミドロが煌びやかに飾られていて、万人の目を奪うほどの美しさがあった。
ここにいない主の代わりなのか、巣の中央、僕達の真上には血のような赤い糸で編まれている繭が存在する。食糧庫にあったそれとは一線を画するその繭は既に破られていて、真にもぬけの殻であった。
当ルームにあるのは、それだけ。
どれだけ見回しても、他の蜘蛛は確認できない。そのことを心臓を抑えながら、しかし大きく開かれている目で何度も周囲を確認していたルルド君とロウベリーさん、そしてゲントウさんの三人は、閉じ込められてしまったものの敵性存在はおらず、さらに向こうに別の道へと続く出口があるということで、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし僕は違った。
確かにこっちを見ている存在、僕達のことを栄養価の高い餌の一つにしてやろうとしている『魔族』のことを知覚している僕の反応は、まったく平和的じゃなかった。
瞳孔開かす嫌な予感。身の毛もよだつ最悪な悪寒。即時逃走を訴える研ぎ澄まされた第六感。
揺れる呼吸を整えず、震える眼を呆然と見上げては、確とその存在を認識する。
瞬くのを忘れている僕の目を釘付けにする場所は、ルーム上部の中心。
そこには繭があった。円形をした卵があった。
それは既に孵化していて、役目を終えていた。次代の繁栄を担う新たな女王は、力あるその肉体を慰めるためか、どこかへ姿を消していた。
だが、いる。
上に、いる。
天井に張り付いている奴は、こちらを確かに見つめている。
じっと、その時を待つように。
じっと、機を狙っているように。
その真紅の複眼を怪しく光らせている。
巨大な赤の繭を挟んだそこに奴はいた。
壁を隔てて相対する僕と彼奴は視線を交わしている。そのことを理解した僕は、繭を挟んで対面する『新女王』の力量を感じ取り、息を震わせた。
瞳孔開かす嫌な予感。身の毛もよだつ最悪な悪寒。即時逃走を訴える研ぎ澄まされた第六感。
言葉として形成できないそれらの意味を、次の瞬間に理解した。
天井部を覆い尽くしている、二百立方メートルはあろう超巨大な蜘蛛の巣。
その中央にある王台、落ちるように生まれたのだろう下の部分のみが裂けている巨大な繭の、破れていなかった上部がビリビリと『裂けた』故に。
「上に————」
コンマ数秒で幾度も巡り、辿り着いた推察の正否。それを告げよう者はいない。
しかし巨大な繭を利用して姿を隠し、虎視眈々と絶殺する絶好のタイミングを図っていた『新女王』だけが、動けないでいる僕を置き去りにして、行き着いた正答を漬いやさんと重きを動かしていた。
数万キロはあろう、常用する殻として背負うにはまったく適していないように思えてしまう、鬼国にある富士の大山のごとき円錐型の白金金属。それは大木の如き八つの脚を天井に突き刺すことで、その重量を逆さまに支えることに成功していた。
どんな武人も超人も、一切関係なく敢え無く潰してしまうだろう超重量が、確かに身じろぐ。硬直する僕の視線の先で、僕に気付かれていると知りながら、機は熟したと言わんばかりに。
パラパラと糸屑が落ちてくるのと同時に、まるで杭のような金殻がこちらへと向かってくる。息を潜めていた新女王が僕達を圧殺せんと選択したのは、紛うことなき『自由落下』だった。誇っている超重量に重力を加算してしまえば、それで生まれる破壊力は常軌を逸するだろう。落下。直撃。末に圧死。
死体はペシャンコで、もはや原型を保っていない。罠に嵌められた。あの追い込みは僕たちをここへと誘導し、足を止めたところでこの一撃を見舞うための策略か。
世界に存在してはならない異分子のくせに、さも人間のように頭を回しやがった。
思考に秀でている人間にそれを使わせることなく、追い込んだ。
僕に最初に見つけられた石蜘蛛には一端の知能は微塵も感じなかったのに。
ということは、石蜘蛛達の新たな母体となる新女王が策略を練ったのか。どう連携した。発声したのは聞き取れなかった。蝙蝠のような超音波でも出しているのか。
伝播。その言葉が浮かんだ。知っている。これはバケツリレーだ。それに準えているものだ。伝令役を任された一匹が女王の意思を受け取り、それを分散していた同胞たちに伝えたのだ。えらく古典的。でもそれくらいしか思いつかない。
もっと別の何か。魔法。いや有り得ない。僕でさえできない魔法という高等を、害を体現している魔族如きが扱うなんて考えられない。
石蜘蛛を駆除しておかなかったのは完全な失敗だった。
連携するなんて欠片も思わなかったから。ころす、コロス、殺す。次は見つけ次第、全て駆除してしまおう。統率を取る害虫など駆除してしまうに限る。ルルド君やロウベリーさん、ゲントウさんにトウキ君、外の人達にもそう伝えておかないと。
全員で駆除を押し進めればすぐに根絶は完了するから。
そう簡単に。簡単に鏖殺できるから。
伝える。伝えなきゃ。皆んなに知らせないと。なんだ。なんだ。なんだこれ。
思考が錯綜している。頭が今は必要のない考えでぐちゃぐちゃになっている。
時が、時の流れが遅いせいだ。
遅い。遅すぎる。
もはや何を見ているのかすら分からないくらい、全てが近くに見えている。
瞳孔が開き切っている。
思考が無意味に乱雑している。何を言えばいい。どう伝えればいい。
どう伝えれば、どう言えば、どうすれば。
みんなは優秀なその思考を放棄して走り出してくれる? 考えている時間はない。考えさせてはいけない。思考を挟めさせれば僕を含めた全員が『圧死』してしまう。
思考が錯綜する。舌が暴れている。本能が叫びを上げている。
叫べと。叫べと。叫べと————。
「走れ……走れっ、走れっっ、走れ走れ走れ走れ走れええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっっ!!」
「「「——————ッッ!?」」」
思考を放棄させる必死な叫びに当てられて、三人は無我夢中で地を蹴った。
足が遅いロウベリーさんの腕を、奥歯を噛み締めている僕とルルドくんが捕まえて引っ張る。そして、岩肌が弾けるほどの脚力を似て推進する僕達の後方は、瞬間。
大爆発を起こすのだった——……。




